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    xxx_depend

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    2017年の蜜藤での無配です。
    オーナーシェフ光忠×サラリーマン長谷部です。
    仕事帰りにレストランにご飯を食べに行く小話です。

    平凡で幸福な金曜日『すまん、今日も会えそうにない』
    『了解、残業頑張ってね』
    『そっちもな』

     定時の鐘が鳴り、じわじわと人が減っていく社内。シャットダウン音がまばらに重なるフロアで、長谷部は目頭に手をやりながら、ゆっくりと椅子へ体重を預けた。
     ここ数日は、毎日同じやりとりを繰り返している気がする。なんて、考えても仕方ないことだけれど。
     恋人とは長いこと会えていなかった。
     夕方から仕事の彼とは生活リズムも正反対だから、せめて同じ部屋へ帰るようにしようと決めたのは三か月ほど前のことだ。家へ帰ってから、出勤前の彼と忙しなく食事をする。そんなどうでも良いくらいに小さなことが、幸せすぎて、身に余るくらいで、眩暈がした。
     それでも最近はめっきり仕事が忙しくて、二週間は顔を合せていない。
     ひとり暮らしが長かった筈なのに、温度の無い、しんと静まりかえった部屋は酷く侘しく感じる。帰る度に位置の変わっているリモコン、洗われたグラス、冷蔵庫に入った料理、走り書きのメモ。不足しているものを補うように、それらすべてから恋人の存在を感じとってしまう。
     まるで乾いたスポンジの様に。
     彼と出会う前の自分とは、比べられない程に脆くなった。愛という感情は人を恐ろしく脆く不完全にさせる。まるで初めから、ひとりでは生きていけなかったみたいに。

     身体を倒したまま目を瞑っていると、シンとした人気の無いフロアに控えめな足音が近付いてくる。長谷部の上司だった。
    「長谷部君、今大丈夫かな」
     声を掛けられてハッとした。仕事に集中しなくては。
    「はい、なんでしょうか」
    「さっき貰った資料だけど、数字がずれてないかな」
    「! ……申し訳ありませんでした。すぐに修正してお持ちします」
    「いや、急がなくていいよ」
     資料を受け取ると、確かに数字がおかしかった。
     作業時間が長くなるほどミスも増えるのは解っている。余計に仕事が増えるのも。
    「疲れが溜まっているんじゃないか? 最近忙しかったからなあ」
    「確かに、そうかもしれません」
     長谷部は苦笑して答えた。
    「うーん。……資料は週明けで良いから、取引先へひとつお使いを頼みたいんだけど、どうかな。ちょっと遠くて時間が掛かるから、直帰してほしい」
     こつりとデスクに缶コーヒーを置いて、「これはプレゼント」と音がしそうなウインクをしてくる上司。
     長谷部が躊躇した素振りを見せると、
    「確か、君の帰りの路線だったような気がするよ?」
     上司はにっこりと微笑んでから長谷部に背を向ける。良い職場だ。


     取引先から駅へ向かう道なりに、いくつもの店が立ち並ぶ。歩道には人が溢れていて、賑やかな雑踏と一緒に、店から漏れたジャズが混ざっていく。時折美味しそうなスパイスの香りも。
     週末ゆえの浮足立った笑い声に包まれて、硬くなった心までもほぐれていくようだった。会社と家の往復ばかりでなく、たまにはこうやって街を歩くのも悪くない。
     そういえば、アイツの店はこの辺りだったか。財布から店の名刺を出してみれば、どうやら駅の反対口らしい。
     左のレストランにひとり映る疲れた自分の横顔と、その奥に重なって見える幸せそうな二人組。少しだけ躊躇して、腕時計の針を確かめれば9時を指している。
     明日は休みだから、そう言い聞かせるゆるやかな上り坂で、長谷部はいつもより速い鼓動を感じながら輝く街のなかに溶けていった。

     大通り沿いに面した恋人の店は、ガラス張りで店内の様子がよく見えた。だいぶ繁盛しているようで、店内の席は多くの人で賑わっている。扉を開けるとカラン、と鈴が鳴る。その音に気付いたのだろう、スーツを着た男が出てきて長谷部に声を掛けてきた。
    「ひとりです」
     お決まりの台詞を一息で言ってから、手前の席を希望した。
     ここなら厨房が見えるだろう。
     メニューを眺めれば、そのいくつかに見覚えのある料理があった。あの男が部屋で考え込んでいたものだろう。長谷部が忙しくなる前に、夕食のテーブルに並んだ試作品達だ。
     長谷部は急に高揚した。この店の料理は俺の部屋で作られたのだと、周りに教えてやりたい衝動に駆られた。勿論そんな馬鹿な真似はしないけれど、そう。アイツは自慢の恋人だと、今凄く実感したのだった。
     食前酒にシャンパンを頼んで、ゆっくりと食事することにしよう。忙しそうだから、帰り際に声を掛ければいい。
     店内を見渡せば、皆が楽しそうにそれぞれの夜を過ごしていた。その笑顔が彼の手と店によるものなのだと、長谷部はひとり嬉しくなった。

