悪いが忙しいから暫く会えないと連絡が来たのは帰国前夜のことだった。2ヶ月の海外任務を終えて久々に会えると浮き足立っていたところを頭から冷や水をかけられたような心地になる。あまりテンションが変わらないと言われるタイプなのにあからさまに顔に出ていたようでTUのメンバーから心配をされてしまった。
帰国後ニ週間は休みを取ったので帰ったら相澤の部屋に転がり込むつもりだった。とは言っても彼は授業があるので家事をやって、飯でも作って帰りを待つ程度だ。約束をしていた訳でもないので落ち込むのは御門違いだとはわかっているが、一応は恋人なのだから少しは会いたいとは思ってくれていないのか。それともやはり押し切られて付き合ってくれているだけなのだろうか。相澤は嫌いな奴に付き合う程人は良くないよと言ってはくれたが、その実気が済むまで付き合って心操が離れていくのを待っているのではないかという気もしている。
「海外出張の土産屋渡すだけなんで家行っていいですか。日持ちしないので」
30分前に既読になったまま返事のない画面を見つめる。悪い考えばかりがぐるぐるとめぐる。押して押して根負けさせてやっと付き合えた相手だからどうしたって不安になる。
元生徒というだけでなく15歳の年齢差で責められるのはどうしたって相澤の方だ。現役の、それも伝説の教師などと噂されていることもあり、自分のせいで彼が貶められる事は絶対に避けたかったので付き合うことは隠そうと言ったのは自分だ。相澤も特に異論はないようで、まあその方が無難だろうなと返された。だからA組の誰にも伝えていない。信用はしているが個性で聞き出されたら本人の意思など関係ない。少しでもリスクを減らしたかった。
個別に特訓をしてくれる程度には気にかけてくれていたから元々気に入られていた方だとは思う。けれど自分と同じような好意を抱いてくれているかというと悲しいけれどそれはない。精々絆されたというところだろう。
恐る恐るしたキスを受け入れてもらった時は思わず泣いてしまったせいでめずらしく狼狽えて慰めてくれたのも記憶に新しい。
聞きたいけれど聞けないことも沢山ある。ヒーローとしてのアドバイスは話してくれる。けれど相澤自身のことは滅多に教えてくれない。
高校時代はどんなでしたか、恋人はいましたか、俺以外にここに受け入れたのは誰ですか。
薄暗い感情が込み上げてきて深くため息をつく。
返事が待ちきれなくて結局相澤のマンションの下まで来てしまった。部屋には明かりがついているから今なら会えるはず。握りしめた手の中でスマホの画面が光る。
「悪いけど今日も遅いから」
ああ、ダメかもしれない。ぐらりと視界が揺れるような錯覚。このままフェードアウトするつもりなのだろうか。それとも今誰か連れ込んでいるとか。なんだかんだ推しに弱い人だから、そんな歳の差のあるガキなんてやめろと背を押されたら我に帰ってしまうかもしれない。
流石にここでインターホンを押す勇気は出なくて、ドアノブに紙袋を掛けてのろのろと踵を返すと後ろでドアの開く音がした。
「先……」
ドアの隙間からマスクをした相澤がこちらを見て目を見開いていた。
「えっ……先生大丈夫ですか!?風邪?」
「……そーだよ、体調悪いんだ。相手できねーから帰れ」
言い終わるか否かのところで咳き込んでしまいドアが閉めかけられる。
「待って」
無理矢理革靴をドアの隙間に差し込んで止めた。相澤が怪訝な目でこちらを睨んでくる。
「いつからですか?ちゃんと病院行きました?飯食えてますか」
矢継ぎ早に問いかけると距離を取るように後ろに下がられてムッとしてしまう。だいたいヤれないから帰れだなんて人のことをなんだと思っているのか。そりゃあ20代なんてやりたい盛りの猿みたいなもんだろうけど、余裕なくてガッついてだろうけど……。首をもたげてきた邪念を振り払うように力を入れてドアを引くと思ったより簡単に開いた。抵抗できないほど弱っているのか、よろめいた相澤が肩にぶつかるのを慌てて抱き留めた。
腕の中の相澤からは病人特有の匂いがする。体温もいつもより高い。鼻を鳴らすと胸を手で押された。
「お前ね、ほんとに風邪うつるから帰れよ」
「大丈夫ですよ明日から2週間休みなんで」
「……」
「忙しいって、もしかしなくても風邪移さないようにでした?」
「……お前体ってか声が資本だろ」
ヤキが回ったかな、現役だったら風邪なんて引かなかったのにと呟いているのは照れ隠しだろう。逸らされる視線に口元が弛んでしまう。
「何」
「いいえ、ほら中入ってください」
「わかったから離れろ」
風呂はいってねーんだよと言う相澤の髪に顔を埋めてにおいを嗅ぐ。
「ほんとだちょっとにおうかも」
上機嫌のまま笑うと調子に乗るなと脛を蹴られた。