『祝福』「誕生日おめでとう、ルカ」
11月20日。冬の訪れを感じる肌寒い夜のこの日は、俺の恋人ルカの誕生日だった。
ルカのために用意していた豪勢な食事と高価な酒でふたりきりのディナーを楽しみ、落ち着いてきたところで改めて祝福の言葉を贈る。
「ありがとうございます」
そう言って微笑むルカの傍らには、数え切れないほどの箱や袋が置かれていた。それは俺が贈ったものではなく、全て仕事仲間やルカを慕う者たちから贈られたものである。端麗な容姿と優美で柔らかな物腰、そして確かな実力で高い地位を得たこの男に憧れる者は数知れず、羨むどころかいっそ引いてしまうほどの人気者だ。
「そうだ、ゼノさん。お願いしていたもの、ご用意していただけました?」
「……ああ、もちろん」
投げかけられた問いに答えるようにすぐ近くに用意していた箱を取り出し、テーブルの上に置く。
箱の中身は、ピアスである。
自らルカに贈り物をした彼らとは違い、俺は人に物を贈る行為に慣れていなかった。ストレートに「欲しいものはないか」と聞いてみると、ピアスが欲しい、穴を開けるのもファーストピアスを選ぶのもゼノさんにやって欲しい、と頼まれたのだ。
「なんでまた急に、ピアス開けたいなんて言い出したんだよ」
「ちょっとした好奇心ですよ。恋人があちこちにピアスを開けているものですから、興味を持つのも致し方ないでしょう?」
くすくすと笑いながら、柔らかく抱き寄せられる。
普段よりも僅かに熱いその手が服越しに触れるのは、背中に結ばれた青いリボンのコルセットピアス。それをなぞるように、弄ぶように。ルカの細く長い指がつうと服の上を滑っていく。
「……フン」
そんなことだろうと思ってはいたが、実際に俺の影響であると語られれば心臓が歓喜に跳ねた。それを誤魔化すように、ぶっきらぼうに鼻を鳴らす。
ルカとはこれまで、幾度となく体を重ねてきた。被虐嗜好のある俺はキスマークや噛み跡を肌に残されるのがたまらなく好きで、行為の度にねだっていたものだが、俺の方からからつけることは少なかった。
恋人の俺だけが知っている秘密。ルカの背中には、蝶を模した刺青がある。それは俺がルカと出会うよりも前、かつてルカが愛していた少女を想って、彼が自ら己の肌に刻んだものだった。
厳格な家庭で孤独な日々を過ごし、偽りの笑顔を貼り付けて「優等生」を演じる、人形のように無感情だった少年のルカを救った幼馴染の少女。ルカは彼女を深く愛し、彼女もまた、ルカを愛した。
けれども幸せな日々は長くは続かず、彼女は悪魔に取り憑かれ肉体も精神も崩壊し、ルカはエクソシストとして彼女を処分しなければならなくなった。
心の底ではきっと、殺したくはなかっただろう。引き金を引くその瞬間まで躊躇していたに違いない。けれども彼は自分の使命を全うするために、そして、愛した者の尊厳を守り、苦痛から解放するために。悲しみに泣きながら、それでも引き金を引いた。
その出来事がトラウマとなり、どうしても喪う未来を考えてしまい、他人に執着するのをひどく恐れ、俺との関係に悩んでいたことを俺は知っている。だからこそルカにお前は俺のものだと体に刻みつける行為をするのは、どうにも抵抗があった。ルカの苦悩を、抱えた傷を、彼が愛していた存在を、踏みにじっているような気がしてならなかったのだ。
しかし今、他でもないルカ本人がそれを望んでいる。
──少しはこいつの中で何かが進んだのかもな。
そう思えば嬉しくもあるが、やはり今まで躊躇していたことをするとなると気が張ってしまう。
「何をそんなに動揺しているんです?」
ルカは柄にもなく緊張している俺を見て、可笑しそうな様子だ。
