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    jukaino_hito

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    jukaino_hito

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    ##ファミユ・エト・グリモワール

    ファミユ・エト・グリモワール【1】深夜の霧がかかった森の奥深く、陰鬱で重苦しい雰囲気を漂わせなが佇んでいる廃ホテルの交差する廊下の真ん中に一人、長嶺律はろうそくの明かり数本のみを頼りに着々と準備を進めていた。
    今にも崩れ落ちそうな床の上には様々な道具が並んでおり、それはごく普通の一般人では一生のうちに一度見ることがあるかないかわからないようなものから、毎日使うものまで幅広く存在していた。
     律はバタバタと一際騒がしく暴れる一つの袋を手に取ると、思い切り手を突っ込んでその中から生きた鶏を取り出した。
    装飾の美しいナイフを構え、何の躊躇もなく頭を切り落とすと、当然だが頭と胴体の切り離された二か所から血が噴き出る。切った頭はどこかに飛んでいき、暗闇に消えた。
    律は胴体につながる部分の首ぎゅっと握りしめたまま、塗料のように鶏の血液を手に塗布し、なすりつけるようにしながら床に半径1メートルほどの血の円を描きはじめる。
    「ああ、クソ。何か容器に血を移してから書き始めればよかった……」
     とめどなく流れ出る鶏の血液は、律の思い描く模様を描くには量の調節がきかなかった。首を握りしめたままの左手が血で濡れていく。念入りに準備したというのに、凡ミスに気付いたとたんにやる気が下がる。そう思っている間も鶏の血は減り続けるので、仕方なくその模様を描く作業を再開する。
    「ったくなんでこんな複雑なんだ儀式の陣やら円は…」
    独り言を言いながら少しずつ体ごと移動させて模様、というよりは紋章のようなものを描いていく。五芒星が大きく用いられたデザインのそれは歪だが、律が独学で学んだ正式な魔法円だった。
    その反対側にもう一つ同じようだがさらに複雑な模様の召喚用の魔法陣を描いていく。
    ここまで森を抜けて重たい荷物を運びながら利き腕を酷使していたためさらに歪さは増していたが、十分機能する程度には正確に描くことができた。
    廊下に敷かれたカビの生えたカーペットの上に血で描かれた2つの円が完成した。
    辺り一帯にどろりとした血なまぐさい臭いが充満する。
    人に見つかるといろいろと面倒だからと深夜の廃墟でこの行為を行っているため、念には念を入れて廃墟の閉められる窓やドアを閉めているのがその臭いの逃げ場をなくしていた。
    もっとも、血の臭いなども悪魔召喚における大事な要素であるからだ。

    長嶺律24歳はフリーランスの退魔師である。退魔師といってもどこかの団体に所属しているわけでもなく、教会や寺、神社などの生まれでもない。
    完全に独学で退魔師と名乗っているだけの個人事業主に過ぎない。正規のエクソシストから見ればポッと出の素人が仕事を奪っているのは面白くないわけで、その辺との折り合いも悪い。拝み屋や霊媒師と同じようなポジションにいながら、自営業としてかなり傾いた生計をなんとかして立てている。
    しかし、律はそんじょそこらのエクソシストよりは仕事ができた。
    約10年近く前に父親を殺されたことから始まった人生崩壊の恨みが積み重なり、その崩壊しかかった人生をかけて執念深く追いかけていたとある悪魔の情報を必死でかき集めた。
    誰よりも多く情報を手にして、その悪魔の真名も、召喚方法も、祓う方法も、好きなものきらいなものも特性その他いろいろな対処法すべて理解して暗唱できるくらいには頭に叩き込んだ。
    その結果手に付けた職が、フリーランスの退魔師だった。
    この人生に後悔はないけれど、普通の人生への憧れは強くなるばかりだった。

    廃墟の床に積まれた塩の袋をナイフで切り開き、先ほど描いた魔法円と魔法陣の周りをぐるっと囲むように撒く。幅を太めに、途切れないようにそっと塩を床にまいて下準備は完成した。
    律は完成した魔法陣の中に握りしめていた鳥の肉を投げ入れ、自分は革張りの分厚い本を手に取って魔法円の中に入り、腕組みをする。
    あとは召喚の呪文を唱えて悪魔を呼び出すだけだ。すぐに呼び出しに応じて駆けつけてくれるならそう長くはかからない。
    ただ、約10年かけて探し出した相手を目の前に正気を保っていられるかが不安だった。
    悪魔相手に焦ってはいけない、相手の調子に乗せられてしまえば一瞬で付け込まれるのはわかっている。
    子供のころはそれなりに喜怒哀楽の見えた律の表情が鉄仮面のようになくなってなってしまったのは、悪魔と対峙する上で避けられなかった道なのかもしれない。
    一つため息をついて、本を開き召喚のための文言を読み上げる。

