不死騎団長の苦悩「この人質、収容できません」
「――は?」
『牢屋にでも放り込んどけ』と指示したはずの虜囚をわざわざ玉座の間まで連れてきたがいこつは、そう事務的に言ったのだった。
***
「使うの久しぶりだからチェックしましたけど……。うちの牢屋、使っちゃダメなやつですよ。設備が古すぎ。照明が足りないし寝台もないしトイレもない。清潔を保つための風呂とかの設備もありません。アウトです。三十年前はどうだったか知りませんけどもう令和なんで。人質にも守られるべき人権ってやつがあるんですよね」
役人のようなセリフを滔々と吐くいこつの声。謎の状況にきょとんとした顔でヒュンケルとがいこつを交互に見るマァムの手を後ろ手に縛った縄を持ったまま、がいこつはその縄の端をひょい、とヒュンケルに差し出した。
「――ということで。この人質、入れるとこないので帰してきてください」
「いや帰せるわけないだろ!」
ヒュンケルは即座につっこんだ。
あと、令和って何? 三十年前って何? 部下の瑣末な発言にも疑問が残ったがそれどころではない。場所がないからって帰せるはずがない。
「小僧どもを誘き寄せるための人質だぞ、馬鹿なことを――!」
しかし声を荒げたヒュンケルの言葉をがいこつはさらに大声でぶった斬った。
「私に怒られても困ります! 馬鹿なことをって言ったって現に基準を満たしてる牢屋がないんですよ! コンプライアンス違反起こして一番困るのヒュンケル様でしょうがあ!」
「うぐうっ」
びしい、と玉座の後ろを指差すがいこつ。玉座の間の一番目立つところにでかでかと貼られた貼り紙曰く。
『コンプライアンス強化月間実施中! その行動 あくまのめだまが みているよ』
貼り紙をバックに背負ったままヒュンケルは最もな部下の主張にうめいた。コンプライアンス。それはそう。知らなかったでは済まされない。守れない奴は出世などできない今の世の中である。
二の句の継げないヒュンケルに、がいこつは腰に挟んでいた分厚い帳簿を取り出してぱらぱらとめくった。
「あと来月外部監査ですから時期的にも完全アウトです。あの牢屋使ったら、ひっかかりますよ」
「ぐぬううううっ」
がいこつの言葉にヒュンケルはもう一度うめいた。
そうだった。来月は魔王軍包括外部監査に不死騎団が当たる月。キルバーンがどこかから呼び寄せる外部監査委員は査定の目が特に厳しい。
今月の施設内の使用状況は監査の対象。基準外の環境に虜囚とはいえ、いや虜囚だからこそ、置くわけにはいかない。
しかしだからって、逃すわけにもいかないのだ。そりゃそうだろう。息も絶え絶えにヒュンケルは絞り出した。
「な……なんとかしろ。法令は遵守せねばならぬ。しかしその女を放つわけにはいかん。簡易で……最低限の設備を整えられんか」
「新規で設備増築かけられる予算なんて、ないです」
「0? 世知辛っ。……なら、既存設備の改修ということにして修繕費から支出を……」
「いや、今年の修繕予算もうパンクしてるので。ご存知じゃないですか。地底魔城の長期修繕計画、今年もかつかつ。あと経年劣化で計画外にも新規の修繕必要箇所が次々出てきてますし……。最低限の崩落危険箇所だけ直すのでもういっぱいですよ。計画表ご覧になりますか?」
「くっ……くそっ。おのれ、アバンッ……‼︎ 予算を圧迫しおってぇっ……!」
ヒュンケルは思わず玉座を叩いて歯軋りをした。勇者がにくい。こんなところまで苦しめられるとは。
勇者の侵攻時にボロッボロに破壊された地底魔城は、十五年経ってもまだ完全修復できていない。そもそも古い施設なのになんか知らんが壊されすぎたのだ。
修復が必要な場所はたくさんあるのに、魔軍司令であるハドラーの居城は鬼岩城にうつっているから旧拠点である地底魔城を維持管理する予算はギリギリしか配分されていない。
ものを食べないアンデッドたちで編成されていて軍団の運営費が少ないから。あと軍団長の実家だから縁があるだろう。という理由が無理やり取ってつけて捩じ込まれて、なぜか不死騎団が担当になってしまった。
実家だからってなんだ。おかしいだろう。やらせるなら予算の桁を一桁増やせ!
