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    @ajisai_coffee

    danmei,PsyBorg,(🔮🐑🔮only)

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    PsyBorg🐑🔮短編。
    少しSFチックなパロです。
    宙に想いを馳せたパイロットの🐑と、変えたい未来があった🔮の話。



    10/09のにじそ08にて発行の🐑🔮短編集➕αに収録予定です。

    #PsyBorg
    ##PsyBorg

    06 スパークル 腐渋の黒き海は還る生命を持たない。大気が細波を作り出し、浜へ寄せては引いていく様は無感動にただ事象を繰り返すだけだ。よそぐ風は汚染されている。すでに人が住めるような環境ではなくなってしまった、誰もいない、ひっそりと銀河の隅にある死んでしまった星で青年はひとり佇んでいた。防護服もなく、呼吸を補助するマスクもなく、彼は平然としてそこにいる。まるでかつてあったであろう、人々の営みに取り残されてしまったように。
     侘しい浜辺で膝を折りしゃがみ込む。一際大きな波がちょうど寄せてきて、青年の足元まで乾いた細かな砂が侵略された。ふと黒汁に浸してみた指は皮膚の表面がぴりぴりと、嫌な感じがする。
     運命ってそう簡単には変わらないんだな。と、何度目かもわからないため息を溢した。

     ***

     年若いアストロノーツは突如、おそらく左旋させられた。地球と他惑星の星間飛行パイロットとして従事していた男へ下艦命令が出たのは先週末のことで、上官から拝命した新たな任務地への渡航計画は猛烈なスピード感で話が進行していった。
     征くのは星外圏のギリギリ、人が開拓し得る宇宙の果て。そこで行われている探査計画の助手がファルガーに与えられた任務だった。つまるところ、パイロットである必要なんてまるでない。名残惜しく見送ってくれた同期たちへその任務地への名を問うても皆一様に首を傾げる。当事者の男も、聞き覚えすらない未知の星。これらの状況を加味して、左遷と判断したのである。しかし給与は何故か上がる。
     お上の怒りを買うようなことをした記憶は……さほどはないが、花形のパイロット業のエリートコースの道が理不尽に潰えたことに疑問は尽きない。だがそれによって心神耗弱、お暗い未来にベッドで震えて眠る、みたいな抑鬱状態に陥ることはなく。
     宙へ飛び立てればそれでいい。
     望む憧憬は見上げた夜の星々の間にあるのだと、幼き頃から知っていた。
     本部から近隣惑星まで、可能な限りをワープホールで転移する。基地から目的の星までを備蓄が積まれ用意されていた飛空艇を使い、ファルガーただひとりが飛び立った。小型の機体を操縦するのは久しぶりで、かつて舵を握っていた客船に比べれば、乗せる重みは自らの命ひとつ。気楽な渡航は鼻歌混じりの気分が良いものだった。モニターを見つめる視界の端で、クラフトペーパーの袋に包まれた荷物が光を反射して意味ありげに映る。離陸直前に施設員が手土産に、と渡してきたものだった。これで機嫌が多少はとれる、とも。しげしげと男の容貌を眺めてきたその人は『今回は自信があるな』と謎の自賛していた。
     目下、映るのは黒潮。大地が枯れ漂白された白い大地。崩れかけの遺跡はかつて栄えた文明の名残だと、事前資料に記載があった。計測器が警告音を吐き出す。大気汚染レベルが人体に影響有り、と厳しい文字列が点滅した。目標座標ポイントに辿り着けば白亜の建物の、美しい外装が異質に鎮座している。口を開いた格納庫へそのまま突っ込み、危なげなく着陸を果たした。長い滞在のために運んできた積荷を下ろすのはまた後でいい、一先ずは仕事のパートナーとなる上司への挨拶を優先させよう、と傍らの紙袋を掴み颯爽と機体から降り立った。身体に異常にフィットする機密スーツに身体を守られて、すでに頭の中に入っている施設の図面を足早に辿っていく。二重扉になっているその場所で、身体に付着した汚染物質量に問題がなければ施設の奥へ、しかしエラーが出ればシャワールームを通過してようやく入室を許可される。マスクとスーツを脱ぎ、クリーニングダストボックスの中へ投げ込んだ。息苦しさを生んでいたシャツの首元を緩め、ホワイトアッシュの髪の毛を手櫛で雑にまとめて結い上げながら解錠を待っていると、そう時間を置かずに巨大な建造物は男の入室を許可した。腕に抱いた紙袋がかさり、と乾いた音を立てる。腰から脚まで、スラリとした細いラインが交差し穏やかな歩調で無機質な廊下を進んだ。どこかから鳴る機械の駆動音が重たくじりじりと響いている。無機質なこの場所には人気がない。
