1日目はいただきますと言えトントントン、と心地よい包丁の音が聞こえる。
外では鳥がチュンチュン鳴く声も聞こえる。
目を閉じればそれはきっと素晴らしい日常なのだろうと希は思った。
ただ一つ、その包丁の主が自分の先輩だと思わなければだが。
1週間の同居生活、それは希が余りにも生き倒れる事から上司が痺れを切らして黒龍と希に命じられたのだ。
その結果、希は今日から1週間黒龍と共に生活する事になったのだが……。
「(何というか、意外というか予想通りというか)」
初めて黒龍の部屋の中を見た希は物珍しそうに辺りを見渡す。
家具は黒を基調としたモノトーンで纏められているが部屋のあちこちに飾られてるフェイクグリーンが黒の重たさを消している、むしろ清潔感の溢れる部屋だという印象すら受けるだろう。
部屋の一角にはトレーニングマシンなどもあり、武に対する彼のストイックさが表されてるように感じる。
そして現在彼はキッチンにて調理を行なっている。
部屋の主に大人しくしていろと言われた手前、自分の位置から中身までは見えないがグツグツと何か鍋で煮込む音が聞こえる。
そういえば誰かが言っていたのを希は思い出した。
『黒龍は料理上手で滅多に他人に振舞ったりしないけど美味しい』
確かに、黒龍の性格を考えれば誰かに奉仕するような行動は取らないなと納得する。
調理にひと段落ついたのか黒龍が希の方へ近寄ってきた。
「希」
「なんでしょうか?」
「今すぐアレルギーがあったら吐け」
「はい?」
突然投げかけられた問い、問われた内容は理解できるがあんまりにもその人物が言うには似合わなさすぎてきょとんとしてしまった。
一方に答えない希に黒龍は苛立ちを募らせ顔を顰めれば慌てて無いと首を横に振る。
「無いなら良い」
そう言って会話が終わればまた調理へ戻る黒龍に「先輩ってたまにそういう気遣いするんだよなぁ」とグラスに入った水を飲んだ。
暫く待てば黒龍は鍋やいくつかの小鉢と二人分の大きめのお茶碗を並べる。
希が中を覗けばふわりと優しく、しかし食欲を唆る匂いが鼻をくすぐる。
「茶漬けならお前の胃でも受け付けるだろう、まぁ正確には出汁茶漬けだが」
なるほど、茶漬けかと希は納得した。
鍋に入った黄金色のスープは出汁のようで、小鉢には其々薬味が入っていた、希の前に置かれた茶碗には控えめに入ったご飯と上には茹でて丁寧に解された鳥のささみが乗っかっていた。
「薬味はお前が食えそうなのを適当に選べ、好みなぞ知った事ではないからな」
そう言いながら黒龍は自分の茶碗に其々薬味を乗せ出汁をかける。
白いご飯が黄金色の出汁によってキラキラと輝く様に希はゴクリと喉を鳴らした。
同じように希も薬味を少しだけ乗せて出汁をかければ自分の茶碗の中身もキラキラ輝く姿を見て、黒龍の方を向いた。
「これ、食べても……」
「許可なんぞいらん、むしろ食わせる為に出したんだ」
「それとも、俺に丁寧に一口ずつ口に運んでほしいのか?」
「自分で食べます!!」
これ以上からかわれないように匙を持てば、「いただきます」と声が聞こえる。
顔を上げれば黒龍は丁寧に両手を合わせていただきますと言ったのだと理解した。
「…俺がそういうことをするのが意外と思ったな」
「はい、正直」
「別におかしな事などない、食物を口にするそれは原初たる生命の延長行為だ。人間の連綿たる歴史が長けれど食わねば人は生きていけない、そこに敬意を払うのは当然の事だが?」
「難しいのでもっと簡単に言ってください」
黒龍は一瞬面倒臭そうに眉を顰め、息を吐けば「そういうところも教育が必要か…」と聞こえたような気もしたが希は敢えて聞こえない事にした。
「つまりだ、その言葉を言うのに理由は必要か?」
