呼び名 知らない場所のはずなのに、どこか懐かしい気がして立ち止まる。そんなはずはないというのに。
青い深い色の海に浮かぶ、木々の緑に包まれた島。乗ってきた空竜を放つと、空をくるりと一回転してから嬉しそうに飛び去っていった。
髪の間を通り抜けて攫っていく海風も、真上から降り注ぐ力強くてあたたかい陽光も、どこか覚えがあるような気がする。
荷物を肩に担ぎ直したダイがうわあ、と嬉しそうにきらめく太陽の光に目を細める。その黒い髪色に日差しが透けて焦茶の色に輝いた。
「懐かしいなあ!……ここはいつでも、変わらないな」
今日みたいな天気だと、ちょっと暑いくらいだね、と振り返ってダイが溢れるように笑う。その微笑みに、ああ、この人のまとう雰囲気が、この島の空気と同じなのだとラーハルトは思った。
「おーい!みんなー! 帰ってきたぞー!」
ダイが突然そう叫ぶと、二本の指を咥えて目の前に広がる草原とその奥の森に向かって指笛を鳴らした。ピィィ、とその音が高く響き渡った瞬間、うっすらと島の全体から感じていた生き物の気配が一斉にこちらに向くのがわかる。ラーハルトが反射で一瞬身構えるとダイが笑ってその背中をぽんと叩いた。
「大丈夫!みんな、おれの友達だよ!」
ざっと音を立てて木々や茂みの陰から次々と飛び出してくる大小の魔物たち。ふうと太陽が遮られてさした黒い影に空を見上げると、翼を持つ魔物たちが旋回してから指笛の音に応えるように次々と鳴き声をあげた。緑を茂らせる森の奥から、そばに広がる海岸から、青く開けた空から。あっという間にダイとラーハルトの周りを魔物たちが取り囲む。
「これは……」
図鑑から取り出して並べたようなさまざまの魔物たちのその種類の多さにラーハルトは目を見張った。この島の生態は聞いてはいたが、改めて目の前に広がる光景には純粋に驚く。集まった魔物たちには一様に邪気がなくて、まるでただの獣のようだ。凶暴化し攻撃性の高くなった魔物は互いに互いを攻撃しあい、その土地に適合し生き残った種のみが栄えていく。一つの地域にこんなにも多様な種の魔物が生息することはまずありえない。
じゃれついてくるキラーパンサーを片腕で受け止めながら、並ぶスライムの一匹をを片手に乗せてやってダイが次々にやってくる魔物たちに端から声をかけていく。
「久しぶり!分かるかい?お前も大きくなったね!」
島を離れてもう五年以上は経っているはずだが、この魔物たちは成長したダイを何の違和感もなく受け入れていた。自然の中に生きている魔物にとって、姿は大きくなっても同じものだというのは当たり前のことなのかもしれない。
「ん、なに?……ああ!」
一匹のドラキーがダイの周りをくるくると飛び回って、それから尻尾でぴんとラーハルトを差した。
「みんな、こいつはラーハルトっていうんだ。おれの……えっと……こ、恋人、だよ」
「……ダイ様」
少し口籠るように言葉を選んでそう言ったダイに思わずその名を呼んでから、自分の言葉に混じる窘めるような響きにはっと気づいた。
恋人。確かに自分達の関係を表すならば、そのはずだ。だが、改めてそう呼ばれて思わず止めてしまったのは。
「……違わない、だろ?」
ダイが少しの間のあとに拗ねたような声で顎を引く。それを見て、ピィ、グルルル、と二人の周りを取り囲んださまざまなモンスターたちが一斉に首を傾げたり、こちらを覗き込んだりするような仕草をした。そんなはずはないが、人語を理解しているのかと思えるような。
「そう、ですが」
歯切れ悪く言ってしまったのはその『恋人』という言葉に自分自身が落ち着かない気分になるからだった。思いを確かめ合い身体も重ねたというのに、まだ納得できていない。
「故郷に連れてきておいて『部下です』って紹介しないよ。嫌だったら、呼ばないから」
「そうではありません!嫌では」
その次の言葉を紡ごうとする前に横からふすう、とあばれうしどりの鼻息がかかってはっとラーハルトは我に帰る。ダイが腕に抱えたキラーパンサーも、その手に乗ったスライムも、ぴんと尻尾を立てて目を丸くしてことの成り行きを見守っていた。興味深げに二人を見つめる魔物たちに囲まれたまま痴話喧嘩のようなものを始めてしまったことに気づいてダイとラーハルトは顔を見合わせた。
「……なんか、今そういう話する感じじゃないよね」
へへ、と笑ったダイが手に乗ったスライムをひょいと地面に置いて、立ち上がって声を張る。
「みんな。ブラスじいちゃんに、おれが帰ってきたって伝えて!」
ダイの言葉に一斉に魔物たちが鳴き声をあげる。あるものは尻尾を振って、あるものは蹄を鳴らして、飛び跳ねて、それぞれに島の一方を目指してわらわらと走り始めた。
「ダイ様。決して……決して嫌ではありません。ただ、何と呼ばれるべきなのか、私には」
思わず言い募るラーハルトに、ダイが申し訳なさそうに謝った。
「ごめん、おれも……何て言っていいか分からなかったんだ。でも確かに、こい……恋人って言うの、なんか恥ずかしいよね?」
頬を少し赤くしてうーんと首を傾げるダイに、ラーハルトもまた言葉を探した。その足元で、何匹か残っていたスライムが二人を促すようにぴょこぴょこと跳ねる。「うん、行くよ」とダイがスライムたちに笑ってからふと思いついたように小さく言った。
「……大切な人、かな」
「……ダイ様」
「いや……おれ、難しい言葉、分からないからさ。もうシンプルに行こうと思って」
へへ、と鼻の下を擦ってダイが下を向いてからひょいと顔を上げて、またあの溢れるような顔で笑った。
「うちに行こう。じいちゃんが待ってる」
そっと手を差し出されて思わずその手を取ると、ダイが穏やかな、静かな声で問うた。
「これは命令じゃないからね? ラーハルト。俺の家族に会って欲しいんだ。一緒に来てくれるかい?」
答えは、イエスしか思い浮かばなかった