溶ける「……茶色い」
美味しいのかな、とマァムがつぶやいて焦茶色をした板状の菓子を鼻に近づける。ふんふん、と匂いを嗅いで首を傾げた。
「なんだろう……あんまり嗅いだことない匂い」
顔を離してまじまじとそれを見つめるのが、初めて見るものに興味を示す小動物を連想させてヒュンケルは微笑んだ。
「出所は確かだろう? どうしても食べられなかったら、残りはもらってやるから」
「……レオナのお勧めだものね……美味しくないってことはないと思うけど……」
いつも思うけど、レオナってどうやってこういう情報を仕入れてくるのかしらね、とマァムが可笑しそうに笑う。レオナが女王に即位した後も三賢者たち――特にアポロの気苦労は絶えないらしい。
「想像はつくがな」
くすくすと笑うマァムにヒュンケルもまた微笑んで、レオナから貰った菓子の箱を二人で眺める。
箱の中に瀟洒におさまったその菓子は、剥がすのが勿体ないと思わせるほどの色とりどりの色紙で美しく彩られていた。
紙を剥がした下から出てきた濁った色からは味の想像が付かないが、飴のようなものなのだろうか。恐る恐る、といった様子でマァムが手に持った菓子をためすがめつしてから、ぺろ、と表面を舐める。
「あまい……ん? 苦い?」
「苦い?」
菓子が苦いということがあるのだろうか。ヒュンケルも手に取ったそれをそっと口に入れてみる。
割ると、鼻に抜ける香ばしいような香りと甘い匂い。舌に広がる甘さのなかに確かに苦みを感じるが、それは決して不快なものではなくて、むしろふたつが溶け合って心地よい。舌の上でなめらかに溶けていく感触は冷たさのない氷のような、よく固められた牛酪のような。
「……美味い」
マァムもそのヒュンケルの様子を見て、手に持ったままのその端を口に入れた。ぱきりと乾いた音を立てて小さなひとかけらが口の中に消えていく。
「……ん……おいしい!」
もぐもぐと口を動かすマァムの大きな瞳がさらに溢れそうなほどに大きく見開かれてこちらを見つめるのが可愛くて、ヒュンケルは思わず目を細めた。
「口の中で無くなるの、面白い」
箱の中には丁寧に説明書きまで添えられていて、ヒュンケルは残った菓子をまた一欠片口に入れて、それを何とはなしに手に取って読み上げた。
「……油脂と砂糖を固めて作ってあるそうだ。だから、温かくなると溶ける……とあるな」
「本当だ。溶けてる」
包んでいた紙を全部取ってしまったのがいけなかったのかもしれない。気づくと菓子をつまんでいた指先は、焦茶色に染まっていた。
マァムも両手をあげて染まった指先を見せてきて、それからくすりと吹き出した。
「ヒュンケル、口にも付いてる」
「……どこに?」
唇に手をやるとマァムが「そこじゃなくて」と笑ってから溶けたもので塞がった両手を見つめて逡巡した。
あ、とかなんとかもごもごと呟いてしばらく止まったマァムをどうするのかと見ていると、ぎぎぎ、と音がしそうなぎこちない動きで顔を寄せてくる。
桃色の髪の先がふわふわと頬をくすぐる。唇の端を濡れた感覚が撫でてから、ゆっくりと離れていった。
「………………」
不自然に横を向いたまま遠ざかるマァムの顔は耳の上まで赤い。口の端が上がりそうになるのを押さえてさりげない抑揚に努めて囁いた。
「すまないな」
「……どう……いたしまし、てっ⁉︎」
そそくさと離れていこうとするマァムの腰を汚れていない方の腕で捕まえる。マァムは手の汚れが付かないようにしたのか、塞がれた両手を万歳の形にして腕の中で固まった。
指先にまとわりつく溶けた菓子の甘い匂いが鼻をくすぐる。ぐいとそれを自分の口元に擦りつけて、固まったままのマァムの顔を覗き込んだ。
「――まだ付いていないか?」
林檎かと思うほど赤く染まり切った頬で、マァムはぱくぱくと口を動かした。何度か続くその動きを面白く見ていると、最後に覚悟を決めたようにぱくんと口は閉じられて、その奥からこくりと喉の鳴る音がする。
「――ついてる……」
赤い舌がちらりと覗いてそれが唇に重なった。
甘い匂いが鼻に抜けて、遠慮がちに動く舌はそのうちすこしだけ大胆になる。
口の中に広がったのは、甘くて甘くて、少しだけ苦い味。