Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    シンヤノ

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🍩 🍑 🍇 🎂
    POIPOI 6

    シンヤノ

    ☆quiet follow

    Psyborg。🐑が🔮を探す話。
    本当にちらりとですがENメンバーに全員触れます。
    Not for meの場合静かに離脱をお願いします。

    2022/11/27加筆修正。多少セクシーな単語が出ますのでご注意ください。
    2023/9 微修正。

    #PsyBorg

    窮地の君浮奇が目を覚まさなくなった。

    数ヶ月ぶりに家に招いて、抱き合って眠った翌日のことだった。
    思い出す限りこれといった前触れはない。いつも通り楽しくゲームをして、美味しい食卓を囲み、笑う彼を愛しく眺めて、誘われた唇にキスをして、気を失うように眠りに落ちたところまで、全てはいつも通りだった。
    いつものように彼より早く起きて、いつものように犬の散歩と日課のワークアウトを簡単に済ませ、いつものようにランチの相談に起こそうとして、ようやく異変に気がついた。
    浮奇が目を覚まさない。ゆすっても名前を呼んでも、戯けてキスをしてみせても、くすくす笑う声も、気だるげな声も返ってこない。慌てて医者に駆け込んだ。
    しかしどの医者を頼っても、体に異変はないという。
    ただ昏睡している。それだけ。
    医学ではどうしようもない話だと悟り、ファルガーは友人たちに連絡を入れた。

    まず最初に頼ったのは400年生きた悪魔だった。彼は快く協力してくれたが、彼から見てもおかしな力は感じ取れないとのことだった。一緒に来てくれた呪術師も呪いの類ではないと太鼓判を押してくれたが、原因については分からなかった。
    次に頼った魔女は持ち込んだ様々な薬や魔法を試みてくれたが甲斐はなく、天界の鳥の知識を持ってしても分かることはないようだった。
    幽霊の仲間の気配もなく、妖精の仕業というわけでもなく、天狐やドラゴンやマーメイドにもあたってみたが思い当たる不思議はなく、ただただ彼は眠っている。
    一般人では知り得ないような薬でも盛られたかと、その筋に詳しそうなマフィアや未来の特殊警察、果ては怪盗にまで協力を仰いだが、目ぼしい収穫はなかった。

    そうやって1週間が経過した。
    ファルガーは帰宅した玄関先で、しんと沈む自宅の気配に心が重く沈んでいくのを感じた。
    最愛の恋人が眠り続ける寝室の様子を思う。
    家の中で最も快適に過ごせるよう改修した部屋には大きな格子窓があって、差し込む光はレースのカーテンに柔らかく受け止められて優しい陽だまりを作るように工夫されている。薄い影に隠れる場所に配置された大きなベッドのシーツは、浮奇が留まり続けることになって以来出来るだけ毎日代えるようにしている。居心地はそれほど悪くないだろう。体の手入れをするのが粗雑な自分のやり方では怒るだろうか。怒ってくれるといい。お前の怒る声は可愛いから。
    あどけない寝顔と、グレーの寝具に浮かぶ紫の髪と。
    奔放で自由な彼をあの部屋に閉じ込めて独り占めする夢想もしてみたことがあったけれど、実際に似たような状況になってみると想像以上に虚しくて笑いが漏れた。
    声を聞きたい、抱きしめられたい、幸せそうな彼の顔を存分に眺めて、誘いを戯言であしらって、拗ねる仕草ごと抱きしめてやりたい。悪態をつく唇に親指で触れて、むくれる頬を撫でて宥めて、左右で色の違う星色の瞳を見つめながら、顔中にキスを贈ってやりたい。
    ビニールの薄い袋に張り付いた水滴が足のセンサーを刺激して、現実に引き戻された。
    彼が好きだと言っていたアイスが溶けてしまう。栓ない空想に囚われて随分と時間が経過してしまったようだ。長く息を吐きながら、食料と日用品を幾らかと、浮奇の体に栄養を補給するための点滴を抱え直した。
    キッチンの冷蔵庫へ向かうと、間をおかずに賢い愛犬がこちらへ歩いてくる。頭を寄せる姿に丁度お前の食事の時間だったなと大きな頭をひと撫でして、ドックフードを皿へあけた。しかしその皿を無視してぐりぐり頭を擦り付けてくる。細い声で喉を鳴らす様子に最初は甘えているのかと思ったが、どうにも様子がおかしい。
    整理途中の食料品を放置して早足に寝室へと向かうと、果たして、ベッドはもぬけの殻だった。

