癒しというよりご褒美『先生、これ』
ふらりと監督室にやって来た深津は、カラカラと今は使われていない机から勝手知ったるとでも言うようにデスクチェアを転がしてくる。
そのまま堂本のデスクの横に椅子を寄せて座れば、ポケットから取り出した紙に同じくポケットから取り出したペンで何かを描き始める。
『なんだ…それは』
『アニマルセラピーですピョン』
『え?』
『アニマルセラピーですピョン』
聞こえていなかったわけでは無い。ただ、もう一度聞き返すことも、動物だったのか、と言う事もやめておいた。
『どうしたんだ?いきなりアニマルセラピーだなんて』
着々と紙の上で増えていく恐らく動物であろうものたちを覗き込みながら、堂本が尋ねれば、深津は顔を上げぬまま口だけを開いた。
『疲れてる時は癒しが必要ですピョン』
『疲れてるのか?大丈夫か?』
堂本は深津の答えに思わず矢継ぎ早に質問を繰り出すと同時に今日の練習メニューを思い出す。
疲れが取りきれていない時の無理な練習は怪我の元だ。練習を二手に分けて、リハビリ組の奴らと一緒に軽めの調整にしても…、などと考えていれば、ペラ、と紙を持ち上げて自身の目の前にかざした深津が満足そうに頷いた。
『違いますピョン。先生の事ですピョン』
『…俺?』
コクン、と頷いた深津が堂本の机の上を指差す。
『先生、これ…』
深津が指差した先にあったのは何とも可愛らしいパッケージに包まれたひと口サイズのチョコレートであった。
『あぁ…これは、もらったんだ。英語の、ほら沢北の担任の…』
『知ってますピョン』
知ってます、とはどちらの事か。まさかチョコレートを貰ったことではないよな?と思いながら深津の方を見やれば、黒曜の瞳がじっと堂本を見つめていた。
『職員室にプリント届けに言ったら喋ってましたピョン』
『何を?』
『先生にチョコレートあげた事ですピョン』
深津の話を聞けば、たまたま別の教師に用事があり職員室へと入れば、その英語の女性教師が近場の若い教員たちと何やら楽しげに会話していたと言う。
そうー。堂本先生お疲れみたいで
まあ、お忙しいですもんね
そうー。毎日毎日部活じゃ息抜きもできないでしょ?
でも堂本先生、部活の時なんて生き生きしてらっしゃいません?
ううん!やっぱり堂本先生には癒しが必要だと思うの!だから、チョコレート差し上げたの。
あぁ。疲れた時は甘いものって言いますもんね。
そうー。最初からお弁当とかはびっくりされるだろうから、まずはね。
そんな話を聞きながら、深津は監督室へ来たという。
『職員室で何て話してるんだ…』
堂本は思わず盛大なため息を吐きながら、今、監督室の机の上にあるチョコレートを渡して来たワンピース姿の女性教員を思い浮かべた。
そうやってため息がてら、頭を抱えて机に突っ伏した堂本にペラ、と1枚の紙が差し出される。パッと受け取り眺めれば、そこには何やら現代アートにも見える各種動物たちが描かれたあの紙であった。
『これは…俺にか?』
『先生、甘いもの苦手ですよね』
替えっこ、しましょ
そう言うが早いか堂本の前に差し出された紙は堂本が受け取るより早くその目の前に置かれ、反対に机の上に置かれていたチョコレートの包みは深津の手の中へと収まっていった。
しなやかな手先でチョコレートを転がす手先を見つめながら、堂本は視線を目の前に置かれた紙に移す。
『疲れた時は動物が良いですピョン』
深津の言葉に堂本は笑みをこぼしながら、少しだけ意地悪を思いつく。
『もし、甘いものが欲しくなったらどうするんだ?』
そうやって視線を深津に向ければ、同じように堂本を見つめていた深津と視線が絡む。
その瞬間、堂本は目の前の黒曜の瞳がトロリ、とチョコレートよりも柔らかくて溶け出すのを見た。
視線を絡めたまま、深津は手の中にあるチョコレートの包みを解き、堂本に見せるように自身の口の中へ、ぽとり、と落とした。
甘い、アニマルセラピーです、ピョン
囁くほど小さな声、鼻に抜ける甘い香り…もう椅子はひとつで充分になった。