あける「ゆぅえんちぃ??」
「そ!我らと一緒に行ってくれない?」
それは唐突な誘いだった。
担当の代わりに原稿をとりにきた先で、彼女はペラペラと口を開いて最終的に遊園地のチケットを机の上に叩き出した。
最も必要な原稿はそのチケットの下なのだが、これはつまり原稿欲しくば遊園地に一緒に行けと言うことかと、その真意を探ろうとするが、ニンマリと横に伸びて上がる口角にイラつきを覚えるのみで終わった。
ストーリーテラー編集部でも、もう中堅に近い名鹿助は、それなりに担当の作家も抱えているし、いつ他に移動になってもいいように後輩育成に余念がない。
横暴な物言いや振る舞いをする割に、根が優しい事でも少し有名だ。
その彼が担当外である彼女、桜川祈の自宅を訪れるに至った経緯は、死ぬほど簡単だった。
それは編集長の鶴の一声というやつだ。
「大崎を寝かすから、その間に桜川先生の原稿もらってきて。
もらってくるだけでいいから。」
名鹿にとっては悪魔の一言だった。
なぜなら、名鹿は端的に桜川が嫌いだったからだ。
10ほど歳が違うが、生意気を通り越した物言いをし、何かと担当を連れ回しては休日返上で相手をねだる。
これがガキと言わずしてなんと言うか、名鹿は表面的ではあるが垣間見えるその素行の悪さが、どうにも気に入らなかった。
対して桜川はそんな事はお構いなしと言った様子。
目が隠れるほど伸ばした前髪を揺らして、隠しもせずワクワクと返事を待つ。
ペラペラとよく回る口が鳴りを潜めたかと思えば、今度は犬の尻尾があそんでと飛び出してきたような掌返し。
(ちげぇな、、
これはネコのソレだ。
構ってほしい時だけ来て仕事の邪魔して、
PCにコーヒーカップを意図的に倒していくネコだ。)
名鹿は自分の額に必死に力を入れて眉間に寄り添うな皺を堪える。
相手はあくまでも仕事相手の“先生”なのだから、こう言う時はこちらが大人の対応を見せてやるべきだと、
導火線が短いながらに若い彼女に仕事ってもんを教えてやらないとと踏ん張るが、「相変わらず怖い顔だねぇ。」と追加するように言われてしまえば、その導火線は倍速で短くなっていき、火薬に達した。
「桜川せんせぇは随分とお暇みたいでぇ
俺達は他にも仕事があるんですよ?
アンタ、担当の大崎が馬鹿みたいに付き合ってくれるからって、調子に乗ってなんでも言っていいってわけじゃないですからね?」
捲し立てるように、それでも精一杯の敬語で。
完全に寄ってしまった皺を隠しもしない。
爆発したがうまく発散されない様子の怒り方に、桜川はクスクスと笑うばかりだ。
しかし、ふと、座り直すと、チケットを机の端に避けて原稿を持ち上げて「んっ」と渡してきた。
突然の行動に一瞬呆気に取られる名鹿だったが、とりあえず渡されたそれはきちんと受け取り内容を確認する。
外面と内面が合わない文書は描写の丁寧さと細かさで彩られていて、たしかに読むものを魅了する。
彼女の作品は万人受けこそしないものの、そのジャンルや特定の性癖にはたしかに刺さるモノがある。
ざっと確認して不備がない事を見ると、無視し続けていた視線に今度はしっかりと名鹿も視線を返す。
桜川はうんうんと頷いて見せると、今度はやけに丁寧に話し出した。
「直紀がさ。
結構今案件多くて仕事に追われてるって聞いてさ。
編集長さんに直接聞いてみちゃったんだよね。
直紀を休ませた方がいいんじゃないか?って。
そしたらさ、休ませる方法に困ってるって言うからさ、」
「ホラースポットと称して遊園地を満喫しようってか?」
「その通り!体を動かせば流石の直紀もゆっくり寝れるんじゃないかってね!」
「あわよくばホラー展開も経験しつつ、小説に活かしてやろうって魂胆で?」
「うん!!!!!!!」
「元気かっ!!!!!!!」
桜川はもう一度チケットを握りしめるとジッと名鹿を見つめる。
本音を隠しもしないのは若さ故か、それともこの女性だからか、少し悩んで名鹿はそのチケットを一枚引き抜いた。
「行ってくれるのかい!」と喜ぶ桜川から視線を外しながら「まぁ、二人で行かせたら結局大崎は休まらないだろ、、」と溢しながら
もう一度桜川の手元を見る。
チケットはあと三枚握られていた。
「?」
「やったぁ!これで“四人”で行けるっ!
