140字 くく竹詰め死ぬまでの君を全てください
「関わったらさいごまで、なんだろ」
包帯の上から深い傷をなぞる兵助の指は震えていた。すこし強く押されて痛むけれど、呻き声は上げられど身体はまだ動かせない。
「ならさいごまで一緒にいてくれよ。目の前でさ、俺ちゃんと見てるよ。だから……」
血が巡らずに冷えた指先に、やはりまだ震えている指が絡む。こちらは怪我なんてしていないはずなのに同じくらい冷たかった。
「俺が見てないところでいなくならないでよ」
包帯に染みる雫だけを熱く感じた。
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優しくしないで
「――でさ、そのとき虎若が……っと、あぶね」
横並びで歩いていた廊下の、曲がり角の向こうに小さく忙しない足音が聞こえる。隣にいた兵助をぐいと掴んで自分の身体に抱くように寄せれば浅黄の制服が何人もすいませえんと駆けていった。
「廊下を走るなー! ……わり、大丈夫だった? ……兵助?」
腕の中、兵助が顔を押さえて何事か呻いている。よく聞こえないので「どうした?」と耳を寄せればぎょえ、だかひえ、だかの奇声が漏れた。
「兵助?」
「あ、あの、その、は、離れて」
「へ? あー! 悪いな」
掴んでいた肩を離して距離を取れば、兵助は耐えかねるように膝を崩した。俯いた顔を覆う黒髪から覗く首が赤い。
「……し、心臓に悪いよ……」
もっと好きになっちゃうだろ、と続けられたので、横にしゃがみこんで教えてやることにする。
「……そうなればいいなって思ってやってる」
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どうにかなってしまいそう
全部、全部あいつのせいだ。
俺を見つけて嬉しそうに名前を呼ぶから、話しかけると太い眉を思い切り下げて笑うから、ごつごつした手であまりにも優しく触れるから、それが俺だけのものじゃないから!
「……俺だけを見ていて欲しい、なんて」
"ともだち"への感情じゃないことをとうの昔にわかっているのに、認めたら最後きっと己を律することはできないだろうと辛うじて理性を保っている。
「きっと、俺はあいつをどうにかしてしまう」
もう少し、もう少しだけ我慢できる。自分の中身がぐちゃぐちゃになっていくのを見ないふりさえしておけば。
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人生で一番
「兵助はさあ、豆腐と俺とどっちが好きなの」
じとりと目を寄越して、八左ヱ門が不満げに聞く。肌蹴た寝巻きもそのまま、胸元を真っ赤にした彼は文机に向かう俺の背中から声をかけていた。
「豆腐と八左ヱ門はぜんぜん違うだろ。人と食べ物は比べられないよ」
「だってお前、もうどれだけそれやってるんだよ」
それ、と言って指差した帳面は豆腐料理の調理法方を書き記したもので、睦み合いが終わった瞬間に降って湧いた一品を書き留めていたのだ。
「……短い人生のうちの一晩くらいさあ、俺だって言ってみてもいいんじゃねえの」
墨を乗せたばかりの紙面を汚さないよう指先でつい、と押しやるのがひどく切なげに見えたので、今夜はその言葉通りにしようと思った。
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一番厄介な存在
月の無い夜、影ばかりが落ちる森の中にいつの間にか現れた気配を探る。ひと、ふた、みい、よと頭の中で数を数えてそれでやめた。
増える一方で留まることを知らないそれらを、草木で編まれた自然の領域の中で数えることほど無駄なのをよく知っている。
足を止めて手中の獲物を握り込めば頭上でざわざわと葉擦れが起こった。
「すごいなあ、今一歩踏み出してたら栗鼠の雨を降らせるとこだった」
どこからともなく声が聞こえる。位置が把握できないのは音をうまく風に乗せているからか。
「……やっぱりここだったか」
「これが欲しいんだろ? 俺を狙って森に来るなんて、いい度胸だなあ、兵助」
ことりと音のする先を見れば爪先三寸の場所に実習の得点を示す割符が落とされる。明らかな挑発に、緊張が空間を支配する。
「拾えよ。すこしでも札に触れたら森中がお前に襲いかかる」
「八左ヱ門が直接来てくれた方が気楽だな」
「やぁだね! お前に接近戦なんて挑んじゃ分が悪い」
からからと笑う気持ちの良い声がいまや天狗か何かのように聞こえた。
「遊ぼうぜ兵助。森の怖さを教えてやるよ」
「山守の長男にそれを言うなんて、威勢がいいな八左ヱ門ッ!」
素早く屈めた身で割符を拾う。それを合図に木々が轟いた。
さて、本命を引きずり出せるのはいったいどれ程牙に身を裂かれたあとになるだろうか。
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罠だったとしても
「馬鹿なことしてんじゃねえよ……」
「だって」
「だってもくそもない!」
ぱしん、という軽い音の後に対して痛みを伝えない衝撃が頭上に降る。
「罠だってことくらいわかっただろ! お前頭いいんだから」
「脇道に三人はいたし、仕掛け付きの警戒線も張ってあったね。奇襲を回避して広い場所に逸れても、草結びで足元が悪くされてた」
「全部わかってんじゃねえか……」
「でも一番の近道だった」
俺の頭を優しく叩いた手のひらを捕まえる。
「密書を裏から運ぶ役目の俺を炙り出すためにわかりやすく多人数で囲まれていた八左ヱ門のところまで走るのに、一番速く着く道だった」
「っ、お、前なあ~っ……!」
「いたっ」
今度は多少強めの拳骨が頭上に降ってきた。
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美しい終わり方
「美しい最期ってなんだと思う」
顔の上から垂らされる濡羽色の絹糸がくすぐったい。長い睫毛に縁取られた大きな目は一瞬たりとも逸らされることなくこちらに向けられ続けている。
「え? あー……子供とか孫とかに囲まれて、看取られる……とか? いや、俺たち忍者だから誰にも居場所を知られることなくひっそりと息を引き取る、とか……?」
「八左ヱ門はそう思うんだね」
近付いてきた唇にそれなりの時間舌を食われてようやく解放された頃、会話の続きがひっそりと始まる。
「ね、八左ヱ門。たぶん俺はね、それをお前に許してやれないよ。俺の目の前で生きて、俺の腕の中で死んで欲しい。俺の腕がどんなに汚れててもさ。ごめんね。だめ?」
耳のすぐ近くでようやく聞こえるような声で、兵助は小さく、小さく呟く。
それに返す言葉を紡ぐ舌が役目を放棄していることなど、当のお前が一番よく知っているだろうに。
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好きなのにね
「八左ヱ門を見てるとさ」
我が親愛なる同室様は、熱を出しているような声色で話し出した。
「すごく苦しいんだよ。実技も教科も、成績なら劣っていないはずなのに、何故だかいつも何かに負け続けているような気がする」
「ほう」
「悔しくて、苦しいんだ。はちが笑うのを見るたびに手に入らないものを見せ付けられてる気分になる」
「へえ」
「人が笑っているだけなのに妬むなんて、俺いつからこんなに性格が悪くなってしまったんだろう……」
「はあ」
「教えてくれ勘右衛門! 俺は八左ヱ門が好きだったはずなのに、いつの間にか嫌いになってしまったんだろうか! 大切な友達を!」
ああ、親愛なる同室様よ。今の言葉を思い返し、お前が出してる熱で余計なところを煮切ってみたまえ。
可愛さ余ってなんとやら。質問への返事は、団子を気持ち多めに頬張って誤魔化させていただく。