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    niesugiyasio

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    niesugiyasio

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    無配(2025/2/9)の再録です。既刊の音楽家パロ『ヴィルトゥオーゾ』後日談と原作軸のクロスオーバーとなります。指揮者のエルヴィンが道みたいなとこでエレンに遭遇して別世界のリヴァイと会います。別世界のエルリはそれぞれ別CPという想定でそのあたりはクロスオーバーしないです。長生きした兵長と104期たちの話なども含みます。

    From the New Worldそれはまったく突然の事だった。至近に雷でも落ちたかのような光に包まれ、視界からは色も形も失われた。強すぎる光に私自身もまた同化したかのようだった。束の間、すべての感覚を喪い、無に帰す。
    気づけば私は地面に倒れ伏していた。椅子に掛け、机に広げた総譜に書き込みをしていたはずだが、何もない。手にしていたペンも無くなってしまった。着の身着のまま、野外に放り出されている。
    「エルヴィン……団長?」
    団長と呼ばれることはないが、楽団長をそう呼ぶ場合もあるのだろうかと惑いつつ体を起こす。青年が一人立っている。
    「メフィストフェレス?」
    「いや、そんな名前じゃないですけど」
    「すまない。取り組んでいた仕事の影響だ。劇中の登場人物の名を口にしたまでで、決して君を悪魔のようだと言ったわけではない」
    「そのメフィなんとかってのは悪魔なんですか」
    文学に全く興味がなければメフィストフェレスという固有名詞を知らないということもあるか。
    「ああ。そうだ。私は指揮者で、演奏会が迫っているんだが、その曲目というのがベルリオーズの『ファウストの劫罰』でね。メフィストフェレスも出てくる」
    「オレはそれに似てるってことですか」
    「似てはいないだろうな。顔は青く、髪は赤いらしいから」
    演奏会形式で行うため、メフィストフェレス役のバリトン歌手は礼服姿でステージに立つ。しかし、オペラ形式で行うとして、この目の前にいる若者のような衣服は着せないだろう。紐のついた襟なしシャツに上着を羽織っているが、着古した感があり、素朴を通り越して粗末ともいえる。
    「それで、申し訳ないんだが、君の名を思い出せないんだ」
    「会うのこれが初めてなんで、思い出せないわけじゃないと思いますよ」
    「でも私の名を知っていただろう?」
    「いえ、人違いでした。知ってる人かと思ったんですが、違いました」
    釈然としない。というのも知った人物のような気がするからだ。だがそれこそ勘違いとも考えられる。
    「それで、君は」
    「あー、イェーガーといいます」
    「イェーガー君か。やはり聞き覚えがあるように思うが」
    「イェーガー違いじゃないですかね」
    「そう……だな。ああ、あれだ。世界最速の男、チャック・イェーガー」
    「その人は知らないですね。まあ、そんな珍しい苗字でもないですからね」
    「知らないか。人類で初めて音速を超えたパイロットだよ。第二次世界大戦中は戦闘機乗りだったようだが、戦後は高速飛行に挑んだ。五十年くらい前の話になるのかな。『ライトスタッフ』という映画は見ていないか? 十年以上前の映画だが、私は公開当時に見ることはできず最近見たので記憶に新しいんだ」
    「戦闘機……高速飛行……五十年前? いや全然知らないですね。その映画とかいうやつも」
    映画にも興味なしか。フィクション一般に価値を見出さないタイプかもしれない。
    「ところで、ここ、どこですか?」
    「それは私が訊きたいよ」
    緑の草に覆われた平原が地平線まで続いている。みずいろの空には鳥の羽根を思わせる雲が日差しを受け光輝いている。良い天気だ。
    「道のどこかではあるんだろうなあ。迷い込んじまったようだが」
    「何だって? 道? 見当たらないが」
    今いちど周囲に視線を一巡りさせるが草に覆われた平原に道らしきものは見つけられない。
    「ええと、すべてのエルディア人を繋ぐ道のことです」
    スピリチュアルな話のようだ。言われてみればこのイェーガーなる青年はその方面が好きそうに見える。
    「なんか音楽が聞こえますね」
    怪訝な表情を気取ったのか、イェーガー青年は話を変えた。
    「ああ、これは、ラコッツィ行進曲だな。さっき話した『ファウストの劫罰』の一部で、練習を録音したものを聞いていたところだ。どこから聞こえているんだろう」