     けれど、たったひとりだけ、確実にいるのだ。
     その証拠に、誰かの歌声が遠くから聴こえてくる。小さな歌声はおぼろに空気に揺れてなにを歌っているかまではわからない。甘い囁きに誘われて歩みを進める己はさながらセイレーンに誘惑される船乗りか。海を渡ったことはないんだがな、と男の唇が吊り上がった。悲しきことに男は泳げない身体だ。天を飛ぶことに抵抗はなかったが、海は生きている限り、いつまでたっても恐ろしい。
     その気持ちの良さそうな歌声の邪魔をしたくはなくて無意識に男の足音が潜められる。近づくにつれて聴覚へ届く霧がかった歌が、随分と古くも有名なジャズミュージックだと気づいた。アカペラで歌われてもなお美しい声と音程で紡がれて、男の心を擽ってくる。可笑しかった。
    『私を月に連れてって』だなんて。もうとっくに月なんて追い越しまったのに。いまかいまかと待っていた月は遠い彼方でこちらを見ながら呆然としているに違いない。
     談話室はまだ人の生活を感じられた。フェイクグリーンに彩られ、寂しい部屋にひとつ色彩をプラスする。しなやかに組まれた脚が、惜しげもなく肌を晒していた。脛、膝、太腿、そして脚の付け根まで。ギリギリ隠れた局部は浅い面積のアンダーウェアで覆い、臀部に向かって紐が通っていた。男はそれを知っている。ジョックストラップだ。尻の防御力が低すぎる。現に、スツールに座るたわわな尻の接触面があまりに無防備に肉感を描写していた。おざなりに羽織られたシャツは前を開き、サイズ違いの二連の指輪を通したネックレスがキャンバスにする白皙が目に眩しい。胸元に垂れたヴァイオレットの髪は柔らかく、穏やかに揺れる。ガラス越しの眦は眠たそうに瞬きを繰り返し、うとうとと首を傾げるたびに眼鏡のチェーンがキラキラと室内光を反射していた。
     それがファルガーと、浮奇・ヴィオレタという青年の出逢いだった。
     くあ、と口を開いて欠伸をする生理現象に遮られ、ぼやりぼやりとリピートされていた歌唱が止む。涙が滲んだヘテロクロミアがゆっくりと視線を動かし、そして男の姿を映した瞬間に、驚愕の濁った叫びとともに彼は椅子から転がり落ちた。
    「……ッたぁ〜〜〜……、は、え?」
    「…………大丈夫か?」
     盛大な転けを披露してくれた美人な彼へ歩み寄り、右手を差し出す。臀部を襲う痛みに眉を顰めていた浮奇はファルガーの手のひらと俯き見る相貌を交互に見やると、ぼうっと目を丸くし、瞬間頬が色づいた。目を細め眩しそうに男を眺めてくる青年は応える腕をのばすも、躊躇したかのように力の抜けた指先を引きぐっと握りこぶしを作る。手の甲までを覆っていた長い袖が弛み、露出した白く細い右手首にはめられた鈍色の無骨なバングルは異様に馴染んでいない。男は首を傾げた。「幻?幽霊?」と青年が警戒心を露わにしたからだ。
    「初めまして、上司殿。新しい部下の赴任についての連絡は?と言っても、あまりに突然決まった配置で話に行き違いがある可能性も否めないが」
    「……わかんない。迷惑メールに入ってるかも」
    「迷惑メール」
    「うん。前、苛ついてメーリングリストぶちこんじゃったから……」
    「はは、なら正真正銘のファーストコンタクトだな。ファルガーだ、好きなように呼んでくれていい。遥か遠くの星に来たんだ、迷惑でないのなら嬉しいよ」
    「キミが迷惑なはず、ないんだけどさぁ……」
     ちょっとびっくりしてる、と青年は自分の頬を撫でる。起きた事象に感情が追いつかない、と言った風に表情がぎこちなくて、まるで欲しいものを与えられて喜びのあまりさっと表情が抜け落ちてしまう小さな子どものように見えた。ある種素直な感情の吐露に男が眦を緩め、床とお友達になり続けている彼へ再度手を差し出し促す。触れられたくなさそうならそれまで、といつでも腕を引く準備はしていて、しかし今度はなんとも呆気なく浮奇はファルガーの手のひらを握りスッと立ち上がった。身長は男よりも低く、青年の上目で視線が合う。白色の瞳に彼のヴァイオレットが映り、淡い色彩に鮮やかな色が混ざった。
