土蜘蛛
masasi9991
DONE人間と戦っている大ガマさん(https://poipiku.com/955041/8891578.html)の続き人間を救う土蜘蛛さん
穴が開いている 階段を転がり降りている。足はもつれて言うことをきかない。今にも階段を踏み外して転がり落ちそうだ。転がり落ちたら死ぬだろう。階段に全身を打ち付けながら、下の階まで落っこちて、最後は床に頭をぶつけて、首の骨でも負って死ぬだろう。予感が背中を追っかけてくる。だけど一向に、落っこちる気配がない。
階段がいつまでも続いている。踏み外しそうな足元、次の段が現れる。もつれた足元、次の段を踏みしめて、また降りる。どこまでも降りている。
いったいいつになったら一階にたどりつく? 踊り場すらないこの階段は。
踊り場にさえたどりつけば、少しは明るくなるだろう。踊り場に大きな窓がある。窓の外は運動場で、その向こうには住宅街の街灯が見えて、いるはずだ。なのにいつまでも暗い。階段がいつまでも続いている。
1503階段がいつまでも続いている。踏み外しそうな足元、次の段が現れる。もつれた足元、次の段を踏みしめて、また降りる。どこまでも降りている。
いったいいつになったら一階にたどりつく? 踊り場すらないこの階段は。
踊り場にさえたどりつけば、少しは明るくなるだろう。踊り場に大きな窓がある。窓の外は運動場で、その向こうには住宅街の街灯が見えて、いるはずだ。なのにいつまでも暗い。階段がいつまでも続いている。
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DONEなんか戦ってる土蜘蛛さんと大ガマさん引き分け 手をかければ、直ぐに折れそうだ。青白くなよやかな、首。嘗てから見慣れた通りに、脈拍と呼気のために微弱に上下する、首。生きたままの、首。故に致命的な急所と成り得る、首。
手をかけようか。伸し掛かったこの身体を跳ね除けもせず酷薄に笑う、首。
「やってみりゃいい」
柔らかく膨らんだ喉仏の揺れる、首。
ゲコゲコ、と蛙の声色で笑いながらも、人の形を保つ、首。
「どうせ今日もあんたにゃ無理さ。明日もな。これまで何百年も、こっから何千年も」
掌を、首へ。ヒヤリと冷たい、濡れたように冷たい、しかし脈拍と呼気の通る、首へ。
力を込めれば、直ぐに折れそうだ。
力を――屍の己の肉体に力を。
果たして吾輩の掌に力が込められたその時を同じくして、組み敷かれた此奴の全身にも力が込められる。
361手をかけようか。伸し掛かったこの身体を跳ね除けもせず酷薄に笑う、首。
「やってみりゃいい」
柔らかく膨らんだ喉仏の揺れる、首。
ゲコゲコ、と蛙の声色で笑いながらも、人の形を保つ、首。
「どうせ今日もあんたにゃ無理さ。明日もな。これまで何百年も、こっから何千年も」
掌を、首へ。ヒヤリと冷たい、濡れたように冷たい、しかし脈拍と呼気の通る、首へ。
力を込めれば、直ぐに折れそうだ。
力を――屍の己の肉体に力を。
果たして吾輩の掌に力が込められたその時を同じくして、組み敷かれた此奴の全身にも力が込められる。
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DONE何かと戦っている土蜘蛛さんと大ガマさん道 蛙の脚なら、一飛びだ。快晴! 雲のない空! 跳ね上がり上昇する。皮膚の焦げるような陽光の熱、息詰まる酸素の淀みを飛び越え、風、風、風、空を横切る風を切り、薄まる熱、大気、まだ俗世の天井に並ぶ程度の、高さ。青黒く光る高層ビルの窓ガラス、最上階、ひと目を避けて打っ遣られた屋上の、砂埃の積もった片隅に社があるのを見つけた。
脚は緩んで、その隣へ降り立った。裸足の爪の先が灰色の砂埃に浸かる。コンナところに隠れていたのか。舞い上がる砂埃。ビル風の一つで社は今にも崩れ落ちそうだ。人の子供ほどの背の高さもない社の屋根が、カタンと傾いた。爪先に絡んだ砂埃が、泥のようにぬるくなる。
脚が汚れちまう。ビルの屋上を踵で蹴って、跳ねた。コンクリートの床は水面のように素直に波打ってくれた。水面だ、足先を水で洗って、跳ねる。何しろオレは蛙だから、身体のどこもかしこも濡れているのだ。
775脚は緩んで、その隣へ降り立った。裸足の爪の先が灰色の砂埃に浸かる。コンナところに隠れていたのか。舞い上がる砂埃。ビル風の一つで社は今にも崩れ落ちそうだ。人の子供ほどの背の高さもない社の屋根が、カタンと傾いた。爪先に絡んだ砂埃が、泥のようにぬるくなる。
脚が汚れちまう。ビルの屋上を踵で蹴って、跳ねた。コンクリートの床は水面のように素直に波打ってくれた。水面だ、足先を水で洗って、跳ねる。何しろオレは蛙だから、身体のどこもかしこも濡れているのだ。
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DONE陸に上がったばっかりの大ガマさんと土蜘蛛さん蛙の食事「つかぬことを聞くが」
男は立派な裃の懐から一分金を無造作に取り出し、床に並べた。それを私が数えているのを待つ間、ふとそのようなことを言い出した。
「珍しい虫を探しておる。このあたりで見ないような虫だ」
