砂浜「あっつーい! スイカ、まだかしらね」
「取りに行ってくれたんだから、待ってましょ」
苦笑するマァムの横で、大きなパラソルの下に置かれた長椅子に腰掛けたレオナはわかってるわよー、とサンダルの足をぱたぱたと振って砂浜を振り返った。
「それにしてもずいぶん経ってるわよね。ヒュンケルがあれだけ切ってたんだから、足りないってことないと思うけど。どうしちゃったのかしら。もう暑くて干からびちゃうわ」
「そうねえ、確かにだいぶかかってるけど……。レオナ、暑いならその上着、脱いでおいたら?」
「もう〜。これは日除けよ。着なかったら大変なことになっちゃうでしょ」
まったく、と首をふるレオナの横でメルルが微笑んだ。
「マァムさんもこれ、着ませんか? 皆さんの分を用意していただけたみたいです」
マァムの目の前にメルルが広げたのは、薄手ではあるが袖と裾が長く作られた上着。メルルも同じものを水着の上に着ていた。
「これ、暑くないんですよ」
「そうそう。リネンだから着ててもひんやりするの。着心地いいわよ」
肩くらいまである大きな帽子のつばをあげてそう言うレオナはひらりと長い上着の裾をひらめかせた。二人とも同じものを着ているらしくて、光を薄く透かす真白の布で作られたその服はレオナにもメルルにもよく似合っていた。
「ありがとう。でも……丈が長いと動きづらそうだから、やめておくわ。動くと絡まっちゃいそう」
「この上まだそんなに激しい動き、するつもりなの? もうスイカ割りも終わったでしょ?」
「いつ魔物が戻ってくるか、分からないし」
首を振るとレオナとメルルは顔を見合わせて同時にふふ、と笑った。
「そう仰るんじゃないかと思ってました」
「マァムはマァムよねぇ……。……じゃあ、分かったわ。着るのが嫌ならせめて、サンオイル塗りなさい!あなた、何も日焼け対策してないでしょ!」
そう高らかに言い放つレオナが手に掲げたのは、椰子の木の模様が描かれた瓶。まぶしいほどの日差しに透き通る瓶がきらりと光る。
「え、いいわよ、大丈夫!」
レオナの迫力に手を振って後ろにじりじりと下がったマァムは、くるりと逆方向に向き直って駆け出した。放っておくとまた何やら分からない化粧水やらの実験台にされそうだから。
「あっ、こら!大丈夫じゃないわよ!」
瓶を片手にそれを追いかけようとしたレオナはしかし燦々と太陽が降り注ぐ砂浜をいくらも行かないうちに「やだ、この日差し無理!」と叫んでパラソルの下に駆け戻る。走ったひょうしに砂浜に落ちた大きい帽子の砂を払い、かわりに色の濃いガラスのレンズが嵌まったこれまた大きい眼鏡をかけ直して、レオナは大声で砂浜で笑うマァムに叫んだ。
「ちゃんとケアしないと、痛くなっても知らないわよお!」
「いいのー! みんなを探してくるわね!」
頬を膨らませるレオナに手を振ると、メルルがその後ろで笑って手を振りかえしてから突然何かに気づいたようにぱっと後ろを振り向いた。その視線の先にはスイカが溢れそうなほど盛られた大きな皿を抱えたダイとポップの姿。
「ポップさん、ダイさん。ありがとうございます」
「スイカ、もらって来たよ!」
美しく同じ形に切られて並べられたスイカの下には砕いた氷がしきつめられていて、レオナが顔を近づけるとひやりとした冷気が漂って来た。
「すごーい! 氷で冷やしてるの?」
「おれがヒャドで作った……っていうか、作らされたっていうか。あの大会本部のやつら、他力本願のくせに押しが強いんだよなあ。『魔法使い様、こちらもお願いします!もう一回!』って感じでさ」
「ポップものってたじゃないか。『大魔道士のヒャド、見せてやりましょう』ってさ」
横から悪戯っぽく笑って口を出すダイを「うるせ」と小突いてからポップは口を尖らせる。
「それにしてもこき使いすぎなんだよなあ。 魔法だって無尽蔵に出るわけじゃないんだっつうの」
「だから時間がかかってたんですね。お手伝いに行けばよかったですね」
「来たら手伝わされてたから待ってて正解だったぜ。そういえば、メルルと姫さんも着替えたの? 似合ってるじゃん」
屈託なく笑うポップにメルルの頬がぱぁと赤くなる。下を向いてもじもじと口籠るメルルの横でレオナが「気づくのおっそーい」と言いながら自信満々にポーズを取った。
「こんなに二人ともかわいいのに? スイカに気を取られすぎじゃない?」
「ほんとだ。うわー、レオナ何それ、変な眼鏡!おれにもかけさせて!」
「おいダイ、ばっか、お前」
きらきらした瞳で無邪気な一言を放ったダイが横のポップに小声で言われて目をぱちくりとさせたが、時すでに遅しだ。黙ったレオナが静かに黒いレンズの眼鏡を頭の上にずらすと、口を引き結んで腰に手を当てる。
ダイがすうと顎を引くのとレオナがかっと目を見開くのがほぼ同時だった。
「ちょっっっっと、ダイくん!変ってどういうこと!」
「えっ……ええー! ごめん、レオナ。えっと……強そうな眼鏡だなって、思ってさ」
「…………」
「お前な〜……」
あーあ、と目を瞑るポップと肩を震わせるレオナの顔をダイは交互にきょときょとと見て、これはだめだと悟ったのか氷とスイカの山に隠れるように小さく身を縮めた。