    「知ってると思うけど、俺は浮奇・ヴィオレタね。はじめまして、ふーふーちゃん」
     小首を傾げて笑みを浮かべる青年の艶めかしさと、『はじめまして』で『ふーふーちゃん』などと、気安く行われる戯れにふわふわと心が騒ぐ。華やぐような、煌めくような。経験のしたことのない胸のときめきと妙な既視感に襲われて、青年の胸元で揺れるネックレスのリングに視線を奪われる。二連のそれはどちらも古めかしいデザインでありながらも統一感はない。別々の時代に作られたアンティーク品だと一目で知れた。肌が、白い。痩せた鎖骨のラインがしなやかな印影を生み出して、肩口から溢れた長い髪の間から首筋の黒子が見え隠れしていた。
    「……服を着てくれ」
     そう自分の胸元を叩いた男に促されて己の姿を見下ろした青年の耳が赤くなる。
    「いや、あの、言っとくけどさ、いつもこんなんじゃないからね?さっきシャワー浴びたばっかりで……まさか人がくるって思ってなかったし」
     へへへ、と曖昧に口角をあげて浮奇はシャツのボタンを下から留めていく。オーバーサイズのゆるい衣服は青年の下着を内に隠し、腹、胸へと上がる間際にオッドアイがちら、と男の様子を一瞥した。そのたった一瞬の視線の交差で、ファルガーが青年を片時も目を離さず見続けていたことがバレてしまう。途端に湧いた罪悪感と居づらさに閉口した男の様子にくすくすと和やかな笑声が薄い唇から漏れた。
    「ごめんね、ふーふーちゃんが突然転属決まったのって、たぶん俺のせいだ。前任者を追い出して結構経つからもう諦められてたと思ったんだけど」
    「?」
    「あ〜〜……、えっとさ、銀髪で、灰色の瞳で、胸が大きくてお尻が小さい男じゃなきゃ一緒にいるのも嫌だ、って申し送りしててさ」
    「……まぁ、尻はない。不本意だが」
    「んふふ、見つからないならもうひとりにしてくれって言ってるのに、なんか惜しい感じの人ばっかりくるからうんざりだったんだ」
     ―――でも、キミはそのままだね、と。
     並べ立てた浮奇の好みに見事合致したファルガーを讃える文言にしては随分といとしく感情が募り、割に乾いていた。下瞼が膨らんで柔和に微笑む青年の『好み』の元になったであろう『誰か』に対して、男が胸で燻る仕様もない嫉妬心を喉から出てこないように抑えた。
     抱いた憧憬も、思慕も、歪な感情で覆ってしまうにはあまりにピュアで簡単に掻き消されると思った。男が俯き見た先にいる美しい青年は垂れた横髪を白魚の指で掬い、耳殻沿わせかける。ガラス越しの長い睫毛が瞬いた。無意識に引き寄せた腕の中でかさり、と紙音が鳴る。その存在を思い出し、小さく軽い、託された手土産を青年へ渡すと、神妙に中身を確認した彼は「コーヒー!」と歓喜に沸いた。丁寧にパッキングされたドリップコーヒーのパッケージをくるくると回し見て、ちらりと男の様子を伺いあざとく首を傾げる。
    「コーヒー、飲める?」
     喉がカラカラに渇いていることに気がつく。身体を侵食する緊張感は青年の柔いウィスパーボイスの響きで緩和されて、ふ、と薄く浮かべた笑みで答えた。
    「飲めるよ、おこぼれにあずかっても?」
    「あはは、俺だけ楽しいティータイムでキミは見てるだけなんて、そんな意地悪なことしないもん」
     座っていて、と促されたスツールに腰掛け、奥の簡易キッチンへ向かう青年の後ろ姿を眺める。ウォーターサーバーからケトルへ水を注ぐ彼は男の姿を目に映さず、なんてことないように問うた。
    「ねぇ、キミってさ、自分がここに来た意味というか……周りに望まれてることがなんなのかわかってるの?」
    「?……浮奇の仕事の助手だと、聞いている。元パイロットに何が手伝えるのかは知らないが」
    「ふぅん、助手かぁ……聞こえはいいね。極論を言うとキミはここでのんびり俺とお茶をして、好きな時にご飯食べて、シャワーを浴びてすっきりして、気持ちよくたくさん寝て、自堕落に家畜みたいに過ごしたって怒られないよ。俺から目を離さなければ」
     どういう意味だ、と掠れた低い問いかけは振り返った青年のヘテロクロミアに呑み込まれる。
    「ふーふーちゃんの仕事はさ、俺の監視だよ」
     言葉を失う男の双眸の先で、浮奇・ヴィオレタは「パイロットってカッコいいね」と花が綻ぶように笑った。