「へえ、虫ですか」
この男は案外お喋りで、昼間そこらを歩いているときには町人の子からお武家様とまで平気で話し込んでいる。まるで誰もが旧知の師に遭ったかのようになる。かれが町外れのあばら家に住み着き始めたときには、きっと幽霊に違いないと噂していたことなど皆忘れてしまったのだろうか。
いや男の見目には充分に幽霊めいている。肌の白さはぞっとするような悪を思わせる。だけれども秀でた額に鋭く切れた目尻の涼しさ、薄い唇、また子分をいくらも抱えて毎夜宴を開いている様は、遊びに手慣れた歌舞伎の役者かとも思われた。の割には身のこなしに上品なところがあり、老人めいたところもあり、やはり正体がつかめない。また誰もかれの姿を芝居小屋で見たこともないと言う。
1375男は立派な裃の懐から一分金を無造作に取り出し、床に並べた。それを私が数えているのを待つ間、ふとそのようなことを言い出した。
「珍しい虫を探しておる。このあたりで見ないような虫だ」
「へえ、虫ですか」
この男は案外お喋りで、昼間そこらを歩いているときには町人の子からお武家様とまで平気で話し込んでいる。まるで誰もが旧知の師に遭ったかのようになる。かれが町外れのあばら家に住み着き始めたときには、きっと幽霊に違いないと噂していたことなど皆忘れてしまったのだろうか。
いや男の見目には充分に幽霊めいている。肌の白さはぞっとするような悪を思わせる。だけれども秀でた額に鋭く切れた目尻の涼しさ、薄い唇、また子分をいくらも抱えて毎夜宴を開いている様は、遊びに手慣れた歌舞伎の役者かとも思われた。の割には身のこなしに上品なところがあり、老人めいたところもあり、やはり正体がつかめない。また誰もかれの姿を芝居小屋で見たこともないと言う。
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DONE人間の街を歩く土蜘蛛さんと大ガマさん夜歩き 随分、眩しい。夜行性の身には堪える。人の世に擬態して歩くには、そんなことも言ってられないが。
この灯りは繁栄の証だから、人にとっては好いことばかりだろう。眩しさに目を細めながら、その豊かな営みにあやかってコンビニの自動ドアをくぐる。これも初めて人の街に現れた頃は、意味もわからずガラス戸に追突する妖怪が多くて往生したな、と古いことを思い出したのは連れの姿が頭にチラついたからで。あれも打つかった妖怪のうちの一人だった。自動ドアというやつをすり抜けるにしろ動かすにしろ、人ではないものがそれをやるにはちょっとしたコツが要るのだ。
陳列棚から目当てのものを手にとって、無人のレジの前で立ち止まる。商品と腕につけた時計をかざすとものの数秒で会計は終わって、ピッという電子音があとに残った。もちろんちゃんと支払いは済ませてある。ムジナじゃないんだから本物の電子マネーだ。とてもじゃないが枯葉じゃ代わりにならない。ムジナの連中こそ昨今往生しているだろう。
916この灯りは繁栄の証だから、人にとっては好いことばかりだろう。眩しさに目を細めながら、その豊かな営みにあやかってコンビニの自動ドアをくぐる。これも初めて人の街に現れた頃は、意味もわからずガラス戸に追突する妖怪が多くて往生したな、と古いことを思い出したのは連れの姿が頭にチラついたからで。あれも打つかった妖怪のうちの一人だった。自動ドアというやつをすり抜けるにしろ動かすにしろ、人ではないものがそれをやるにはちょっとしたコツが要るのだ。
陳列棚から目当てのものを手にとって、無人のレジの前で立ち止まる。商品と腕につけた時計をかざすとものの数秒で会計は終わって、ピッという電子音があとに残った。もちろんちゃんと支払いは済ませてある。ムジナじゃないんだから本物の電子マネーだ。とてもじゃないが枯葉じゃ代わりにならない。ムジナの連中こそ昨今往生しているだろう。
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DONE土蜘蛛さんと大ガマさんの出会ったときの話たそかれ「威勢の割にはこの程度か」
全く気に入らない。高いところから見下ろしてるその口ぶりが、ひたすら気に入らない。
おれよりも強いのは、ま、わかった。今の所は認めよう。しかしそれは今だけだ。
「ゲコッ」
大きく一声上げた。悲鳴のような、潰れた鳴き声になった。しかしあっちは見たところ人間に近らしいや。蛙の声色なんて判別付かないのだろう。
おれは完璧に人に化けている。その喉から急に蛙の大きな鳴き声が出た。すると相手は怯んだ。
「その足を退かせ!」
おれの胸の上を踏みにじる足を、払いのける。蛙の声に怯んだそいつは、足元を払われわずかによろめき、後ろへぴょんと飛んだ。
おれも跳ね上がって、起き上がる。這々の体だ。奴は、……ぴょーんと、軽い身のこなし。
1050全く気に入らない。高いところから見下ろしてるその口ぶりが、ひたすら気に入らない。
おれよりも強いのは、ま、わかった。今の所は認めよう。しかしそれは今だけだ。
「ゲコッ」
大きく一声上げた。悲鳴のような、潰れた鳴き声になった。しかしあっちは見たところ人間に近らしいや。蛙の声色なんて判別付かないのだろう。