カップル二組でしか“出ない”っていう噂だから助かったよぁ〜。」
それは、名鹿にとって後悔の判断となったのだった。
その遊園地には、有名な噂があった。
二組のカップルが一緒に行動すると、必ず霊障に会うというお化け屋敷があるのだ。
今回の桜川の題材がギャグに寄っているのもあり、検索に引っかかったその噂話はとても気を引くものになった。
しかし困ったことに、カップルが居ない。
自身も含めて友人にも、噂を知った上で協力してくれる二組のカップルというハードルの高さは、想像し得ないものだった。
「もうこの際、試すだけなら男女が二人ずつ揃っていればいいんじゃないか?」
そう言ったのは大崎だった。
大崎直紀その人は、ストーリーテラー編集部の編集者の一人であり、その社畜ぶりでいつも周囲を驚かせる。
時には行動がおかしくなるまで仕事場に泊まり込むこともあり、もはや、それは一種の病気だった。
仕事ができないわけではない。仕事が出来すぎるのだ。
故に、桜川も彼に結構な信頼を向けていた。
つまりそれは、少なくとも自分と大崎はカップルでないにしても頭数に入れていいと言う事だろうと解釈し、
あと一人ずつ男女を探すことになった。
そして白羽の矢が立ったのが、名鹿助だった。
当日、バタバタと日程を指定され、それがたまたま休日だったこともあいなって、朝から名鹿は約束の遊園地の駐車場に居た。
胃痛がする気がする。が、おそらく杞憂。
胃は強い方である自覚もあり、名鹿としてはとにかく久しぶりの遊園地を楽しんでやろうと仕事の認識はない。
確定で仕事仲間とお化け屋敷に入らないといけない以外は、指定された動きもない。
ただ一つ問題があるとすれば、名鹿は桜川と大崎以外、もう一人の女性が誰なのか知らないことだ。
相手によっては自由に動けなくなる。
集合時間近くなって、名鹿に声をかけてきたのは大崎だった。
いつも見る服とは違うきちっと整えられたロングコートとワイシャツ。見た事のないブーツは新品を卸してきた様子で、休日の姿を見たことがなかったことを嫌でも痛感した。
対して名鹿はフード付きのスカジャンにジーンズ、そして動きやすさ重視のスニーカー。
完全にオフであり、かつ、デートではなく遊びに来た気持ちで気軽な服装を選んだ。
ぱっと見正反対の二人は、お互いにそんな私服なのかと雑談に花を咲かした。
しばらくして、集合時間ぴったりに、桜川が手を振りながら現れた。
背後にはもう一人女性の姿が見える。
その存在に、二人は絶句した。
「へっ、編集長!?」
「なんで編集長が桜川先生と一緒に??」
桜川の後ろで存在感を見せていたのは、何を隠そう二人の所属する編集部の長。
長曾我部勇海だった。
その姿は長袖のシャツをくびれに合わせてベルトで締め、膝より長めのタイトスカート。
前下がりボブの髪を片側耳にかけにっこりと笑うその顔は、まさに歳上の女性。
しかし重要なのはそこではない。
彼女は彼。つまり男性なのだ。
全くその色を見せる事のない見目は、知っている人でないと男性とは思わないだろう。
しかし、つまり、もう一人の女性とは、彼のことなのだ。
名鹿は座り込んで休日が休日でなくなることを察した。
座り込んだ名鹿を覗き込みながら、「待たせてごめんよ?」と話す桜川は、
ロングフレアスカートにブーツを合わせ、シャツと丈の短めの上着でいつもよりおしゃれをしているが、大崎も名鹿も、それが編集長チョイスなのだろうとすぐに気付いた。
実際、桜川は自分が選んだにしてはもじもじと恥ずかしがる様子を見せ、「似合わないのはわかっているんだけど」と苦笑いだ。
「似合わない事はない。」
大崎が言えば、桜川は照れながらも「ありがとう!」といい雰囲気が流れる。
それは名鹿の恐れている雰囲気だった。
(まてまてまて、お前らがいい感じに見えると、俺は編集長とタッグ組まないといけなくなるだろ!!!)
名鹿が早く遊園地に入ろうと勧めるより前に、ぎゅっと腕を抱き寄せられる。
ゆっくりと掴まれた腕に視線を向けると、そこにはにっこりと笑う編集長の姿があった。固い男の胸元に名鹿の腕が収まり、彼はさも当たり前のように言葉を紡ぐ。
「今回は休暇も含めて、あくまでも幽霊を調べるのはついでだからね?
そこんところは忘れないでよ?
ねっ?名鹿?うんん、た、す、く?」
白目を剥いてしまいそうだった。
せっかくの名鹿の休日は、見事に粉砕したのだった。
項垂れる名鹿を横目に大崎は口を開く。
「まぁ、なら先に仕事を終わらせたほうが落ちついて過ごせるだろう。
最初にお化け屋敷に入るか。」
その提案に名鹿以外はうなづいた。
改めて返事待ちの視線が集まり、やっと名鹿も顔を上げることができた。
なぜ、休日だというのに、面々はこんなにやる気なのか、どうしても理解に至れなかったが、もはやその時の名鹿に頷く以外の選択肢は残されていなかった。
早速遊園地へと足を踏み入れると、マスコットキャラクターの着ぐるみ達が子供達と写真を撮っているのが目に入る。
ふと、少しそわそわとその様子を眺める桜川に大崎は気付いたが、その真意はいまいち掴めなかった。
着ぐるみと遊ぶというほどの年齢ではないし、ここのマスコットが好きだと聞いたこともない。思えば桜川が弟と小説の話以外で盛り上がることなどなかった様に思う。
意外と寂しがりの照れ屋という事はわかるが、もしかしてマスコットと写真を撮りたいのか。
「桜川。もしかして、撮りたいのか?」
「!!いや、いやいや!何を言ってるんだよ直紀ぃ〜!我、25ぞ?」
「まぁ、それはそうなんだが、見てたろ?」
「もの珍しくて見てただけだよ。」
すっとそっぽを向かれてしまえば、話は途切れてしまう。
困った様子の大崎が、仕方ないと一歩マスコットの方へ踏み出そうとした時、横をスッと名鹿が通り抜けて行った。
「すいませ〜ん、写真いいですか?」
「!」
名鹿は誰よりも早くマスコットのそばにいるキャストに話しかけ、OKがもらえると大崎に目配せをした。
ポカンとその様子を眺めていた桜川の手を引いて、大崎も名鹿の元へと向かう。
キャストは桜川をマスコットの隣へと誘導すると、ポージングまで指定してパシャリとシャッターをきる。
それを見ながら大崎は名鹿に話しかけた。
「助かった。ありがとう。」
「俺が礼を言われることはしてねぇよ。
25とはいえ、高卒でこっちの道に入ってからは桜川センセも社会人生活に追われてたんだろ。
友達がいそーなタイプでもねぇし。こーゆーとこ来たことなくてもおかしくない。
今日は、担当編集だって気背負いする必要ねぇぞ、俺だってエスコートしてやれる。」
一つの声かけに三つ近い返事が帰ってきた。
それはどれも的確なもので、大崎はフッ溢れた笑みを片手で隠した。
桜川と二人で出かける事は多かったが、それは全てホラースポット巡りだ。
今まで一度も遊びになんぞ出掛けた事はないし、自身もこういった場に来る事は少ない。
どうすればいいのか分からなかったのが正直な所だった。
しかし、今は一人ではない。
そんな思いにどこか心が熱くなる。
久しぶりの感覚だった。
「なおっき!なおっき!たっすくくん!