     ***

     曰く、浮奇・ヴィオレタはサイキックであると。
     感応能力に秀でており、死んだ星の滅びたる所以を調査するのが仕事なのだと。過去の事例を知ることで環境汚染が続く母星を救う手立てを探す。未来を思えばこそ、必要な行為と浮奇も当初はそれに納得し協力していた。けれど青年すら朧げにしか把握していなかったESPとしての力の強さが明るみになるにつれて周りを取り巻く環境が目に見えて変わっていったと言う。物質に感応する思念派の強さは他の追随を許さず、この世界に彼ほどの人はいない。
     その唯一は今、地球とは違う遠い星に秘匿されている。人を避ける青年は他人を頼れない。誰もいない枯れた地にひとりきり、彼は死せるモノたちと会話をする。
     結局のところ、程のいい軟禁状態に陥っていた。

     
    「ふーふーちゃんの評価が上がるように仕事しようかな」と服を着込み、青年は男を外に連れ出した。防護スーツを身につけなければ土を踏み締める事すら叶わない男に対して、青年は着の身着の儘で肌を見せている。焦るファルガーへ笑いかけた浮奇は平然と歩みを進め、彼を先導した。そんな生きるうえで些細なことに歴然とした差異を感じて、己の着膨れした腕を引く華奢な手のひらの主が特別な存在であることを突きつけられる。
    「今は海の方をメインにやってるんだ。もともとこの土地がダメになったいちばんの理由って水資源のバランスが崩れたのがきっかけになったからね。消えた魚影のおおまかな順番なんかを聞き回ってる」
    「聞く?」
    「残留思念ってわかる?それを辿っていくと、結構みんな話してくれるよ。変なこと言ってくることも全然あるけど」
    「……途方もなく、普通の人間には理解が及ばない世界だな。いわゆる幽霊みたいなものか?」
    「え、いま幽霊とかの話しないでよ。……このあたりでいいかな」
     十数分は歩いただろうか。青年は黒い波が寄せる砂浜で、男の腕を離した。
    「キミはここで見ていてね。俺が触れるよりもふーふーちゃんの方が良くないだろうから」
    「助手の仕事は?ただここで突っ立っていろと?」
    「暇だったら帰ってもいいよ。どうせ俺もほかのどこにも行けないし」
     不安げに眉を顰める男が心配しているのがわかったから、それを拭い去りたくてちゃんと笑った。歩き慣れた浜の細かな粒子がブーツに乗ってはさらさらと力なく落ちていく。打ち寄せる波の麓で青年は腰を落とした。両腕を黒海に浸し、それから濡れ痺れた両掌で水を掬いあげる。胸元に引き寄せて何度語りかけたかも覚えていない呼びかけを思念にのせた。波のさざめきの間に漏れ聞こえる今にも消え入りそうな声を探し当てる。決して刺激をしないよう静かに寄り添い、いくつかの質問を問いかければ脳内に直接響く形でぼんやりと答えが返ってきた。届く思念は恩讐と呼ぶに相応しい。怒りと後悔と絶望が浮奇の思考じりじりと侵食し、水に浸った半身は冷たいのに額には汗が滲む。強い負の感情が干渉してきて青年を貶めようとするのがわかった。こういう時に、浮奇は傍からいなくなってしまった愛しき人々のことを思った。いない悲しみを募らせて、心の隙間をぴったりと埋めていく。そうすると無遠慮に踏み荒らそうとしてきたよそ者の想いを跳ねのけられる。いつだってとりわけ強く想ったのはホワイトアッシュの細い髪の毛と、白色のガラスのように透き通った瞳への情愛だった。
    「浮奇、」
     聞き馴染んだ呼び声はどんなに月日を経ても同じ響きで浮奇の心を癒す。背後を振り返り、また唇に笑みを浮かべようとした青年をまるで罵るように一際強い波が叩きつけ、頭までをぐっしょりとずぶ濡れにした。反射的に閉じた瞼の裏で、より強い感応がフラッシュバックする。悲哀の懇願は過ぎれば呪いのように他者を苛んで、その主たる願いすらすり替わり変容してしまうのだと、痛いほどに理解していた。
    「……ふん、ほんのたったこれだけで恨み辛みを八つ当たるなんてヒステリックすぎ」
     呟いた皮肉に過剰反応した叫びが脳で木霊してうるさい。耳を塞いだって楽にはならない金切り音に深く息を吐いた。同じだけの悲しみで満たさなければ裏切り者と侮蔑され、その度に魂まで擦り減るような感覚に辟易とする。乱暴に浴びせられる波浪がうねり、青年を襲い、掛けていた眼鏡をチェーンごと浚った。あ、と咄嗟に胸元を押さえた掌にはリングの感触が残っている。安堵したのも束の間、身体を支えるに油断した片腕を海へ引き摺り込もうとする純然たる悪意が鎌首をもたげた。
     溺れちゃう、青年がそう思った瞬間に強い力で身体を抱き上げられる。宙に浮きバランスが崩れたのを小さな悲鳴とともに傍らの体躯に縋った。背中を支え、膝裏を纏めて横抱きにされて、見上げた先には防護マスクの薄いフィルター越しの男の横顔。
    「……もういいだろう」
     低く唸るような、感情を抑えた声音だった。
    「ねぇ、降ろして。……キミが濡れちゃうから」
    「大人しくしてろ」
     ぼたぼたと滴る水気と、男に触れた己の濡れた身体が気になって僅かに身動ぐと、余計に抱き上げる力が強くなって自由が効かなくなる。その閉塞感に酷く安心して、気が抜けて力が抜けていった。
    「なにをしているのかも、なにをさせられているのかも、充分にわかったさ」
    「……?」
     男と目が合わない。青年を堅く抱きしめたままファルガーは海から離れてる帰路を征く。ぼんやりと意識が揺蕩う中で、じっと男の表情を眺めていた浮奇の厚い唇がぽつり、と漏らした。
    「もしかして、怒ってるの?」
     青年の問いに男の歩調が緩む。スローペースなそれはやがてぴたりと止まって、ようやくファルガーの顔が腕の中の浮奇を見つめた。
    「……すごく」
     唇だけで笑った彼の眦は慈しみを湛えて青年を映した。怒ってるくせに、そんなに優しい顔をするんだ、と。それを最後にして青年の疲弊した意識は途切れた。