ヒュンケルは心の中で上司に呪いの言葉を吐いた。
「パプニカ遠征もありましたからね。作戦は成功しましたけど、ヒュンケル様略奪するなっておっしゃったので、利益0なんですよ。どの科目も補填できてませんし、軍の事業費から雑費に至るまで予定外の支出が……。修正の予算を組み直し中ですが、どこか切れるところありますか? あとで案を見ていただきたいんですけど、相当厳しいですよ。ていうか無理です。あっ、今日廊下の壁も壊れてましたし……誰かが何かぶつけたのかな。報告しろって言ってるのになあ。そういう細かい補修ばっかり積もって結局かさむんですよぉ!」
ぷんぷんと怒るがいこつの前で、破壊された壁に心当たりのあるヒュンケルはぎくりとした。ちょっと自分とダニに腹が立って私が殴って壊しました、とは言い出せなかった。
「う、うむ……」
壁を殴った痛みがまだちょっと残る拳をそっとマントの陰に隠すヒュンケルにがいこつはなおも続ける。
「とにかく牢屋の設備の増設は現実的に考えて無理です。備品費で簡易の寝台くらいなら入れられますけど、水回りの工事は費用がとても捻出できません。困ったなあ。アンデッドしかいませんからね。人間の必要な設備なんてヒュンケル様のお部屋にしか」
ペンの端でかりかりと忙しなく頭を掻いてそこまで言ったがいこつは一度黙って帳簿を見つめ、顔を上げ、それからヒュンケルの顔を指さした。
「あーっ」
「……いや。待て」
言いたいことを察して遮ろうとしたヒュンケルにがいこつが早口で被せてきた。
「いやそれです。ヒュンケル様のお部屋があるじゃないですか。お風呂もトイレも完備」
がいこつの横でマァムがぱちぱちと目を瞬かせている。あわててヒュンケルは玉座から立ち上がりがいこつにつかつかと歩み寄ると、その肩を掴んで声をひそめた。それはさすがにまずくないか?
「オレの部屋を……虜囚に使わせろと?」
「そうです。いやいや、言いたいことはわかりますけど、背に腹は代えられませんよ。ヒュンケル様、お部屋広いけど全然使ってらっしゃらないじゃないですか! いっつも寝に戻るだけ。社畜。丁度いいですよ。立派なお風呂もお手洗いも設備が無駄」
「お前、言いたい放題だな!? 社畜って言わなかったか!?」
なんでそんなにオレの生活を知っている。その通りだが。
しかしがいこつは発言を追求する上司を無視しぱたんと分厚い帳簿を閉じて長々と溜息をついた。
「ええ〜? じゃあ本当に改修、やりますう? どうしても牢屋を改修するって言うなら予算の組み替え案は考えますけどぉ。その予算規模だとハドラー様じゃなくて大魔王様の承認が必要です。説明しにいくのヒュンケル様ですよ? そもそも工事を入れても今日明日で整いませんし、改修したとして牢屋、恒常的に使う予定あります? 人間、収容しますう? 元はと言えばヒュンケル様が牢屋は使ったりしないって仰ったから今年度も改修予算組まなかったんですよ。そもそも施設作ったら維持費用もかかりますしぃ。ランニングコストが増加するような改修、まず経営監理チェックで弾かれちゃいますね」
「ぬううううっ」
台詞が長い。つらつらと長文の文句を並べ立てるがいこつにヒュンケルは眉間に皺を寄せて唸った。全くその通りだったからである。
経営監理担当の顔は見るのも嫌だ。『サステイナブルなカンジが、しないんだよねえ〜この予算』とやたらめったら横文字を並べ立てチクチクネチネチ言ってくる顔が浮かぶ。見たくない。聞きたくない。
虜囚を増やす予定などないし大魔王様へ稟議をあげるには確かに事由が瑣末すぎる。上司を通すのも面倒くさい。絶対やいのかいの文句をつけてくる。
四面楚歌だ。ぎりぎりと管理職の悲壮を眉根に寄せて苦渋の表情で俯くヒュンケルに、その横で黙って話を聞いていたマァムが口を開いた。
「ヒュンケル」
「……なんだ」
「つまり、私が牢屋にいると困るのね? なら、私ヒュンケルの部屋にいるわ。邪魔にならないようにするから」
「な……」
聞こえてた。当たり前だけど。