撮れたっよ!」
ウキウキとした様子の桜川は写真を片手に二人の片腕ずつを抱き込む様にして間に割り込んで入る。
年相応であろうその様子は、彼女の鮮烈な過去を感じさせない程幸せに満ちていた。
もちろん、その過去を知る者はここにはいないのだが。
「さてさて、んじゃ、お化け屋敷に行ったらぐるっと園内を回ってお昼頃にはご飯処抑えなきゃねぇ〜。
張り切っていくわよ!」
三人の様子を見て拳を振り上げた編集長、勇海。
その動きに合わせて桜川もバタバタと勇海の横まで走り抜けて行く。
今度は楽しげにマップを広げる勇海の腕に抱きついてそれを眺めお化け屋敷の方向を確認している。
残された男二人は互いに苦笑しつつ、テンションの高い桜川と勇海の後ろを着いて歩いた。
当初名鹿を悩ませていた不安要素は何処へやら、なぜか四人はすっかり女性陣が前、男性陣が後ろで2列になって行動していた。
時折、桜川が後ろを向いて二人を見て笑う。
どこが良いか、食べたい物はあるか、なんて、たわいない話をしていれば、目的のアトラクションはすぐ目の前になっていた。
長すぎることもないがそれなりに並んでいる入場ゲートを確認すれば、待ち時間は1時間ほど。
そこそこに人気のアトラクションであることを思えば短い方である。
四人は迷うことなくゲートをくぐった。
「4名様ですね。どうぞ。」
キャストに案内され建物内への誘導を受ければ、外から見えなかった列がもう少し続いているのが見える。
柵で道筋が造られており、その空間も薄暗くアトラクション内での注意事項を流す簡易的なムービーが繰り返されている。
どうやら洋風の館から脱出をするという無難な設定のもののようだが、このアトラクションの醍醐味は“探索ができる”ことにあった。
一つ一つ部屋を回りながら、出口の四つの鍵を探すのだ。
「メタいことを言うと、このアトラクション自体が一度に参加できる最大人数が四人らしい。
参加人数が二人なら、探す鍵は二つに切り替わる。」
大崎の説明に合わせて、勇海がメモ帳を取り出す。
「制限時間は最大でも10分。
それ以上かかるとお化けが外まで追っかけ回してくるようになっていて、
まぁ、大体は鍵を見つける事はできるらしいよ。」
最後に、桜川が落ち着いた声色でスマホの画面を面々に見せた。
「ここにある幽霊の噂は、二組のカップルが、四つの鍵をそれぞれ分かれて探すと、
カップルの女性の足首を掴まれて引っ張り回されるってもの。」
途端、大崎と名鹿の表情が固くなる。
よりにもよって女性狙いなのかと、二人は心配を煽られたようだ。
思っていたよりも内容はハードだが、肝心の女性の桜川と、女性ポジの勇海はルンルンだ。
残った問題として、どうカップルを組むかと名鹿が提案すれば、桜川はうーんと悩んでから答えを出した。
「「ぐっと、ぱーで、別れましょ!」」
それはとても簡単な答えだ。
グッパというなんとも古典的な方法。
男性陣と女性陣それぞれでグッパが始まった様は待機列内でも少し浮いていたろう。
大崎1
名鹿2
桜川ダイスロール1d2=2
「まじか、、」
「“先生”の事は任せたぞ?」
名鹿の片腕に桜川がぎゅっとくっつく。
逆に大崎はそっと勇海の横に付いた。
側から見れば、カップルにしか見えない二組だったろう。
「それでは、今宵のパーティに呼ばれた皆様。
鍵が揃い、出口が開くまでのしばしの時間。
どうか、お楽しみくださいませ。」
物物しい雰囲気のキャストがランプを片手に暗い室内へと客人と称された四人を案内する。
普通であればビビる人が一人くらい居てもおかしくないが、桜川はその光景と演出をじっと見つめ文章化しようと必死だ。
大崎も大きな音に驚く事はあるが、ほぼ表情は変わらず、「わーん!こわーい!」と話し大崎に抱きつく勇海も全く怖がっている様子でない。
名鹿もそんな面々に興が削がれ、驚けずに居た。
目的の部屋までくると、キャストは詳しいアトラクションの説明をしてドアの向こうへと去っていく。
一度照明がほぼついていないと言えるほど落とされ、雷の轟音と共に一気に視界を稲妻の光がよぎる。
瞬時、面々は驚いた。ある者は感嘆の声をあげ、ある者は警戒心で唸った。
その一瞬の光でわかるほど、部屋が変わっていたのだ。
どんなカラクリなのか分からないが、アトラクションの説明をされた味気ない洋室が、たった一瞬でボロボロになった今にも壊れそうな廃屋の一室になっている。
「本格的だねぇ、我、楽しくなってきちゃった!」
その部屋は、真四角であり、入ってきたであろうドアを含めて、東西南北それぞれに一つずつ扉があった。
桜川は名鹿の腕から離れると入ってきたドアを確認する。
桜川目星 75→37成功
そこには鍵穴が四つある。
どうやら脱出する扉がこの扉のようだ。
ドアノブを触るが特に開く様子はない。
「ちょちょ、あんなぁ、、あんたちったぁ警戒心ってもんがねぇのか!」
興味津々に扉を見ていると、名鹿に手を引かれる。
桜川が驚いて振り返れば、大きなため息をついた名鹿が、「もし何かあった時に、そばにいねぇと助けられないだろ。」と話す。
