寒椿(依名) 多分、上手く笑えていないのだろう。向かいの席の依島が怪訝そうな顔をしている。さて、この空気をどうしようか。名取は咄嗟に薄っぺらな笑顔と軽口を選択した。
「いえ、椿って、何か不吉なイメージがあるなあ、と」
目の前の茶菓子を示して言うと、依島があからさまに呆れた顔をした。ああ、完全に馬鹿にされている顔だと名取は他人事のように思う。
「椿は邪気祓いの木だぞ。お前、祓い屋としてそれはどうなんだ」
「あー・・・そうでしたね・・・」
そうだ、邪気払いの木だ。だから分家に植えてあった。祓い屋の家にあったなら、きっとそういう意味だ。
あの祓い屋の名残を色濃く残す家で、叔父夫婦は何を考えていたのだろう。祓い屋の家なのに、祓い人はいない。空虚で、空っぽで、張りぼてのような家に、どんな想いで暮らしていたのだろう。
振り払おうとして振り払えなくて、名取はぎこちなく笑みを浮かべたままで沈黙した。椿一つが何だというのだろう。たかが茶菓子ひとつに、何故表情を繕えなかったのだろう。今だって、こんな感傷ひとつ振り払えずに、何をしているのだろう。
ミツルという幻想が消えて、それは多分、名取の中にあった薄氷のような一族との繋がりを、決定的に砕いてしまったのだ。その罅割れを見ながら、名取は途方に暮れている。妖を祓ったとして、あの家であったことは無かったことにはならないのだ。
「名取。お前、椿の花言葉を知っているか」
「え」
名取は顔を上げた。依島は右手に湯飲みを持ったまま、名取の視線の先の茶菓子を見ている。つい、とその視線が名取の視線と重なった。
「『誇り』だ」
一瞬、頭が真っ白になった。
「誇り・・・」
たった三つの音を呟いてみる。泣きたい気持ちになった。泣きたかった。ここで泣ける程弱ければ、きっとこんなに苦しくはなかったのだろう。
「今日は、依島さんのお話が沢山聞けますね」
「叩き出すぞ」
依島が何故そんな話をしたのか、名取は聞かなかった。茶菓子は口の中でほろほろと溶けて、雪みたいに消えた。