     ***

     眠っている人間というのは重く、抱きにくい。気軽に「おんぶして」「抱っこして」と請われ、しぶしぶそれを了承した経験があるのなら、対象が『そういうつもり』で体重を預けてくる場合の身の置き方があったのだと体感する。まるで電源が切れてしまったように会話の途中で瞼を閉じた青年の呼吸は安定していた。まずは、休ませなければと急ぎ歩く男の、浮奇を抱き上げ負担がかかっているはずの腕は安定していて疲れを見せていない。程なくして見えてきた蜻蛉返りの建物の、人感センサーに反応して口を開いた扉に入り込むと不穏な警告音が鳴り響いた。つい唇から溢れた舌打ちは男の不快感を指し示し、一度硬く平らな床へと青年を降ろす。濡れ身体の冷えた彼の顔色はお世辞にも良いとは言えず、その青白さに細くため息をつきながら身を包むスーツを脱いだ。防護服を脱ぎさえすれば、男の入室は許してくれる。けれど青年はそうもいかないだろうと、意識のない彼の服に手をかけた。シャツの合わせ目を開き、腕を抜く。スラックスのベルトの金具を緩め、アンダーウェアごと引き下ろした。あっという間に丸裸になった青年が身につけているのは首のリングチェーンとバングルのみで、痛々しいほどに痩せぎすの肢体に白色の眦を顰める。再び青年を抱き上げた男はそのままシャワー室へと向かった。狭い個室はギリギリ男と青年が座り込めるくらいの広さしかなく、温度設定を確認しつつファルガーは浮奇を抱き寄せる。そして自分が濡れるにも関わらずスイッチを押せば、天からぬるい無数の雫が降り注いだ。その強い流水が青年に直接かからないように身を挺して防ぐ男を経由して、ゆるい温水が浮奇の身体を洗い流し清めていく。左腕で青年を抱えたまま、服が張りつき動かしにくい右腕でヴァイオレットを梳いた。慎重に指を通す手櫛は乱暴に彼の髪の毛を引っ張らずにいて、男の胸の内に巣食っていたひたすらな思慕が込められる。星の亡者と精神感応する浮奇の思念はその強さゆえか、男の脳にも叩き込まれていた。第三者はただの傍観者として彼らの会話を見つめることしかできずにいたが、だからこそ目の前の事象を冷静に観察することができて、確証を得る。
     大切に大切に心中に秘めた宙への慕情はこの青年が果てだ。
     自分は浮奇・ヴィオレタの声を聞いて、宙へと飛び立ったのだ、と。
     諦観と悲しみと、微かな希望はいつだって幼き日のファルガーの心を突き刺す。小さい頃はたくさん聞こえてきたそれが、大人になるにつれて徐々にその頻度を減らしたことに酷い焦燥感を覚えた。他の誰にも聞こえずとも、男の耳に響く優しい囁きに対し何度も空に想起した甘い情愛は幻ではないのだと証明した。
    「……浮奇、……うき」
     どれほどの感情を込めても、想いが詰まりすぎた呼び声は可笑しな淡白さで反響する。男の銀糸を通った水雫が無感動に青年の頬を濡らして、薄い瞼がふるふると震えた。
    「浮奇」
    「……ん、」
     薄く開かれた瞼の間で、宇宙を閉じ込めた瞳が緩慢に男を見る。一度瞬きをして、不思議そうに青年は小首を傾げた。また瞼の裏に瞳を隠した気だるげな様子の彼が男の腕の上で身動ぎ、は、と目を見開いてファルガーを見上げた。唇が戦慄き、可哀想なほどに萎縮していた。
    「ふ、……ふふ、ちゃん……?」
    「浮奇、……」
     どうした、と声をかけるはずだった。けれど急に身を乗り出し体重をかけられて、青年を抱きしめたまま男は背中からバスタイルに転げた。
    「……ふーふーちゃん……っ」
     穏やかなウィスパーボイスが吐き出した悲痛な呼び声に、今度は男が動けなくなる。男を押し倒し、マウントをとった青年の瞳はゆらゆらと不安定に揺れていて意識の混濁をファルガーに伝えた。現実と夢が入り混じり、そこ強烈な感情がのせられて朦朧とする。起き上がれない。
     男の機械の左腕が、青年に捕まっていた。
     見降ろすヘテロクロミアの瞳が一心にファルガーへと注がれる。頼りない天井のライトを背にして、ぽたぽたとシャワーの甘滴がヴァイオレットから伝う。泣きそうに、熱っぽく見つめる青年に、男は見惚れた。
    「……んっ、はぁ、ふ……んぅ」
     柔らかいものに唇を塞がれて、当たり前のように唇をひらいた。途端に捩じ込まれる舌が熱く口内を蹂躙して、唾液混じりのぬるりとした先で奥に引っ込んでいた舌を絡め取られる。頭を振り乱し夢中で貪ってくるいやらしい口蓋と、ふすふすとかかる興奮した鼻息が性感を刺激した。
    「ふっ……は、ぁ……っ」
     胸元がぴたりと合わさって、青年の素肌の感触に身体が粟立つ。溢れそうになった唾液を躊躇いなく啜られ、また舌を擦り合わせて、呼吸を奪われた。舌が痺れる。キスをしたまま、不恰好に青年の名を呼ぶと、ようやく触れた唇が名残惜しそうに離れていった。
    「……ふーふーちゃん、好き」
     ぼろぼろと涙が、青年の瞳から溢れる。
    「ずっと好き、キミのことだけ、ずっと好きで、忘れられないよ……――――また、逢えて嬉しい」
    「……それは」
     本当に俺なのか?と。支離滅裂な時系列が生み出されている。けれど、それを否定し切れない。男だって青年の存在を、認識するよりも遥か昔から知っていた。
     狂おしいほどの多幸感に襲われて、男の思考が上手くまとまらない。ふ、と力の抜けた身体がファルガーに覆い被さる。その身体の重みすら愛しくて、胸を締め上げる切なさに耐えられない。疲れたような侘しいため息が温いシャワー室に反響する。
     この痛みを癒してくれるのは、甘く密やかな青年の囁きしかないのだと思い知らされた。

