甘やかせる権利「大切な話があるんだ」
その言葉に終わりの意味が込められている気がして、その場から逃げ出してしまった。
熱を持って見てくるアイメリクの視線に気付かないふりをしていた。
嫌だ、折角仲良くできたのに。
もう少しでこの気持ちに整理がつくところだったのに。
親しくなっても一瞬の出来事でその関係は崩れてゆく。
それを知っていたから、アイメリクから何も聞きたくなかった。
「はぁ、はぁ、」
どんなに走ってもアイメリクは追いかけてくる。
さすが、神殿騎士団の総長なだけはある。
その間も、君に害があることではない、怖がらないでくれと叫んでいたのは聞いていた。
走り疲れて観念したかのように両手を上げるとアイメリクは微笑んた。
「君とゆっくり話がしたかったんだ」
大丈夫とおまじないのように唱えていると、アイメリクは困ったように笑った。
「君の冒険の話を聞かせてくれ、それなら怖くないかい?」
そう言ってボーレル家の談話室に通してくれた。
薄暗いけど暖かい暖炉の側。
外に積もった雪のせいか、静けさと澄んだ空気を感じる。
他愛もない話ばかりしてくれた。
ソファーの上で2人で座り、バーチシロップの入ったミルクティーは特段に落ち着く飲み物だった。
「それでね、雪の中に手を入れたら吸い込まれそうだったの、雪なんて触ったことがなかったから不思議な感じがするのね」
「霜焼けに…手は、痛くならなかったかい?」
「うん、ちょっとだけ」
「手に触れても?」
「…………うん」
相変わらず紳士だ。
大丈夫、手くらい…大丈夫、大丈夫。
緊張で震えていると、心臓の音がやけに大きく聞こえる。
しかし、手には触れられなかった。
「すまない、触られたら痛いだろうに気づかなかった……大事がなくてよかった」
ほっとした。
驚いて彼の方を見ると、柔らかく微笑んでいた。
わかってたんだ、…触れられることに躊躇いがあることに。
その配慮に胸がきゅんと鳴った。
「……ここに来ること、嫌だったかな、すまない、半ば無理矢理連れて来てしまったね」
「違うんです、すみません、緊張してしまって…」
「君は優しいね」
「優しくなんか……」
すると、肩口にふわりと暖かいものが降ってきた。
それを見ると、グレーの羽織物を肩に羽織らせているのが見えた。
「優しいよ、ありがとう」
目を細め、見た者が溶けるような微笑みだった。泣きそうになって、視線は明後日の方向へ向けた。
優しいのは、アイメリクの方なのに。
「さ、確か君はガレマルドも訪れていたと聞いた、こちらの寒さとは別格だったろう?」
「ええ、あの時は……」
アイメリクが聞きたいと言っていた冒険の話を、彼の問いかけも挟みながら語った。
おもしろい話も、辛い話も、表情豊かにずっと聞いてくれた。
なんだか、そんな顔を見たら何でも話しても受け止めてくれる気がした。
しかしまだその勇気がなく、口を開きかけ、また閉じる。この繰り返し。
一度外した視線をアイメリクに戻すと、頬が紅潮し、熱の籠った蕩けるような瞳がこちらを向いていた。
「さあ、もう遅い時間だ……宿まで送ろう」
「そんな、大丈夫ですよ」
「君と、少しでもいたいんだ、私のわがまま、きいてくれないかい?」
「……では、お願いします」
扉を開けると冷気を感じて思わず体が縮こまる。
上着を貸そうか、と言われるが申し訳なく感じて断った。
宿屋までほんの数分で到着する道を、十分以上かけてアイメリクとゆっくりと歩いた。
その時間が楽しくて、先刻まで怖がっていた感情は無くなっていた。
リコ、と呼ばれてアイメリクの方を見上げると白い息がふわふわと浮いてなくなる。
「君にお願いがある」
「はい、なんなりと」
「君と私の間柄、もう呼び捨てにしても良いんじゃないか?」
「……」
「嫌なら良いんだ、その……ただの呼び方だ、エスティニアンと同じように扱ってくれて構わない」
「身分的に呼びにくいですね……」
「気にしなくて良い」
「そうですね、気が向いたら……」
「あぁ、その時を待っているよ」
その間に気持ちの整理がつくと良いな。
「お別れだ、楽しかったよ、ありがとう、良い夢を」
紳士的な挨拶で一礼したアイメリク。
「こちらこそ、いろいろとごめんなさい」
「気にしていないよ、さぁ、寒いから早く戻るんだ」
宿屋の扉を閉めるまでに一体何度振り向いたことだか。
その度にアイメリクさんはその場から離れずに微笑んでいてくれた。
扉を閉める瞬間、私は彼を驚かせることがしたくて、意を決して一言、言い放った。
「お、おやすみなさい、あ……アイメリク!」
大きな音を鳴らして扉を閉め、そこにもたれかかった。
はぁ、恥ずかしい。
でも、悪くないかもしれない。
顔を赤くしながら誰にも見られないように部屋へ戻った。