ドラマチック 六月は身体が重い。全身を湿気が包み込み、マスクの中が息苦しい。酸素が雨粒に溶け出してるんじゃないかと錯覚するほど雨粒は大きく、靴が弾ききれずに濡れていく。
駅のホームが、景色を反射するほど濡れていた。屋根のあるところに避難している人々はみんな気怠そうで、この梅雨の空気にやられているのだろうと推察する。肩を丸めて手の中の小さな四角の中を覗いていて、今生きているこの場所をないがしろにして、ネットの中を泳いでいるあの人たちも、みんな電車が来たら吸い込まれていく。電車は無機質に俺たちを運ぶ。雨でレールが濡れていてもお構いなしだ。俺たちは気持ち悪くなったぐしょぐしょの靴じゃ歩幅も変わるのに。
電車にわざわざ乗ってるのは、アイツに会いに行くためだった。久しぶりに外で飯でも食おうというあいまいな約束をしたまま、アイツは仕事に向かってしまった。俺は仕方なく傘を二本持って電車に乗る。どうせコンビニで買ったりしていない。俺が持っていかないと、雨なんか屁でもないと言わんばかりにこの空の下を走らせることになる。
車の中から見る雨粒は好きなんだけどな。氷砂糖の中を走ってるみたいで、街灯がぼやけて過ぎ去っていって。車の中は篭っていて孤独だけど、一歩外に出たらドラマチックな出来事が待っていそうな、そんな感情になる。帰りはタクシーを使いたい。電車じゃどうしてもドラマチックにならない。
アイツがいるであろう撮影スタジオの前まで来た。LINKで呼び出し、アイツの姿を探す。しばらくして、黒いキャップに黒いマスクのアイツが現れた。変装してても銀髪はきらめいていて、金色の眼光は隠れもしていない。
「おつかれ。傘」
「腹減った」
疲れが滲み出ているアイツが傘を受け取り開く。さっき通りがかった店は空いていそうだった、アイツに場所を告げて歩き出す。二人の傘を雨粒が叩く。アイツのくしゃみの音が鈍い。
「なあ」
「あ?」
「帰りはタクシー使おう」
「いーけど」
アイツは鼻をこすりながらこともなげに言う。俺の欲してるドラマチックさなんて、感じたことないんだろうな。いや、案外同じことを感じているかもしれない。人に言わないだけで、自分の心の中だけで思っていることなんて、誰にだってある。
「……雨の中のタクシーって、好きで」
「……まあ、わかる」
ぽつりと返されたその言葉がなんだか嬉しくて、俺はマスクの下で小さく笑う。このまま手でも繋いでしまいたかった。これだけ大量の傘が溢れていたら、街から俺たちなんて隠れて消えてしまえそうだ。
「……なに笑ってんだよ」
「え」
「バレバレなんだよ」
ガッとアイツにマスクをずらされて身体が跳ねる。そんなにわかりやすかったか、そんなことより、こんな雨の中で俺の顔なんか見るなよな。マスクを戻しながら、アイツのマスクをずらす。
「オマエも笑ってるだろ」
「チビが笑ってっからだ」
「なんだソレ」
二人分の足跡が世界を反射する。目当ての店に着くまで、俺たちは笑い合った。やっぱり傘なんて無意味かもしれない。お互いのマスクをずらしあって、腕はびっしょり濡れていた。