MY FOOT(榛名中心)Rain
証明できない解も別に悪かねえよ
意味づけなんて所詮後から後からやってくるもので、過去のそれが自分のどういった部分に属するものになるのかなんて、その時々で変容していくものだ。古傷が痛む時、それもひとつの土台であるのだと思えるのは、手中にある「今」が文字通り己の手中にあるからに尽きるわけで。傘から滴りおちる雨粒を眺めていて最初に生み出される思考なんて、あの挙動不審のエースが肩を冷やしてはいないだろうかとか、そんなことだ。
だからこれはそれに追随するただのひとつの記憶に過ぎないのだが。
気分屋というより妙なところで感情の交換スイッチが作動するんだと思う。気分が行動を左右する、のではなく、些細な事象によって気分が容易に変わる、のだとすれば、それは「情緒不安定」とでもいうのだろうか。国語はあまり得意ではないのでよくわからない。けれど目の前の投手にその言葉を重ねてみた時、隆也は首を傾げざるを得なかったから、やっぱりその単語は相応しくないのかもしれなかった。
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