4. Duel 「で、さっきの話だけど……痛っ……ヒュンケルに敗けた時の」
ぶぉ、という異音とほぼ同時に、背後の岩壁が砕け散った。
背筋が寒くなる。
訓練だって言っているのに。
当たったら最悪、ほんとに死ぬぞ。
「その、魔槍を渡したのって……いって、ちょ、ちょっと待って……渡した時って、どんな」
猛攻を必死にしのぎながら、話を続ける。
「どんな気持ちだったの?」
次の一撃はひときわ重かった。歯を食いしばって軌跡を読み、心臓すれすれで刃先を弾いた。
じぃん、と痺れる両腕を上げて、降参を示す。
「ストップ! ちょっと休憩させて!」
ラーハルトは追撃態勢を解いて、どすん、と槍の柄を地に突き立てた。
「実戦では、敵は待ってはくれんぞ。これしきで音を上げるとは。しょせんは人間、勇者を名乗れど、ディーノ様には遠く及ばんな」
本当に、一言も二言も多い男だ。
メァリは肩で息をしながら、冷静に、落ち着け、耐えろ、と自分に言い聞かせる。
今回の主目的は、言い争いではないのだから。
「悪かったな。だから修行を頼んでるんじゃないか。それに、なんだよ。以前はもっと普通に指導してくれただろう」
――ヒュンケルのことで、話があるんだけれど。
ようやく捕まえた陸戦騎に、単刀直入に用件をぶつけた。ラーハルトは眉一つ動かさなかったが、その名前に、彼の中の何かがざわつくのが感じられた。
が、返ってきたのはつれない回答だった。「下らん話に割く時間はない。修行だったら付き合ってやる」
そんなわけで、どうにか会話を繋いでいる最中だ。
この手の輩はなぜ、拳に全てを語らせようとするのだろう。面倒極まりない。
そして、結構痛い。
「いいから、さっきの質問に答えてよ」
「貴様に何が分かる」
ラーハルトが唸る。珍しく、本気で怒っている。
メァリはほくそ笑んだ。
良い徴候だ。
彼もまた、何か処理しきれない思いを抱え込んでいる。誰にも見せられない、傷つきやすい魂を。
解いてもらうのを待っている、こんぐらがった絆の糸。
「ヒュンケルはラーハルトにとってどんな存在なのか、教えて欲しい」
なんだこの、こどもの恋愛相談みたいな台詞は。自分で言って自分で脱力しつつも、メァリは辛抱強く続けた。
「喉の小骨みたいに引っかかるんだよ、今の二人を見てると。妙に不自然に距離を取るじゃないか」
「そんなことはしていない」
「この前、逃げただろう。わざわざ竜まで呼んで」
ラーハルトは「お前に関係ない」と言い捨てたが、一瞬、怯んだように見えた。
「関係あるんだ。僕は絆の力を戦闘力に昇華する。関係の歪みに足元をすくわれる前に、きちんと管理する義務がある」
ラーハルトは鼻で笑うと、槍をじわりと構え直した。
メァリは舌打ちする。彼に勝つまで、答えはお預けか。
パプニカのナイフを握り直し、三歩半、距離を取る。
ラーハルトがにこりともせずに呟く。
「槍では勝てないと知って、その武器を選んだのは賢いな。懐に入られてしまえば、長槍の優位は殺がれる。お前のレベルで俺の攻撃をかいくぐれるか、甚だ疑問だが」
「やってみるさ」
力を抜き、ナイフの柄を緩く掴んで胸元まで持ち上げた。およそ剣を振るう体勢ではない、盗賊の喧嘩みたいなスタイル。
ラーハルトは奇妙な構えに片目を細めるが、次の瞬間、瓦礫を蹴って飛んだ。
あの予備動作は、高速二連の隼突き。
唸る連続攻撃をすれすれで避けると、髪の毛が一部斬られて散った。
おそらく引き続くのは、中距離を引き裂く急所突き。繰り出す前に一瞬の間があるはずだ。
海鳴閃で広範囲を薙ぎ払ってくるヒュンケルの槍とは違って、ラーハルトの攻撃は速度と貫通性に特化している。回避動作と同時に距離を詰めれば、チャンスが来る。
予想通り、恐ろしいほど正確で残酷な一閃がメァリを襲う。首が飛ぶ直前でめいっぱい腰を落とし、振り上げたナイフで槍を捉えた。
刃の根元に刻まれた小さなソードブレイカーが、しかし、ちゃんと役に立った。思わぬ方向に捻られてバランスを崩したラーハルトの腕の下に素早く飛び込み、ナイフを手放す。
そして、淡く光り始めた拳をその横腹にぶち込んだ。
「……!」
ラーハルトは一瞬硬直し、ゆるやかに腕を下ろしていく。
止まっていた息を、すう、と吐き出す。
その顎の下でメァリは顔を上げ、にいっと笑った。
マァムに頼み込み、必死にマスターしておいて正解だった。
「閃華裂光拳だ。寸止めしなかったら、重症だったよ」
「……戦いの途中で武器を変えるなど。邪道だ。巧くいかなかったら、死ぬのはお前だぞ」
そう言いつつも、厳しい視線が少し和らいでいる。
