目の眩む熱と慈愛酔った勢いで、トウマに「龍之介のことが好きなんだ」と暴露してしまった。その場は二人きりで、トウマは誰にも言わないと約束してくれたし、変だともやめとけとも言わずに「応援してる」と笑ってくれた。だが、やっぱり何も進展させるつもりはなくて、だからどうか何も知らなかったことにしてほしいと頼んだ。曖昧に頷かれたことは覚えてる。ちゃんと納得してもらえたかは、分からない。
よりによって、一番好きになってはいけない人を好きになってしまった。好きになる要素ばかりの人だから仕方ないと言い訳もできるが、そういう問題ではない。俺には彼を好きになる資格などないのだ。絶対に成就させてはいけないし、知られてもいけない。墓場まで持って行かなければ、俺は、また彼を裏切ることになってしまう。
トウマがそんな野暮なことをするとは思えなかったが、それでも、念を押して口止めしなければならない。それほどに、絶対的な秘密だった。
今日は音楽番組の収録日。ŹOOĻの他にTRIGGERも出演予定だ。ただでさえ気まずい思いをしている上に、なんだか今日は朝から体調が良くない。熱があるわけではないのだが、なんとなく頭がボーッとする。休むほどではないため、特に誰にも伝えずにいた。
「トラ、大丈夫か?」
トウマにすぐに気付かれてしまったのは、まあ、少し考えれば予知できる未来だったな。
俺が楽屋で小さくため息をついたのを、彼は見逃さなかった。
「具合悪いのか?」
「いや、大丈夫だ。少し頭がボーッとするだけで」
「え、それ大丈夫じゃないだろ」
なんだなんだと悠と巳波も近寄ってくる。トウマから事情を聞いた二人が口々に文句をぶつけてくる。
「虎於!そういうことは隠さず話せっていつも言ってるのに!」
「御堂さん、まだ私たちのこと信用できないんですか?」
「違う違う!そういうんじゃなくて、本当に大したことないんだ」
ムスッとした三人を交互に見て、弁解と共に「悪かった」と謝罪する。心配してくれているのだと分かるから、俺も本当に大丈夫なのだということを真摯に伝えたかった。
「挨拶回り、俺は遠慮しておくよ。始まるまで休んどく。それでいいか?」
「そうしろ。トラ、俺たち他の出演者の楽屋回ってくるから、ちゃんと休んでろよ?つらかったら無理しちゃだめだからな」
「ああ、分かった」
三人を見送り、俺はソファーに座って目を閉じる。しばらくそのままでいたが、頭の中がぐわんと揺れてふらついてしまう。仕方なく、ヘアセットが崩れることはもう諦めて、ソファーに横になって再び目を閉じた。
頭に優しい感触がして、心地良さの中で目が覚める。ああ、俺、眠ってしまったのか。
どのくらい時間が経ったか急に不安があり、急いで視界を安定させる。時計を探そうと視線をうろつかせて、すぐにこちらを見つめる瞳と目が合った。
「あ、虎於くん起きた」
「え…?」
「おはよう」
龍之介が目の前で微笑んでいた。
「え!?」
慌てて飛び起きる。頭がクラクラして、そのままの勢いで反対側に倒れそうになる。龍之介は急いで手を伸ばして俺の身体を支えてくれた。
ちょっと待て。なんでここに龍之介が?他には誰もいないみたいだ。なんで、龍之介一人だけがここに?
「虎於くん、体調悪いって聞いたよ?大丈夫?」
「聞いたって、誰に」
「トウマくん」
あいつ、まさか俺に気を遣って……?
