願いを乗せて【一章】火点し頃
「……今日の夜、ちょっとだけ付き合ってもらえませんか?」
橙色の光が差し込む、夕暮れ時のESビルのオフィス内で彼はそう言った。
いつもの穏やかな声。でも少しだけ、それが“特別な何か”を含んでいる気がした。
「遠くには行きませんよ。車で少しだけ。
目的地は……そうですね、“星の綺麗な場所”です♪ 」
――日は沈み、街の明かりが灯り始める頃。
つむぎはESの裏手にある駐車場で待っていた。
「今夜はきっと星がよく見えると思うんです。だから"輝きへと手を伸ばして"みたくなってしまって♪」
私は助手席に乗り、つむぎはラジオを流した。するとラジオから流れてきたのは今から行く場所にぴったりの"あの曲"、――“Galaxy Destiny”だった。
「……あ、えっと、偶然ですね!ほんとに。いや、たぶん……運命、ですかね?」
照れたようにつむぎが笑う。私もその言葉になぜか胸が高鳴った。
街を抜け、郊外へと向かって行く。
助手席の窓の外には、夕焼けの色を反射する家の窓達がキラキラと輝いていた。つむぎはハンドルを握りながら、ときどきこちらをちらりと見ては、口元をほぐす。
「……あの、急に呼び出したみたいで、迷惑じゃなかったですか?」
少し不安げに笑うその横顔。
いつもと変わらぬ丁寧さのなかに、どこかだけ不安の色が混ざっていた。
「本当はもっとちゃんと誘いたかったんですけど、なかなか時間が作れなくて……。」
信号で車が止まる。つむぎはウィンカーの音にかき消されないよう、小さな声で続けた。
「この前、Switchのリハーサルの帰りに……ふと夜空を見上げてふと思ったんです。誰かと一緒に、ゆっくり星を見たいなって。」
再びアクセルを踏む彼の横顔はなんだか少しだけ赤いような気がした。
【2章】黄昏時
空は徐々に橙色から茜色になっていった。
さっきまで走っていた住宅地も、今や田んぼに囲まれている。
「そういえば……今日、ニュースの占いで俺のラッキーアイテムが“星型のアイテム”って書いてあったんです。」
「だけど、生憎、星型の物は持ち合わせてなかったので、特に何もできませんでした。……でも、“星空”ってどうなんでしょう?ラッキーアイテムにカウントされると思います?」
二人の間に笑い声がこぼれる。
私にとって、この他愛のない会話がなんだか心地よかった。
「――もうすぐ着きますよ。
ちょっと風が冷たいかもしれないのでブランケットを持っていきましょうか。 」
目的地が近づくにつれて車内の会話は静かになっていく。しかし私の心はドキドキと高鳴り始めていた。
___やがて車はいくつかのトンネルを抜け、郊外の小さな丘のふもとに辿り着いた。コンビニも自販機も見当たらない、静かな土地。
あたりには、虫の音と風の音だけが優しく響いていた。
「ここ、以前SwitchのMV撮影の候補地として見に来た場所なんですよ。結局使われなかったんですけど……俺、この場所だけはずっと覚えてて……。」
そう言いながら車から降りたつむぎが持ってきた荷物は本当にブランケットだけだった。
「大げさな準備はいらないんです」と言って彼は、にこっと笑った。
階段を登り、頂上へ着くと二人は草の上に腰を下ろした。
街の光すら見えない、特別な場所。
見上げた空にはもういくつかの星がこっそり顔を出していた。
「ここから俺たちだけの時間が始まります。
ほら……目を凝らして下さい。最初の一番星、見つかりましたか?」
空がインクを垂らしたみたいに黒くなっていく。
プロローグが終わり、まだ誰も知らない物語がもうすぐ描かれようとしていた。
【3章】宵の口
「……あ、星が見えてきました。」
丘の上で肩を寄せ合う2人の影。
お互い、少しだけ体重を任せ夜空を見上げたまま、ふっと笑った。
「さっきまでちょっぴり曇っていたので見れるか不安だったのですが……大丈夫そうですね♪ 」
「こういう時って、なんだか運命を信じたくなりませんか?」