    目を覚ました彼が歩き回っているだけだと一縷の望みにかけて家中を探したが徒労に終わった。
    浮奇のスマホに電話を掛けてみれば電源が切れていて、訪れた日のまま触らずにいた彼のバッグの中からバッテリー切れの状態で見つかった。誘拐の線も考えたが、家中の窓や出入り口に異変はない。代わりに、彼の靴だけが消えていた。
    情報を総合すると、彼は財布もスマホも持たずに自ら外に出たことになる。
    念のため警察に届けるべきか。
    じりじりと焦燥に駆られながら次の行動を決めあぐねていると、机に置きっぱなしになっていたスマホが震えた。
    「ふーちゃん? ひょっとして浮奇ってそっちにいる?
    さっき会ったんだけど、なんかぼーっとしててさ。腹が減ってるみたいだったから持ってたプロテインバーをあげたんだけど、水を買いに行ってるうちに居なくなっちゃって。そういや少し前に寝込んでるって聞いてたけど、もう良くなったのか?」

    連絡をくれたユーゴに詳細を聞いてみれば、浮奇を見かけたのは繁華街の方だったという。
    歩いて行けなくはないが、少し考える距離だ。普段なら車か自転車を使う。家にあるそれらに持って行かれた形跡はなかった。
    足もなく、財布もない。スマホも身につけていない。普通に考えればそう遠くへは行けないはずだが、さりとて彼にはあの力がある。彼の力の詳細を確認したことはなかったが、一般人のサイボーグが考えるよりも行動可能範囲は広いと考えていいだろう。
    どういう状況かはわからないが、病み上がりの恋人が着の身着のまま外を出歩いている。
    とる物もとりあえず、ファルガーは車に乗り込んだ。

    ユーゴが浮奇を見かけたというクラブの手前を聞き込んだが、彼は店の中には入っていないらしい。大通りをどこかに向かって移動しているようだ。
    聞き込みを手伝ってくれたユーゴを仕事に行かせて、引き続き人に聞き回りながら足取りを追う。仲間内のチャットから目撃証言が上がってくるのが有り難かった。

    『浮奇ってまだ具合が悪かったの!? ちょっと前に話したよ! ここのカフェのオープン席。本人はもう良くなったって言ってたけど』
    『あー、でも良く考えればちょっとフラフラしてたかも? 引き留めておけばよかったね』
    『そういやレンにちょっかいかけなかったよな、珍しく。ケーキとレンが目の前に揃ったら「あーんして」とかなんとかいう奴なのに』
    『いつもじゃないよそれ』
    『大体いつもだろ』
    『何それ僕の知らない話!?』

    『1時間くらい前に本屋の窓から大通りを歩いてくのを見たと思う。一瞬だったから違ったらごめん。お店のURLを貼っておくね』

    『センパイ! たまたまそっちに出かけていた友達が「紫の髪のかっこいい人を見た」ってツイートしてた! その子は一般人だから、該当ツイートのスクショだけ送るね!』
    『ひょっとして、インスタで投稿されてるこれも浮奇センパイ? この端っこに映りこんでる人。そっちのツイートと場所が近いと思う』

    『電車に乗る前だからだいぶ時間が経ってるけど、私たち、街の方で偶然会って喋ったよ。確かにちょっと顔が赤かったかも?』
    『でもコスメを気にしてたよね。財布持ってないのに気づいて元気にSワード言いまくってたけど……。んー、でも浮奇だもん、隠してて気づけなかっただけかなあ』
    『どっちにしてもちょっと心配だね。財布を忘れたって気づいて、取りに戻ってないのも変な気がするし。大ごとにしたくないのは分かるけど、近くに住んでる子に聞いてみるくらいはしていい? 名前は伏せて特徴だけにするからさ』

