月が満ちる夜いつもは部屋の中にいる時間に外に出ているなんて、悪い事をしているみたいでドキドキする。
満月の優しい光が降り注ぐ夜の庭園を私はカラムと歩く。まるで絵本の中の王子様とお姫様になったみたいだ、と浮かれながら。
そんな非日常を楽しむ私にいつもカラムは付き合ってくれるのだ。
繋いだ手の温もりが秋の夜の寒さを和らげる。最近まで夜も暑かったのに、季節の移ろいは思った以上に早いようで頬を撫でる風が冷たい。上着を羽織って来て正解だと反省する。というのも、カラムから夜の散歩に誘われ嬉しさのあまりそのまま行こうとして、止められたのはついさっきだ。
「カラムの言う通りだったわね」と背の高い彼を見上げた。
赤毛混じりの赤茶色の髪が風に揺れるのが目に入る。もう少ししたらカラムの髪の色と同じ色をした葉っぱが揺れる季節になるのだと気付く。いえ、もう既に色付いている木もあるだろう。そしてその季節はとても短く、すぐに厳しい季節へと変わる。
日々の幸せに浸かってぼーとしていたらあっという間だ。
それはとても勿体無いことに思えた。
カラムは笑いながら私を背中から抱きしめ、肩に顎を乗せた。包まれる温かさはいつも通り、こんなやりとりも日常になったことをしみじみ考えながらまた空を見上げた。
いつもよりも大きくコウコウと輝く月の明かりはとても優しい。
太陽は近付けば灼熱の光で私達の身体すら焼いてしまうが、月の光は全く熱を持たない。近付けば近付くほど明るく闇夜を照らしてくれる。
まるでいつも寄り添ってくれるカラムのようだ。
「今日は月が綺麗だな」
耳元で囁やかれた言葉に前世の記憶が蘇った。
ある有名な文豪の手紙の話だ。
お月見の風習はフリージアにはない。それでも月を見ればみんな綺麗だと思うのは変わりない。だからカラムの一言は彼の月に対しての感想でありそれ以外の意味はない。
横目で見れば私と同じ目線の高さで月を見上げている。たまたまと思いながらも〝同じ目線の高さ〟からそう伝えてくれたカラムが心から愛しくて仕方なかった。
なら私は何と返せばいいのだろうか?
残念ながら私にはその言葉に釣り合う程の素敵な言葉を持っていない。だからこそ今の私の気持ちを返そう。ここは前世ではないのだから。
「私はカラムを愛せたこと、カラムに愛されたことを誇りに思います」
突然の私の言葉にカラムがびっくりしているのが気配で分かる。だから私はあえて微笑んで私の前に回っていたカラムの手にそっと手を添え、撫でる。
「カラムに出会えたこと、共に歩んでくれること、カラムの全てに感謝と賞賛を贈ります」
私の言葉にカラムは何も言わずに私の手を上から包み返し、ぎゅっと抱きしめる力を強くしてくれた。
「───という手紙のくだりから『月が綺麗ですね』は『愛してる』の意味になるの!」
「それはとても美しい素敵な話だな」
「ええ、とっても」
話し終えるとカラムは笑ってくれた。
あれから暫くして腕を組んで歩き出した私はカラムに事の真相を話した。
「でも本当に今日は月が綺麗ね。いつもよりも近くにいるから、光が強くて足元もちゃんと見えるわ」
「そうだな」
「ふふっ」
「どうした?」
「今幸せだな、って思えたの」
「そうか、私はいつも幸せだと思っているよ」
カラムの腕に戯れつけば頭にキスが降ってくる。これを幸せと言わずなんというのだろうか?
絵本ならここで一曲ダンスを踊るのだろう。
月光の下、王子様とお姫様が互いを愛し合う為にダンスを踊る。
それはとても夢のような世界だ。
カラムなら一緒に踊ってくれる、と確信している。誘おうと口を開く前に、別な疑問が頭をよぎった。
文豪のあの手紙の返し、もしカラムだったらどう返すのだろうか?
「ねぇ、カラム」
「ん?」
「カラムなら手紙の返事はどう返すのかしら?」
赤茶色の少し吊り目をいつもよりも大きくし、片手を顎にやり月を見つめて考え始めた。
私もそんなカラムに並び天高い月を見上げる。
青白い月の明かりがカラムと私を照らしている。
しばらくしてから再びカラムを見上げるもまだ熟考している。
やはり難しいかしら?そう思いながらもカラムからの素敵な返事を期待してしまう。
毎日「好き」「愛してる」を言葉でも行動でも十分示してくれるカラムに、たまには別の答えが欲しい、なんて強欲な我儘だと自覚はある。
それでもカラムになら強請ってもいいと思ってしまうのは、これまでの日々相当甘やかされて来た結果だ。
だって今夜もこうやって難題を突き付けた私に真正面から付き合ってくれているのだから。
もう少ししても出ないようなら諦めようと思っているとカラムが手を顎から外し、一度前髪を払い私を見た。
真っ直ぐで真剣な赤茶色の目と目線が合えば吸い込まれてしまいそうになる。
──ああ、私の〝月〟はここにある。
何故か自然とストンとその言葉が心に落ちた。
先程カラムを月に例えたからだろうか?