「確かに、ではいただきます」
あっさり納得した希にもう一度息を吐きたくなったが食事の方が優先かと黒龍は茶漬けを食べ始めた。
希も同じように匙で掬いパクリと口に含む。
ただの茶漬けだと思った希は驚いた、ふんわりと炊き上がったお米はふっくらとしていて噛めば噛むほど甘みを感じる。鳥のささみは僅かに下味をつけた塩味が優しくまた薬味は他の味との調和を取り持っていた。
そして1番驚いた原因は出汁にあった、単純に鰹節から取ったのかと思えば複雑で尚且つ繊細で優しい味に希は止まることを忘れたように次々と口に運んでいった。
茶漬けにがっつく希を黒龍は静かに見てまた自分も満たされるまで食べきった。
「ご馳走様でした、とても美味しかったです!」
「面白いぐらいに顔に出ていたな」
「そうそう、先輩あの出汁は何ですか?とっても美味しかったですけど!」
「あれは昆布と鰹と煮干しでとった、昨日」
「昨日!?」
思ってた以上に手の込んだ料理に驚く希に黒龍は気にせず話を続けた。
「出汁は色々使えるからな、だし巻き卵に味噌汁煮込み…無駄がない」
「は、はぇ〜〜……」
噂通り、いや希にとっては噂以上の料理スキルの高さにぽかんとしてればその様子がおかしい黒龍は笑う。
「くく…まぁ、食に興味のないお子様には分からんだろうな」
「そ、そこまでは!………あるかもしれません」
だろうな、と返し黒龍は食器を洗うべく片付けを始めた。
希も大人しく世話されるのは癪に思い皿洗いを申し出て二人で黙々と食器を片付ける事にした。
「そういえば先輩、あの寝る場所って……」
「ソファなんぞに寝かせて他の奴らに文句を言われるのは溜まったもんじゃないからなベッドだ」
「でもベッド一つですよね、先輩は…?」
「?、俺もベッドだが?」
片付けて少し落ち着いた後、就寝前にふと気になった希は黒龍に尋ねるととんでもない返答が来た。
この部屋にあるベッドは一つ、二人ともベッドで寝る……先輩の言動、それらを統括した希は何かを察して警戒体制を取る。
「………何か勘違いしてるようだが、しないからな」
「先輩って割とそういうの選ばないんじゃないんですか?っていで!?」
「喧嘩を売ってるのか?」
即座に飛んできたデコピンに額を抑え機嫌を損ねた黒龍を見上げる。
「だって…」
「馬鹿を言うな、俺は性別とか以前に快楽を得られればそれで良い」
「ほら!!!ほら先輩のそういうとこ!!!」
「だが、俺とて気分ぐらいはある」
「痛い痛い!?先輩ギブです!ギブ!!」
希の顔を黒龍の大きな手で掴まれれば痛いとぺちぺち腕を叩いて解放を願う。
すぐに離されたが黒龍は希を気にする事なくベッドに潜り込んでいった。
少しだけ布団が捲られてる状態であるのは希が入り易いように彼なりの気遣いなのだろうと見てとれる。
「えっと…本当に何もしないですよね?」
「喧しい、さっさと入れ。お前の想像通りにするぞ」
「はい!お邪魔します!」
急かされて慌ててベッドに入れば流石にセミダブルとはいえ男二人では少し狭い。
いつもは一等身ぐらい身長差がある二人だがこうして横になれば普段より近い距離に物珍しさを希は感じた。
何かを口に出そうと思った希だがその前に黒龍が先に口を開いた。
「明日に差し支える前に寝ろ」
言葉はぶっきらぼうだが希の上にある布団を優しく叩く様は、なんだか彼の心に少しだけ触れたような暖かさを感じた。
そう思えば眠気はやってきて瞼が重く感じるまま希は目を閉じた。
「おやすみなさい、先輩」
少しすればすぅすぅと寝息を立てた希を何かする訳もなくじっと観察していた黒龍だったがしばらくすれば彼も赤い瞳を閉じて眠りに入る。
彼の心中は未だに不明だが、この奇妙な同居生活の初日はこうして幕を下ろしたのだ。