意外と噂話を間に受けてくれている事にも驚いたが、自身が庇護対象である事にも驚いた。
桜川はうーんと少し悩んだが、大崎とは違い有無を言わせない名鹿はそのまま一緒に扉を確認し、ふむと納得した様子を見せると「とりあえずアトラクションにそって鍵を探すか。」と少し乱暴に桜川の手を引いた。
一方、大崎は周囲を見渡していた。
大崎目星 70→70 成功
薄暗い空間は、よく見れば何かを薄く投影しているようで、それがプロジェクションマッピングの類なのだろうとすぐに察しがついた。
隣にいた勇海にそれを伝えれば、勇海も腕を組んで考える。
「キャストがいなくなるまでの間は、わざと照明を暗くして、プロジェクションマッピングで投影したあの何もない部屋を見せてたとして、
今は多分、所々に散った血とか表現してたんだろうね。」
「‥‥あの扉が開いたら、おそらく元の何もない部屋を投影する?」
「そんな感じじゃないかな?」
そう言いながら勇海は北の扉見た。
大崎も、一人にしてはいけないと思って後を追い一緒に扉を確認する。
大崎目星 70→16
扉に鍵はかかっておらず、なんら変哲はないように見える。
ドアノブに触れるが違和感はない。
振り向けばちょうど入ってきた扉を確認していた名鹿と桜川と視線が合う。
合わせたように二人は西の扉へと向かって行った。
『別々に探索をして鍵を探す。』
その目的通り、二組のカップルもどきは、別々の部屋へと足を踏み入れた。
大崎と勇海が入った部屋は寝室だった。
広々とした空間に申し訳程度に古びた家具が並んでおり、そのどれもが「戸を開いてごらん。」と勧めているかのように、綺麗に戸が閉まっている。
その様子は一見すると違和感の塊で、大崎は勇海の様子を確認したが、対して勇海は楽しげに手当たり次第に戸を開いて回り出す。
恋人らしい事をする必要はない、しかし、被害が出ると言われているのは女性陣のほうであり、その側を離れるのは得策ではない。
結果、大崎は勇海の側に寄る。
勇海もそれを確認してにっこりと笑った。男性だというのに女性の妖艶な笑みを思わせる表情に、なぜか感嘆の思いすら覚える。
「一つ、大崎に聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「何ですか?」
「疲れはどう?」
「‥‥みんなが心配する程のことはないです。」
「心配をかけてる自覚はあるんだね?」
「‥‥すいません。」
ガタガタと開く戸の中は鍵がわかりやすいようにする為か、何も入っていない。
しかし、唯一カチャリと音を立て、その存在をわからせる戸がおり、大崎が勇海の開いた戸の奥に手を差し込めば、古びた装飾の施された頑丈そうな鍵が一つ出てきた。
「謝らなくていいんだよ。
まぁ、今日は半分仕事みたいになったけど、
たまには皆でこうやって遊びに来ようね。」
“遊び”
あえて選んだらしい言葉は、大崎とは無縁なもので、それでも、元来であれば大崎にも縁があっていいものだ。
複雑な心境で、頷く。
自分にはそんな時間も娯楽も許されないのではないかと、心のどこかで思いながら、
それでも、求めてくれる相手がいるなら、その時間を楽しむことも必要なことなのではないか。
どんなに歳を重ねても、重ねているからこそ、強く強く根付いた感情はそう簡単には覆らない。
どうにも普通から少し外れた彼の思いを、勇海は察したようで苦笑した。
今はそれで充分だと、軽く付け足された言葉と共に踵を返してドアへと向かう。
大崎も後ろをついていくが、瞬間ガクンと勇海の体が揺れた。
驚いてその腕を掴むが、勇海自身も強く足を踏ん張っており、支えなど必要ないほど安定した体幹で、足元を見渡している。
見目との差に若干のバグを覚えながらも、男性の中でもよりしっかりとした筋肉の持ち主なのだろうと深く考えない事にして思考を切り替える。
お化け屋敷のギミックなのか、噂話の一端なのか、果たしてと真偽の程を確認するもはっきりとしたことは分からない。
しかし、大崎も勇海も、共通の見解に至った。
「お化け屋敷のギミックにしては、」
「今の、危険だったよねぇ?」
「えぇ、まるで、足を引っ張られたみたいに“見えます”。」
「つまり、良くも悪くもこれが噂の元になった可能性はあるね。」
二人は淡々と足元を警戒しつつも、目的は変わらず、部屋を調べて回る。
とにかく開きそうな引き戸や本棚の隙間を見て周り、その間も何度か感じる“違和感”を互いに報告しあっては、残りの時間を確認する。
この空間に入ってすでに5分。
若干時間をかけすぎた感覚を持ちつつも、無事一つ目の鍵を見つけてはいるしと、急いで部屋を出た。
扉が閉じる直前、勇海は呼ばれた気配に気取られて振り返る。
そこには何もない。なんの空間もない。
あるはずの、さっきまでいたはずの、
そんな空間が消え去り壁と化しているドア先から、バタンと扉が閉まるまでずっと視線を離せない。
普段であればギミックの高さを評し興奮した所だろうが、
今はただ忍び寄る選択肢の削除が、自身の存在に向いているような不吉な予感がびったりと思考にこびりついてきていた。