──クソ、人の気も知らねェで。
もしかしたらルカは、この行為を俺ほど深くは考えていないのかもしれない。なんだか悔しくなって、舌打ちをひとつくれてやる。
「んじゃ、開けるぞ」
「ええ、どうぞ」
やや長めの髪を耳にかけて肌を晒し、くるりと俺が作業をしやすい方に体の向きを変える。その様子はあまりに無防備で、美しい笑みで本音を覆い隠す隙のないこの男に、深く信頼されている証のように感じられた。
ルカはこれまで一度もピアスを着けたことがないというので、無難に耳朶に開けることにした。しまっていたピアスを箱の中から取り出し、丁度良い位置に印をつけ、予め消毒を済ませ軟膏を塗ったニードルを耳朶に当てる。
「っ、」
ぷつり。ルカの滑らかな肌に先端を刺し押し込めば、僅かに息を詰める音。
己の体にいくつもピアスホールを開けてきた俺でさえこの瞬間には痛みに体が強ばるのだから、初めてのルカは尚更だろう。戦闘での負傷とはわけが違うのだ。自らの意思で己の肌に傷をつける行為である以上、どうしたって意識を集中させてしまう。けれどももたもたしていると痛みや出血の可能性が増していくため、手早くピアスを繋げて貫通させる。ピアスが穴を通ったところでニードルを外し、最後にキャッチのボールを取り付けて終わり。
たったそれだけ。ほんの数分程度で完結した、簡単な作業。それなのにばくばくと激しく打つ鼓動に、浮ついた心は落ち着かない。まるで夢の中にいるような気分だった。
「慣れたものですね。思っていたよりもすんなり終わりました」
「は、いくつ穴開けてると思ってんだよ。これぐらいどうってことねェ」
「……私の瞳の色のピアスですか。さすがゼノさん、さらっと粋なことをしますねえ」
「……ん。似合ってる」
ルカの耳に輝くのは、瞳の色と同じ、澄んだ海を思わせるライトブルーの宝石が埋め込まれたピアス。
どうせなら金や青みのあるピンクなど俺の髪や瞳の色のものを選んでやろうかとも考えたが、まずは純粋にこの男に似合うものを贈りたいと思った。
想像していた通り、選んだピアスはルカによく似合っていた。淡いブルーの柔らかな輝きが、どこか儚げで浮世じみた美しさを持つルカの容姿にあつらえたように馴染んでいる。
己の選択が正しかったことに満足げな気持ちでいると、不意にルカが悪戯っぽい表情を見せながらこちらを向いた。
「ゼノさんが開けてくれたこと、周りの人には内緒ですよ」
「は? なんでだよ? ……まあ別に、構わねェけど」
「ふふ。これでまた、ゼノさんしか知らない私の秘密が増えましたね?」
「──っ!」
ぶわり。すっと目を細め妖艶な微笑で紡がれた言葉に、身体の奥から熱が沸き上がる。全くこの男は俺を喜ばせるのが上手い。これでは俺がプレゼントを貰っているようだ。
「……次のピアスも、俺が選んでやるからな」
否、それだけではない。来年も再来年も、ずっと先の未来も。プレゼントを贈って、一番近くで「おめでとう」と言って、笑い合える関係でありたい。
「それは楽しみですね」
俺の言葉を受けていかにも嬉しそうに笑ったその顔は、数年前、いつも愛想笑いを浮かべているルカが俺に初めて見せた心からの笑顔によく似ていた。
──本当に、ずるい男だ。
他人の心を懐柔するために計算し尽くされたような甘い言葉と、時折見せる子どものように無邪気な表情。その差異が俺を捕らえて離さない。
「さて。ゼノさんが用意してくれたお酒もまだ残っていますし、もう少しゆっくりしましょうか」
「ああ、そうだな」
食事、酒、ピアスと、用意していた物は全て渡し終えたが、夜はまだ続く。今日という日が終わるまで、焦がれてやまないこの男に、目一杯の愛と祝福を贈ってやろう。