     ***

     目が覚めて見上げた天井は、もう何年も眺めてきた見慣れた天井だった。背中のベッドの感触だって皮肉にも馴染んでいる。シーツの衣擦れが心地良くて、その柔らかさがいつも寂しさを生んだ。ぼぉっとそこに映しただけの視界は青年の私室の、照明のない平坦に塞がれた天で満たされて、サイドテーブルに置かれたカラフルなガラスのランタンがつるりとした表面に淡い色の光を伸ばして煌めいた。脚を動かし、清潔な布地の上を滑らせる。そうして青年は自分がなんの衣類も身につけていないことに気がついた。どうりで変な解放感があると、……と?思った瞬間に勢いよく起き上がり、己の胸元をぺたぺたと手のひらで触り始めた。いくら撫でても肌、骨、それだけ。目当ての感触がないことを知り一気に頭から血が引いていく。自分がパニックに陥る兆候を敏感に感じ取って、浅くなった呼吸を必死に宥めた。忌々しいバングルを一瞥し、眉を顰め悔しさに歯噛みする。なんで、どうして、と握った拳は自らの太腿を叩いた。俯いた肩口から髪の毛が遅れて溢れてゆらゆらと揺蕩う。頭痛に苛まれた視界がぐちゃぐちゃに歪みそうになったその端で、影が動いた。
    「……チェーンは首にそのまま。リングは後ろにいってる」
     静かな蜜声が青年の聴覚に届いた他人の憤懣を煽らない掠れて落ち着いた声音に慰められ、導かれた首元に触れて指に引っ掛けたネックレスチェーンを引っ張る。するすると線を伝い流れてきた二輪が何事もなかったかのようにそこにあって、くしゃりと青年の表情が崩れた。震えた唇は力なく「ありがとう」と傍らの男へと言葉を紡ぎ、鼻をすする。
    「気分は悪くないか?……疲れているだろう」
    「……平気。ごめんね、キミがあそこから連れ帰ってくれたの?」
    「他に誰が?」
    「へへ、ふーふーちゃんしかいないよね」
     男が差し出した水入りのグラスを受け取る青年には警戒心が欠片も見受けられず、口をつけて乾いた喉を潤す姿をじっとファルガーは見続ける。彼の口ぶりからして、シャワー室での出来事は記憶にないか、なかったことになっているか。結局のところ、男にはそのどちらでもよかった。男の中にある記憶で紛れもない事実として残っている。唇を奪われたことを糾弾するつもりはこれっぽっちもない。話したいのは、そんなことではなかった。
     男が青年のいるベッドの端に腰掛けると、弾みと共に軋む不恰好な音が鳴る。近しい人の気配に浮奇は上掛けを手繰り寄せて露出したままの肌を隠し、恥ずかしそうにはにかみながら彼は男へと視線を注ぎ、憂いを含んだ双眸が濡れた。
    「キミにはカッコ悪いところばかり見られていて嫌だな。いつもはもっとうまくやるんだよ?」
    「そうだろうな。だったらあんなこと、長く続けられないさ、普通の人間なら発狂してお終いだ。……自分が擦り減っている自覚は?」
    「ふーふーちゃんはカウンセラーもしてくれる助手なの?」
     揶揄うような軽やかな笑声が男の耳を撫でる。
    「生憎とカウンセラーの資格は持ち合わせてない。が、助手としてお前の状態をしっかりと見極めて、必要があれば休養を打診する権利くらいはあるんじゃないか?」
    「休養ねぇ〜……」
     膝を引き寄せ、乗せた腕に顔を埋めた青年が横目で男を見つめた。
    「ねぇ、ちなみにキミの任期ってどのくらい?定期で帰投は命じられてるよね、三ヶ月?……半年?」
    「…………一年」
    「長すぎ!?」
    「そうか?」
    「そうでしょ……」
     それまでゆったりとしていた青年の表情が剣呑さを帯びてぶつぶつと小さな独り言を呟く。若い独り身の出張なんてそんなものだろ、と男が曰うと、じろり、と何故か睨まれる。その胡乱な目つきがやけにファルガーには可愛らしく感じられて無意識に綻んだ口角が浮奇のため息を呼んだ。
    「ふーふーちゃんさ、一カ月で充分だから。そしたらもう帰りなよ。俺、キミの上官にはちゃんと良いように言っておくし」
    「は?」
    「こんな辺境の星まで、俺の我儘で来てくれてありがとう。ごめんね」
    「待て、なにを……」
     雲行きの怪しい話の模様に身を乗り出した男を目の前に差し出した手のひらだけで容易く制する。
    「…………ここで、キミが出来ることってほとんどないんだよ。ただ飼い殺されるだけの一年は、ふーふーちゃんの人生の時間が勿体無い。だからだめ」
     帰って、と青年は冷淡に繰り返した。諦観に満ちた表情は男を突き放し、それでも柔和に笑みを浮かべていた。
    「飼い殺されてるってわかっているならなおのこと、……浮奇はどうしてここにいる?」
     どんな理由を聞いても納得はできない、するつもりもなかったのに、唇は問いかける。
    「……俺にいて欲しい人たちがいるから」
