旅立ちの日に「実はぼく」
旅行鞄が呟く声でをオレは聞き逃さなかった。鞄に入ったらもうオレが開けるまで動くな話すなと言ったはずだろう。そんなことを言えば「でもまだ移動していないから大丈夫だと思って」などと旅行鞄が言い訳をする。
密航するにあたって、この喋る旅行鞄と共に倫敦に行こうと提案したのはこのオレだ。あの事件が起こるまで。こんなことを頼もうなどと、考えたことはあったとはいえ実際に口にしようなど思いもしなかった。
それは、ずっと、起こりうる問題はすべて一人でどうにかしなくてはならないと思っていたためだ。それができると信じてきた。しかし、次第に信じる気持ちに自信を持てなくなってしまった。特に打ちのめされたのは、留学が決まって慈獄判事に呼び出された日のことだった。弁護士を目指し、留学を目指すにあたって、慈獄判事はオレの先駆者のような存在だと思っていた。憧れてさえいた。それなのに。留学の条件としてスコットランドヤードの刑事を殺せ、などと。
1807