    「長谷部君、」
     その時、ひゅう、と息を呑んだ。すでに懐かしく感じる声に振り返る。艶やかな黒髪を撫でつけた、美しい恋人がそこに居た。
    「……光忠。なんだ、気付かれたか」
     駄目だ、久々過ぎてまともに顔も見られない。ぎゅうと締め付ける胸に混乱して、出てきたのは冗談みたいなそっけない言葉だった。照れが混じって反笑いで見上げれば、こちらが恥ずかしいほどに感情をあらわにした表情が見つめてくる。長谷部の男は嬉しさを隠そうともせず、薄く上気した頬で勢い良く長谷部の向かいに座った。
    「やっと会えたね、長谷部君。お仕事お疲れ様」
    「有難う。お前は仕事大丈夫なのか。……忙しければほっといてくれて構わんぞ」
     目線を宙に浮かせながらそう答え、炭酸の向こうから金色の光を覗く。シュワシュワ、泡が弾けて、ええと確か、泡になって消えてしまう話があったよな、なんて柄にも無い事を考えてしまう。
    「僕の仕事? 全然大丈夫だよ、気にしないでくれ」
    「ふうん、そうか」
     ああ、普段どんな風に話していただろうか。どんな話をしていた?
     まったく、色男というのは心臓に悪い。久々の刺激には強すぎる。
    「ピークは過ぎたし、今日は任せられる人が居るからこのまま上がるよ。一緒に食べよう」
    「……そうだな」
     何か頼んだ? と、メニュー越しに聞いてくる恋人。その姿に、長谷部の疲れは解けるように消えて無くなっていく。壁に掛かった鏡には、恋人と一緒に映る微笑んだ自分が居た。さっきまで街で寄り添う二人組にあんなにも切なくなっていたのに、そんな自分はもう居なかった。
    「オーナーシェフのお勧めをくれ」
    「ふふ、かしこまりました」
     前菜にベビーリーフのサラダ、サーモン、テリーヌが少しずつ。スープはカボチャのポタージュ。鰻のグリルとフィレ肉のポワレがメイン。ワインをお互いに注ぎ合って、料理に丁寧に舌鼓を打ちながら、なんでもない話をする。そんな事だけで、こんなにも楽しいのは何故だろう。
    「一緒に帰ろう、着替えてくるから席で待っていて」
     アプリコットのシャーベットを食べ終わると、程よい頃合いでそう言ってから彼は立ち上がった。遠ざかる背中からでも、上機嫌なのが伝わってくる。分かりやすい恋人が愛おしかった。
     きっとそう、素直に成りきれない自分だから、あの男くらい大胆で分かりやすい、あからさまな男がちょうど良い。

     着替えるのを待っていたら会計も終わっていた。売上に貢献するつもりだったのに、と帰り道で眉を寄せればぐいぐいと容赦なく眉間をつついてくる。駅から二人の家までの短い道を、ただ静かに肩を並べて歩くだけ。それだけの事でも嬉しい。いつもは見上げもしないのに、思わず星が綺麗だと呟いた。
    「そんなに見えないよ。君、視力良いんだね」と目を細める恋人。
     月明かりでは無く、人工的な光に鈍く照らされる横顔が、やけに綺麗に見えたのだった。お前が居るだけで、俺の世界はキラキラとして見えるらしい。なんて、柄にも無い事を考える程には患っているようだ。
     長谷部が頭の中の考えにひとしきり照れていると、そんなことなど知らない男は気の抜けた声で話し始める。
    「それにしても終電間際の電車は混むね。普段は始発だから忘れていたよ」
     仕事してないのに疲れちゃった、光忠はそう言って息をついた。
     彼の横顔をもう一度ちらりと盗み見てから、なんでもないような軽い口調を装って、長谷部はおずおずと切り出してみる。
    「酔いも覚めたし、帰ったら飲み直さないか。……俺は明日休みだし、」
    「うーん。良いね、そうしよう。……音楽でも掛けて、ね」
     暗い住宅街のなかで、光忠がおもむろに手を繋いでくる。
    「っ! そんな意味じゃな……いや、まぁそれも含めるか。久々だし」
     地面を見ながら、繋がれた手をゆるく握りかえしてやった。
    「ふふ、久々だしね。でも長谷部君がそういうこと言うの珍しいね」
    「たまには良いだろ。色々と不足してるんだから」
    「いつもでも良いよ、ふふふ」
    「……、それより、さっきはよくあんなに早く気付いたな」
     気恥ずかしい空気を変えたくて、思いついたことを聞いてみる。
    「ああ、バイトの子が教えてくれたんだ。恋人が来てますよ、って」
    「…! お前、……俺のこと職場で言ってるのか!?」
    「まあね。ごめんよ。そういうの君気にするもんね。でも、僕からは言ってないよ。バレちゃったんだ」
     光忠が携帯を差し出す。
    「……確かに、これはバレるだろ」
     声に笑いが滲む。
    「だよね、言われて気付いたよ」
    「ッ、知ってたら今日店に行かなかった、クソ、恥ずかし過ぎるだろ……」
    「僕は来てくれて嬉しかったけどね。それより早く帰ろ、」
     暗闇に眩しく光る携帯。そこには、距離感があきらかに友人のそれではない、旅行先での二人の写真が設定されていた。
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