おれは完璧に人に化けている。その喉から急に蛙の大きな鳴き声が出た。すると相手は怯んだ。
「その足を退かせ!」
おれの胸の上を踏みにじる足を、払いのける。蛙の声に怯んだそいつは、足元を払われわずかによろめき、後ろへぴょんと飛んだ。
おれも跳ね上がって、起き上がる。這々の体だ。奴は、……ぴょーんと、軽い身のこなし。
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DONE土蜘蛛さんと大ガマさんが出会ったときの話川のぬし 通りすがりの農民から、不思議そうな目で遠巻きに眺められる。ここらで見ぬ顔だといことであろうから、致し方のないことだ。しかし数日こうしていれば、きっとすぐに見飽きた顔だと思われるようになるに違いない。しばらくの間この付近に館を構えるつもりであるから、こうして顔を売っておきたいのだ。売れるほどの顔はしておらぬが、ともかく。
そういうつもりでしばらくの間、特に真昼のまったく妖怪の類など出そうにもないのどかな時間に、川のほとりに座って釣り糸を垂らしていた。別段魚も好きではなし、となると釣りというのもそう楽しめる質でもないが、先に述べた目的のため、餌も針もろくに付けていないような糸を川面へ。真っ昼間の陽気と相まって、川面は実に清浄である。良い土地だ。
1093そういうつもりでしばらくの間、特に真昼のまったく妖怪の類など出そうにもないのどかな時間に、川のほとりに座って釣り糸を垂らしていた。別段魚も好きではなし、となると釣りというのもそう楽しめる質でもないが、先に述べた目的のため、餌も針もろくに付けていないような糸を川面へ。真っ昼間の陽気と相まって、川面は実に清浄である。良い土地だ。
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DONEちょっと昔の土蜘蛛さんと大ガマさん侵入 天井から落っこちてきた。なんだこいつは、と訝しんで覗き込む。がしかし、こいつは罠か、と遅れて気付いた。白い玉のような砂利の床に落ちた小指の先ほどの黒い粒には、足が一、二、三……八本生えている。おれは慌てて後ろに飛び退いた。
そいつはぴょんと飛び跳ねた。蜘蛛は跳ねない。糸をを掴んで、糸を伝って、飛び上がったのだ。だからぶらんぶらんと弧を描いて揺れる。糸の半円よりは飛び出せない。だのにおれは大袈裟に飛び上がっちまった。
やっちまったなァ、と居心地の悪さに舌打ち。随分大袈裟に驚くもんだって、あいつは今頃笑っているだろう。嫌味な含み笑いだ。おれからあっちは見えちゃいないが、見えてなくとも目に浮かぶ。きっといつもの座敷で茶菓子でも齧りながら一人で笑っているに違いない。
623そいつはぴょんと飛び跳ねた。蜘蛛は跳ねない。糸をを掴んで、糸を伝って、飛び上がったのだ。だからぶらんぶらんと弧を描いて揺れる。糸の半円よりは飛び出せない。だのにおれは大袈裟に飛び上がっちまった。
やっちまったなァ、と居心地の悪さに舌打ち。随分大袈裟に驚くもんだって、あいつは今頃笑っているだろう。嫌味な含み笑いだ。おれからあっちは見えちゃいないが、見えてなくとも目に浮かぶ。きっといつもの座敷で茶菓子でも齧りながら一人で笑っているに違いない。
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DONE土蜘蛛さんと大ガマさんの出会ったときの話悪い妖怪 鬱蒼と茂った深い山の奥だ。あまりにか細い獣道を見るにつけ、人も獣もまともに寄り付かぬと見て取れる。
その場所によくない噂があるのは知っていた。それを重々承知でやってきた。根も葉もあるのかどうかは知らないが、噂なんぞは怖くない。むしろこちらが恐れ追い立てられる側なのだ。そこに潜むのが妖怪変化の類ならばはらからだ。話の通じる相手であれば、と断り書きを入れようが。もしも話せぬような相手であれば……まあよい。まずは会って考えてみようではないか。仮にここがだめでも、幸いこの国は広い。まだ彷徨うあてがある。
……などと考えて歩く折、何かに追われているのを察した。
命を付け狙うといった苛烈な様子ではない。獣道の草を踏む怪しい足音。草木を分け入って、吾輩とそう変わらぬ速さで歩いている。付かず離れず、こちらの様子を伺っているようだ。
2246その場所によくない噂があるのは知っていた。それを重々承知でやってきた。根も葉もあるのかどうかは知らないが、噂なんぞは怖くない。むしろこちらが恐れ追い立てられる側なのだ。そこに潜むのが妖怪変化の類ならばはらからだ。話の通じる相手であれば、と断り書きを入れようが。もしも話せぬような相手であれば……まあよい。まずは会って考えてみようではないか。仮にここがだめでも、幸いこの国は広い。まだ彷徨うあてがある。
……などと考えて歩く折、何かに追われているのを察した。
命を付け狙うといった苛烈な様子ではない。獣道の草を踏む怪しい足音。草木を分け入って、吾輩とそう変わらぬ速さで歩いている。付かず離れず、こちらの様子を伺っているようだ。