「一本とったでしょ」
「……」
「さあ、僕の質問に答えてよ」
「……このガキめ……」
ラーハルトは観念したように槍を下ろすと、どさ、と切り株に腰を下ろした。
バランに仕える竜騎衆の筆頭は、戦士としての礼儀を叩き込まれている。訳の分からん人間の少女とは言え、命を懸けてぶつかってきた相手だ。最大限の敬意を払うしかない。
「何が知りたい。一体なぜ、俺につきまとう」
「だから言っているじゃないか。君たちをこのままにしてはおけないんだよ。僕が気持ち悪い」
「お前の気分なんぞ、知ったことではない」
「具体的に言うと、この問題をどうにかしないと、絆効果によるステータス補正が初期化されてパーティの総戦闘力が低下する」
「現金なやつめ」
聞いたことのある言葉を吐いて、ラーハルトがこめかみを押さえた。
「自分でもわかってるんでしょ。ヒュンケルを避けてる」
「……ああ」
「なんで」
「そうしたいからだ」
と、きっぱり言った。ヒュンケルよりは思い切りのよい返答だ。
メァリは黙って、続きを促した。
「俺は、確かに死んだ。あいつに殺された。この世界でなぜか再度の命を得たが、俺自身の人生はそこで途切れたままだ」
一本一本、記憶の糸をたどるように、ラーハルトが語りだす。
「なんの因果か知らんが、いずれは本来の世界に戻る運命だろう。そこにあいつはいても、俺はいない。ヒュンケルは素晴らしい戦士だ――人間として生き、仲間たちに愛され、バラン様とディーノ様を助け、その目的を達するまで、俺の遺志を継いで戦い続けるだろう。そしてその後は、穏やかに人生を全うする。だが、俺は――そこにいないんだ」
メァリは、彼の邪魔をしないように、そっと隣に腰かけた。
「絆の中心にいるお前にはわからんだろう。誰からも望まれなかったこどもの気持ちなど。ああ、そうさ――もっと違う形で出会っていたら、俺たちは本当の友になれたのかもしれない。だが、もはや未来はない。俺にあるのは過去の自分のみだ。すべてをバラン様に捧げ、ディーノ様に捧げて生きることこそ、我がさだめ。それ以上に、生きる目的など必要ない。邪魔なだけだ。……もし。もし、そんなものを見つけてしまったら」
膝の上で閉じた拳に、わずかに力が入る。メァリは彼の菫色の腕を、じっと見つめていた。
「耐えられない」
抑制された、淡々とした口調だった。
が、メァリは目を閉じ、数回小さく頷いて、息を吐いた。やっと明瞭になってきた。
「怖かったんだね」
「……」
「いずれ消える自分が、誰かを愛してしまうことが」
ラーハルトは唇を開き、何かを言いかけたが、また引き結んで顔を逸らした。
メァリは立ち上がると、ぱんぱんと尻をはたいて砂を落とす。
「ラーハルト、これは僕の直感だから、聞き流してくれていい。でも、多分、君の物語はまだ終わってない」
ただの予感だ。だが獣王の言うように、彼には何か、伸びしろのようなものを感じる。心がざわめくような、未来の気配が。
「それに――もしかしたら、ヒュンケルだって死ぬかも知れない。そう考えたことある?」
陸戦騎は弾かれたようにメァリを振り返り、慌てたように再度あさっての方向に視線を投げた。
「奴も同じく、誇り高き戦士だ。それが運命なら、死を受け入れるだろう」
目を見開いたままそう呟く。そっけない言葉に対し、口調は弱弱しい。
「運命なんてわからない。ラーハルトは今、ここで生きているんだ。なんだってできる。戦うも逃げるも自由だ。現状、戦わなければすべてが終わるから、戦うしかないんだけれど。それと、これは直感じゃなくて事実だから言っておくけど、ラーハルトはヒュンケルについて、だいぶ誤解している」
「……何をだ」
何もない空間に焦点を合わせたまま、ラーハルトが問い返す。
「ヒュンケルは人間に愛されて、仲間に愛されて、幸せに生きていくことを選べるようなひとじゃないんだ。彼の過去のこと、ラーハルトはなんにも知らないじゃないか」
「魔王軍の軍団長が、ディーノ様に与して寝返ったとは聞いていた。人間にしては珍しい経歴だが、どこがそんなに」
メァリは険しい顔で、指を一本突き付けた。
「ちゃんと話せ」
ラーハルトは絶句して、指先とメアリの眉間の皺を交互に見た。
小娘の無礼に怒るのも忘れてぽかんとしたまま、「何を」と呟く。
「ヒュンケルと、ちゃんと話せ。僕の口からは何も言えない。自分で話すんだ」
ラーハルトが何か言うのを待たず踵を返すと、王宮の方角へと速足で歩きだす。
砂利をがしがしと踏み鳴らしながら。
……これでダメなら、もう無理だ。