    「あなたのいた部屋からでしょうね」
    「どうやったら戻れるかわかるか?」
    「一定時間が経てば……、あるいは目的が果たされれば」
    「目的?」
    「オレは単なる案内役で、あなたをどこかへ連れていかなきゃならない。そんな気がします」
    「なるほど。イェーガー君がメフィストフェレス的な役回りを務めてくれるということか。メフィストフェレスは思い悩むファウスト博士を連れ出して色々なところへつれていくんだ。まあ私はファウストみたいに毒薬をあおろうとはしていなかったが」
    「とりあえずあれを目指せばいいと思うんです」
    イェーガー青年が指差した先を見る。
    「あれは、木か? 見えにくいが、光っているのか?」
    「暗いとよく見えるんですけどね。昼間だと見えにくいですね」
    「ユグドラシルだろうか」
    「何ですか? それ」
    「北欧神話世界の中心にあるとされる巨大な樹木だ。幹を登ったり根を伝ったりすることで、人間の世界だとか神の世界だとか死者の世界だとかを行き来できたように思う」
    「あー、それっすね。とりあえずこの草原には何もなさそうなんで、別の世界に移動しねぇと」
    「しかしけっこう距離がありそうだな」
    「あそこに馬がいますよ。呼んでみましょうか」
    イェーガー青年が指笛を吹くと、二頭の馬がやって来た。乗馬経験は乏しいが乗ってみれば何とかなるものだ。そもそもこの世界は現実味を欠いている。
    ラコッツィ行進曲がどこからともなく聞こえる平原を、馬で駆けていく。
    「ひょっとするとここはハンガリーの平原かな」
    「ハンガリー? 国ですか?」
    「ああ。『ファウストの劫罰』はハンガリーの平原から始まるんだ。ラコッツィ行進曲の元ネタも既存のハンガリー民謡であるらしい」
    巨大な樹木は近づくにつれ、光る茎が束になって幹を形作っていることが見てとれるようになった。その幹の上部では枝が空に向かって伸びているが、実は上下がさかさまで空に根を張っているようにも見える。
    「イェーガー君、近づきすぎでは?」
    樹が至近に迫っても、イェーガー青年は馬の足を緩めなかった。ぶつかるぞ、と言おうとした時、彼が光の束に突入していくのがみえた。そうか、あくまで光だから衝突することはないのか、と自分を納得させつつ、馬に任せて樹に迫る。強すぎる光にかき消され、何も見えなくなる。
    辺りが見えるようになって気が付けば、景色が一変している。馬に乗っていないし、草原にいるわけでもない。二階建てか三階建ての小さな家がアスファルト舗装された道路の両脇に並んでいる。欧州やアメリカではなく、東アジアあたりを思わせる景色だ。
    「イェーガー君? イェーガー君? どこだ?」
    イェーガー青年がどこかへ消えてしまった。
    「何か用か。オッサン」
    背後から声がしたので振り向いてみれば幼児である。大きな緑の目をこちらへ向けている。
    「おじさんは人を探していてね」
    「イェーガーだろ? オレだ」
    「そうか。君もイェーガー君なのか。だけど、おじさんは」
    慌てたような足音が角の向こうから近づいてきた。複数人いるようだ。最初に姿を現したのは黒髪の幼女だった。
    「エレン、戻ってきて!」
    「先生、エレンいました! すみません、捕まえておいてください」
    次に現れた金髪の幼児が後ろに向かって叫んだ後、こちらに向かって言った。イェーガー幼児が走り出したところを取り押さえる。
    「すぐ私たちをおいてどこかへ行こうとするんだから」
    追いついてきた黒髪の幼女がイェーガー幼児の腕をしっかと掴む。降ろしても大丈夫そうなので解放してやればまた逃げ出しかけたが、幼女が腕を掴んで離さない。
    「放せよ、ミカサ」
    「エレン、ひとりで脱走してはだめ」
    「自分と一緒なら脱走してもいいような口ぶりはやめろ、ミカサ。アルミンご苦労だったな」
    大人も駆けつけてきた。幼児たちの先生らしい。しかしこの声は? まさかと思いながらしゃがみ込んだ姿勢から顔を上げる。
    「エルヴィン? 就職したのか?」
    リヴァイ? 尋ね返す前に向こうは自己解決したようだ。
    「いや、違うな。人違いをした。すまない」
    「誰と人違いをしたのかな?」
    たしかにエルヴィンではあるのだが、彼の知るエルヴィンではなさそうだ。声まで似てやがる……と呟くのが聞こえる。
    「日がな一日スウェット姿でポテツを食べながらマンガを読んでゴロゴロしてる野郎だ」
    彼はため息混じりに答える。呆れた風ではあるが、深い愛情が窺える、気がする。
    「そうか。それは心配だな」
