商品名:ハートラッシュチョコキュア(仮題)二月十五日
普段通りの朝だった。いつものようにエリザベスを伴い街を歩き、困っているご老人がいれば声をかけ簡単な手伝いをする。
こういう瞬間が、なんだか心地よくて、やはり人助けは良いものだなと実感するのだ。
その後、俺たちはそのまま歩き続けた。
ふとエリザベスが足を止め「桂さん、自分はここで」と、手に持ったプラカードを掲げた。
何も言わずにその姿を見ているとまた新たなプラカードが出される。「家に昼食の用意があるので、今日は一旦戻ります」
そうか 今日もふたりでそばでも食べに行こうかと思っていたがしょうがない。こういう日もあるだろう。
「じゃあ、また後で」俺はそう言って、彼の背中を見送った。
エリザベスは足早に去って行き、ほんの少しの間、一人残される。彼の姿が見えなくなるまで、その場に立って静かに見送った。
なんだかそばを食いに行くのも億劫になってしまった。
一人で飯を食うのはいつまでたっても慣れない。
適当に食うかといつもは足を向けないコンビニの自動ドアをくぐった時
目に飛び込んできたのは、白いパッケージに赤いリボンがかけられたチョコレートだった。
世はバレンタイン。そして来月はそのお返しを渡す日としてこの国で広く知られるようになったのはいつ頃だったか
周囲のきれいにラッピングされた商品に埋もれるようにして、まるで自らを主張するかのように佇んでいるソレを、思わず手に取ってしまった。
今日は15日だが、どうやら値切りはされていない。来月もあるしセール品になるのはだいぶ先の話だろう。
普段なら目もくれないようなイベント事の商品であるはずなのに、なぜか心がざわつく。
自分でも理解できない理由で、レジに向かうことに決めた。
「これください。」
レジで購入したばかりのチョコを受け取ると、何か特別な意味を持つかのように感じる。
何故だか人に見られたくないと思い、急いで家に戻った。
静かな畳の上にチョコを置き、まるで神聖な儀式を行うかのように、向かいに正座をした。
「いや、なんで買ってるんだ俺は…」
独り言が静寂を破った。自分に問いかける。
心の中で、様々な原因が渦巻く。
坂本が先日持ってきたチョコのことを思い出した。
『ハートラッシュチョコキュア』とかいう面倒ごとを招きそうな代物だ。
どういう判定で、どういうタイミングであんなハート乱舞することになるのか
深く考えたいと思えず結局「カジュアルな見た目にしてはいるが、好意が数値化されてるのが見えるなんて争いの種にしかならん」と小言を言って帰ってきたのだ。
あの時、銀時はハートが勝手に乱舞する代物だと思っていた。というか思わせておいた。
俺は銀時が好きだ。
どういう好きなのかを、形容したことはない。
ただ、他のやつに抱く感情とはまた別のものであって銀時にしか感じないものだ。
今まで別にその感情を持て余したことはない。
会いたいなと思えば会いに行くし、
ムカついたら文句を言うしやり返す。
ただ面と向かって本人に「お前が好きだ」と伝えるのは違うと思って今まで生きてきた。
本人に伝えたらなんと返ってくるか、よく理解しているからだ。銀時はきっとこう言う。「キモい」
つまり俺が銀時を見てハート乱舞するのはわかる。癪だが。
あの日、
俺を見つめながらハート乱舞した銀時の心のどこに俺に対する好意があったのか、いまいち噛み砕けずにいる。
「まさか、俺もチョコに影響されるなんて…」
思考を巡らせる。今までの生活には、こんな甘いものは必要なかった。
攘夷に追われ、死と隣り合わせの革命家として生きていた自分には関係のないものだったのだ。
でも、このチョコを見た瞬間、何かが変わった気がした。
「いや別に、これを渡すことで、関係が変わるわけでもない」
チョコレートなんて、ただの甘いお菓子に過ぎない。
しかし、心のどこかで期待が膨らんでいた。
思わず、パッケージの赤いリボンを撫でる。
変わったのは、きっとコレを銀時に贈りたいと思った俺の気持ちの方だ。
「いや…」
さすがに、な
新たな一歩を踏み出すには時が経ちすぎた。
自重するように笑って懐に仕まう。
まるで自分の気持ちにも蓋をするような心持ちだった。
昨日のことで少し、浮ついていたんだ。
言い訳をするように心の中で呟き目を閉じた。
もう飯を食う気になれそうにない。
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昨日 二月十四日
「邪魔するぜー」
いつでも逃げられるようにと戸締りをしない習慣が昔から抜けないせいか
簡単に玄関が開けられる音とよく聞いただるそうな声がした。
銀時だしいいか。そのまま部屋でテレビに視線を向けたまま無造作に中へと足を踏み入れ床を鳴らす足音を聞く。
その足取りは、どこか重そうで、まるで疲れ切った様子だ。
「なんだ銀時、こんな時間に」
草木も眠る、とまではいかないが遅い時間だ。
軽く眉をひそめて顔を上げ部屋にやってきた銀時を見る。