    『タクシーの窓越しに歩いているのを見かけました。反対車線だったから止まれなかったんですけど、海の方面に向かっていました』

    大通りを歩いている間は目撃証言に困らなかったが、そこを抜けるとぐっと少なくなって、繁華街を抜けたところで足跡が途絶えた。最後のアイアの証言をもとに考えると海の方面、それも徒歩で向かっているらしい。が、その道の先につながる場所はいくつもある。
    ファルガーは周辺地図を表示させたタブレットを前に1人唸った。
    伝え聞く言動は元気な浮奇そのものだ。自ら行動している様子だったことから、捜索届けを出すことも仲間に共に探してもらうことも控えていたが、しかしこれ以上の調査は一般人の限界を超える気がした。このまま単独で考えて目星をつけたとしても、推測が外れる可能性の方が高いだろう。そうこうしているうちに何か取り返しのつかないことが起こったら。
    大ごとにしたくない気持ちと、浮奇を心配する気持ちを天秤に掛ければ答えは明白だった。ファルガーはスマホで探偵の番号を呼び出した。

    狐耳の帽子が特徴的な名探偵はどうやったのか、遠い地からネットを通じての情報収集のみであっという間に途絶えた足跡をつなげてみせた。
    すでに日の落ちた車の中、バックライトだけを頼りに送信してもらった地図の場所をカーナビに設定する。感謝の言葉と謝礼の話を同時に送れば、ふざけたGIF動画が返ってきた。料金詳細は後日しっかり詰めてやろう。

    ビジネス街と海を隔てて長い橋でつながるこの半島は海岸沿いが埋め立てられ、夜景スポットとして有名になりつつある場所だった。
    土地の半分はレジャー施設、もう半分は住宅地。夜景沿いに堤防がひたすらに続く長い道は、夜はカップル専用のスポットと化しているが、朝になればランナーや犬の散歩をする人たちに愛される場所になるのだろう。
    うちの犬もこれくらいの距離を走らせてやれたら喜ぶかもしれないな。浮奇なら夜に来たがるだろうか。だけどあいつは俺がドッゴと散歩に出るだけでもデートだと喜んでついてくるから、朝でも構わないだろうか。洒落たドッグカフェのひとつもあれば、浮奇を誘って散歩ついでにランチを食べに出るのもいいな。
    車から降りると潮の香りが鼻についた。街灯が最低限に絞られているのは眺望への配慮だろう。まだ夜も浅いせいか、人出が多い。近くのバーベキュー施設から歓声が聞こえてきた。
    探偵の調査によると、この堤防の道を歩いていたのが最後の目撃証言とのことだった。
    目撃時刻が十数分前、その連絡をもらってファルガーがこの場所にたどり着く時間を加味すればおよそ30分前。これ以上は自分の足で探すしかない。十分追いつける範囲だと思いたかった。
    住宅街の方に友人知人の記録はないとのことだから、金を持っておらず店に入りようもない浮奇の移動先は外に限られている。もちろん、1人でいればの話だ。
    念のため通り過ぎるカップルたちの顔を盗み見ながら、潮を含んだ風に頬を晒した。

    やがて堤防が終わり、引き返すか商業施設の方へ出るか脇道を行くかの選択を迫られた。
    なんとなく人の少ない脇道方へと足を向ける。不可抗力とはいえ、他人の恋愛模様を目撃し過ぎて少し疲れていた。
    海岸よりもさらに灯りに乏しい道を歩いていくと、段々と木が増え、傾斜のある細い階段に辿り着いた。埋立地である堤防沿いが新しい施設なのに対し、こちらは天然の丘なのだろう、古びた観光案内板が弱々しい蛍光灯に照らされて光を好む虫を集めていた。
    この先を少し登ると展望スポットになっているらしい。
    手がかりは何もなかったが、夜景とは反対の方面の空の暗さにふと、星が見えるかもしれないと思った。
    ファルガーは1人、木の葉だらけの階段に足をかけた。