天の美しい月は私を照らしてくれるだけだ。
だがカラムは隣にいていつも私を支え助けてくれる。
〝今なら手が届くでしょう〟
その返しが思い出された。間違いなく妥当な返しの1つだ。
「待たせてすまない。少し返しとしては外れているが、聞いてくれるか」
「ええ!もちろんよ!」
心はワクワクが止まらない。早く聞きたいとカラムと繋いでいる手にもう一方の手も重ねる。
カラムは1つ頷いて徐ろに私と繋いでいた手を引き寄せた。ポフっとその逞しい胸に収まり、カラムの腕が私の背中に回り、カラムの唇が私の耳に寄せられたのが気配で分かった。
「プライド」
耳元で囁かれた低く甘い声が息が私の耳を擽った。何?と顔を上げれば優しい赤茶色の目が私を見下ろしていた。それがカラムの返事だと気付いた時には、カラムの両手が私の脇の下辺りに入りそのまま身体を高く持ち上げられた。
「キャッ!!」
そのまま回転し私の身体で月を隠すように掲げられた。
「カ、カラム!?」
落とされることは無いと確信しているが、子供を高い高いするみたいな格好に恥ずかしさと子供扱いにムカつきが込み上がる。一方でカラムは私の影に入ってとても楽しそうだ。
「プライドはいつも輝いていて眩しいから月の明かりくらいが丁度いいな」
私の真っ暗な影の下で何を言っている、これではお互いに顔が見えない。そんな文句が頭に浮かぶも軽々と私をお姫様抱っこする体勢に変えられて反論する機会は失われた。条件反射のようにカラムの首に腕を回せば、さっきまでより近くでとても楽しそうな赤茶色の目で見つめられた。結局文句も何もかも、その愛しいものを見る目を見たら言えなくなるのだからズルいと思う。
「空の月がどんなに綺麗でもそれは地上の者全てに等しい。それを愛でるのもいいが、やはり私だけが知る特別な貴方を愛でたい。甘えてくれるプライドは誰にも見せたくない程愛らしい。そんな貴方は私だけの月だ。唯一私が君を独占出来るのもこの夜の時間だけなのだから。君と過ごせる今の時間全てに私は幸せを感じている。そんな君の名前以上に『愛を込められる』言葉は私の中には1つもなかった」
「〜〜っ」
「愛している〝プライド〟」
頬が熱くなり頭がクラクラする。
結果、カラムも私を月に例え、手に出来たことを喜んで幸せを感じている。
同じ事を考えていたことは嬉しい。でもまさか、言葉だけでなく行動でも私を振り回すなんて。
こんなにも嬉しいこと、私が喜ぶことを常に考えてしてくれるのが、嬉しくて何も言わずに首に抱きついて顔を隠す。そしたら耳元で愛しい声で名を呼ばれた。それがどれだけ嬉しいかカラムは知らないだろう。
嫌いだった傲慢な名前、だけどカラムからそんな事言われたら嫌いなんてもう言えなくなる。
まさか名前で返されるなど考えてもいなかった。
でも長い熟考の後にその言葉以外浮かばなかったと言われて嬉しくないわけがない。それに
──名前は私という存在を示す不変なものだもの。
名を変えるという事も今後あるかも知れない。
だが私が私であり真名を問われればやはり〝プライド〟と答えるだろう。
私は間違いなくプライドなのだもの。
下を向いていたら泣きたくなって、無理矢理上を向いた。空高くには今も変わらず月が輝いている。
「……やっぱり悔しいほど、月が綺麗ね〝カラム〟」
「ははっ、ああそうだな〝プライド〟」
「私も数え切れない程カラムの名前を呼ぶわ。だから私の名前ももっと呼んで」
「それはとても楽しみだな。私はますますこの世で一番の幸せ者になれるようだ。プライド」
私をお姫様抱っこしたまま喜ぶカラムは本当に嬉しそうで目尻がこれ以上下がさらない程下がっているのではないかと思う。
騎士の時には絶対に見せない顔だ。
「そんな顔、私以外の前では見せないでよ。カラムのそんな顔を見ていいのは私だけなんだから」
「はは、分かったよプライド」
独占したいのは私も同じだ。
「カラム、寒いわ」
「ん?もうそろそろ戻るか?」
「うん。だから──」
カラムの耳元に唇を寄せる。
「温めて?」
ピクッと私を支えるカラムの指が震えた。
私は悪い子だ、でもそれはカラムも一緒。
「かしこまりました、愛しきプライド姫」
おでこを合わせられ意地悪な笑顔で答えてくれた。
「その前にまたさっきのやって。突然で楽しめなかったわ」
「落とされるとは思わなかったのか?」
「カラムが私を落とすわけないでしょ?」
幼い頃は誰もしてくれなかった子供の遊びを、まさか、成人し婚姻をした後に楽しむなど考えもしなかった。
でもカラムは楽しそうに私と遊んでくれる。
騎士でもあり、怪力の特殊能力を持つカラムならこんなお願いも簡単に叶えてくれる。
カラムと付き合ってからというもの、心が満たされて仕方ない。子供の頃から欠けていた部分が埋まっていくのを感じれば感じるほど私はカラムを深く愛していくのが分かる。
カラムといつまでもどこまでも手を繋ぎ共に歩いて行きたい。
秋の月は手を繋いで共に歩く2人の足元を優しく照らし続けていた。