そう言って微笑んだ彼は冗談のようでいて、どこか少しだけ真剣だった。
――静かな沈黙と夜風が頬をかすめ、冷たく澄んだ空気が肺に満たされていく。
「星って、全部がただの光の点に見えますけど……どれも名前があって、意味があって、そして“空”の向こうから、今の俺たちに光を届けてるんですよね。」
彼の言葉はひとつずつ星に触れていくように丁寧だった。
そして、ふわりと彼の優しい歌声がふわりと耳を包み込んだ。
「銀河に描き出す、ホロスコープを重ねあわせて――」
普通は聴けることがないであろう、彼だけが歌う"GalaxyDestiny"は、なんだか特別な気持ちになれた。
「ふふっ……。やっぱり星空を見るとこの曲を歌いたくなってしまいますね♪ 」
「ちょっとアレンジとかを入れてみたりして"Galaxy Destiny 星空の下ver "なんてMV、どうでしょう?今度夏目くんに相談してみましょうか♪」
つむぎは目を輝かせながら空を仰ぎ続けた。
その横顔は夢を見ている子供のようで、でも確かな熱を持っていた。
「“たぐり寄せた夢と運命の旅へ出かけよう”って、
言葉にすると少し青臭く感じるかもしれませんけど……でも、こうやって空を見てると、ね。ほんとうに、そう思えるんです。」
「......この曲のように、誰かと想いを重ねられたら、それだけで世界はほんの少し魔法みたいに変わる……って。」
彼はブランケットの端を持ち上げて、そっとこちらに掛けた。
「……その。寒くないですか?楽しんでくれていますか?……って懐かしいセリフを言っちゃいましたね。」
寄せ合う彼の肩が小刻みに揺れた。
その揺れが私にとっては、とても心地が良かった。
「……君が隣にいてくれるなら、俺たちは……いや"俺"はどこまでも行けそうな気がします。夜空のその先も、まだ見ぬ星座の向こうも……」
つむぎは少しだけ遠くを見つめ、また優しく歌い始めた。
それはただたに口ずさんでいるのではなく、彼の願いそのものだった。
ゆるやかに流れる時間のなか、夜空はふたりの頭上で、そっと見守っていた。
【4章】夜夜中
夜が深まるにつれて星たちはよりはっきりと瞬き始めた。
空いっぱいに散らばった無数の光が、どこまでも広がっていく。
まるで、ふたりのためだけに用意された夜空だった。
「今日みたいな夜に、“運命”なんて言葉を信じても、バチは当たらない気がします。」
不意に、彼は手を伸ばしてブランケットの中の私の手を包み込んだ。
「星ってね、全部が見えるわけじゃないんですよ。
中には、もう燃え尽きてるのに、何光年もかけて届いてる光もある……。」
「つまりそれって……願いも想いも、時間を越えて、ちゃんと届くってことだと思うんです。」
星空の下、彼の瞳はまっすぐにこちらを見ていて、ぎゅっとこちらの手を握った。
あのとき、Switchとして舞台に立っていた姿とはまた違う、
夜に溶け込むような静かさでいながら、こちらを真剣に見つめていた。
「俺、今夜をきっと忘れません。この夜空も君が隣にいることも、ぜんぶ、ずっと覚えていたいって思ってます。」
その言葉の熱は星よりも強く、やさしかった。
「俺、今日までいろんな事に流されてきました。
でも……これからは、ちゃんと“選んで”いきたいんです。」
「自分の未来も、誰と進みたいかも、どこに行きたいかも。」
つむぎは笑った。
少し照れたように。でも迷いの色は見えなかった。
「……だから、この出会いを、“運命”って呼んでもいいですか?」
その一言が、夜空にそっと溶けていく。
まるで星になったのかのように。
ふたりの頭上でひときわ大きな星がゆっくりと流れた。
静かに、確かに、未来へ向かって。
つむぎの言葉に返すように私は小さく頷いた。
その時、ふわりと灯るような彼のあたたかさが胸いっぱいに広がっていく。
私も、この出会いを“運命”と言ってみたいと思った。
――END