     その瞳は男を見てはいなかった。うつむく先にある、細い手首にはめられたバングルが不気味にほの暗い光を点滅させていた。それが電子機器であることに気がつく。繋ぎ目のないそれは彼の白い腕に喰いつき離れることはないのだろうと、煩わしくも察せられた。
    「悪いな。俺はそれを理由として認めない」
    「……そんな、だって、」
    「『浮奇』の理由は?」
     真直ぐに見つめる白色に青年が気圧され怖気づき、身を引いたその腕を男が掴んだ。息を呑む浮奇の表情が怯えに染まって、なのに目の当たりにした男の怒りにどうしようもなく縋りたくなる。
     ああ、本当に、この人に会ってからなにもかもがうまくいかない。
     うまくいかないことに疲れ切って、茫と過行く日々をこなし、誰もかもが自分を忘れてくれる日を待っていたのに。
    「だって……、」
     本当は言わなくていい。言ったらまた苦しくなる。
    「……だって、俺にしかできないのかもって思ったから。傲慢で、思いあがりも甚だしいって笑ってよ……。っでも、これで未来が変わるなら、汚染されちゃう先の世界が救えるならって……そう、思ったんだよ……」
     馬鹿みたいに、運命って変わらない。
     そう悲嘆に咽ぶ青年の華奢な肩は凍え、自らのしかけてしまった願いの重さに沈んだ。男に掴まれたままの腕を引かれて前のめる。その手荒さに抵抗しようと思ったのに、肩甲骨の下あたりを撫で上げた手のひらがやわく青年を抱き止める。
    「……ぁ、……」
     気づけば唇が塞がれていた。男の厚いそれは乾燥していて、硬くなった皮が青年のやわらかな表皮を掠める。胸が高鳴った。荒んだ神経が簡単に、ただこれだけで安心を覚えて、単純だな、と青年は自嘲した。唇に落とされたキスは次いで顎に、それから首筋を啄む。反射的に漏れた甘い喘鳴が恍惚を招いた。全てを投げ出したい衝動に駆られて、けれど細めた双眸が男の背後の、つまらないデスクを映し身体を強張らせる。大して力が入らず強くもない力が、それでも必死に男の胸を押し返した。
    「……だめ、ふーふーちゃん、…………ここ、監視カメラある、から」
    「…………どこに?」
     男の剣呑な響きを纏う問いに、青年は小さな囁きで「デスクの上の、アラームクロック」と答えた。静かに一瞥した男の瞳には確かな苛立ちが込められて、色濃くなった白色が睨む。また青年に向き直ったファルガーは彼の腕を退けて肩を押し、皺が寄ったシーツの波の中へ沈め組み敷いた。背後の不躾なレンズには男を膝の間に迎えて開く、青年のしどけない二本の白い脚のみが映る。他の全てを男が覆い隠し、浮奇の視界すら自分で満たした。テーブルランプの彩りは、美しい鮮やかさで男の銀糸に光を投影した。肌の距離が近くなる。体温と、男の香りと。五感で感じられる何もかもが愛しき情緒を刺激した。
    「世界は浮奇ひとりが犠牲になって救わなくてもいい」
     低く重く耳に吹き込まれた、青年にだけ届けられる囁き。驚愕に瞠目した美しい瞳を男は眺めて、ふっと唇を綻ばせた。
    「星を探していたんだ」
     ずっと昔から声だけが聞こえていた、と。男の左腕が浮奇の手首に触れる。そこにあるバングルを力強く握るとミシミシと軋んだ。
    「地球にいたら出逢えないと思って、こんな遠くの宇宙の果てにまでくることになった」
     聞き慣れない嫌な音が鳴って焦った青年が止めるよりもはやく、男の握力によってヒビの入ったアクセサリーが無惨にも割れた。己を閉じ込めていた枷が呆気なく落ちて、呆然と浮奇はファルガーの腕を見つめた。目が離せない。自由になったその手で彼の左手を辿る。しなやかな肌の感触とは程遠い、硬く無機質な機械の腕がそこにあった。
    「……サイボーグ?」
    「別に、今時珍しくないだろ。それで、囚われのお姫様は誘拐されてくれるのか?」
    「…………ふーふーちゃん、若いのに、人生を棒に振るよ。俺と一緒にいるのって大変なんだよ?」
    「駆け落ちは多少スリルがあった方が燃えるさ」
    「……おばかさんだね、キミ」
    「恋に盲目な身勝手な男の自覚は過ぎるほどにあるよ」
     青年の腕がのぼり、男の首裏で組まれる。請われるままに落としたくちづけは熱く、甘く、心臓を鳴らし、きっと身体を重ね合わせたら気持ちがいいだろうな、と思わせた。
    「俺さ、知ってる。……サイキックとサイボーグが揃ったら最強なんだよ」
    「困ったな、俺の腕は戦闘用に改造されてないんだが。非力なしがないパイロットだ」
    「んふふ、それでもキミは俺のスーパーヒーローじゃない。まぁ俺がふーふーちゃんを守ってあげるから」
    「はは、お姫様は男前だ。惚れそうになる」
    「もう好きになってるんでしょ?」
     セックスを模倣した蜜やかで誰にも聞かせないひっそりとした内緒話が心地良い。その最中に男が腰を突き上げ、咄嗟に飛び出す青年の濡れた甘え声が臨場感を呼ぶ。僅かな沈黙の後、「……主演男優賞を受賞できる」と呟いた男が妙におかしくて、くすくすと静かに笑った。

