Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    suika

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🐲 🍉 💜 💗
    POIPOI 44

    suika

    ☆quiet follow

    バルトスと赤ちゃんヒュンケルのお話です。
    2021年12月11日に開催されましたwebオンリーイベント「不死身の長兄」に寄せて。

    乳児の育児に関してはフィクションとして書いています&ご理解いただいた上でお読みください。

    ##銀色の道

    揺り籠「山羊を何頭か連れてこい。乳が必要だ」

     黒煙がそこかしこから立ち登る街から撤収する間際、バルトスは部下の魔物達にそう命じた。

     ***

    「おお、起きたか。腹が減ったのか?」

     地底魔城に戻って一刻もしないうちに、目を開けて泣き声を上げ始めた赤子は、しばらくぐずっていたがそのうち火がついたように泣き出す。顔を真っ赤に染めて全身を震わせて泣くその姿は、地獄の剣豪をも慌てさせる勢いだった。

    「よしよし。これはまいったな。乳はまだか」

     やっと魔物が絞った乳を器に入れて持ってくる。口元に器を付けてやると、赤子は泣きながらもおぼつかない仕草で必死にそれを飲み始めた。しかし母親から直接もらうのとは違って器からではうまく吸えないためか、吸い付く口が離れてはまた泣きじゃくる。
     この小さな体のいったいどこにそんな力が、と呆れるほどの力強さで泣く赤子を抱いて、揺らして器を支えてあやしてやって、自慢の六本の腕を全部使ってもまだ足りないのには流石のバルトスも困り果てた。人間はたった二本の腕でどうやって赤子の面倒を見ているのやら。
     あまりの主人の様子に魔物たちも集まってきたが、屈強な魔物が何匹集っても、猛然と泣く赤子を止めることはできなかった。
     それでもその生存本能は大したもので、長い格闘の末にやっと器に半分ほどの乳を飲み干した。赤子は、満たされたのか瞼をうとうとと閉じ始める。

    「……眠いのか」

     しかしそこからがまだ大変だった。
     赤子はかくりと眠りかけてはまた火がついたように泣き、眠いのだろうに瞼を完全に閉じようとしない。むしろ先ほどよりもさらに泣き方が苦しそうになる一方だった。
     泣きすぎてえづく様子すら見せる赤子をなんとか宥めようと抱いた腕を高く上げた瞬間に、げぷ、と音を立ててせっかく飲んだ乳を吐き出したのを見て、バルトスと周りの魔物達は揃って目を剥いた。

    「いかん、これは」

    「この赤ん坊、病気なのでは」

    「なんと、哀れな……折角とりとめた命というのに」

     しかしなぜか赤子の表情は安らかになった。襟元を汚したままけふ、ともう一度満足げに息を吐いて、連れてきてから初めての笑顔らしきものを見せる。

    「えああ」

     高く持ち上げた赤子の舌足らずな笑い声に、魔物たちは思わず微笑み、揃って胸を撫で下ろした。

    「腹が苦しかったのか……?」

    「そうかもしれません」

     その後も機嫌良く笑うこととぐずることを繰り返して、赤子がやっと完全に眠りに落ちた時には、もう数刻が経っていた。
     赤子はバルトスの腕の中に収まってすやすやと寝息をたてていて、溢れた乳と涙でべとべとになった腕の汚れは、しばらく落としにいけそうもない。

    「これは先が思いやられますね」

     集まった魔物の一匹がそう呟く。
     眠る赤子の安らかな顔からは、先程の大騒動の気配もない。銀色の柔らかい髪の毛を撫でてやりバルトスは苦笑する。

    「……風呂も必要だな。起きたら服も替えてやらんといかん」

     ふと気付いてそっと付けたままだった革手袋を取る。ふくふくと白い満月のような頬に触れる死者の指はいかにも不釣り合いで滑稽ですらあった。血肉を持たない自分にはその温かさも感じることはできないはずだったが、しかし冷たい骨の指先に確かに温もりを感じたような気がして、バルトスは不思議な気持ちで目を伏せた。

    「……名が、あっただろうにな。喋れるならまだ知りようもあったが」

     周りに親らしき死体は発見できなかった。とすれば子だけ打ち捨てて逃げたのだろう。やむに止まれず捨てたのか、それとも初めから養い切れぬ子だったのか。しかしそもそも襲撃が無ければもうしばしの間、親の元にいられたことは確かだろう。
     そこまで考えて、バルトスは考えるのを止める。
     弱者にたとえ直接手を下さずとも、どこかでこのように不幸を作り出すことなど分かり切っていること。背負う覚悟もないなら剣など捨てた方が良い。

