マティ咎二本からっぽ
「あのさー相棒って何で俺の事好きなの?」
俺がそう尋ねると、双方違えた色の瞳がこちらをじっと見つめてきた。俺はこの瞳がちょっと苦手だ、純粋な好奇心の塊、何も見逃すまいとする見透かされたような瞳。
「うん?」
しかし返されたのは良くわからない、と首を傾げた相棒の姿だった。こいつはいつも行動が少し、いやかなり幼い。
「相棒はさ、俺の過去…俺の事なんも知らないじゃん?なのに――」
「俺知ってるよ」
遮られた言葉に「はぁ?」と言うと、「んー」と言いながら空を見つめた。
「マティアスはねー、ちょっと調子に乗りすぎちゃう事はあるけど明るいし、重い雰囲気を事前に防いでくれるよね」
「いやそういう事じゃなくて」
やっぱりこいつ、何もわかってねーやと、寄せられた眉間の皺を見た相棒が「まぁ聞いてよ」とでも言いたげに続ける。
「口でおちゃらけててもさ、ちゃんと人を思いやれる。自分に出来る事の分をわきまえてる。戦闘中とか結構冷静だし、回復も的確に飛ばすね。エルフリーデには前に出すぎって言われるけどさ、俺、知ってるよ。マティアスがどれだけ周りを冷静に見てるか、前に出るのだってさ、俺が無茶してるからだよね?」
「お前わかってるなら」
ため息と共に思い切り呆れた表情でそう言うと、相棒は悪戯を見つかったような顔をして笑った。
「俺が前に出れるのは、無茶できるのは全部マティアスが居るからだよ」
「便利な回復役ってか?」
「あはは、それもあるけどさ」
「お・ま・え・なぁ!!」
「それもあるけど、違うよ、俺はね、からっぽなの」
コロコロと笑う、楽しそうに話す声に少しだけ真剣な声が混じる。ふざけた事をぬかした相棒に食らわしてやろうとした拳骨が力が抜けてストンと落ちる。目を細めた相棒は、次ぐ言葉を探しているようだった。俺は訳がわからず、つい出てしまった「は?」という言葉に相棒は苦笑する。
「俺、からっぽなんだ、何も無いの、穴が空いたグラスみたいで、でもマティアスがそこに色々詰めてくれたんだよ」
「は…え…どういう事?俺が何したって…?」
訳が分からない、訳が分からないのだ、こいつは。言葉の取捨が異常に下手なのだ。皆こいつが何時でも静かに笑い、少ない言葉でも明るく勇気付けてくれると思っているようだが、深く付き合えば付き合うだけ見えてくる。単語は的確なので短い言葉ならば落ち着いた大人に見えないことも無い、だが長く喋らせるとこうだ。つまるところ一言でいうと頭脳だけは明晰なくせに幼稚なのだ。伝えたい単語が沢山あるようだが、接続詞が思い浮かばないらしい。
「人格…んー記憶?そういうのがさ、からっぽなの、睡眠学習とか、それは俺の経験じゃないじゃん、無理やり詰められてるの、偽物」
相棒は、笑う。言ってる内容は結構ハードだ。無理するなよ、無理に笑うなよって言いたいけど、口の中が乾いてしまって言葉が詰まる。
「だから俺は、からっぽだった、目を開いたら何もなかった、何も感じなかった。ウーヴェは色々教えてくれたけど、俺はどうしていいかわからなかった、でもマティアスが普通に接してくれたから」
言葉を切る、そして少しだけ視線を俺から外す。ゆっくりと瞬きを一回。次の言葉を考える時こいつが良くやる癖だ。この癖の後は大抵こいつにとって大事な事を言う、という事はなんとなくわかっていたので俺も言葉を待った。いや、そもそも何も言えない状態になっては居たのだけれども。
「俺の事面白い奴だって、相棒だって、そう呼んでくれたから、俺、初めてからっぽは怖い事なんだって思った、からっぽでいちゃいけないんだって思った。ベアトリーチェとか皆、俺の事お人好しだとか優しいとか言うけどさ、俺がそうなのはマティアスが俺にそう接してくれたからなんだよ」
血みたいに真っ赤な瞳とWill'Oの影響で染まった青い瞳が、まっすぐにまっすぐにこちらを見てくる。だから、やめろって。俺その目苦手なんだよ。だって見られたら絶対逃げられないだろう。と関係ない言葉が頭の中でぐるぐるとまわる。
「だから本当に優しいのはマティアスだし、お人好しなのもマティアスだよ、俺はただの模倣、マティアスみたいになりたかったのに俺はからっぽだったから、何も無いから、なれなかった」
