わしらの家は先祖代々商人じゃった。
世継ぎが産まれれば商会の後を継ぐ事を決められとったも同然。
わしの親父も祖父から店を継ぐとこを望まれた。
そして言われた通り親父は商会を継ぎ、自慢話としてわしに毎日聞かせた。
今思えば、それが洗脳のうちに入っとったんかもしれん。
わしは、一家の長男として産まれた。
それ故に親父から滅法可愛がられとった。
「ドモン、お前はワシらにとって自慢の息子だ」
「ドモンが私の息子である事を誇りに思う」
未だ無邪気だったわしは素直に親父の言葉を喜んで受け入れた。
自分はこの家に望まれて産まれてきた子供なのだと。
わしは両親に誇れる子供であろうと誓った。
じゃが、時代の波はその理想系を狂わせ始めた。
順風満帆じゃった生活は不況により一変したのだ。
代々続いていた商会は別の商会の好調に呑まれ、仕事を奪われていった。
大分ちっこい頃じゃったからそのライバル商会の名前は覚えていないが、潰れかけ寸前の所まで追い込まれた親父は段々と荒んでいった。
そんな様子を見て母は心配しとった。
けど。
「心配する暇があったらお前もドモンを立派な商人に育てる努力をしろ」
親父の怒りは母にまで及んだ。
わしだけじゃなく母までも引き摺り回して散々コキ使った。
それでも状況は着実に悪い方向にしか向かわんかった。
「ドモン、そんな絵本なんか読んでいないで仕事を手伝うんだ」
「ドモン、何度言えば分かる。この間教えたばかりだろう」
「ドモン、お前はどうしてもっと長男らしく出来ないんだ!」
日に日に増していく親父のフラストレーションはとうとう手に終えん状況まで追い詰められた。
この不幸から脱出するにはわしが頑張らないけんと思った。
長男として期待されている以上、親父の言うことは素直に聞いた。
上手くいかなくて殴られた日もあったが、それでもまた笑うて暮らせる日が来る事を願って必死に働いた。
そんな日常が半年続いたある日。
親父の言う通り仕事を終わらせて家に帰ったわしはリビングにいる親父と母の姿に驚愕した。
「お前はわしに楯突く気ぃか!」
「そうじゃありません…ただドモンもまだ子供です。1日くらい休ませてあげて欲しいんです」
「黙れ!せっかく世継ぎが産まれたというのに利用せん親がどこにおる!?」
捲し立てて母を怒鳴り続ける親父の姿にわしは恐怖で全身が震えた。
…利用。
親父は確かにそう言った。
期待ではなく、利用。
期待に応えようとしたわしとは裏腹な親父の気持ちにわしの心は微かにヒビを残していく。
そしてそのヒビは幾つにも重なって、いつ割れてもおかしくはなかった。
そしてその日はとうとう訪れた。
代々続いていた商会がとうとう経営を続けていくことが難しくなり、完全に終焉を迎えてしもうた。
親父は、それを機に人が変わってしもうたみたいにわしらを罵倒し、殴り続けた。
「お前らのせいじゃ!お前らがもっと頑張らんからこんなことになるんじゃ!!」
「ゲホッ!ご、ごめんなさいお父さん…」
「謝って済むと思ってるのか?あ?長男として情けのうないんか!!」
「やめて下さい!これ以上はこの子の骨が折れますっ!」
「お前もお前じゃ!こいつを甘やかすからこんな事になったんじゃろうが!!」
親父が怒鳴りながら母の腹を何度も何度も蹴り飛ばした。
その度に母は苦しげな声をあげて親父の暴力に耐えていた。
それでも続く暴力は次第にわしらの体力も精神も削っていった。
もう、流石に限界じゃった。
そんな日々を過ごしている中で、わしはとある人に出会った。
ボロボロの身体を引き摺り、子供の頃遊んでいた公園に逃げ込んで一人ベンチに座っていた。
周りは両親と楽しそうに遊んでいる子供達で溢れとって、わしは溜め込んでいたものが一気に零れ落ちた。
「…っぅ…ぐすっ…もう、いやだ……しにたい」
誰にも拾われる事のないくらい震えた声でわしは身体を抱えた。
そんなわしが見えていないみたいに周りは相変わらず楽しそうで更に心は荒んでいく。
そんな時だった。
「ピュゥ〜ッ♪」
どこからともなく小鳥の鳴き声がした気がしたわしは周りを見渡してみると、遊具の上に座って何やら空を眺めとる男が目に入った。
音の正体は彼じゃった。
単発的に吹いたり、時折歌を歌うように音を鳴らす姿にわしは目を奪われた。
荒んだ心に何故かすっと入り込んでくる音にわしは胸躍った。
「…よお、少年。腹でも痛いのか?」
「…違う」
「じゃあどうしたんだそんなにべそかいて。そんなんじゃ幸福が逃げるぞ?」
「こう、ふく…?」
「そう。幸せが逃げたら不幸になっちまうだろ?そんな時はこうやって口笛吹いて気分を晴らすんだよ」
「……くち、ぶえって…何?」
初めて聞く言葉にわしは興味津々で男に問う。
「口笛も知らねぇのか!?口笛ってのはなぁ、こうやって吹くんだよ」
そう言って男はうの字に唇を動かしてさっきと同じように息を吹きかけて音を出した。
その不思議な仕組みにわしはずっと男の唇に釘付けになっとった。
「おいおいそんなに見つめられると照れちまうだろ」
「すごい…僕にも出来るかな?」
「やってみ?」
その時初めて口笛を吹いてみて、当然のことながら吹けなくてとても悔しかったのを覚えとる。
「ははっ!初めてだから無理もないな!そのうち出来るようになるさ」
「ほんと!?」
「ああ。楽しい時に口笛吹くと幸せな気持ちになるから試してみろ」
「…楽しい、時…」
「そうさ。あるだろう楽しい時」
「……わしは…」
ない、なんて初対面の人の前ではとても言えんかった。
幸せって、なんじゃろう。
「そのうち吹けるようになったらまた会おうぜ少年」
「…うん…絶対吹けるように頑張って練習するよ」
そん時のわしの顔はきっと歳相応の、ちゃんとした笑顔じゃったと思う。
いつかくる幸福のためにわしは、毎日口笛の練習をし続けた。