    「心配? バカ言え」
    わずかに目尻が下がる。口ぶりこそそっけないが、優しさを隠しきれていない。
    「じゃあどうも、助かりました」
    彼は三人の幼児をつれて去っていく。
    探し続けるもイェーガー青年は見つからない。道の先に小高い丘、その上にそびえる大木が見えてくる。ハンガリーの平原で見たときのように光ってはおらず普通の樹木だが、ユグドラシルかもしれないと思わせる。
    丘にのぼり、木に近づけば、また真っ白な光に呑み込まれた。
    気づけばどこかの学校の構内に立っていた。煉瓦造りの校舎、中庭の芝生、広々とした敷地。車で通学している生徒も少なくないようだ。アメリカの高校だろうかと思いつつ、人探しを続ける。
    「イェーガー君、おおい、イェーガー君」
    「あいつどうかしたのか?」
    この声は? 声がした方を向けば、思った通り、リヴァイのようである。ツナギの作業服を着て、手には掃除道具を持っている。
    「なんだ、歴史の先生じゃねぇか」
    と言ったものの彼は首を傾げ、今言ったことを否定した。
    「いや違うか。さっき職員室にいたし、どことなく違うようだ」
    「そうだな。私は歴史の先生ではない」
    声まで似てやがる……という呟きが聞こえてくる。
    「どんな人なんだ? その歴史の先生というのは。いやその、気になるじゃないか。間違えるほど似ているとなれば」
    「赴任してきたばかりの先生でな、俺もよく知らねぇんだ」
    「そうか」
    こちらが部外者だからと警戒されたのかもしれないが、その表情から窺えるのは、よくは知らないなりに良好な関係のように思われる。人ごとではあるが、なんだかほっとする。今は親しく無いがこれから親しくなりたい、そんな気持ちもあるように思うのはあまりにも贔屓目か。
    「お探しのイェーガー君が来たぞ。違うイェーガー君をお探しなのかもしれねぇが」
    振り向けば、ひとりの少年がこちらへ歩いてきている。
    「イェーガー君か」
    「はい」
    おとなしそうな少年だ。イェーガー青年を若返らせた姿のようにも見えるが、纏う空気があまりにも違う。
    「スミス先生?」
    「いや、違うんだ。似ているらしいね」
    「あ、すみません」
    「お探しのイェーガー君ではなかったか」
    「ああ、少し探してみるよ」
    構内をそぞろ歩けば、裏手の丘の上に巨木があるのが見えた。坂道をのぼり、巨木にたどり着けば、また白い光に包まれる。
    今度はオフィス街の一角のようだ。中低層のビルがひしめき、歩道はスーツ姿で足早に歩く人が行き交っている。
    「イェーガー君、どこだ?」
    周囲に人が多く、大声を上げるのは憚られたため、やや控えめに探してみる。すると背後から「はい」という声がした。
    「はい! イェーガーでございます」
    振り向けば、さっきの学校で会ったイェーガー少年とよく似たサラリーマンがいた。
    「あの、何か」
    ややうわずった声でおずおずと聞いてくるのは、会社でしょっちゅう搾られているからだろうか。
    そこへ「どうかしたか?」と声がかかる。聞き覚えのある声だ。近づいてくる人物を見ればやはりリヴァイである。スーツ姿だ。
    「課長」
    「エレン、お前また何かやらかしたのか」
    イェーガー会社員の上司であるらしい。こちらの姿を認め、驚いた顔をする。
    「エルヴィン? 今日は現場じゃなかったのか?」
    「ああ! 壁面建設のスミス親方! いつもお世話になっております」
    「いや、建設の仕事をしてはいないが」
    リヴァイは検分するようにこちらを見た後、結論を出したようだ。
    「エルヴィンじゃねぇようだ。人違いをした。失礼した」
    「こちらこそ、まぎらわしくてすまない。そのエルヴィンとかスミス親方とかいう人は、親しい人なのかな?」
    「大学の先輩でな。業界も近いし。腐れ縁というか」
    そっけないが、愛着がその言葉のはしばしから滲み出るようだ。今日の仕事の予定を把握しているあたりからして、ひょっとして一緒に住んでいるのかもしれない。
    彼は時計を気にしている。急いでいるのかもしれない。
    「あの、私に何か御用でしたでしょうか?」
    イェーガー会社員が心配そうに尋ねる。
    「いや。探しているのは違うイェーガー君だ。お急ぎのところすまなかった」
    上司と部下は小走りでメトロの階段を降りていった。
    さてどうするかと交差点まで歩けば、道を折れたところに巨木がある。この木の名前がユグドラシルというのかは定かでないが、別の世界に通ずる道であることは間違いなさそうだ。