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DONE出会う前の土蜘蛛さんと大ガマさん観察 この大きな生き物は、やたらめったら動き回っていて落ち着きがない。朝日が登る前に突然出てきたかと思えば何もせずにまた巣に戻っていき、何だ何だと思っている間に巣の別な出口からどこかへ出ていった。気配でわかる。うろうろとほっつき回るのは鳥や魚と変わりゃしないが、妙なのは獲物を取っているわけでもないようだ、ということだ。
食うものも食わずにあっちこっちへ動いている。あの大きな生き物は変な奴だ。それは蜘蛛か人かに似た影の形をしているが、獲物も取らずに動き回っている蜘蛛なんか見たことがないし、人というのは確かに一見なんの意味もなく動き回っていることが多いけど、それでも獲物を取るし、食うものを食っている。だからそれは蜘蛛でも人でもないようだ。
1750食うものも食わずにあっちこっちへ動いている。あの大きな生き物は変な奴だ。それは蜘蛛か人かに似た影の形をしているが、獲物も取らずに動き回っている蜘蛛なんか見たことがないし、人というのは確かに一見なんの意味もなく動き回っていることが多いけど、それでも獲物を取るし、食うものを食っている。だからそれは蜘蛛でも人でもないようだ。
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DONE土蜘蛛さんと大ガマさんとホラーっぽいもの車両内にて ふと気付いたら電車の中だった。ここはどこ? ――学校に行く途中、電車の中。私は誰? ――私は――私だ。別に疑う余地もない。いつもの私だ。名前も経歴も特にこれといっておかしいと感じるところはない。私は私。ここは電車の中。私はまるで今生まれたばかりのようにふと目を開いて、ふとここは一体どこなのか、今はいったいいつなのか、私は誰だったのか、と何もかもが初めてであるかのようなことを考えたけれど、どれもこれも答えは簡単だった。
寝ぼけているみたいだ。きっとそう、お昼寝で熟睡しすぎてママに叩き起こされた夕方に似ている。どうして自分がここにいるのか、わからない。自分が何をしていたのかわからない。結果だけを目の当たりにしている感じ。耳に入れたイヤホンから好きな曲が流れている。この曲を初めて聞いたのはいつ――ずっと昔――今? いつスマホの再生ボタンを押したんだろう? ワイヤレスイヤホン、お小遣いで買うには高かった――どうして手に入れたんだっけ。おばあちゃんが――だったっけ。電車の揺れる音と音楽が混じっている。聞いた、ことがある、電車の音とこの曲の――そんなの考えたこと、あっただろうか。寄りかかった電車のドアのガラス窓に、私が映って、映って、映って、映って、これは誰?
1335寝ぼけているみたいだ。きっとそう、お昼寝で熟睡しすぎてママに叩き起こされた夕方に似ている。どうして自分がここにいるのか、わからない。自分が何をしていたのかわからない。結果だけを目の当たりにしている感じ。耳に入れたイヤホンから好きな曲が流れている。この曲を初めて聞いたのはいつ――ずっと昔――今? いつスマホの再生ボタンを押したんだろう? ワイヤレスイヤホン、お小遣いで買うには高かった――どうして手に入れたんだっけ。おばあちゃんが――だったっけ。電車の揺れる音と音楽が混じっている。聞いた、ことがある、電車の音とこの曲の――そんなの考えたこと、あっただろうか。寄りかかった電車のドアのガラス窓に、私が映って、映って、映って、映って、これは誰?
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DONE土蜘蛛さんと大ガマさんの出会いの話飴細工 物珍しい蛙が庭の池に入り込んでいた。ちょうど梅雨の時期、蛙なんぞ珍しくもなかったが、それはどうにも目を引いた。天から落ちる雨だれと同じように、その身体は半分透けて、水の色をしていたのである。
手を差し伸べるとまるでこちらを餌だとでも思うたか、指の上に飛びついた。
傘では遮れぬ雨が指の上に降り注ぐ。ひやりと冷たい。その透けた身体の蛙もまたはっきりと冷たい。爪の先のような一粒が。
「まるで飴細工のようだ」
誰に語るでもなしに、思うたことが勝手に口をついて出た。梅雨のあまりの静けさに、どうせその蛙の他には誰にも聞こえはしなかったであろうと思われる。
蛙だって人の言葉などわかるまい。
そう思うたが、案外それは賢い蛙であったのか、まるで吾輩の言葉に驚いたかのようにぴょんと指の上から飛び降りて、雨の庭を遠くへ跳ねて逃げていった。
795手を差し伸べるとまるでこちらを餌だとでも思うたか、指の上に飛びついた。
傘では遮れぬ雨が指の上に降り注ぐ。ひやりと冷たい。その透けた身体の蛙もまたはっきりと冷たい。爪の先のような一粒が。
「まるで飴細工のようだ」
誰に語るでもなしに、思うたことが勝手に口をついて出た。梅雨のあまりの静けさに、どうせその蛙の他には誰にも聞こえはしなかったであろうと思われる。
蛙だって人の言葉などわかるまい。
そう思うたが、案外それは賢い蛙であったのか、まるで吾輩の言葉に驚いたかのようにぴょんと指の上から飛び降りて、雨の庭を遠くへ跳ねて逃げていった。