「さて、名鹿達は、、、編集長?」
「んっ!?っあ!なにどうした?」
「何かありましたか?」
「いや、すこし、“怖いな”と。」
「‥‥早く出ましょう。」
そう言うと大崎は勇海の手をしっかりと握り、始まりの最初の部屋を見渡した。
真四角の部屋。
北は自分達が、西は名鹿達が、そして東はおそらく出口。
ならばあとは南の部屋だけが探索を終えていない。
名鹿達の姿もまだないため、先に南の部屋へと足を向けたとき、バタバタと大きな足音を立て西の扉が開く。
驚いた大崎と勇海が見たのは、桜川を姫抱きに扉を蹴破ったらしい名鹿の姿だった。
口には鍵を咥えており、フーフーと息を荒くしている。
反して桜川は怯えてこそないものの、判断として間違いはないとでも言うように真剣な表情で名鹿の首に腕を回していた。
「!?ど、どうした?大丈夫か?」
「ヒユゥ〜、お熱いねぇ〜。」
「ひゃかすな!」
「茶化さないでおくれよ編集長。
助は全力で我を助けてくれたんだよぉ。」
純粋な心配を見せる大崎を他所に、勇海は口笛を吹いて笑う。
しかし、当の本人達はそれどころではなかったようで、名鹿は口に咥えていた鍵を桜川に取って貰うと、そっとその身を床に下ろしてから過剰なほど周囲を確認した。
一向に始まらない説明に焦りを感じながらも、桜川はただ冷静に、「時間がないから」とだけ伝えて未探索の南の扉へ向き直る。
後回しにされた説明は、確かにアトラクションの時間経過を気にすれば妥当かと、大崎も桜川の横に立つ。
眼前に在る扉の存在感は強く厚い。
物理的な厚さが在る扉なのかに関わらず、重苦しい装飾の数々が、この部屋だけ異常であると伝えてくる。
大崎 目星70→79 失敗
桜川 聞き耳65→86 失敗
それ以上の歪さは感じない。
それ以上の物音も聞こえない。
それ以上の不穏さも見えない。
そうやって自身の五感が軟く鈍っている感覚さえも二人は気付けないまま、大崎はその扉に手をかけた。
グッと力を込める。しかし、そのドアノブは回らない。
固く固く閉ざされた空間に、違和感を覚えながらも、大崎は繰り返しそのドアノブを握り込む。
「あかねぇのか。」
「あぁ、まるで入れないようになってるみたいに固い。」
「鍵は二つ。それを思えばあと一つはここだと思うのになぁ。」
名鹿と勇海も大崎の横に立ちそれぞれにドアノブに触れるが、持つ感想は同じものだった。
開かない。
桜川 オカルト55→3 クリティカル
「もしかして」
ただ一つ、漠然とその違和感に気づいた桜川は周囲を見渡す。
そして、ぶつぶつとまるで歌を歌うように口ずさみ始めた。
「開かずの扉には、二つの種類がある。
一つは、物理的に開かなくなった扉。
もう一つは、誰も開けなくなった扉。
もし、三人が開けようとしたその扉が後者なら、
つまり、それは開くことで災いを呼び込むから閉められているとも考えられる。
逆に取れば、その扉さえ開かなければ怖いものはない。」
そう言うと、桜川はキョロキョロと周囲を見渡した。
「そもそもこのアトラクションは、“参加できる最大人数が4人”と言うだけで、部屋数までは公になってない。」
「!もしかして、今それぞれに出てきた北と西の扉の先に、あと一つずつ鍵があるって言いたいの?」
勇海が驚きつつ声をかければ桜川はニヤリと笑う。
聞いていた名鹿も納得がいった。
「出口が一つ。
それ以外の扉が三つ。
探す鍵は四つ。
確かに、一部屋“ハズレ”があると考えても
おかしくはねぇか。」
とあくまで現実的なゲームスペックとして理解を深めていく名鹿。
大崎もさっき自分が出て来た北の扉へと足を進めた。ついさっき閉じたその扉にもう一度手をかけるが、そのドアノブがもう回る事は無かった。
驚いて振り返れば、名鹿が弾かれたように西の扉のドアノブを回す。
引っ張っても、押しても、蹴っても、開きはしない。
大崎 ナビゲート37→48失敗
桜川 ナビゲート30→43失敗
勇海は腕時計を確認する。
時間は7分経過している。
後3分で2本。脱出は不可能に思えた。
「まてまて、この脱出ゲームがこんなに難易度高いとは聞いてないぞ?!」
「‥‥どうだろうねぇ。10分経っても外に出れない。なんて事も。」
「桜川、黙ってくれ。」
「おや、直紀がガチモードだ。」
三者三様に話す言葉を聞きながら、勇海はさっきの壁を思い出す。
ドアが閉じる直前、その向こう側は壁になっていた。
ギミックとして感じることの出来なかったそれは、果たして本当にギミックだったのか。
思案する時間はないが、この状況は、お化け屋敷としても、そうでないにしてもよろしく無い。
シークレットダイス
??? ???→1
??? ???→2
「この部屋か。」
「?編集長なんていいました?」
「名鹿っ!身ぐるみ脱ぎなっ!!」
「なぜ!!」
「大崎も!!」
「はっ?!いや、ちょ、説明」
言うが早いか、勇海は名鹿の足を引っかけて転ばさせると、馬乗りになって上着を脱がし出す。
「ーーー!!?!」とうるさく喚く名鹿と同じくらい大声で、勇海は口を開いた。
「どの部屋にあるか、なんて、もう“この部屋”しかない!