***
姿の見えない他の仲間たちを探そうと砂浜を走ってきたマァムは、砂浜にある大きな岩の横をヒュンケルが歩いているのを見つけた。
「ヒュンケル!」
「……マァム」
大きな岩はちょうど一人か二人分くらいの日陰を作り出していた。日差しが遮られると少し涼しい。海風がさあと吹いて青い海にさざなみを立てていった。
「ちょうどよかった! みんなを探してたのよ」
走り寄ると、ヒュンケルが微笑んで波の向こうを指す。
「オレは一人だ。さっき向こうでクロコダインが夕飯用に魚を獲ると張り切っていたぞ」
ヒュンケルが指差す先の沖合で、しぶきを立ててクロコダインが波間に顔を出すのが見えた。
「本当だわ。……クロコダインー!スイカ、もらってきたから後で来てね!」
マァムの声に気づいたクロコダインがざぶんと飛沫を立てて大きな手を振ると、また海へと潜っていった。
「聞こえてたかしら」
「大丈夫だろう。あいつは耳がいい」
頷いたヒュンケルが、ふとマァムの肩に目をやって眉根を僅かに寄せる。
「マァム、肩が……赤い。背中も」
言われて肩に視線を落とすと、確かにそこがうっすらと赤くなっている。手を回して首筋に触れると太陽の熱を溜め込んだ肌がわずかに熱を持っているのが分かった。
「日焼けしちゃった。レオナもメルルも日焼けしたくないって言ってたけど……私、日差しを浴びてたほうが楽しくて。夏って感じがするでしょ?そういえば、ヒュンケルは全然日焼けしてないのね」
「気にしたことがないが……体質だろう」
シャツを着ているせいもあるのか、ヒュンケルの薄い色の肌はみんなで浜辺に来る前とほとんど変わった様子がない。
「まだ平気だけど。あとで痛くなっちゃうかなあ」
そう呟いて水着の肩紐に手をかけてそれをひょいとずらしてその下を確認してみる。隠れていた肩紐の下の肌の色は、薄赤くなった肌との間にはっきりとコントラストを描いていた。
「あ、やっぱり。だいぶ赤くなっちゃっ」
「――マァム」
とつぜん名前を呼ばれて顔を上げると、ヒュンケルが険しい顔でこちらを見つめていた。いや、睨んでいた。
「それは」
ヒュンケルが低い声で言うのにマァムは慌てて目の前で手を振った。
「やだ、大丈夫よ。痛くなっちゃったら自分でホイミ、かければいいもの」
みんな心配しすぎよね、と笑ってみるが変わらないヒュンケルの厳しい表情にどことなく落ち着かなくて「えっと」と語尾を濁らせる。
「……」
歩み寄ってきたヒュンケルの顔を見上げると高く登った太陽が遮られて顔に影が差す。目を瞬かせていると突然そっと肩にかけられたのは白いシャツ。彼の着ていた。
「着ていたもので悪いが。……羽織っていろ」
「あっ……ありがとう」
ふわりとする自分と違う匂いに、なぜか心臓がどきんと跳ねる音がする。よく分からない感情にマァムはあわてて小さく首を振った。
「えっと……みんなのところに戻らない? スイカ、持って来てくれたのよ」
「……ああ」
そう微笑んだヒュンケルの、瞳に一瞬だけよぎった表情が何だったのかは、わからなかった。
***
二人で砂浜を戻ってダイたちのいるパラソルに近づくと、ダイと砂を蹴り合ってじゃれていたポップが振り返って、その瞬間ぐわ、と口を開けた。
「……おい!マァム、何着てんだよ!ヒュンケル、それ、お前!何!してんだよ!!」
「何って……ヒュンケルが貸してくれたの」
「貸しっ……貸すな!借りんな!」
大声で叫んだあと陸に上がった魚のように口をぱくぱくと動かすポップの後ろからレオナがつやつやとした頬で口元を緩める。
「あらあ。あらあらぁ〜」
うふふふ、と抑えた口元からこぼれでる笑いを特に隠す様子もなくレオナがつんつんとマァムの肩をつついた。
「私たちとお揃いは着なかったのに! ヒュンケルのはいいのぉ?」
「うん。これなら丈が長くないし」
「また丈の話? ……マァム。あなた、服の基準、そこ以外にないの?」
「丈だけじゃないけど……動きやすくないと、着てても大変じゃない?」
「はいはい。そうよね〜。こういう子だったわ〜」
天を仰ぐレオナの後ろでポップがわざとらしく盛大な溜息をついて、歩いてきたヒュンケルに向かってけっ、と文句を言った。
「ほんとによぉ、お前何してくれてんだよ、全く……。折角のありがたい水着が……。……嘘だよ。冗談。冗談だよ!通じねえな!……その顔やめろ!おい!不死騎団長に戻ってんぞ!顔ーーーっ!!」
後ずさるポップを威圧する気配を背中から出すヒュンケルを見て、特に気にもしていない様子でダイが言った。
「また喧嘩してる。スイカ、食べようよー」
いつのまにかレオナの色付き眼鏡を頭の上にちょこんと乗せられたダイは、「もらっちゃお」と綺麗な二等辺三角形になった一切れを手に取った。
「私も私も! みんなも食べましょ。……ダイくん、その眼鏡、強そうで似合ってるわよ♪」
額の上の眼鏡を器用に片目を瞑って指差すレオナにダイは眉をふにゃりと下げた。
「……悪かったってば、レオナぁー」
赤い果実を乗せた氷のかけらが太陽に少し溶けて、しゃり、と涼やかな音を立てた。