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DONE何かと戦っている土蜘蛛さんと大ガマさん崖っぷち「げっ」
と漏れた声が今の自分の姿にふさわしいものだったのか、それとも蛙の本性そのままだったのか。彼自身どちらか判断もつかないような、なんとも言えない声だった。
ガラガラ、と岩が転がり落ちてくる。砂煙に轟音、それはまあいいだろう。それより彼が焦燥困惑の声を上げたのは、その落石を生み出した元らしき……しかし岩と一緒くたになって落ちてくる……よく見知った妖怪の姿のためだった。
転がり落ちてくる巨岩と比べても何ら遜色のない巨大で歪な黒い身体。全長は数米ほどはあるだろうか。実際どれほどの巨体であるのかということに関しては彼にはしっかり覚えがあるから、仔細は捨て置くとして。問題は、その巨体が崖の上から彼の脳天真っ直ぐ目指して落ちてくるということだ。
1009と漏れた声が今の自分の姿にふさわしいものだったのか、それとも蛙の本性そのままだったのか。彼自身どちらか判断もつかないような、なんとも言えない声だった。
ガラガラ、と岩が転がり落ちてくる。砂煙に轟音、それはまあいいだろう。それより彼が焦燥困惑の声を上げたのは、その落石を生み出した元らしき……しかし岩と一緒くたになって落ちてくる……よく見知った妖怪の姿のためだった。
転がり落ちてくる巨岩と比べても何ら遜色のない巨大で歪な黒い身体。全長は数米ほどはあるだろうか。実際どれほどの巨体であるのかということに関しては彼にはしっかり覚えがあるから、仔細は捨て置くとして。問題は、その巨体が崖の上から彼の脳天真っ直ぐ目指して落ちてくるということだ。
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DONE土蜘蛛さんと小さい大ガマさん手習い 箪笥の右側に扉がついている。鍵がかかっており、普段は開くことができない。その鍵穴を覗き込んでいる小さな背中がある。つま先立ちで、やけに危なっかしい。
「これ」
「ゲコッ」
足音を殺して背後に近づき、肩をポンと叩くとそのままびっくり仰天、垂直に飛び上がるほどだった。
しかし二足歩行はまだ慣れると見えて、垂直に立ったままではうまく跳ねるこおができなかったようだ。
「そう驚くことはなかろう。盗人が盗みを見咎められたからといって逐一驚くようでは仕事にならぬであろうし」
「盗人じゃねえよ。ただ中身がちょっと気になっただけだ」
「金目のものは入っておらぬ」
「そのくらいは考えりゃわかる。土蜘蛛が鍵をかけてまで隠しているのが財布の中身なんてなら、はっきり言ってがっかりだ。見損なっちまうぜ」
2370「これ」
「ゲコッ」
足音を殺して背後に近づき、肩をポンと叩くとそのままびっくり仰天、垂直に飛び上がるほどだった。
しかし二足歩行はまだ慣れると見えて、垂直に立ったままではうまく跳ねるこおができなかったようだ。
「そう驚くことはなかろう。盗人が盗みを見咎められたからといって逐一驚くようでは仕事にならぬであろうし」
「盗人じゃねえよ。ただ中身がちょっと気になっただけだ」
「金目のものは入っておらぬ」
「そのくらいは考えりゃわかる。土蜘蛛が鍵をかけてまで隠しているのが財布の中身なんてなら、はっきり言ってがっかりだ。見損なっちまうぜ」
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DONE土蜘蛛さんとまだ子蛙の大ガマさん氷賣 曇りのないまなこでじいっとこちらを見上げている。この蛙もようよう永く生きたものだが、未だに尾の切れたばかりのような顔つきをしている。といって、吾輩には蛙の顔つきの違いなどよくはわからぬが。しかしどうもこの蛙はいつまでも若いように見える。
「今日のような日は、蛙も池にもおられぬようですね」
と言い残し、氷賣は頭を下げて出ていった。かなり軽くなったであろう荷を背負って、土間の上に鎮座する子蛙をひょいと避けた。門を超えるとすぐさま「ひゃっこい、ひゃっこい」と、節を付けて云っているのが聞こえてくる。
「親切な氷賣で助かったな、お主。おとついは蹴飛ばされそうになっていたものな」
蛙を誂うのも人の目から見れば滑稽であろうが、既に屋敷に人はおらぬ。
1032「今日のような日は、蛙も池にもおられぬようですね」
と言い残し、氷賣は頭を下げて出ていった。かなり軽くなったであろう荷を背負って、土間の上に鎮座する子蛙をひょいと避けた。門を超えるとすぐさま「ひゃっこい、ひゃっこい」と、節を付けて云っているのが聞こえてくる。
「親切な氷賣で助かったな、お主。おとついは蹴飛ばされそうになっていたものな」
蛙を誂うのも人の目から見れば滑稽であろうが、既に屋敷に人はおらぬ。
