あたりまえの奇跡(それはやはり奇跡) 起きたらまずミルでコーヒーの豆を挽く。出島の自然食材マーケットで仕入れたものだ。そして湯を沸かしてドリップ。丁寧に、ふっくらとした泡が立つように。朝食は簡単なもの。昨日仕込んでおいたフレンチトーストに野菜を散らしたサラダ、それから砂糖を抜いてミルクを入れただけのコーヒー。腹持ちがよくないと困るからスクランブルエッグを焼いて、胡椒を挽く。果物は旬のオレンジを剥いて皿に盛る。ここまでを済ませると、ベッドルームから眠たげな目をした恋人がやって来る。
「ギノ、先にシャワーにするか?」
そう確認して、俺は彼の髪を撫でてやる。しかし彼は何も答えずに俺にもたれかかって、「ニュースを確認する……」とつぶやくばかりだった。キスの一つでもしてやりたいが、彼はそういうのを好まない、と言ったら言い過ぎかもしれないが、苦手な男だった。長く伸びた髪をすいてやるだけにする。
「ほら、コーヒーを淹れたばかりなんだ」
俺は彼を抱き止めながら、腕を引きながらテーブルへと誘う。するとギノはデバイスでニュースを確認しながら「水」とぞんざいに言った。俺は言われた通りにピッチャーから水を注ぐ。ライムとレモンを入れておいたものだ。彼はこれが好きだった。隅々まで身体が満たされているようだとよく言ったものだ。
「今日は過去の事件の洗い直しか……。退屈だな」
「そんなに現場に出たいか? 射撃訓練で満足してくれよな」
そう言いながら俺はフレンチトーストをフォークでつつく。そうしてオレンジを口に放り込んでサラダを食べて、まだコーヒーしか飲んでいないギノの唇を指で触った。
「キスでぽってりとしてる。こんなんじゃすぐにオフィスに行けない」
からかうように言うと、彼は俺をきっとにらんで、どうしてくれると顔を赤く染めた。全くいつも通り可愛らしい。
俺たちは食事をする。ゆっくりと、キスもせず、ただ食事をする。友人のように、家族のように。それがあたりまえじゃない奇跡なのは俺が充分分かっている。ようやく手に入れた奇跡だってことも。
ギノがフレンチトーストにフォークを伸ばす。俺はそれを見て、愛されることとはこういうことかと思うのだった。