    「来たれ 地獄を抜け出しし者 十字路を支配するものよ
    汝 夜を旅する者 昼の敵 闇の朋友にして同伴者よ
    犬の遠吠え 流された血を喜ぶ者 影の中墓場をさまよう者よ
    あまたの人間に恐怖を抱かしめる者よ
    千の形を持つ月の庇護のもとに
    我と契約を結ばん」

    無駄に長ったらしい呪文を3回ほど繰り返したが、反応はない。周囲に置いてあるろうそくの火にもかわりはない。
    もう何度か繰り返し呪文を唱えて、しばらく待ってみる。1時間。2時間。
    これは意図的に無視されている、と思いながらとにかく待ってみる。
    上級の悪魔になればなるほど召喚にもそう簡単には応じてくれず、時間もかかるものだ。
    根気強く待とう……と思ったが、生憎律の気は短かった。

    「……もしかしてビビって出てこられないのか?」
    律本人に煽るつもりはなかったが、推理から閃いた事実が口からこぼれ出てしまった。
    その途端、どこからともなく律の耳に声が届き、楽器の旋律のように美しく響いた。
    「誰がお前みたいなガキ一人にビビるってぇ?」
    「来たな、エムプエヴィネ」
    目の前の魔法陣が召喚に応じ、燃え盛る炎の向こうに人影を映し出す。
    やがて額から生えた2本の黒い角。長い尾と朱色に輝くヤギの瞳を持つ美しい男が現れた。
    なるほど、その美貌を使って数多の人間を惑わせてきたのだろう。
    ところが、堰を切ったように話し出したエムプエヴィネは、律が想像していた以上にキャンキャンと喚いた。
    「もう!!!!!前のバチカンのオッサンですら真名は知らなかったはずだぞ!?だから応じたくなかったんだよ!!俺のことこんなにまともに召喚できる人間なんて絶対碌な奴じゃないってわかってたんだ!」
    魔法陣に姿を現したと同時にやり場のない怒りにエネルギーを費やしているこいつが、件のエムプエヴィネ本人で間違いないらしい。
    律はイメージと違ったエムプエヴィネに首を傾げたが、自分の術式は間違っていなかったので軽く無視をした。
    目に見えてやる気をなくしているエムプエヴィネは、どうやら見えていた罠にハマってしまったのが悔しいらしい。
    悪魔にとって真名は人間に知られてはいけないものであり、ましてや退魔師に知られてしまってはそれすなわち死と同義である。
    だからこそ律は真名が判明してからこの儀式に臨み、エムプエヴィネの魂を握るつもりだった。こうも上手くいくとは思わなかったが。
    「おい、契約しろ。一応シジルも用意してある。真名以上の効力はないと思うけど」
    「用意いいな……はぁ~わかったよ、契約ね。でもその前に一つ、もう二度と真名で呼ぶな。人間界ではモリス・オクタウィススって名前で通ってるんだ」
    エムプエヴィネ改めモリスがやれやれと首を振るのに合わせて、ウェーブのかかった白や水色、シルバーに輝く髪が揺れ動く。人の形をとってはいるが、人間にあるまじき美しさは律には少し眩しくて目を細めた。
    天使が美しいと描かれた本はたくさんあるが、実際は悪魔の方が見た目は美しい場合が多い。人間は美しい姿の方が惑わしやすいからだ。モリスはその最たるものと言えるだろう。
    今まで見てきた悪魔の中でもかなりの美形だと言える。
    「お前に命令権があると思ってるのか?まあ、今は条件を飲んでやってもいい。望みを叶えてくれた後ならこの本も燃やしてやるよ」
    「ちょっと前までそんな俺の印章が思いっきり書かれた本なんてこの世になかった気がすんだけどな……んで、そこまでして叶えたい望みって何だよ?」
    エムプエヴィネはしゃがみ込み、目の前に転がっている首のない鶏の死体を爪先で突いている。おそらく彼なりに抵抗をあきらめた結果だろう。
    「俺はお前に家族を殺された。といってもお前が殺したのは父親だけだが、お前は取るべき責任責任を取って俺の家族になれ」
    「……悪いけどもう一回言ってもらっていい?」
    この悪魔は存外お喋りでやかましいやつだということを律はこの短時間で理解した。
    そして律をイラつかせる才能もある。
    自分がもともと気が短い性格であることは棚に上げた。
    大きく息を吸う。
    「何度も言わせるな!!!!!俺の父親はお前に殺されて、母親はお前に殺された父親を追って死んだ!妹は人生に絶望して半グレになって薬物中毒で死んで、当時の彼女はお前の影響で邪教にのめり込んでヤバい儀式の生贄になって死んだ!お前のせいで俺の人生はめちゃくちゃだ!!だからお前が俺の家族になって責任を取れェーッ!!!!!!!!」
    「ハァ~~~????????????????」
    しゃがみ込んでいたモリスがあまりの驚きで立ち上がる。感情が昂り声を荒げた律に負けず劣らず大きな声で、モリスは不平不満を漏らした。
    純粋に目の前の人間が何を言っているのかわからないというのもあるが、悪魔に責任を問うなどコイツ気が狂ってるんじゃないのか?という意味も込められている。
    律は勢いのまま魔法円から出て、向かいの魔法陣に立つモリスの服を両手で掴んで乱暴に引き寄せた。いい感じに胸ぐらが掴みやすい、胸元が大きく開いたデザインのそれは、律が普段着ているものとは質が違うのだと触るだけでわかったが気にせずに手に強く力を込める。