この部屋に隠し場所らしい場所はないっ!」
勇海が言いたいのは、“隠せる場所は自分の服”と言う話だった。
大崎はすぐに意味を察して上着を脱ぐとバサバサと振るい、ポケットというポケットもあさるが、それらしいものはない。
名鹿は逆にグッと自分を脱がせていた勇海の腕を掴むと、説明に徹していた彼をぐるりと押し倒して直して乱雑に服をまさぐった。
と、表現すると語弊があるが、いわゆるポケットを全て漁ったのだ。
カチッと爪先に固いものが当たる音がする。
グッと引っ張り出せば、そこには鍵があった。
それをみて何を確信したのか、名鹿は桜川に向かって鍵を投げて叫んだ。
「スカートの左ポケットだっ!」
咄嗟に投げられた鍵を掴み、桜川は言われるまま自分の左ポケットに手を突っ込む。
そこには確かに、自分のものではない古びた鍵があった。
なんでと一瞬動きが止まるが、大崎は自分の持つ鍵を片手に桜川の肩を押した。
「っ!二人とも!残り10秒!」
「開けっ!!」
「桜川っ!」
「あ、あぁ!」
勇海と名鹿に半ば怒鳴られるようにして、大崎と桜川が鍵を東のドアに差し込む。
残り7秒。
大崎と桜川がそれぞれ一つずつ鍵を開く。
残り4秒。
後二つの鍵穴に鍵を刺す。
残り1秒。
二つの鍵はほぼ同時に開いた。
桜川がドアノブを持つよりも、その肩を大崎が引く方が早かった。
秒数を出すならば、残り0.5秒。
勇海の回し蹴りと、名鹿の飛び蹴りが同時にその扉に達した。
暴力に押されるまま鍵の開いているドアが、蝶番がギリギリ繋がっているだけの状態で轟音を立てて開く。
開いた先には、驚いた様子のスタッフたちが数人、心配気な視線を向けていた。
「お、お客様?」
「はぁ、出られたぁ。」
「頭に血ぃ登ってつい蹴っちまったけど、これ。」
「コレばっかりは弁償かなぁ。」
「会社」
「経費では落とさないよ。」
「うげっ、」
そんな名鹿と勇海の会話が聞こえる。
桜川はすっと立ちあがろうとしたが、大崎は安心したのか、まだ室内の壁に寄りかかったままだ。
「大丈夫かい?」
「ふっ、」
「直紀?」
「いや、あぁ、大丈夫だ。ふはっ、、
なんだか、最後二人の様子がな、、
さすが武闘派だなと、、あはは、、」
一見すると壊れたように、でも、割とその笑顔は悪くない。
本当に安心したのだと、桜川もにこりと笑う。
大崎は差し出された手を握ると「行くか」と立ち上がる。
桜川はその肩を少し支えるようにして隣から離れはしない。
武闘派の二人の攻撃を避けるために、桜川を庇って勢いのまま肩を強打したのを、ちゃんと見ていたのだ。
二人が外に出ると、疲れ切った様子の勇海と名鹿は、
随分とアトラクションスタッフに心配されていた。
それは、後から出て来た二人も同じで、「お怪我は?」と聞かれれば隠そうとする大崎の事を察して、「彼が打撲を」と桜川が先に口を開く。
医療スタッフらしい人と、いよいよ救急隊員までもが現着し、
あの四角の部屋に入っていた間の10分間に、思っていたよりも深刻な問題が発生していたんだと察した。
「スタッフ曰く。私たちがアトラクションに入ってから監視カメラの映像が砂嵐になり、非常用のドアも、外からなら開くはずの出入り口も、全く開かなくなったそうだよ。」
「スタッフの一人が、室内の換気が止まっている事に気付いて事態が悪化。
密閉された空間には換気以外の空気の出入り口はないらしく、四人の身体的な不調の可能性が考えられる状態だったらしいぞ。」
先に話を聞いた勇海と名鹿は、肩の処置を受ける大崎にそう語る。
大崎が上半身を脱いでいるために、桜川は別室にいるが、大崎は構わず二人の行動について聞いた。
「なんで、服の中に鍵があるって、編集長は思ったんですか?」
「まぁ、他にだって探すところないじゃない?
殺人鬼が凶器を持つ時に、
特に繰り返し使う“お気に入りの凶器”は自分の身に着けておくでしょう?
昔読んだ小説に書いてあったのよ。」
「‥‥なるほど、でも、なんというか、
それで行くと、あの鍵は。」
「大崎。」
考え込もうとする大崎に、名鹿が口を挟む。
その顔は神妙な面持ちをしていて、彼がいかに真面目に話をしようとしているのかわかる。
自然と大崎もじっとその顔を見た。
大崎 オカルト55→30
名鹿はゆっくりと話し出した。
「あの時、俺とセンセで部屋を調べてる時にな。
一度、センセの足が引っ張られた。
体は支えられたから、どこも打っちゃいないが、
1分近く、俺が“何か”と桜川センセを引っ張り合う構図になったんだ。
だから、俺はセンセを抱き上げて離さなかったし、
鍵を見つけたら口で取ってドアを蹴り開いた。」
「‥‥。」
「最後、左のポケットに鍵があるって言い当てたろう。
引っ張られてたのが左足だったからだ。
噂話は、狙われるのは女子で、“足を引っ張り回される”だったろ?