    想い人はそこにいた。
    都会の明るさになんとか負けずに光を届けた星が数十、開けた空に浮かんでいる。
    紫の髪を夜風に遊ばせながらそんな健気な星たちを見守っている浮奇の背中に、なんと声をかけたものか数瞬迷う。
    丘の高低をそのまま利用して展望台と銘打ったその場所は、小さな崖の淵を木製の手すりで囲い、木の位置を調整しただけの簡素な場所だった。
    見る限り、あたりに浮奇以外の人影はない。幾分か安心して「浮奇」と名前を呼ぶと、彼は普段よりもゆったりとしたペースで振り返った。
    「ふーふーちゃん……」
    その声は僅かに掠れていた。
    探している最中に聞いていた通り、顔が少し赤い。目も、潤んでいるような気がする。
    薄闇に目を凝らそうと近づいて、熱の有無を確認するために頬に手を当てて顔を上げさせる。
    と、びくりと浮奇の肩が跳ねた。
    恥じ入るように所在なさげな瞳が中空を彷徨う。
    その見慣れた仕草に全て合点がいった。ああ、なんだ、そうか。
    「なんだ、デートの約束があったのか」
    熱に浮かされたその姿が、直前にあったであろう出来事を物語っていた。
    ファルガーは穏やかに微笑んだ。
    「目が覚めたら1週間も経っていて驚いただろう。でも頼むからスマホを持っていくか、一言メモでも残しておいてくれ。心配するだろ。
    よし、熱は無いな。まったく、知っていればデートに乱入するなんて真似はしなかったのに。お相手はもういいのか? 俺が来たせいで気を損ねてしまったんじゃないだろうな。だとしたら悪いことをした。この埋め合わせは」
    「どんな気持ちで言ってるの、それ」
    先ほどまでの蕩けた様子と打って変わって、恐ろしく不機嫌な声を発した恋人に勢いよく手首を掴まれた。
    伸びた爪がファルガーの腕の硬度に負けて、ギ、と耳障りな音を立てた。それが腹立たしいと、握り締める手に一層力がこもる。元から白い手がさらに白くなるのを視界の端に捉えながら、特に止めることもせずファルガーは答えた。
    「普段より大分お冠だな? まあ1週間ぶりの逢瀬だったなら当然か。後でいくらでも謝るから、手を離してくれ。これ以上邪魔はしたくない」
    「……っ、嘘つき!」
    浮奇にしては珍しい声量で叫ぶのを、ファルガーは凪いだ目で見つめていた。落ち着けと言わんばかりに。その様子がますます浮奇を苛立たせる。
    高い位置にある胸ぐらを掴んで出入り口とは反対側へと引き込み、低い場所から顔を覗き込んで、一つの動揺も見逃すまいと睨みつけた。
    それでも凪を崩さないファルガーの姿勢に、いよいよ浮奇は激昂した。震える声が男を詰る。
    「何が俺を殺しかけたか教えてあげようか。君の心を覗いたんだ。無粋だって分かってた。あまりやりたくない方法だったけど、でももっと沢山知りたかった。愛されてるって。
    すごいね、ふーふーちゃん。あんなにどろどろの、重たい感情を持ってるのに、俺には綺麗なところだけ見せてられるんだ?
    びっくりしちゃった。圧倒されちゃった。めちゃくちゃに飲み込まれて、脳みそ焼き切れそうだった。1週間も寝込んだのにまだ君の熱が残ってる!」
    はぁ、と浮奇の唇から浮かされた熱が漏れ出る。
    決められたコードのように凪しか表さなかったファルガーの瞳が、初めて人間的な動揺を示した。
    「理性的な君もかっこいいよ。優しい君が大好きだ。けど、ねえ? 隠し事上手のふーふーちゃん。上手に隠すことばかり考えて、他が疎かになってるんじゃない?」
    互いの呼吸を感じられるほどの距離まで詰め寄り、挑発的に囁く。
    「ほら、今、どんな気持ちでいるの? 教えてよ」
    ねえ、俺が誰かと逢引をしていたらどうだっていうの?
    知っていればデートに乱入するなんて真似はしなかったって?
    浮奇の常より長い爪がファルガーの首に触れた。
    ただ触れただけ、何の力も込められていないのに、男の喉を締め上げる。
    ああ、そうだ、それとも。唇を耳に寄せて囁く。
    「無理矢理暴かれる方がお好き?」
    吐息が産毛を嬲る。
    凪いだ仮面を守ることに注力しすぎて、他の制御の甘くなった機械仕掛けの足が反射で後ずさった。崖の手前の手すりがファルガーの腰に当たる。
    ひとまわり小さな体躯がその両端に手をついて、簡易的な檻を完成させる。
    獲物の鼻先で舌舐めずりをする獣の如く、闇に目を光らせた浮奇が低く笑った。