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DONEなにかと戦っていた土蜘蛛さんと大ガマさん 瞬きほどの間が、あったろうか。息を呑むほどにも長閑な場面でもなかったろう。しかし眼前に影が落ちた刹那に、己は瞬きを繰り返し、息の詰まるほどの焦燥を感じた。長く、長く感ぜられた刹那の合間、吾輩の前へ躍り出たその身体が引き裂かれ、真っ赤な血の弾け飛ぶまでのその刹那……そして次の瞬間には血なまぐさい匂いを胸いっぱいに吸い込み、腹の内より焔の如く沸き起こった衝動に任せ、己は術を放っていた。血を流し崩れ落ちる彼奴の身体を押しのけつつ。
「感謝しろよ。今のは半分、おれの手柄だぜ」
やがて四辺に静寂が訪れて、怒りを以って倒れ伏した顔を覗き込むと、先手を打ってそのようなことを言う。蒼白の顔で軽口を叩く。
頼んだ覚えもない。見縊るな。そも、吾輩の前に出るなど思い上がりも甚だしい。
最後の術を放ったときより胸に昂り続ける炎のままに、いくつか言葉が浮かんだものの、実際は口から出ずに引っ込んだ。
彼奴め、言うだけ言ってスッと両目を閉じている。
文句は引っ込んだというより喉に詰まって行き場をなくした。それより慌てて彼奴の隣へ膝をついた。
切り裂かれ襤褸になった派手な小袖の胸元へ、手を差し伸べ 649
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DONE土蜘蛛さんと小さい大ガマさんぼうぜんと座敷の真ん中に座布団も敷かずに座って、少しも動こうとしなかった。
「おおい、つちぐも」
なんだか事情がありそうな雰囲気だが、そんなのおれの知ったことじゃない。おれは土蜘蛛に用がある。だからいつものように、天井裏の梁からその脳天向かって声をかけた。
が、やっぱり動こうともしない。
いんやほんとを言うと、ちょっと動いた。おれに呼ばれたのはちゃんと聞こえたらしく、その瞬間にぴくり、と。しかし返事をしない。腕組んだまま。上から見える白い額に、しかめっ面のシワが浮かんでいるのが見える。
ということは聞こえておきながら無視を決め込んでいるってえことだ。
「つちぐも。おい、つちぐもってば」
何度呼んでも腕組みのまま。このやろう。
「わかったよ。もういい」
おれは一人でへそを曲げて、梁をつたって屋根の上へ戻る。
と見せかけて。
「それっ」
天井の端から勢いよくぴょんと跳んだ。じっとしていて隙だらけの、間抜けな後頭に狙いを付けて。
目にも留まらぬ蛙のするどい飛び蹴りを、そのどたまに食らわせてやる!
「やめんか!」
ところがそれも読まれていて、土蜘蛛のやつ、ひょいと首 1782
masasi9991
DONE土蜘蛛さんと大ガマさんと巻き込まれる大やもりさん血だるまで火だるまで災難うわ鼻血出てる。
うららかな午後の日差しに大ガマの鼻血は全く心臓に良くない。しかしぎょっとして目を逸らした先にも、血が点々と……いや、そんな生易しい量じゃない。おびただしい量の血を垂れ流し、庭に血痕を引きずりながらこっちに歩いてくる。
咄嗟に目を逸らしたけど、正解は『このまま何事もなかったかのように帰宅』だったかもしれない。
「お、大やもり」
声をかけられてからではもう遅い。おれはカモネギだ。
「なに、やってんの」
「そりゃこっちのセリフだよ」
鼻血を手の甲で擦りながら喋るから何を言ってるのか聞き取りづらい。よく見ると顔もボコボコに腫れてるし、大ガマの声が変なのは鼻血だけのせいじゃないのかも。
「いやおれは別に頼まれたもの持ってきただけなんだけど。いや大ガマに頼まれたやつじゃないから。ただの通りすがり」
「いや、が多いな。なんでもかんでも否定から入るんじゃねえぞ。どんどんめんどくせえ奴になる」
喋る途中で横を向いたかと思うと庭の池に向かってプッと唾を吐いた。唾というかほとんど血の塊。汚……見たくなくてまた目線を逸らす。こいつ人んちで何やってんだ 2669
masasi9991
DONE土蜘蛛さんと小さい大ガマさん出会ったばっかりの頃居候さてその姿になってから、幾日か過ぎた。
これが見た目の通り只の大蛙ではなく、妖怪か、はたまた別の何かであるのか、それについては薄々感ぜられていたことではあるけれども、あの日このような姿に変わってからは疑いようもなくなった。
妖怪である。人の子の姿に化ける。どこにでも居るものではないが、驚くほど珍しいというわけでもない。化け蛙だ。
正体がわかれば不思議でもない。得体の知れぬ蛙にいつまでも居座られるのはどうにもこうにも納得がいかぬものであったが、こちらと同じ妖怪となれば少しは気が許せる。
とはいえまだ幼いこれには、小難しい話も通りそうにないが。
しかし、突如として人に化けたものだから、未だこちらが慣れぬ。当人はまだ蛙のつもりらしく、朝起きると吾輩の額の上に腹を乗せて寝ていたりする。それが只の大蛙であるならヒンヤリとするだけで大した問題でもない。しかし実際は、五つか六つか、そのくらいの童の姿なのである。ズシリと重い。鼻も口も息が詰まる。目を開けようにも開けられない。寝惚けながら振り落とし、起き上がってみると見慣れぬ童が、まんじゅうのように丸まって座敷の上に転がっている。 1374
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DONE土蜘蛛さんと小さい大ガマさんわしづかみしまった、と思ったときにはもう遅い。手を出したが手遅れだ。そも、先んじて気付かれなかった己が弛んでいるのか、ぬるいのか。ともかくその首根っこをわしづかみに持ち上げたが、どうにもならぬ。