     ——ならば戦いしか知らぬこの骨の魔物に、いったいどうしてこんな感情が生まれたのか。

     瓦礫の中で泣く赤子を見て、哀れな、庇護してやらねばならぬ、と思ったのだ。
     起こさぬようにそっと頬から手を離して赤子を眺める。このまま手を離せばもうすぐにでも死んでしまいそうなか弱い存在。
     そうして見るうちに眠ったままの赤子がぷる、と一瞬震えたのにすわ起きるか、と思わずまた身構えたが、赤子は再び安らかな眠りへと戻っていく。
     しかし安堵のため息もつき切らないうちに、腕の中の赤子を包む薄布にみるみる滲みが広がって、バルトスと魔物たちはしばし沈黙した。

    「……着替えと風呂は、今すぐだ」

    「……今すぐですね」

    「湯を沸かせ。盥と清潔な布を、集めてこい。急げ! また泣き出す前に、準備しておかねば」

     戦と同じ素早い指示に魔物たちがわらわらと動き出す。
     果たしてその後、盥に用意された風呂に入れられた赤子は満腹の安眠を邪魔されて泣きわめき、もう一度眠りに落ちるまでにまた一刻はかかったのだった。

     ***

     籠にかき集めた柔らかい布を敷き詰めた、急拵えの揺り籠のなかであああ、と赤子が泣き声をあげる。

    「おお、また起きたのか」

     バルトスは籠を覗き込むと、絞っておいた乳を入れた器をとぷりと湯に浸し、早く温まるようくるくると揺らす。赤子は焦れたように籠の中でぐずぐずと泣いていた。

    「もう少し、待っておれ。今温かくなるからな」

     声をかけるが腹を減らした子どもがそれでおさまるはずもなく、また薄暗い魔城に似つかわしくない泣き声が響き始めた。
     魔物たちがこの不思議な状況にまたそわそわとやってくる。骸骨剣士とオークとミイラ男が顔を揃えて赤子を覗き込む姿は、せいぜいが煮て食うか焼いて食うかの相談をしている姿にしか見えまい。この小さな生き物に振り回されているのは魔物たちの方なのだが。

    「待てんか。どうしたものかな」

     揺らすくらいではとうてい泣き止まない赤子に、バルトスはまだ温まり切らない乳に指を浸して口元にやる。すると赤子は乳のついた硬い骨の指先をちゅうちゅうと吸って、それを二度三度と繰り返すとぐずる声が少しずつ楽しげに転調していった。

    「何か吸いたかったのか」

    「乳が吸える仕組みを、作ってみましょうか」

    「ばぅ」

     まるで頷くように声を出す赤子に魔物達は笑った。

    「少し機嫌が治ったか?」

     バルトスが人差し指をたてて赤子の目の前でゆっくりと回してやると、ぱちりと見開いた大きな瞳が同じ速さでそれを追いかける。

    「だ!」

     まだ言葉にもならぬ声に、遠い、いつかの記憶が過ぎった気がして籠を揺らす手を止める。どこかで、同じように赤子を抱いた覚えがあるような。
     遥か昔だったような気もしたが、ついこの間だったような気もする。しかし地獄の門番として生まれた自分にそんなことがあろうはずもない。あるいは魔物としてこの世に作り出される前の、この骨の持つ記憶だろうか。

     ——いや、思い違いだ。この手は、剣しか握ったことがない。

     考えを振り払うように揺り籠を揺らして、言葉を解するはずもない赤子に語りかける。

    「……お前の名は、何にしようか」

     回していた指を赤子の前に差し出すと、頼りなく柔らかい小さな手がそれでもしっかりとその指を掴む。

     親から捨てられ魔物に拾われ、本来あるべき場所ではない世界でしばし生きていくこの子の生は、おそらく平穏なものにはならないだろう。だが、どうか強く、幸せに生きていってくれれば良いと願った。
    それがこの屍の身が抱くには過ぎた願いであるとしても。

     何も知らず、ただ握りしめた指を振る赤子の薄い色の瞳が、蝋燭の灯りを映して星のように煌めいていた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    🍼🍼🍼🌋🍼🍼🍼🍼😭
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works