だから、足を引っ張るのは鍵を、、、忍ばせる為。って考えた。」
「‥‥俺の思ったことを、そのまま聞いていいか?」
「おう。多分俺が思ってるのと一緒だ。」
「男女二組のカップルで入ると
女子がターゲットにされる。
それは、鍵を忍ばせる為。
でも、なぜそこに性別が関与するのか。」
「男なら大概、女性を組み敷けるから。
だろうね。」
「‥‥編集長。」
勇海は悲しげだ。
見目の女性らしさのせいか、それとも元々彼が持つ特性の一つなのか、その瞳は推測を事実に置き換えしまいそうな危うさを持っていた。
「もし、自分が足を引っ張られたと言っても相手が信じてくれなかったら、
双方に多かれ少なかれ不信感が募る。
いつまでも見つからない鍵、
開かない扉達、
10分経っても外部からの音沙汰がない上に、
少なくなっていく酸素、
そんな中、女性陣のポケットから揃えたように鍵が出てくる。」
「俺なら、割と怒るな。」
「名鹿はそうだろうね。短気だからね。
大崎は、、、、大崎?」
ぶーぶーと文句を垂れる名鹿に反して、視線を向けた先にいる大崎は、ひどく怯えた顔をして目を見開いていた。
気づきたく無かった加虐性は親譲りなのだと、この男が最も恐れている思考が、こんな時決まって自身を傷付けてくる。
「‥‥殺す。かも、しれない。」
絞り出した言葉に、名鹿も勇海も驚きを隠せない様子で、
大崎はくしゃりと悔しげに目を閉じた。
「男性が女性に対して暴力、、あるいは暴言に至る環境が整えられているように感じた。
これは俺の推測だが、この霊障は“自分と同じ目に合わせてやろう”という女性や、“女性差別の思考が強い”男性の
霊や、思いから出来上がった環境なんじゃないかと思った。」
誰も続きの言葉は出さない。
静かな空間が、やけに冷たく感じる。
大崎は目を開くことが出来なかった。
しかし、その冷たさを切るように、ふわりと蝶が飛ぶような暖かさが、
無意識に握り込んでいた拳にのった。
「その考えも“素敵”だけど、
我は、それ以外の可能性もあるように思ったよ。」
大崎の拳に手を乗せたのは、桜川だった。
前髪で隠れている瞳が果たして何を思ったのか、推測すら許さないというのに、その声色は暖かい。
「どんな霊や魔物が関与しているのかはわからない。
でも間違いないのは、“アトラクションを楽しむ参加者の服に物を忍ばせる”というのは
スタッフさん達には難しいという事だ。
霊的な事象として、暴力や互いへの不和を求めて出られないようにしたなら、
一生出られない方がよほど求めた現象を誘発できる。
わざわざ鍵を渡す必要はない。
鍵を渡したのは、出て行ってほしいから、
とは考えられないだろうか?」
名鹿と勇海は顔を見合わせた、確証はないが、なぜか一番信頼度が高いように思えた。
大崎の表情は、反対に桜川の言葉でさらに顔を青ざめた。桜川はただ、その顔を見ても困ったように笑うだけだった。
「でも、出て行ってほしいなら、
そもそも“入れない”ようにした方がいいんじゃないか?」
「流石たすっくくん!
このアトラクション自体に憑いているなら、それで解決するだろうね!
でも、それが“この土地”に憑いているなら?」
「‥‥地縛霊か。」
「その類だとすれば、わざわざ女性をターゲットにする理由も納得できるんだ。
女性の方が物理的な怖い目、今回で言えば“引っ張り回す”とかね、
男性では踏みとどまれて最悪勘違いだと納得されかねない。
より、“霊障が起きた”と明確に感じさせるには女性を狙う方が、効率的なんだ。
あとはまぁ、直紀が言ったように、元々持つ霊の思いも干渉しているんだろうとは思うよ。」
あぁ、踏みとどまれてしまったなと、今度は勇海と大崎が顔を見合わせた。
勇海は「流石桜川大先生だ。」と大笑いを始めると、それでも少し疲れた様子で、大崎と名鹿の頭を撫で回した。
「今日はよく頑張った。」と言われても、名鹿はあとの遊園地を楽しむ元気も、勇海の手を払う元気もない様子でため息をつく。
大崎は変わらず少し青ざめた顔のままそっと目を閉じた。
トンッと大崎の背中が壁に着く。
話の途中で肩の処置を終えていた医療スタッフは退室していたが、まだ、大崎は上の服を着ていない。
決して細くはなく適度に鍛えられた体つきが見えるまま、彼はぴくりとも動かなくなった。
「?‥‥大崎?」
「直紀、もしかして?」
「寝たのかコイツ、、この状況で??」
三人が顔を覗き込めば、すぅすぅと小さく寝息がしている。
まるで失神したかのような瞬間的な意識の落ち方に対して、その寝顔は若干幼さすら感じるもので、三人はほっと息を吐き出して肩の力を抜いた。
「‥‥編集長。その手どけてやってください。」
「頭撫でてるだけじゃん。」
「ちげぇ、そっちじゃなくて腹筋触ってる方っ!!