「ゲコ」
のんびりと一声、あくびのような抜けた声。顔の半分はある口をぱくりと開いて鳴いた後、口も目もぎゅっと閉じる。もごもごと喉と腹を動かしている。咀嚼をしておるのだろうか。
宙吊りに掴んだ身体をこちらに向けて、その腹をまじまじと見た。
まったくこの子蛙がこれほど大食らいだとは知らなかった。しかも量ばかりでなく妙なものも食べたがる。悪食だ。
「お主、腹を壊しても知らぬぞ」
丸く膨れた腹は皮膚が薄く、濡れた緑色の内側に薄っすらと内臓、血管が透けて見える。それもどうやら日頃よりもよく見えるような、と思い目を凝らして見れば、何やら内側からほんのり光っている。昼間の座敷ではよく見えぬが。さては今食ろうた数珠のせいか。
しかし元の玉は決して光ってはいなかった。
「お主が呑んだがために光っておるのか? おかしな蛙だ」
「ゲコゲコ」
可愛げもない返事と共に薄く目を開き、真黒い翡翠のような 672
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DONE改札に引っかかる土蜘蛛さん只、見返してやりたいのだ随分気が立っている。お館様の短気はいつものことですから、ただ皆んなしてハイハイと頷いておけばいいのです。いくら気が立っているとしてもお館様のこと、よほどのことでなければご命令に間違いはありませんでしょうし、よほどのことでなければそのうち気が済むでしょう。
「車ですか。牛車か馬車か妖力車か。それとも所謂自家用車を手配しますか。それでどちらまで? は? 人間界のその辺をブラブラするだけのために、手配せよと? 馬鹿馬鹿しい。自分の足で行けってんだ」
客間の入り口まで呼び出され、つらつら命じられるままにハイハイと返事をしていた者が、途中から随分な呆れ顔になった。どうにもよほどのことらしい。お茶と茶菓子を抱えて台所と客間をふよふよと往復してるだけのわたくしには、関係のないことのようですが。
「遠いなんて何を今更。電車に乗ればすぐでしょう。ここ最近は人間界の駅まで直通のやつも出てるし、それにまさか、一人で電車に乗れないなんてその歳になって、まさか」
一笑に付されてお館様は口をつぐんだ。ぐうの音も出ないという顔のようで、白い顔にカッと赤く血が登って、額には青筋が浮 976
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DONE何かと戦っている土蜘蛛さんと大ガマさん落下足を滑らせた、かのように見えた。
高く跳ね上がって、ご自慢の長い髪を振り上げる。同時に空が震える。よく晴れた雲ひとつない空が、水面のように波紋を広げた。
錯覚である。しかしともかく、あれが妖気の波紋を広げた途端、そこで足を滑らせた。
空を切り裂く波紋を残し、落下する。
その仇は我々と異なる理を抱き、不可視であった。音ばかりは耳に届く。悲鳴のごとき轟音が響いた。
空に巣食っていた目に見えぬ何者かが、目に見えぬ血しぶきを上げ、のたうち回りながら、逃げ去っていくのだった。
地上では歓声が上がる。勝利と安堵の声を妖怪たちが上げている。
仇は討った。逃げていく。しかしあれが、真っ逆さま、空から落ちる!
仇の残した最後の一撃は、あれの胴を撃ち抜いた。だがまるで誰にも見えていない。ただ空で迂闊に足を滑らせたかのような。妖怪たちの軍勢は誰もその一撃を見ていない。だが落ちる。ただ一人、止めの一撃を放ったあれが真っ逆さまに落ちるのを、誰も気付いていない。
勝利に酔った混沌の中を駆け抜けて、空白の――波紋も悲鳴も血反吐も音もかき消えた晴天の最中へ、たまらず飛び上がった。
無我 548
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DONE他愛のない喧嘩未満の土蜘蛛さんと大ガマさん追いかけっこトン、トン、トン、と小気味の良い足音が空に響いている。閑静な町並みには些か騒がしいのではないか、と思われるのだが、かといって誰も天を見上げるものはない。
人の耳には聞こえぬ音だ。彼奴が屋根から屋根へと伝って駆け跳ね回る足音。昨今の人家はかつて昔の城や要塞のりも高く天に向って伸び上がったものも多く、そこを跳ねる彼奴の足取りも、嘗てと異なる。時代の流れと共に少しずつ変わっている。
「遅えなあ!」
空で叫んだ。次いで、高らかに笑った。蛙の声色は、弾けるような音色である。これも天から地から四方八方あちらこちらへ響き渡ったが、無論それを聞いたのは吾輩だけであっただろう。人には聞こえぬし、低級の妖怪にも禄に聞こえまい。あれは疾すぎる。
「早く捕まえねえとオレが全部食っちまうぜ」
高い高い玻璃で造られた塔の上で一度立ち止まってそう言った。小袖の胸元に隠したそれをちらりと見せる。
全く小癪な輩である。
「まだ本気を出しておらぬだけだ」
糸をたぐりたぐり、吾輩も塔を駆け上がる。笑い声がよく晴れた空に吹く風と一緒になって、ゆっくりとちぎれちぎれの雲を押し流す。
「食い意地張って 920
