文弱の徒法律の本を読み老けて過ぎた時間を確認すると、また、食事を抜いていたことに気づいた。
あぁしまったと思いながらも机と椅子の間から体はなかなか動かない。まだ、あと一文だけ読み込んでからと、脳内でそう思ったのは確かだが、気づけばまた一刻が過ぎていた。
阿武隈川は、流石に鳴り出した腹を抑えて机に伏せ込む。人の体が食事いらずになればいいのにと億劫な感想を手持ち無沙汰にしてやっと、その重い腰を起こした。
途端、バキッと音が鳴る。不安になる関節の音は本当に人の体から聞こえているのか。この場に他に人がいたなら心配する声があったろうが、残念ながらこの法律家は1人を好む。
今も関節の音は聞き流されるだけだった。
また何本か、今度は故意に体を鳴らしながら、顎程の長さになった前髪をやんわりとピン留めで止めた。
この事務所の女性が『鬱陶しいから』という理由で置いていった常備用のピン留めは、明らかに嫌がらせ込みで愛らしいピンク色をしている。
今や、それを悲しんだり困ったりする様子すらなく、流れるように使用すると、ゆっくりとした動きで洗面所兼湯沸室へと足を向ける。
廊下へと出ればキンッと冷えた空気が身にささり、また一度部屋に戻った。今度は上着を羽織ってやっとのこと湯沸室へとついた時には、はて、何をしにきたんだったか?などと首を傾げながら、ひとまずコップに湯を注ぐ。
残業とは言えない彼の働きを理解して、湯沸かし器の電源を抜かないで居てくれるようになったのは最近のことだ。
熱さをコップの表面で感じ取りながら、「あちっ」と声をこぼす。かろうじて湯をこぼす事はなかったが、気持ちは落ち込んだ。
「あー、、あ、、」
ピンッと閃いた。
それはさっきまで読んで居た本に関する事で、彼の抱える案件のまさに糸口だ。
途端、急いで踵を返す。大体のことは一度その物事から離れた方が落ち着いて考えられるものだと言うが、彼に取っては本当にこの程度でいいらしい。
本当に少しだけ体が机から物理的に距離をとる程度、どうせ思考が案件から離れる事はないのだから。
パタパタと机と椅子の間にまた挟まる。
そんなにも詰めなくてもと思うほど机に寄って、彼は数枚の印刷用紙に文字を書き詰めては、また、しばらくして一刻経ったことに気付いた。
腹の虫はもう元気がないらしく、彼は徐々にやってきた眠気におされてそのまま机にゆっくりと伏せた。
阿武隈川にとっては、よくあることだ。
特段家族もなく、帰る家は冷たい。1人で過ごせるならば、事務所で過ごした方が移動もなくて楽。おまけに仕事も片付く。
上司からは自分の事務所を持つことを勧められたが、「ちゃんと仕事するので、どうか」と土下座しそうな勢いで頼み込んで今がある。
仕事はしているつもりだったがと、彼は何度も思案したが、上司としては単純に1人でも充分やっていけると思っただけなのだ。
だが、確かに、彼は1人ではやって行けないだろう。
まさに文弱。言葉の通り。
体現したような男は、気が弱過ぎていけない。
よからぬ輩に上手く扱われないように、見ていてやらないと。と、そう言う気持ちで上司は今も彼を事務所に置いている。
かく言う事情もあって、彼は居心地の良さ反面、仕事の効率化を図って夜も仕事場にいる。
半分仕事で、半分休憩。彼には仕事よりも大事なものがないのだ。
翌朝、秘書の女性のため息で目が覚めた。
「これ、つけたまま寝たら跡になりますよ?
阿武隈川せんせ?」
「ん、、あー、、おはよう、、」
その日の阿武隈川は見事な手腕で案件を解決したが、その前髪はずっと左によれていた。