まさかの発言に咄嗟になんと言っていいかわからずにぱくぱくと口を開け閉めするヒュンケルの前で、不死騎団の世知辛い状況を理解してしまったらしいマァムがにこりと微笑む。
その笑顔はヒュンケルの折れ気味の心にずきいんと突き刺さった。
思わず一瞬ぐっと胸を押さえてしまってから我に帰り、首をひとりぶるぶると振るヒュンケルにマァムははきはきと続ける。
「床とかにちょっと寝させてもらえればいいの。野宿にも慣れてるから、平気よ」
「いや……そこじゃない」
納得するな。敵の男と同室にさせられそうになってるぞ。オレが言うのもなんだがこの娘、ちょっと危機意識が欠けていないか? ヒュンケルはマァムの方へ向きなおった。
「オレと同室だぞ!? そんなにあっさり承諾するんじゃない」
拉致して拘束しておいて言う台詞でもないが年長者として一応は言っておきたい。しかしヒュンケルの剣幕にマァムはますますきょとんとした顔をした。
「別に……部屋くらい一緒でも構わないわよ。ダイとポップとだって同じ部屋だったし」
「はぁ!?」
衝撃発言にヒュンケルは戦いた。勇者の小僧はまあ小僧と言っていい年だったかもしれないが(それでもちょっと考えろと思うが)、もう片方はそこそこの年ではなかったか? それ本当に大丈夫か?
この娘もこの娘だが小僧どもも小僧どもだ。今度倒すついでに一回教えておかねばなるまい。ヒュンケルの中に唐突に兄弟子としての自覚が生まれた。
「アバンッ……! そういうところも教えておけ! 弟子の教育も満足にできておらんではないか。何が勇者だ!」
ヒュンケルはこじつけた呪いの言葉を吐いた。しかしその言葉にマァムはむっとしたらしく「ちょっと」と気の強い瞳で見上げてきた。
「ヒュンケル。先生は急ぐ旅の中でもちゃんと私に力の使い方を教えてくれたわ。私に至らないところがあったとしてもそれは先生のせいじゃない。私自身の問題よ」
「うっ」
それはそう。もうとにかくこの娘の目を見ていると〜いつもの展開なので略〜言い返せなくなってしまう。
「……わ。悪かった。謝ろう。……だがとにかく! うかうかと男と同室に泊まるんじゃない!」
「男男って言うけど、ダイとポップは私の大切な仲間よ。一緒に寝泊まりして何が悪いのよ」
「いや信頼してるしてないとこれは別の問題だッ! 分からんヤツだな!」
「分からないわよ!さっきからなんなの、もう。ハッキリ言いなさいよ!」
ヒュンケルとマァムがぎゃんぎゃんと言い合うのをみて、がいこつがめんどくさそうにため息をつく。
「はぁ〜、もういいですか? 本人もいいって言ってるし、ヒュンケル様、その喧嘩お部屋でやってくださいよ。なんか人間のルール的にだめなんだったらヒュンケル様が教えてあげればいいんじゃないですか。兄弟子なんでしょ」
「は? いや待て」
うんざりとした表情でがいこつは分厚い帳簿を腰のベルトに捩じ込むと、マァムのつながれた縄の端をヒュンケルの手にぽむと握らせる。
「おいッこら」
「私も忙しいんですよ! 次の城内巡回のシフト入ってるんで私はこれで。予算書は後でお持ちしますから。じゃっ」
「待たんかーッ!」
言いたいことだけ事務的に言い置いてスタスタと去っていくがいこつを追いかけようとしたヒュンケルだったが、マァムの縄を持ったままでは追いかけられないのに気づいてそのまま立ち止まる。
ぽつん、と広い玉座の間に取り残された二人は顔を見合わせる。なんだこの状況。
気まずい沈黙が漂ったあと、先に口を開いたのはマァムだった。
「えっと……。こうしててもしょうがないし。とりあえず、部屋に行きましょう。案内して?」
「いや、その」
「もう! じゃあどうするの? 私のこと、逃してくれてもいいけど?」
口を尖らせるマァムにヒュンケルはぬぐぐ、と呻き、それから決心を固めた。確かにこのままここにいてもどうしようもない。牢屋にも入れられないし。もう、背に腹は変えられない。なるようになれ。
「に……逃すわけないだろう! 行くぞ!」
バサァ、とマントを無駄に捌いてみたりしたヒュンケルは、これからどうしよう! と心の中で七転八倒したのであった。