    fin.
     
     
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    あみ🍻ᵏᵘᵒⁿ

    DONE🐑🔮PsyBorg短編。
    星が降った夜の、ひとつの未来に辿り着いてしまう話。

    01 ハロー・ワールド
    https://poipiku.com/1428410/9077489.html

    02 マーメイドシンドローム
    https://poipiku.com/1428410/9150065.html

    03 allo allo
    https://poipiku.com/1428410/9260613.html

    04 Ici
    https://poipiku.com/1428410/9286705.html



    10/09のにじそ08にて発行の🐑🔮短編集➕αに収録予定です。
    05 fleeting moment「……――ぁ、」
     眠りの淵で意識が揺蕩い、しかし唇から漏れた小さな驚嘆が外へと無碍にも押し出してしまう。薄い瞼の裏側で眼球が揺れ、長く生え揃った睫毛がふるふると震える。細い月のような間でそっとヘテロクロミアの瞳がその色彩に光を湛えた。
     外が明るい。けれど夜明けにはまだ足らないはず。一体なにが、誰が自分を醒ましたのか、と言う疑問が眠たげな視界の霧を晴らし、けれど安眠と寝心地のいいベッドへの名残惜しさに枕へ頬を押しつけた。汗をかき細くなった前髪の束が目元を擽る。肌触りのいいブランケットから露出した肩は外気に触れてひやりと冷たさがあれど、背後から抱きしめてくる人の体温が青年を守っていた。首元にかかる寝息が恋人の眠りの深さを証明する。腰にまわされた男の緩やかな腕の拘束を解き、素足をベッドの麓へ降ろした。ブランケットが体から滑り落ち、一糸纏わぬ肢体を晒して青年はその柔く優しいモノたちを寂しくベッドへ置き去りにする。白皙に残された無数の鬱血痕と首筋の歯形は男と睦み愛し合ったマーキングで、そのひとつひとつを目で、指で辿る度に彼への愛しさで胸が詰まった。サイドチェアへぞんざいに引っかかったナイトガウンを羽織る。襟に巻き込んだ長くウェーブの掛かったヴァイオレットをうなじに這わせた手の甲で引き出すと、丸まった毛先が宙でふわふわと踊った。音を消して歩くのは靴を履いている時よりも簡単なはずなのに、内股を伝った体液に足が縺れる。散々吐き出された清液は青年が身悶えするほど丁寧に男の指で掻き出されていて、ならば今まさに垂れてきているコレはなんなのか。下腹がじくじくと炙られるような快感を拾う。思い当たらないこともなかった。男に抱かれることに慣れきった身体が勝手に後腔を濡らす。奥の、奥まで受け入れて。そうして愛液のように吐き出される腸液の存在を、男でも濡れるようになるのだと、青年は知っていた。
    2637

    あみ🍻ᵏᵘᵒⁿ

    DONE🐑🔮PsyBorg短編。

    他人の結婚式で出逢うはじめましてのふたりです。お互いに紛らわしいことをしていた話。

    10/09のにじそ08にて発行の🐑🔮短編集➕αに収録予定です。
    03 allo allo 西洋様式の古い邸宅でのウエディングは近年、高齢層の人気を集めていると聞いたことがある。勤務先の上司が選んだ式場はエントランスに見上げるほどの大木があり、石畳と白い漆喰壁がレトロな様相の一軒家だった。話によれば、国の指定天然記念物なのだという。駐車場に限りがあると聞いていたために、男は同僚と最寄り駅で合流しタクシーを乗り合わせて会場へと到着したのだが、冷房の効いた車内から一歩足を踏み出せばじっとりとした汗が滲んでいくのが分かる。蝉の鳴き声が頭上から降ってきて、一体何匹……、何十匹いるのか。猛烈に聴覚をつんざいていき、眉間をつい顰めるほどの不快感にため息をついた男を鈴の鳴りのような軽やかな笑みが宥め、彼の名を気さくに呼びながら広い肩を押す。その細い手のひらでエントランスへと誘導されながら横目で木陰の麓を窺った。背の高い灰皿が置かれて、喫煙所となっているその場所から耳に届く談笑から察するに、おそらく男と同じ参列者のものだろう。
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