あぁ、と思う。あぁだからか。こいつはブレーキがきかない事が多い。自衛をしない。誰にでも手を差し伸べるというお綺麗で高尚な思想を持ってるのに、純粋さ故に決して自分をそこに入れない。こいつは自分を助けない。博愛主義者の自己犠牲とかそういうものなのかと思っていた、でも違う、こいつは本当にからっぽだったのだ。これをやったら自分が傷つくかもしれない等と言う事を考えないのではなく、考えられない。自分というものを、その形を許容しない。利己的になれない訳じゃない、利己的という言葉すら理解できていないのだろう。愚鈍で可愛そうなお人好し。
「だから俺、マティアスの事、一番好きなんだ」
まるで刷り込みじゃないか、とかそれは恋愛じゃない憧れだ、とかそんなくだらない事言いたいわけじゃないのに、意味の無い言葉が頭の中でぐるぐる、ぐるぐるまわる。何時の間にか噛んでいた唇から血が出たのか、口の中に鉄の味が広がる。告白を受けたのに、好きだ、と言われたのに、何故俺は今こんなにも悔しい思いをしているのか。
自身には関心が無いのにこちらの機微には敏感なこいつは黙ったまま俯いている俺を見て、困った表情をして「泣かないでよ」と言った。
俺は自分の方が泣きそうな顔してる相棒に「泣いてねーよ」と返すのがやっとだった。
晴天なり
その日は晴天だった。珍しく早目の時間にボランティアが終了し、ガソリンで飯を食うにもまだ腹も空いていない時間だったので、モザイク街にある廃ビルの上で、ボランティアに同行してもらっていた相棒と喋っていた。
今日のボランティアの戦果から始まり、最近の仲間の様子やガソリンの新メニュー、昨日見かけた可愛い女の子の事等、聞き上手な相棒との会話に話題は尽きない。抑圧された咎人生活に、こうしてのんびりとした会話を出来る時間というものは貴重だ、俺はそののんびりとした時間を他の誰でもなくこうして相棒と過ごすのが好きだった。
時刻が夕刻に差し迫り、そろそろガソリンに移ろうぜと声をかけようか等と思案していたところ、それまで途切れる事の無かった会話がふつ、と途切れた。あれ、と思いそれまで虚空を見上げていた視線を相棒の方に移すと、廃ビルの下の路地裏を見たまま固まっている。
何事かと思い、よくよく目を凝らすと、男女が二人こそこそと、だが大胆に絡み合っている姿が見えた。それを見た俺の隣ではあんぐりと口を開けたまま、それでも視線を逸らすことが出来ずに居る相棒の間の抜けた姿がある。
短い付き合いではあるが第一情報位階から一緒に這い上がってきたこの銀髪の咎人は、子供じみた部分はあるものの妙に落ち着いているアンバランスな奴だ。記憶を失ったが故か経験からくる知識が少なく辛い思いをする事も多々あったのだろうに自分の中の子供を受け入れた上でのんびりと微笑んでいる。そういう所が未だ虚勢を張ることしかできない俺よりずっと大人に見え、たまに羨ましくなるのだ。
そんな物事にあまり動じないこいつが、こんな顔をしているのは珍しく、俺は見付けてしまった事案よりもそっちに気をとられていた。
「あれって…さ」
こちらに気付いた相棒は、ウーヴェに説教されるためにガソリンの椅子に座った時よりも居心地が悪そうな微妙な表情だ。
俺も多分、相棒から見たら同じように変な顔をしていたんだと思う。
「あぁ~…アレだろ」
非合法繁殖行為
「だよねぇ…」
相棒の顔色は特に変わらないが、男女の合体をモロに見てしまったようで口許は大いにひきつっている。俺は頬に熱を感じたが、顔色の変わらない相棒の手前、虚勢を張っていたかった。少々色黒の肌がこんな時はありがたく思える。
「うわぁ~なんかすっごいね?ほらあれあんなん入っちゃうんだね、あれってそんな気持ちいいのかなー」
「こっちに振んな!見んな!実況すんな!」
こちらに対しての空気をひたすら読まない暢気すぎる声が響く、幸い男女は路地裏で行為に熱中している為廃ビルの上に居る俺達が騒いでいても気付きそうになかった。
いや、いっそ気付いてやめてくれればこんなに居たたまれない気持ちにならずに済んだのかもしれないのだが。
隣では純粋な興味心からなのだろう、照れもせずに淡々と少々の嫌悪感を込めた表情で相棒が覗きにせいを出している。多分こいつはこの情交を見て発情する所まで性に対する感情がついていっていないのだろうな、と思う。こいつは妙なところで純粋過ぎる子供なのだ。
「マティアスはアレしたことある?」
「ねぇよ、どうせ俺はキスすらしたことねぇ!悪いか!?」
「いや、俺も無いからさ…って何でそんな怒ってるの?」