    「一緒に過ごした夜の後で、1週間。次は何日寝込むだろうね?」

    男は窮地に立たされた。


    目を逸らし表情を凍りつかせたファルガーに、浮奇は多少溜飲を下げた。
    少しは辛抱してやる気になって、針のような沈黙を過ごす。普段ならよく喋る彼が取り払ってくれるものだったが、残念ながら今は不在だ。
    ああ、ふーふーちゃんの綺麗な顔。夜の闇にもぼんやりと光る銀の髪に、薄い唇に、年齢よりも幼い顔の作り。知的で臆病であったかいひと。済ました顔も大好き。本当はわかってる。君が俺に差し出していいと思ったものだけを享受して笑っていられればこんなことにはならなかった。
    でも気遣いの裏に隠された劇薬を見つけてしまった。
    上手に濾した上澄みばかり飲まされてきた身では耐えられなくて防衛本能のまま逃げ出したけれど、喉元を過ぎれば甘美なあの味が忘れられない。身を焦がすほどの情念があるなら、とぐろを巻く毒々しさがあるなら、どうかそのまま飲み込ませて。口当たりのいい優しさなんか投げ捨てて、暴力的な生々しさでもって直接この身に教えて欲しい。できれば他ならぬ君自身の手で。
    それに、ねえ、ちょっと見縊ってやしない? とろとろに可愛がられるのも大好きだけれど、俺にだって君を甘やかしてあげられるんだよ。
    手慰みにそろりと撫ぜた色の薄い髪が一筋頰を流れて、月明かりに影を作る。男は微動だにしなかった。どこか遠くを見ながら固まっている。そうすると無機質な人形に擬態しようとしているようで、けれど狂おしいほどに生身の熱を持つことを、浮奇はもうとっくに知っていた。
    返事を待って、待って、目の前の男にそれ以上の動きがないと悟ると、浮奇は自分が思った以上に大きく落胆しているのを感じた。ふぅん、そう。それなら、もういいよ。
    落胆と失望と、怒りの底にある哀しみと。ささくれ立った感情を常人では知覚すらできない神秘の光に焼べていく。目の前の銀の髪に飾られた愛らしいおでこを眺めて、皮肉げに笑った。
    こんなに涼やかな姿をして、こんなに穏やかな態度で、内側にはドス黒いへどろみたいな感情を飼っているなんて! 一体誰が信じるだろう。1番懐近くに入れてもらっている俺だって、この力がなければ気づかなかった。
    散々煽ってやったから、心の中は前よりもっと荒々しく波立っているはずだ。この中に沈んだら、次に目覚めるのはいつになるだろう。目覚めないかもしれないな。それでもいいや。せいぜい爪痕を残せるような別れの言葉でも言ってやろうか。
    力の行使とは別に自然と額に伸びた手を、赤い機械の手が掴んだ。
    「やめてくれ。……分かったから」
    「分かったって、何が?」
    力を散らさないまま睥睨すると、薄い色の瞳がようやくこちらを向いた。
    「本音を晒せばいいんだろう」
    はっ、できやしないくせに。
    目を細めた浮奇の次の言葉を待たず、ファルガーはその腕を引いた。
    「車があるんだ。ひとまず家に戻ろう。重大な案件だ。じっくり時間をとって話し合う必要がある。そうだろう?」
    「時間をかけて家まで帰って食事でもしてうやむやにしようって? カーステレオ代わりに昔の男の話にメロディをつけて歌ってあげようか? 話なら車の中でも出来るでしょ」
    「そいつはスパイシーだな。車の中でもいいが、カーセックスじゃ出来ることが限られるだろう」
    「……ふぅん?」
    わからせてやろうっての?
    自分達好みの提案に瞬きをして、秘密を共有するときの愉快さで思わずニヤリと笑うと、目の前のファルガーも同じような顔をしていた。
    瞳の底に現れるのは慈しみだけで、浮奇が所望した激情とはかけ離れている。けれど、なんとなく、まあいいか、という気になった。
    まあいいか、ベッドの上でなら簡単に逃げられないんだし。
    見栄もプライドも、服の上から纏うものだという。それなら着ているものを全部取り払って、身体をぎりぎりまで追い込んで、余裕を全て奪ってやったら、出てくるのは欲しかったとびきりのデザートだ。
    万一それでも素知らぬふりを貫こうものなら、嫉妬でも何でも煽ってやって、徹底的に暴き立ててやる。剥き出しの本音を晒すまでやめてやらない。俺の最終手段を抑えながらどこまで抵抗出来るか見ものだね。
    「いいよ? 帰ろう。寄り道はしないからね」
    俺の趣味とは違うけれど、今日だけはとことん君の被虐趣味に付き合ってあげる。
    冷たい手を取って先を歩き、頭の中だけで宣戦布告をしてほくそ笑んだ。