余計なお世話だと頭の中で彼を呪っていると、龍之介は心配そうな顔で俺の目をジッと見つめてくる。
突然心の中にいつもの罪悪感が湧き出てきて、バツが悪くなり目を逸らした。
「体調は、大丈夫だ。休んだから」
「でもまだ顔色悪いよ。ごめんね、俺が触ったから起こしちゃったんだね」
「さ、触った!?」
「うん、ごめん。頭撫でちゃった」
目覚めた時の優しい感触を思い出す。頭、撫でてくれてたのか。せっかくの機会だったのに、なんで俺は眠ってたんだ。
「龍之介、心配してくれるのはありがたいが、もう平気だから自分の楽屋に戻ってくれ」
「一人にしておけないよ。トウマくん達が戻ってくるまでここに居る」
「気を遣わなくていい」
「心配なんだよ!」
本音を言うと、そばにいてくれるのはとても嬉しいことだった。だが、自分の中にある醜い感情が憎くてたまらなくて、この恋心を抱いたまま龍之介のそばにいることに耐えられない。
優しくしないでほしい。一抹の期待を一思いに折ってほしい。一人にしてくれ。そばにいる資格なんかないんだ。
「出て行ってくれ、龍之介」
「虎於くん……」
「大丈夫だって言ってるだろ」
「俺、邪魔?」
喉が詰まる。言葉が上手く出てこない。邪魔なはずないだろ。邪魔なのは、俺の方だ。
「………そうだよ」
声、ちゃんと出てるだろうか。動揺や悲しみが伝わらないように、いつも通り、いつも通り。
「邪魔だ。出て行ってくれ」
龍之介はグッと押し黙った。怒らせただろうか。理不尽な拒絶に対して、龍之介がマイナスの感情を抱いたことは簡単に想像できる。
嫌われたくない。それでも、俺の本当の気持ちを知られるよりはマシだ。
「虎於くん」
龍之介が俺の両肩を強く掴んだ。呆気に取られる俺の目を、もう一度しっかりと見つめてくる。
「君が何と言おうと、俺は出て行かない」
「龍之介……」
「君を一人ここに置いていくなんてできない」
真剣で、少しだけ怒っているかもしれないその表情に、俺はどうしようもなく心を揺さぶられてしまった。
やっぱり、大好きだ。この人のことを、ずっと見ていたい。
泣き出してしまわないように身体に力を込める。決意が揺らぐ。この手が離れていく未来を選びたくない。
「虎於くん、反論はないね?」
「…………いや、俺は」
「じゃあ、ほら。横になって」
「え?え、ちょっと待て、り、龍之介」
「枕いる?」
龍之介は俺の肩を掴んだまま横に倒そうとしてくる。俺は困惑の中でやんわりと反抗してみるが、相変わらずの目眩も手伝って全然抗えない。ほぼ先ほど寝ていた時と同じ体制になってしまったところで、龍之介が「はい」と言いながら俺の頭の下に腕を差し入れてきた。
「お、おい!」
「枕いらない?」
「枕って、う、腕だろ!」
「うん、腕。いらない?」
いるかいらないかで言ったら、お願いしたいに決まってるだろ……!
中途半端に頭を浮かせているのもつらくて、「どかしてくれ」とも言えず、結局龍之介の腕に頭を乗せることになった。重くないだろうか。痛めてしまったら大変だ。
おそるおそる龍之介の顔を見上げると、見たことないほど慈愛に満ちた表情で俺のことを見ていた。
動悸がしてきた。もしかして俺、本当に体調悪いのかもしれない。
……なんて、下手な言い訳だ。
「もう少し寝てていいよ。トウマくん達が戻ってきたら起こしてあげる」
「……龍之介」
「ん?」
「どうして、来てくれたんだ」
隠さなきゃいけない。諦めなきゃいけない。それなのに、こんなに優しくされたら縋りたくなってしまう。
せめて理由をちゃんと聞いて、期待しないように自分を制しておきたい。
「……それは」
龍之介が一瞬視線を逸らす。言葉を探すような少しの間があってから、その視線はもう一度こちらに戻ってくる。
「君のことが、心配だったからだよ」
龍之介は優しく微笑んで、それっきり何も言わなかった。
俺は小さく「そうか」と呟いて、何も変わらないままの自分の気持ちをゆっくりと心の奥へ押し込みながら、そっと目を閉じた。
「虎於くん、頭撫でてもいい?」
意識が遠のく中で、そんな龍之介の声が聞こえてくる。俺はほとんど無意識に頷いて、優しいその手の感触に身を委ねながら眠りに落ちていった。
*
「あー、どうしよう」
「狗丸さん、ドア開けないんですか?」
「うーん、いや、まあ開けるんだけどさ」
「トウマ、早く開けてよ。虎於の体調心配だし」
「うん、それもそうなんだけどさ」
「十さん、『様子を見てくる』と仰ってましたけど、御堂さんと一緒に居て下さってるんでしょうか」
「そうだなー、うーん」
「ちょっとトウマ、さっきから何?」
「なんて言うか、その……あの慌て方、絶対脈アリだよなぁ」
「何の話です?」
「いや、なんでもない」
虎於の体調不良を知って勢いよく飛び出していった龍之介の様子を思い返し、このドアの向こうでどうか二人が少しでも分かり合えているように願いつつ、トウマは静かにドアノブを回すのだった。
邪魔したらごめんな、と、心の中で謝りながら。