常闇と眼 薄暗い部屋の中、ベッドに横たわる。いつもなら一人のベッドだが、今日は真横に牙頭がいた。寝る前に話の流れで寂しいなと言ったら一緒に寝ると言ってくれたからだ。向き合う形になって牙頭を見つめる。こちらに向けた目線が少し下にずれた。
「ねぇ、こっち見てよ」
「なんでだよ。別にいいだろ、どうせ見えてねぇんだし」
「そんなことないさ。今だってほら、ちゃんと見えてる」
じとりとこちらを見た目の下がわずかに赤く染まっているのをなぞる。ぴく、と動いた筋肉が、それが間違いではないことを伝えていた。そのまま指を後ろまで動かして金色の髪を梳く。解かれた髪を触るのは随分と久しぶりなような気がした。絹糸のようにさらりと手から流れる髪はよく手入れされているのが分かる。
「やっぱりガッちゃんの髪は綺麗だよね。どうやってるの?」
「今度、教えてやるから。ほら、もういいだろ。寝るぞ」
「つれないなぁ」
くるりとこちらに背を向けてしまった牙頭の背中を見つめる。まだ寝るには眠気が足りなかった。先程と同じように髪を掬う。ライトを反射して少し赤っぽい髪が艶やかに光った。漆原と同じ匂いのする髪だった。それもそうだ、同じ家に住んでいるのだから。そのまましばらく髪の毛で遊んでいると、牙頭が再度顔だけでこちらを向いた。
「それ、結構くすぐってぇんだけど」
「だって、ガッちゃんが話し相手になってくれないじゃないか。だからこうして髪で遊んでるんだ」
「分かった、話してやるからそれやめてくれ。で、何話すんだよ」
体の向きごと変えて、本格的にこちらを見据えられる。話してくれないからと言ったはいいものの、特に何も話すことはない。もう先ほどリビングで話し切ってしまった。何を話そうかな、と牙頭の顔を見ながら考える。ふと、牙頭の目に意識が向いた。こうして至近距離で見ると、本当に綺麗な瞳だ。
「ガッちゃんの目って綺麗だね」
「なんだ急に。そうでもないだろ」
「いや、すごく綺麗だ。とても価値のあるものだと思うよ」
桃色の虹彩が表面を覆う涙に濡れてしとりとこちらを向いている。真っ黒な瞳孔にそのまま吸い込まれてしまいそうなほどに神秘的な魅力があった。眼瞼が虹彩にかかる。牙頭が笑っていた。
「なんだよ、そんなに見つめて。なんか恥ずかしくなってくるな」
「そうか?僕はなんとも思わないけどな」
「そりゃお前は見てる側だからな。もういいか?」
「いいや、もう少し見させてくれ。こんな機会じゃないと見れないだろ?」
「そーかよ。んじゃ、満足するまで見てくれ」
再度からりと笑った後に目を開く。案外まつげが長いんだな、とか、ずっと目を開いてくれているからか生理的な涙が出てきているな、とか。些細なことでさえはっきりと見えた。牙頭の頬に手を添えて顔を近づける。何度見てもやはり綺麗な虹彩だな、と思った。人によって虹彩のしわは違うらしいが、牙頭のものが一番綺麗だと思えるほどにその魅力に憑りつかれていた。
距離を近づけるにつれて桃色の虹彩がかすかな赤みを帯びていることに気づく。その赤さが照明の者ではないと気づけたのは、間に入る照明の光がかなり減っていたからだった。少し離れて再度覗き込む。牙頭が目を背ける。それによって違う角度から照らされた虹彩は、別人かのような様相に変わった。それがなんとも面白くて、自ら顔を動かして覗き込んだ。
もうそろそろいいかな、という頃に牙頭の手で目元を隠される。剥がそうとしても強い力で抵抗されてできないのでおとなしく理由を尋ねた。
「なんでこんなことするのさ」
「何でってテメェ……わかんねぇのか」
「分からないな。ガッちゃんの顔が見れないのは寂しい」
「そーかよ。もうさすがに満足しただろ、俺は寝るからな。おやすみ」
手が離されると同時に牙頭が反対側を向いてしまった。背中をつついても声をかけても反応はない。きっと、もう話さないという彼の意思表示だろう。こちら側から見える左耳が赤いのは、照明のせいということにしておこう。触れたら機嫌を損ねてしまうかもしれないから。本当に寝てしまった牙頭の寝息だけが寝室に響く。時間が経つにつれて少しずつかすんでいく思考に身を任せて、瞼を閉じた。