    ファルガーは幾分か機嫌を直した恋人の足取りにほっとしながら、男にしては細いその背を眺めていた。
    超感覚的知覚か。元いた世界でも常にファンタジーの範疇にあった能力だ。実際に目の前で使われてもあまり実感が湧かない。
    浮奇は自分の中身を「どろどろの、重たい感情」と表現した。
    知覚できるのは具体的な思考ではなく、感覚だけなのだろうか? それとも、全て分かった上で黙っている?
    浮奇と過ごすために改修した、居心地の良い寝室が視界の端にちらつきだす。
    光を零す大きな鉄の格子窓。業者にもらったサンプルの内、デザインの良さも目を引いたけれど、思考の端で確かに確認したのは、その頑強さ、落下事故を防止するために最低限しか開かない作り。光を拡散させて演出する曇りガラスは外から中の様子を隠し、一般的なガラスよりも衝撃に強い。外部の騒音とは無縁の一戸建ての家。大型犬の遊べる広さの庭で両隣りの家からのプライバシーは守られていて、伝統的な石造りの壁はそれなりに厚い。
    奔放で自由なお前を独り占めする夢を見た。
    違う。何を考えているんだ。捨て鉢になっている浮奇を止めるために説得をした。あとは帰って、じっくり話をすればいい。前に共有した、少し過激な小説をなぞって言葉遊びをして、やや手荒に抱いてやって、泣かせて赤くなった目尻にキスをして、きちんと愛を言葉にすればいい。それだって間違いなく本音なんだ。浮奇の求める激しさには足りないにしても。
    機嫌を直してくれればいい。またいつも通り、それぞれの生活をしながら、時間を合わせて会う約束を取り付ければいい。日常へ戻れればそれでいい。
    潮の香りに紛れて、甘い香りが漂ってくる。前を行く浮奇から、普段と違う香水の香りが。
    誰の好みの香りなんだ。それともさっきの説明は嘘で、俺が来るまでに抱き合っていた男の香りが移ったんじゃないだろうな。いいや、こいつは目を覚ましてからほとんど身支度もせずに家を出たんだ。いつもの香水がつけられず、どこかで調達してきたに違いない。ペトラたちがコスメを見ている浮奇と会ったと言っていたじゃないか。試香のために手首に軽くつけるなんて、そう珍しいことじゃないだろう。
    しかしこれほど魅力的な男が繁華街をひとりで歩いて、誰にも声をかけられないなんてことがあり得るだろうか。どんな相手にも一定の愛想で対応する男だ。相手が精悍な顔立ちで筋肉質であれば僥倖、言い寄るのも言い寄られるのもやぶさかではない。軽い冗談で済む範囲の誘いを掛けて、反応が良ければこれ幸いと甘く誘って、人気のない場所に連れ込むくらいはお手のものだろう。仲間からは浮奇が誰かといたという話は聞かなかったけれど、もし誰かといたとしても、気を遣って自分には言わなかったのかもしれない。あの長い海岸は絶好のデートスポットだったな。
    浮奇。お前はどこまで分かっているんだ。
    次に心を読まれれば、お前を殺してしまうだろう。
    選択の余地はない。俺は本音を伝えなくてはならない。
    耐えられるだろうか。この妄執を、常軌を逸した執着を、理性で飼い慣らしながら、お前を損なわないように、お前を納得させることが、本当に出来るだろうか。
    木漏れ日のそそぐ寝室にお前を閉じ込める夢を見た。
    その虚しさを思い知らされたばかりだったのに、あろうことか本人が押し隠した本心を暴き立てようとする。
    それともわざとやっているのか。全て気づいて誘っているのか。醜悪な独占欲に支配された化け物を、それでも抱きしめられるのか。薄暗い部屋に繋がれても、変わらず愛を返してくれるか。

    「どうしたの? ほら、鍵。早く」

    車にたどり着いてもぼんやりと突っ立っていた俺に、浮奇が手を差し出す。

    監獄に続く扉が開く。


    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏👏👏💴💴💴💴💴🙏😍❤💜😭💖🙏🙏🙏💘💘💘💘💘💘💘💘💘💖💖💖💘💘💘💘💘💘💘😭🙏☺❤❤❤💜❤💜❤💜😭💜💖😭❤💘😭💕💕❤❤❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works