FRAME/ワイン、チーズ、チョコレート :私が苦しみながら生きる話※暴力を連想させる描写あり ワイン。
素足で踏み潰した残りを飲み尽くすもの。
チーズ。
脳みそと同じ硬さのもの。
チョコレート。
銀紙越しに割れば、こんな風だったのかなって思う。
妹の死体を思うさま飲み食いして、今日も朝から逃れる。
妹の、グチャグチャになった内臓と折り曲げられた骨はどちらも人の手でやられたものだったらしい。
それを聞いたのは、朝、新聞を取りに出た私を待ち受けていた記者を名乗る人からだった。嘔吐した私を何枚か撮ってその人はどこかへ消えた。嘔吐した私の写真がどこかに載ったのか、またはそういう記事が出回ったのかどうか、私は知らない。
小さい町で被害者ヅラして生きていくのは意外と楽だ。被害者の会の集まりは二回行って、会場が遠いからとそれきりにした。ただの刺殺とか交通事故ごときで私より不幸そうな顔をする人間を見ているとイラつくから行っていないだけだけど、本音は誰にも言わないことにしている。
父は被害者ヅラして生きていこうにも私を背負っているから大変だ。大きいお腹はすっかりしぼんで、好きだった千鳥が出るなんかの番組ももう観なくなった。それでも毎日、しおれた体を引きずって会社に行っている。
私の心に傷があるのかどうかは分からないけど、体はワインとチーズとチョコレートを欲していた。ゆるい部屋着がきつくなって、相当太ったことは察していたけど鏡を見る気もない。ワインとチーズとチョコレートを食べながら、妹の壊された体を思い出すことしか、私はしたいと思えなかった。
最初の一年はそうして過ごして、二年目から父が何か言いたげな表情を浮かべるようになった。三年目の妹の命日を超えたある日、父は私を呼んで「そろそろ前を向かないか」と私に声をかけた。
「悲しかったことはわかる。わたしもまだ、受け入れきれない。でも……こうしていることは、何にもならないんじゃないか?」
「…………」
黙ってうつむいて、私は何も喋らない。
胃の中をめぐるアルコールで私はいつも気持ちが悪い。黙ったまま一時間ほど経つと父は諦めたように席を立つ。すっかり体が薄くなったせいで、対面に父がいてもいなくても同じのような気がした。
父はそうして私と会話を試みることがあった。私はそのたび何も喋らないでいることにした。
夜の私はワインの飲み過ぎでボロボロになっているから、父が私と話そうとするのは決まって朝だ。仕事に出勤する前の一時間を、父は私のためだけに使う。何も喋ろうとしない私に向ける父の言葉も尽きるようになって、私達の隙間はいつもつけっぱなしのテレビが埋めていた。
朝のうるさいテレビの声は上滑りして、耳に届いているはずなのに聞こえない。
軽やかな音楽が耳障りだ。流れだす歌がなぜだか気になって顔を上げると、三人組の男アイドルがこちらに向けて笑いかけていた。
「、テレビ、気になるか」
ようやく反応を示した私に勢い込んで父が言う。否定も肯定もしないまま私の脳は、耳に入っていたその歌声を言葉として認識しはじめた。
大丈夫 have a good day
「――大丈夫だからな」
父はそう言ってから、ドアの向こうに消えていく。
『行ってらっしゃい!』
一人になった部屋にアイドルの声が響いて、私は胃の中のワインとチーズとチョコレートを床に撒いた。
どんな言葉も歌声も。
朝を笑って迎えられる人間のものなら必要はないから。