「昨日からバレンタインチョコだなんだって四六時中甘いもんに囲まれたから流石に塩気が欲しくなってよ…」銀時は言うと、勢いよくテーブルに手をついて不躾に言い放った。「飯くれ」
少し驚きつつも銀時を見た。
甘党の彼が、まさかここに来るほどまで甘いものを避けるとは思ってもみなかったからだ。
「甘党のお前には両手をあげて喜ぶ日では?」
「勘弁しろって」
銀時は肩をすくめながら反論する。
「朝から素人もんに得体の知れない劇物にダークマターにまで囲まれたら流石の銀さんも白旗もんだっての」
思わずふっと笑いを漏らした。
今の言葉で誰がどこでどんなふうに今日というイベントを楽しんだのかが容易く想像できたからだ。
そして銀時らしい言い回しに、どこか安心したような気分にもなる。
あとでゆっくりとリーダーたちのことを聞くとしよう。
「しかしお前は鼻がいいな。」桂は少し感心した様子で言った。「今日はエリーと手巻き寿司ぱーちーをしたのだ。」
目を輝かせる銀時を横目に膝を上げると台所へと向かう
「マジ?」と、すぐに後ろから食い気味に聞こえる。「ネタは?」
本当に朝からまともに食えていないのかもしれない。俺はまた笑った。
-
残った酢飯に、手巻き寿司に使ったネタを乗せ、簡単な丼を作ってやれば銀時は瞬く間にその丼を空にした。
「おいついてるぞ」と桂が言うと、銀時は一瞬だけその言葉に反応した。
毎度のように銀時の口端についている米粒を指でつまんで、拭おうとしたが動けなかった。
こちらを向く彼の目が、まるであの時のハート乱舞のように感じられて思わず動揺したのだ。
あの時の甘い気持ちが無意識に脳裏をよぎり、手が止まった。
「あ?なんだよ、とるならとれって。」
直前で止まった桂に、銀時は少し訝しげにその目を向ける。
お母さんモードで「あんたはまたモ〜」なんて言いながら、米粒を拭ってやったに違いない。いつもなら。
ふと我に返ったのだ、俺はどれほど無意識のうちに銀時に近づいていたのか?
いつの間にかこの幼馴染との距離感が記憶以上に縮まっていたことに客観的に驚いていた。
気づけば、口端からはもう米粒は消えていた。
さすがに友人にしては気を許しすぎではないか?
ある疑念が、俺の中で膨れ上がっていく。
あのハートの量は、
もしかして、
銀時も、
俺と同じで、
頭の中に浮かんではすぐに打ち消していく。けれど、感情は消えず、心の中でそれが渦を巻いていた。
「ヅラ?」
銀時が自分の名前を呼んだとき、ハッとして顔を上げた。恥ずかしい妄想をしていたことに気づいて、顔が火照ったのを感じる。
「すまん、なんでもない。」慌ててそう言うと、視線を少し外した。
「お前、あのチョコ食った時もおかしかったよな。」
あのチョコ がどのチョコを指すかは明白だ。
胸の中で一瞬、ざわりとした感情が走った。
まさに自分の考えが悟られているような一言に肩が跳ねる。
「心配せずとも、1週間前だ。さすがにあのチョコの効果ではない。」
少し苦笑いを浮かべながらも、その言葉を続けた。
銀時の目に影がかかったの見て案ずるなと伝えたのに「誰が心配してるつったよ」と嫌そうな顔をされた。
昔から表情ではなく、その深い瞳の中に浮かぶ感情が銀時の本心だ。
ずっと、そうやって素直じゃない幼馴染の心情を酌み量ってきた。だからこそ、あのチョコに負けたとは思いたくなかった。
俺すら知り得ない銀時の感情など…
あのチョコは試作品だ。
それに、もしかしたら、俺の感情が昂りすぎて銀時にも影響を与えてしまったのかもしれない。
心の中でぐるぐると思いが巡る。けれど、桂はそれを声に出さずただ静かにもう一度銀時を見た。
「皿は自分で洗えよ」
「はいはい…で、お前は?」
銀時は半ばあきれた顔で桂に尋ねた。
わけもわからず銀時を見つめ返す。
「は?」
銀時が少しイラついたように続ける「チョコだよ、チョコ」今度はご丁寧に手まで差し出してきた。
「もらったの?」銀時に迫られ、思わず肩をすくめる。
「豹柄の着物を召したご婦人に飴玉ならもらったが…」
「お前ソレ観光に来た大阪のオバチャンじゃねーか」
「あ」
思わず声をあげる
なるほど、そういうことか!
銀時がわざわざココに来た理由!
「リーダーからのチョコを届けに来てくれたのだな!?」
期待した眼差しを向けると思い切り頭を叩かれた。なぜだ。
会話の流れ的に間違ってないだろうに。
「まあこれがチョコの代わりでいいか」銀時はそう呟きながら皿を片付けることなく玄関の方へと歩き出す。
「え?ないの?」思わずその後ろを追いながら言った。「ねーよ、バーカ」
「お前、どーせチョコとか食わねえだろうから貰ってやろうと思っただけだよ。」銀時が不満そうに言う。
桂は一瞬顔をしかめた。
「辟易していたくせに、やっぱり食うんじゃないか。」
銀時はこれ以上小言は聞かないというように、だるそうに片手を挙げて帰って行った。
皿は結局、テーブルに残されたままだった。
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つづくとおもう 多分