薄皮一枚の陽炎(依名) テレビの中で隣の男が女優と唇を重ねている。恋愛ドラマなのは知っているが、当たり前で突然の展開に驚く。
「これは・・・ガーゼをしているのか」
「ガーゼ?」
依島の持ちだした単語に、名取は首を傾げ、ああ、と呟いた。
「いえ、直ですよ」
「すごいな・・・」
「ええ、すごいですよね。売り出し中の若手女優なんですけど、頑張ってました」
依島は横目で名取を見た。
「お前は気にならないのか」
「え?」
名取は画面に向けていた顔を依島の方に向けた。依島の顔を見て、先程の話の合点が言ったように頷く。ガーゼは、キスシーンで演者の口と口の間に挟んで、直に触れないようにするものだ。依島からしたら、仕事であれ親しくもない他人とキスするなんてことは考えられないのだろう。名取は再びテレビに視線を戻した。鼻先が触れ合う程の距離で、見つめ合う男女。男の頬を這う、ヤモリの影。
「だって、この距離でも、見えないんですよ」
蕩けた瞳で微笑む女性と、それを優しく見つめる男性。二人を映す名取の瞳には、何の感情もない。
「薄皮一枚触れたところで―・・・」
名取はその先を言わなかった。不意に腕を這うヤモリが視界に映って、依島はそれに手を伸ばす。手首から腕を登っていくヤモリを追いかけて、名取の腕を辿る。
「え、何、血迷ったんですか?」
名取が痴呆老人を見るような顔をする。
「俺が生きている内に」
依島は手を外し、ヤモリが袖の下に潜っていくのを見つめた。
「これが何なのか知りたいものだ」
「私より依島さんの方が長生きしそうですよね」
「不吉なことを言うな!」
名取は軽薄な顔をして笑った。テレビの中の男女は手を取り合い、暖かい場所へと歩いて行く。
俺が生きている内に。
見えずとも、触れあえることが幸福だと思える誰かと、どうか。