    もっとも、悪魔の方が力は強いはずなので、モリスは引き寄せられてくれているにすぎない。それもまた律を苛立たせるものだった。
    「俺は幸せになりたいんだ!そのためには家族が要る、恋人や伴侶が要る!なのにそれはお前に全て奪われた!!俺がお前に望むのは、俺とお前で俺の思う幸せな家庭を築くことだ!俺が満足するまでな!!!!!」
    普段こんなに大きな声で一気に言葉を浴びせかけたりしないせいで、ハァハァと息が切れる。
    律がこれだけ感情を込めて力説したというのに、当のモリスはふぅん、と鼻を鳴らすだけだった。
    「具体的には?俺に両親と妹と彼女の4役やれってこと?」
    「……いや。死者に成り代われとは言ってない。お前はお前のまま、俺と結婚してとりあえず家族になれ」
    死者と辛い別れ方をして、モリスの元に相手を生き返らせてくれ、と頼みにくる人間はごまんといる。恋人になってくれという人間も少なくはない。
    そういう輩は大抵、手に入れた幸せで死ぬのが怖くなって最後の魂の回収の時に絶望した顔になるやつが多い。
    律の要求は比較的よく求められるものだったが、モリスは抱いた違和感を捨てられなかった。
    モリスは好奇心が旺盛でなんでも聞いてしまうくせに、答えから得る感覚的な部分は変に人間に近い悪魔だった。
    「それが望みだっていうんなら良いんだけどさ、アンタ好きでもない親の仇の悪魔と家族になることに抵抗とかないわけ?」
    「ない。むしろお前以外とどうこうなってどうする。それならわざわざお前に頼むまでもないだろ」
    モリスは確かに、と思うと同時に律の顔以外のステータスでは人間社会でモテるのはやや難しいのではないかとも思ったが黙っておいた。
    「熱烈歓迎してくれてるが、対価はアンタの魂だぜ。1ヶ月や1年って期間がついてるなら寿命でも良いけど、アンタが満足するまでっていうんなら魂一択だ。退魔師の魂ならそこらの凡人より高く買い取ってやってもいい」
    「上からものを言うな!でもそれで問題ない。退魔師の魂が一般人よりレートが高いのもわかってる。だからこそここまで頑張ってきた」
    モリスは表情には出さなかったものの、目の前のまだ四半世紀ほどしか生きていない子供の覚悟の決まり方に驚き、感心すらした。
    自分の復讐心と欲求のために、人生を賭けて魂の価値を上げてくる人間なんて今まで見たことがない。この人間なら、その覚悟の時点で多少付加価値が上がる。退魔師なら尚更だ。
    律が満足するまで、という条件が曖昧だが人の寿命を100年としたとき、あと75年程度一緒にいてやるだけでこんなに上質な魂が手に入るのなら悪くない。
    モリスは算盤勘定を終えると口角を上げてニヤリと笑みを浮かべ、黒の革手袋に包まれた人差し指をビシ、と律に突きつけた。
    「じゃあ確認だ。俺はアンタの理想とする幸せな家庭を実現させる、そのために結婚をする。期間はアンタが満足するまで、もしくは死ぬまで。その対価はアンタの魂。注意点としては、契約満了まで俺の真名は呼ばないこと、満了し次第その本の所有権を俺に譲ること。これで良いか?」
    律に突きつけた指先で何もない空中に悪魔文字を書き連ねていく。紫がかった青色の光を放つその文字はゆらゆらとゆらめきつつも消えることはなく、律が同意するのを待っている。
    「契約の最中に何か不都合が起こった場合は、お前の力でなんとかしてくれるか。できるだけ悪魔の力に頼らないようにはするが、俺一人だとしても世辞でも経済力があるとは言えないんだ」
    「痩せてるし貧乏そうだもんなあ……まあ、物によるが大抵のことはイケるぜ」
    「わかった。俺も契約の最中はお前を殺さないというのも追加しておいてくれ。それで良い」
    モリスは再び指先を動かして、今の2項目を追加する。
    黙っておけば良いのに、退魔師が自ら悪魔を殺さないと約束するなんて普通はあり得ない。
    「じゃあここにサインしてくれ。指先で名前を書くだけでいい」
    「ああ」
    律が先ほどのモリスを真似て、空中で指を動かすと、ペンも何も使っていないのに指の動きを追って文字が現れる。
    書き終えると同時にその文字は濃く鮮やかな紫色の炎となり、1文字1文字が蛇のようにひとりでに動き出してエムプエヴィネのシジルを宙に浮かび上がらせた。
    そして一際美しく炎を燃やして、その場から消えた。
    「契約締結だ。じゃ、これからよろしくな♡ あとの細かいご要望は家で聞かせてもらうから」
    「その前にこれ片付けるから手伝ってくれ。あとその鶏食っていいぞ」
    「捌いてない鳥の死体なんか食わないっつの……」
    モリスの呟きを無視して、律は黙々とろうそくや塩の袋を片付けていく。
    足元のカーペットに血で書いた魔法円と魔法陣はホームセンターで安売りしていた赤のラッカースプレーで模様がわからないように上塗りする。
    モリスはとりあえず、食肉に戻ることはなくなった可哀想な鶏の魂は頂いておいて、肉体を森の地面の下に埋めておいた。

