花束 静かな森の中、背の高い広葉樹はその葉を四方に繁らせ、緑のあいだから足元に向かって幾筋も光が差し込んでいた。
囀る柔らかな鳥の声がそこかしこの高い枝から降ってくる。下草の薄い場所を選んで歩みながら、ダイは横を歩くラーハルトに話しかけた。
「ラーハルトは父さんに怒られることなんか、なかっただろ」
「いえ、叱咤されることはございました。槍術の訓練で私が至らぬ時や……戦いの中においても」
「それはさ、怒るっていうのとちょっと違うよ。おれもさあ、父さんがもうちょっと穏やかだったらなあ」
「戦の時は厳しいお言葉を使われることがありました。ですが、そうでない時は穏やかに話をされる方でしたよ」
「そっ……そうなの?」
出会った瞬間からあの感じだったけど、とダイは記憶を思い返してみる。余計なことは喋らないイメージはあるけど、穏やかっていう感じじゃなかったような。とにかく戦闘中の記憶しかなくて、しかも敵として対峙した時間の方が長かったから思い出せる会話はどれもかなり強烈なものばかりだ。
『子どもは親の言うことを聞くものだ!』という言葉を思い出してダイはむうと唇を尖らせる。だが、ラーハルトの父に対する態度を思えばあの言葉にもなんとなく頷けるような気がした。息子から口ごたえなんて、されたことなかったのだ。多分。
「今思い返してみるとさあ……おれも素直じゃなかったなあって、ちょっとは反省してるけど。でも、あんな風に言われたら言い返しちゃうだろ、って感じだったよ。ラーハルトは言い返したりなんてしなかったから、怒られなかったんじゃない?」
「そうですね……そのような立場ではございませんでしたので」
「おれにいつも言うみたいには、言わなかったの?」
「私はダイ様にも口ごたえなどした覚えはございません」
「えっ……ええー? 嘘だろ……」
笑いまじりの問いへの答えに衝撃を受けてダイは思わずぽかんと口を開けた。荷物を持ったまま頭の後ろで組んでいた手を離してラーハルトの顔をまじまじと見つめる。紫の瞳で生真面目にこちらを見返す彼は、自分の考えと違う指示はなにひとつ聞いてくれないけど。
「将としてのお立場に進言させていただくことはございますね」
「いつもそういうつもりだったのかい?」
「常にそう申し上げております。あなたは竜騎」
「わかった。わかったわかった。でもそれ、戦いの時だけにしよう。今日はそういう目的じゃないから」
長くなりそうな話を断ち切るように目の前でぶんぶんと手を振ると、逆の手に持っていた花束の白い花弁が揺れて、ダイは慌ててそれをやめた。散ってしまったら大変だ。
「分かりました」と引き下がったラーハルトに内心で胸を撫で下ろしてそっと手に持つ花束を握り直した。
ラーハルトがどこかから集めてきて器用に作ってくれた花束は、背筋を伸ばして凛と立つ百合と、それを包んで溢れるように咲き誇るたくさんの小さな花。
目を上げると、ちょうど目指す場所が木々の間に見えた。そのまま進むと、森の中にぽかりと開いた空間の下に降り注ぐ太陽の光を受けて湖面が光る。
さく、と下生えを踏む音が静かな空間に響く。
ラーハルトが一歩後ろに下がって控えようとするのを手を引いた。
「ダイ様」
「今は。将としてじゃなくて……家族として、来てるんだよ。口ごたえは、しないんだろ?」
その言葉に一瞬だけ逡巡した目がすうと伏せられたあと、またこちらをみて「……はい」と微笑んだ。
「……ひさしぶり。来たよ。……父さん。母さん」
父さんの身体は、消えちゃったけど。魂はここに、いる気がするんだ。俺の中に。母さんと、一緒に。