こちらの気も知らないで滔々と相棒がご機嫌伺いをしてくる。今の世の中こんな事を聞かれたら誰だってこうなるだろうがと思ったが、この子供じみた相棒に言っても意味のない事なので出かかった悪態を呑み込む。こんな無邪気な好奇心の持ち主にわかってくれという方が無理なのだ。
「お前にそんな経験あったら、俺は凹んで地に沈むわ」
「む、もしかしたら記憶を失う前はモテモテだったかもしれないよ?…多分無いけど」
確かに相棒は顔の造りだけは綺麗だし、背の高さに比べると俺よりはるかに華奢な体つきも顔の造りとはバランスが取れている。気にしているのか最近は着膨れする服ばかり着て綺麗な顔も伊達眼鏡で隠しているが、支給服を着ていた時は女かと思ったレベルだ。つまるところ誰がどうみても中性的ではあるが美形なのだ。それは認めるが多分まぁ無いだろうと思う。
記憶が無くなる前の相棒の事をウーヴェから多少なりと聞いていたが要約すると性格的に多大に問題のある人嫌いだった、とのことだ。それで性行為だけは経験があったりしたら俺は悔しさで泣くしかなくなっちまうだろうよ。
「まぁ…潤いがねぇ社会だしなぁ…」
「そうだね、とっとと刑期返上して人生で一度くらいはキスしてみたいねぇ」
そこで繁殖行為をしたい、という発想に至らないのがこの大人子供なのだ。
「お前でもそういうのってしたいもんか、なんか意外だな」
「んー、興味はあるよね?あんな風に違法なのに隠れてでもしたいって思える程とかどんもんなんだろうねってさ」
その返答を聞いたら悪戯心が湧いてくる、それと同時に頭の何処かで物凄い音量の警報が鳴っている。
その先はダメだ、引き返せなくなる前に戻れ、と。
それでも俺は沸き立つ好奇心に負けてあっさりと警報を無視する。相棒を見るとヘラヘラとした表情で何が可笑しいのやら微笑んでいた。その何時も落ち着いた顔を驚愕させてやりたかったし、何よりどんな返答を返すのか興味があった。
「じゃ、俺とする?」
俺が精一杯の作り笑顔でそう言うと、相棒は一瞬だけ瞳が大きく開いた。でも一瞬だけだった、すぐに何時も通りの笑顔に戻り「いいよ」とふわりと答えた。
あぁ、思った通りの返答だなと俺は思わず心の中で苦笑した。
廃ビルの手摺に体を預ける相棒の目線は俺より幾分か低い、普段何かと頭を撫でたりしてからかわれる程度に背が低い俺にはありがたかった。
相棒は何時も通りの表情で黙って微笑んで俺を見てる、多分俺の方が「マジでとんなよ!?」とか言って慌てると思ってたんじゃないかな。
でも俺はさっき鳴った警報の正体にとっくに気が付いていたし、気が付いた上で無視をしたのだ。
そう、俺はもうとっくに気が付いていた。コイツが気になって仕方がないんだってことに。
だから悪いとは思うがこれはチャンスだと思ったんだ、こういう言い方をすれば冗談好きな相棒は必ず乗ってくる、きっと俺の欲しい返答をくれるだろうと。
それでも男同士という点を考慮すれば拒否される可能性もあったのだが、コイツは見事に引っ掛かってくれた。
ふいに伸ばした手を頬にかけると、相棒は「あれ」と言いたげに少し首を傾げた。そして「あ、本気なんだ?」と言って悪戯好きの子供を見るような表情で困ったように笑った。
「目、ちゃんと閉じろよ」
俺がそう言うと視線を落とし「んー」と何か考えていたが、すぐに言われた通りに目を閉じた。そこまで嫌という訳でもないようだと思ってちょっとホッとした。ここで物凄い嫌そうにされたら流石の俺でも凹む。
頬にやった手が異常に熱を持ってる気がして、相棒にも伝わってるのかなと思うと少し気恥ずかしかった。俺も相棒みたいに手袋すればよかったのかなと思ったが、今直接触れられないのは損だよなと思い直す。
顔が近付く度に睫毛長いなとか肌が白いなとか唇は温かいのかなとかなんだかもう色々な言葉が浮かんだが、振り払うようにぎゅっと目をつぶって夢中で口をくっつけた。だが、ガチンと歯が当たる音がしてつい「あ」と声に出して目を開けたら相棒もポカンとした顔をしてた。
「て…テイク2!?」
俺が慌ててそう言うと相棒は堰を切ったかのように腹を抱えて笑いだした。
「マティアス、それ、面白すぎ」
目に涙まで浮かべてヒーヒーと笑う姿はもうなんというか小憎らし過ぎて荊で縛り付けてやりたかったが恥はかき捨てと言い聞かせて我慢した。
「いいから、させろよ」
俺が拗ねたようにそう言うと相棒は涙を拭きながら「テイク2いいよ」と言ってまたクスクスと笑った。