    ある程度片付いて廃墟の外に出た際月明かりに照らされて、やっと律は自分の手がどう見ても血液にまみれていることを自覚した。
    隣にいる悪魔の襟元を見てみれば、掴み掛かったことなどなかった事にされたかのように何の痕跡も残っていなかった。
    いくらホテルとはいえ廃墟である以上水道は使えない。
    魔法陣を消すことは考えていたが、自分についた血液を落とす方法は全く考えていなかったが、それをそのまま口に出すのはあまりに間抜けすぎて恥ずかしかった。
    「これ……血、消せるか?これじゃ殺人犯と間違われて職質される」
    「ゴム手袋とかしてやりなよ……普通鶏の血に素手突っ込まないって」
    ぶちぶちと正論の文句を言いつつも、律の血まみれの手に自分の手をかざしたモリスが短く紫色の光を放つと、皮膚にこびりついて取れそうになかった血液が綺麗さっぱり一瞬で消えていた。
    「……流石悪魔だな」
    「それはど〜も。新婚生活始まってすらないのに職質でとっ捕まっちゃ困るからな」
    「助かる。ちなみに現代日本では同性婚はまだ認められていないし、その服は歌舞伎町にでもいない限り馬鹿みたいに目立つぞ」
    モリスはキョトンと目を見開き、羽根のように長いまつ毛をしばたたかせると自分の服を引っ張って見つめたあと、月光に照らされて艶々と光り存在感を放っていた角と尻尾を引っ込めた。
    少し思案した後パチンと指を鳴らすと、露出過多な上にボディラインを強調した派手なデザインのホスト崩れのような服は、金色の糸で小花柄の刺繍が入ったスーツと黒のハイネックのインナーの洗練された装いに変身した。
    律は高そうな服ばっかりだな、と脳内で独り言ちる。
    「これでどう?」
    「多少マシになったが、まだ歌舞伎町にいそうな感じはある。まあ及第点」
    「現代日本における結婚の制度に関しては、俺の力で……あー、えーっと、役所の人間も周りの人間も俺が実在している人間であることは絶対に疑わないし、誰もが俺たちを夫婦扱いする。事実上は結婚したことと同じだ。それで良いだろ?」
    「洗脳か。いいと思う」
    良いだろ、と聞いておきながら、他者を洗脳することに一瞬たりとも悩むそぶりを見せなかった律にモリスはまた人間離れした精神力を感じた。
    こいつ、本当に今までどうやって生きてきたんだろうか。良心とか、常識とかないのか。
    悪魔的に揺さぶり甲斐がない。
    ザクザクと獣道を進み、来た道を戻っている途中で律が思い出したように口を開く。
    「そういえば鶏はどうした?」
    「魂とって埋めた」
    「悪魔がわざわざ畜生を埋葬したのか。それは面白いな」
    「ハハ、そうかな……そうかも」
    モリスは律について考えるのをやめた。
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