セクハラ上司めっ!」
「ひどいっ!服を着せてあげようと思っただけだもんっ!」
「俺が着せるからアンタらは外に出てろっ!」
途端始まった勇海のセクハラ行為を名鹿は目敏く指摘すると、力尽くで勇海を部屋の外に出す。桜川もそれに倣って外へ出た。
大崎のことを名鹿に任せ、二人は建物の外へ一度移動することにした。
スタッフオンリーで、元来なら入ることのないアトラクションの舞台裏は、今回の一連の出来事を大きな事故として受け止めアトラクションの運営を停止しているらしく、必要最低限のスタッフと整備員しかいない。
静かな廊下には、勇海と桜川の足音だけが響いていた。
「元来の目的は果たしたけど、
ちょっと、思ってた形とは違ったね。」
「直紀のコト?そーだねぇ〜。
我は、本当に休んで欲しかっただけだったのになぁ。」
「うーん、まぁ、休まないことが、
彼にとって何かを忘れる為の代替え行為なんだと思うと、私からは中々言い出してやれなかったから、
編集長としては助かったけどね。」
ふと桜川の足が止まる。
少しだけ暗い廊下で、彼女は足元を見つめることしかできなかった。
「‥‥殺すかもしれないって。」
「桜川先生。
‥‥アイツはね、貴女と同じくらい辛いものを背負ってるし、アイツなりに出来るなら“なりたくない自分”の姿が鮮明にあるんだよ。」
「我が、こんな所に誘わなかったら。」
「関係ないよ。
話の中で、アイツが見ないようにしていたモノに目が向いてしまっただけで、
“見ないようにする”って事をしていた時点で
アイツには自覚があったってだけだよ。」
「でも。」
「人の触れちゃいけない部分ってのはね。
触れようと思って触れられるものじゃない。
誰かが悪い。なんて事はないんだよ。」
「‥‥でも、」
桜川はずっと下を向いたままだ。
思っていたよりも、大崎の青ざめた表情が絶望に染まっていて、どうにも脳裏から離れてくれない。
それは勇海も同じだった。
それでも桜川に合わせる様子はなく、同じように立ち止まったまま、次の言葉を促した。
「‥‥いいよ。言いたいことは言ってしまいな。」
25歳の女子なのだなぁと、改めて感じる。
元来であればまだまだ子供だと、勇海からはその若さに尊いものすら感じていた。
対して桜川は、凛と自分の意見をいう編集長、勇海の姿はとても敵わない大人に思えた。
「直紀は、嫌を言わない。
直紀は、我に振り回されてくれる。
その行動の本質にどんな想いがあるのか、
その行動の先に危険があると分かっていても、
我はそれを利用するばかりなんだ。」
「‥‥うん。」
「助くんにも言われた。
直紀が付き合ってくれるからって甘えすぎだと、
そうだなって思った。
でも、我が信用できる大人は、直紀くらいだったんだ。」
「‥‥‥うん。」
今にも泣きそうな声が廊下で小さく響く。
桜川の本音は、今まで語られる事はなかったが、それでも今はどうにも堰き止めることができなかった。
「本当は、一人じゃ怖いから着いてきてほしいし、
楽しいと思う事を共有して、自分の物語を良いって言ってくれる彼が、
自分を受け止めてくれる相手だと錯覚して、
我は甘えていたんだ。
本当は、休んでほしいから、ただそれだけなのに、
他の伝え方も甘え方も、我は知らなくて、わからないんだ。」
夢中になって言葉を紡ぐ。
勇海はそっとその背を摩って抱き寄せる。
高校生から、見出された小説家としての素質を糧に、仕事として一人社会に投じて来た心身は、まだ、一人の人間としては幼い。
勇海は、自身の無力さと同時に、大崎直紀と桜川祈が、
仕事を介しながら、互いの価値に触れ合って来た事で、歪な依存関係にあるのだなと痛感した。
自身にしてやれる事はなにか。
いや、何も無いのだろう。これは二人の問題で、
彼らが物語の主人公達なら、自分は脇役でしか無い。
答えなどきっとない。
「甘えていいさ。
嫌って言わないのは、本当に嫌じゃ無いからだ。
アイツは「休め」って言えば「嫌です」って言う男だからね。
アイツが嫌って言わないなら、そのままでいい。
器用な人間じゃないから、楽しく無いことには首を傾げるし、悪いものを良いとは言えない。
少なくともそこだけは、私が保証してあげよう。」
桜川は抱きしめられたままコクコクと頷く。
涙は抑え込んだのか、全く聞かれない嗚咽音に逆に心配したが、3分程桜川も勇海の背中に手を回して弱い力で抱き寄せて居たから、
嫌ではなかったようでと、勇海も安心した。
落ち着いた様子の桜川の手を引いて外に出ようとしたところで、大崎をおぶった名鹿が合流する。
爆睡している大崎は全く起きる様子がなく、名鹿は「コレ多分遊園地の爆音でもおきねぇぞ?」と茶化す。
仕方ないから帰ろうかと外へ出ると、薄暗い廊下から一転、強い光が三人の視界を照らした。
時間にして12時を少し超えた所か、思えば腹が空いたなと、名鹿は再度太陽を見る。
暑さと眩しさと、それは日頃あまり見る光景ではなく、流石の大崎も起きるのでは?と、そっと肩口に預けさせた顔を確認するが、丸メガネを外し閉じられた瞼が動く様子はない。
どうやら名鹿の首の方を向いていることで、光が視界に入りにくいらしい。
「 。」
ボソリと、つぶやいた声が鼓膜を揺らす。
きっとそれは聞かなかった事にするのが正解なのだろうと、名鹿は大きなため息をこぼした。
「飯買って帰ろうぜ。
一回俺の家でコイツ寝かすから。
二人も買ったやつ、俺の家で食わねぇ?」
「えっ?三人まとめてお持ち帰りとは、
名鹿もやるようになったねぇ、、」
「助くんいーの?我、初見ぞ?」
「‥誰が好き好んでてめぇーらみてぇな
扱いずらい奴らお持ち帰りするかよ!
嫌なら帰りやがれっ!仕事終わったろ!
解散っだ!かいっさん!!」
「「ごめんってたっすくくぅ〜ん」」
一人をおんぶして、二人が名鹿の両脇でキャッキャと騒ぐ。
その光景は周囲から見ると少し変わっていたが、楽しげには見える。
大崎が身じろぎすると三人の動きが同時に止まるのも、何を買うかで一悶着するのも、
その後、同じ会社の社員に語られる事になった話はどれも、少し歪ながらも楽しい記憶の1ページになっていた。
ただ一つ、変わった事といえば、
「あのアトラクション、
営業停止するかもしれないらしいな。」
そんな噂が囁かれるようになったことだ。