カウントダウン バンド練習の無い金曜日の放課後。こころとはぐみの三人でちょっとだけファストフード店に寄り道をしてお喋りをして、先に帰ると店を出て行く二人に手を振って見送った。店内のテーブル席に一人残ったあたしは、スマホを弄る。今日は空いてるから、ゆっくりしていっていいとバイト中の花音さんに声を掛けてもらって。
「美咲」
そうして暫くしてから、優しく名前を呼ばれたので顔をあげた。あたしの目に映るのは、コートにマフラー姿で微笑む薫さん。
「すまないね、待っただろう」
「ううん、大丈夫。さっきまでこころとはぐみと一緒だったし」
頭を撫でてくる薫さんに首を振る。あたしがコートを羽織ってマフラーを巻いている間、薫さんは空になったあたしのドリンクカップを捨てに行ってくれていた。支度を終えると、戻ってきた薫さんが行こうかって手を差し出す。やりたいことを即座に察したあたしは、眉を下げた。
「……やだよ。花音さん見てるじゃん」
「今更だろう?」
あたしと薫さんの関係はバレてるから、それは確かにそうなんだけど。でも恥ずかしいものは恥ずかしい。
ちらりとカウンターに視線を向けると、微笑んだ花音さんが此方に手を振ってきた。薫さんはそれに手を振り返すと、まだ許可を出してないのにあたしの手を繋ぐ。
「ちょ、薫さん、」
反論しようと思ったけど、外を歩いてきたばかりの薫さんの手が冷たかったから。ついその手をぎゅっと握り返して、お店を後にした。制服姿のあたしと手を繋ぐ薫さんが私服姿なことには、秋くらいにやっと慣れた。
大学に上がって一人暮らしを始めた薫さんの家は、花咲川から電車で三駅行ったところにある。大学はそこから更に四駅ほどあるのだけど、ここからなら実家と大学の中間くらいだからとか、アパートの内装が気に入ったとか、色々理由を付けてそこに住んでいた。
去年から恋人関係になったあたしは、度々その家にお邪魔していた。たぶん週の半分くらいはお世話になっている。
今日も一緒に夕飯を食べる約束をしていたので、今はもう慣れたアパート近くのスーパーへと二人で足を運んだ。あたしはカゴを一つ持ってくると、薫さんが押すカートへとそれを乗せた。
「今日は一段と寒いから、鍋にしようと思うんだ」
「うん、いいね。なんの鍋にするの?」
「友人からトマト鍋が美味しいと教えてもらってね。変わり種で面白いと思ったから、一緒に食べてみないかい?」
「へえ、確かに面白いかも。具材は何入れればいいの?」
あっさりと夕飯のメニューが決まったので、薫さんが上げる食材をカゴの中へと入れていく。
キャベツ、ブロッコリー、人参、プチトマト。家には確かはぐみに貰った鳥もも肉とウインナーがあったはず。あまり種類を多く買っても食べきれないし、そもそも冷蔵庫に入り切らなくなってしまうので今日はこの辺にしておく。他にも色々合いそうな食材はあったから、今度ハロハピみんなで食べてもいいかもしれないな。
甘いものも欲しいねってカップのアイスもカゴに入れて、お会計。
「あっ薫さん、お会計、」
「美咲。あっちで荷物を入れてもらえるかい?」
バイト代が入ったばかりだからと財布を取り出そうとしたら、やんわりと止められてエコバッグを渡された。
薫さんは、あたしにあまりお金を払わせてくれない。払う時もあるけれど、でも二人で買い物に行った時は大体お金を出すのは薫さんだ。
あんまり甘えっぱなしもよくないからとバイトを増やした時期もあったのだけど、それよりも自分と一緒に居てほしいって珍しく眉を下げた捨て犬みたいな顔をして言うものだから、好意に甘え続けてしまっているのが現状だ。
荷物を入れ終わると、会計を終えた薫さんがエコバッグを攫っていった。さらりとそういうことが出来るの、本当にずるいと思うんだよな。また手を差し出されたので、観念して素直に手を握って家へと辿り着く。
「私は食材を冷蔵庫に入れてるから、美咲は先に着替えておいで」
素直に頷いて、制服をハンガーに掛けて。クローゼットのいつもの場所に、あたしが部屋着として使ってるパーカーが置いてあるのでそれに着替える。今日体育で使ったジャージは、洗濯機の中へ。
リビングに戻れば、薫さんがコーヒーを淹れてくれた。置かれたマグカップは、いつの間にかあたし専用になっていたものだ。
「こうしてゆっくり出来るのは久し振りだね」
「そうだね。……と言っても、こころ達がライブしたいって言ってるからまた忙しくなりそうだけど」
大学の試験を終えたのがつい最近。まだ高校最後のテストが残ってはいるけれど、受験勉強にはようやく一区切りをつけられた。薫さんには勉強を教えてもらったりはしたけれど、一人で勉強に追われていたのが基本だったので、二人の時間がなかなか取れないことが多かった。
「そうだ、この間美咲が気に入っていたボディソープがあっただろう?」
「あ、前買いに行ったけど無くなってたやつ?」
「昨日違う店に行ったら偶然見つけてね。買ってきたんだ。今のが無くなったら開けようか」
共用のシャンプーにボディソープ。こっちに泊まる用にと買ったパジャマ。薫さんが買い足してくれた歯ブラシ。お気に入りになってしまった大きなクッション。バスタオルに食器、読みかけの本。
薫さんの家で過ごす時間が増えるにつれて、あたしの物が少しずつ家の中に増え、あたしの過ごした痕跡が増えていく。薫さんが新しく物を増やす時の基準が、あたしになっていく。
あくまで此処は薫さんの家なのに、“二人”の空間になっていくのがくすぐったいけど嬉しくて。
「合格発表は再来月かい?」
「……うん」
「美咲ならきっと大丈夫さ」
この“薫さんの家”が、そのうち“二人の家”になったらすごく嬉しいけれど。薫さんはそう思ってくれてるだろうか。
もし、志望の大学に合格してたら。その時は、勇気を出して伝えたいな。