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DONE土蜘蛛さんと大ガマさんの出会いの話袖振り合うも……「ナァナァ、兄さん、案内人何んか、探してんじゃねえか」
しつこく何度も馴れ馴れしく話しかけられ、仕方なしに振り向いた。
「お」
と相手は驚いた顔をする。二の句を失ったかのようで、あんぐり口を開いたまま立ち止まったその男を置いて、吾輩は再び踵を返して歩き出す。街道の人の波に押されてその顔は遠ざかる。
「あ、おい。おい。そう睨むことはねえだろうよ」
数歩遅れて再び追いかけてくる。にしてもなんと人の多い街であろう。人もそうだが、妖怪も多い。人に紛れた者もあれば、人には隠れて往来をうろつく者もある。この中から探すのは、いかにも骨が折れる。
「あんた田舎から出てきたんだろう」
派手な緑の小袖を尻端折り、白いふんどしを顕にし、そのくせ肩には獣の毛皮を巻いている。いかにも傾いてだらしがない。ろくな相手ではないだろう。とはいえやくざ者と呼べるほど年季の入ったようにも見えないし、まともに取り合うだけ無駄なこと。
「どうも歩き慣れていねえようだし、案内役を買ってやってもいいぜ」
「田舎ではない。上方からだ」
「やっぱりそうか。しきりにキョロキョロしてるから、そんなこったろうと 1301
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DONE土蜘蛛さんと大ガマさんの出会いの話井の中水の湧き出るところに、そいつは落ちてきた。流れてくる水が生ぬるく濁った。なにかの死骸だろう。たまにあることだが、そのままそこで腐ってしまうと水が汚れる。この生ぬるさはきっとまだ息があるということなのだろうが、知ったことか。ともかく水から引き上げて、水源から離れたところに捨て置かなければ。
上流へ泳いで、湧き水の泉へ、暗い水底から岸を見上げると、そのほとりから垂れ下がったような影があり、影の真ん中から赤い靄がじわじわ広がっている。白い水面を汚している。あれだ。
湧き水によって削り取られた水底の深いところから手を伸ばし、ひっ掴んでしまおうと思った矢先、浮かび上がろうと力を込めて水底の泥を蹴ったがためか、水面は波打ち、ほとりから垂れ下がった影がつるりと落ちて、底へ沈み始めた。
暗く深い泉の半ばですれ違う。死骸は人のそれだった。乱れた髪が水草のように絡まって、白い頬にまとわりついている。白い顔、白い頬、白い額……しかし生気を失った死骸のそれとはどうにも違う。こんなに暗い水底なのに、それはまるで光を放つほどに白かった。泥と見紛う青白い死骸の肌とは違うのだった。そしてその唇からは 1171
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DONEなにかと戦っている土蜘蛛さんと大ガマさん解放地鳴りである。それと共に爆風。閃光と熱波は遮られ、こちらまでは届かなかった。が、眩しい。眼前にあるその背中が眩しい。はためく羽織と長い髷、そして背中越しに腕が見える。むき出しの肩の。前へと突き出された腕と肩に浮かび上がる血管の筋は脈動している。阻みきれぬ熱風がその皮膚をジリジリと切り裂く。滲み出す鮮血が背後に立つ吾輩に向かって飛散した。
わずか数滴、散るが早いか乾くが早いか、赤く白く光る破片となって、頬をかすめる。
「数を数えといてくれ。トウで弾ける」
赤い熱風を遮らんと広げられた青白い妖気の壁が軋んでいる。草鞋履きの足が地面を掴んでわずかに抉る。
「そしたら、跳ぶぜ。遅れんなよ」
「お主の指図はいらぬ」
応えれば鼻で笑った。何んだ、まだ余裕そうではないか。それなら共に、跳んでもよかろう。直ぐに。……ナナツ、ヤツ、ココノツ、トウ。 379
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DONEまだ蛙の姿の小さい大ガマさんと土蜘蛛さん天気予報雨の匂いがすると言う。わらかぬでもない。確かに天候の変わる前、彼方より雨雲を押し運んでくる風の匂い、それは水気を含んだ彼方の土地の匂いとして、わずかに感ぜられる。
「ヘン」
と咳払いをした。蛙が咳払いとは不思議なものだ。蓮の葉の上に座って、小さな身体でふんぞり返る。
「まだまだだな」
蛙の喉から、人らしき声が。いややはり人とは少し違っている。まだうまく舌を回して言葉にするのが難しいらしく、音の一つ一つが舌っ足らずな。それに小さな身体に釣り合って、微かで、跳ねるように高い。
その声を聞き漏らさぬために、こちらも池の淵にしゃがみ込む。
「まだまだとはどういうことだ」
「雨の匂いについて、まだちっともわかっちゃいないってことさ。仕方ねえな。人間てぇ、そんなもんか」
「吾輩は妖怪だが」
「どっちも一緒だ。どう違うのかよくわからん。少なくとも蛙じゃない」
「蛙は特別か」
「そうだ、特別だ。こんなに雨に親しいのは蛙だけだ」
「それはそうかも知れぬな」
「うん、あんたはよくわかっている。いいか、雨の匂いというのは、水の匂いや土の匂いだけを嗅いではだめだ。それだけじゃねえ、ええ、 1190