    次は空港だった。イェーガー青年を見つけたぞと思ったものの服装からして客室乗務員で雰囲気がまるで違った。「エルヴィン?」と怪訝な顔をしたリヴァイはパイロットで、ここでもすぐに「いや違うな」と気づいた。その次はチャイナタウン、さらに次は中学校。鳥や猫のリヴァイにも会った。
    また、巨木に近づく。いったいいくつの世界を渡ってきただろうか。そのたびにリヴァイと会ったが、私の知るリヴァイとは別人である。
    白い光を抜ける。何度目になるか。もう慣れたものだ。
    今度は屋内だ。石積みの古い砦の中らしい。人の気配のするほうに行ってみる。


    どうやら机に突っ伏して眠っていたようだ。スピーカーからラコッツィ行進曲が流れている。
    いったん全部忘れますけど、いつか思い出しますから。
    そんな声だけなぜだか耳に残っている。誰の声だかよくわからない。しかしそれすらもすぐに忘れてしまった。
    リヴァイに電話をかける。むしょうに声を聞きたくなったからだ。
    「いま、大丈夫だったか?」
    「ああ。そっちこそ、夜中じゃねぇか。どうした?」
    「声が聞きたくなったんだよ」
    「笑わせる」
    「笑わないでくれ」
    リヴァイの軽い笑い声が受話器越しの耳にこそばゆい。
    「そうだ。シガンシナメモリアルオーケストラの第一回公演の曲目だが」
    シガンシナ響はもう無いが、旧い仲間で定期的に集まって演奏会を開こうという流れだ。
    「そろそろ決めねぇとな」
    「ドヴォルザークの九番ではどうだろう」
    「『新世界より』か。いいんじゃねぇか?」
    「いいだろう? 楽しみだな。とりわけ二楽章終盤の、ヴァイオリンとヴィオラとチェロ、それぞれのトップによる三重奏。ごく短いが、心掴まれる」
    絶対に指揮の手は止めて聞きいろう、などと考える。
    「じゃあ、ご期待に添えるようにせいぜい頑張るか」
    電話をかけて正解だった。切った後にもこころよい余韻が残っていた。


    ・・・・・・・・・・


    庭掃除を終え、館内に戻ろうとしたリヴァイは、車が止まる音を耳にして門の方を振り返った。タクシーから何人か降りてきた。向こうもリヴァイに気づいて近づいて来る。
    「お久しぶりです、兵長」
    訪ね来た四人の顔を順ぐりに眺めた後、リヴァイは口を開く。
    「どこのジジイ共だ」
    「え……兵長、ボケちゃったんですか?」
    「私はジジイじゃないけど……」
    「そういう問題じゃねぇだろ」
    訪問者達の様子を見て、リヴァイは顔を綻ばせる。
    「ボケちゃいねぇよ。アルミン、コニー、アニ、ジャン。だが、誰だかわからねぇくらいに年をとりやがって」
    「すみません。この年になっても兵長の冗談に対応できず……。兵長はあまり変わりませんね。むしろ僕たちの方が兵長より年を取ってしまったように見えるのではないかと」
    「そりゃ昔からだろ」
    「そうだね、ジャンの言う通りかも。でも、前にお会いした時からだと僕たちもそんなには変わってないように思うんですが」
    「前に会った時じゃなくて、若ぇ頃の姿を覚えちまってるんだろうな、俺が」
    「あーそれ分かります。俺も、いや兵長も年取ったよなあって思ってたんです。たぶん、何年か前に会った時じゃなく、若い頃の兵長と比べてました」
    「年を取ると最近のことより昔のことのほうがよく思い出せるんだよね」
    「オイオイ、お前らはまだ若ぇじゃねぇか」
    「いやもう、若いと言われる年では……」
    「しっかしタクシーの中でも話したけど、昔の兵長を思い出すと余計に、兵長が図書館長とか信じられねぇよなあ。何度来ても」
    どこか厳かな佇まいの建物をコニーは見上げる。重厚なつくりで、耐火や耐震も配慮されている。地下室もあり、敷地内の別館も併せれば、世界有数の収蔵数だ。
    「兵長ほど整理整頓に長けた人はいませんから、この、図書館を蘇らせるという大仕事は兵長をおいては成しえなかったんじゃないでしょうか」
    「整理整頓するほど本が揃うまで、いやそれ以前に本の形になるまでが長かったがな」
    「本どころか紙もなかったよなあ」
    「そういや紙を漉いたよな。生まれて初めてだったぜ」
    「紙の材料を揃えるのにも苦労したよね。結局、木を植えて育つのを待つことになった」
    「ペンやインクも貴重品だったよ」
    「わずかに残った印刷機も動かせなかったりなあ」
    「燃料がなかったもんなあ。炭鉱も石油プラントも全滅状態だった。鉄道網がやられてて船もほとんど残ってなかったから運べねぇし」
    「本当に、気の遠くなるような道のりだったね」
    昔話をしながら館内へ入る。ロビーの机に本が積んである。
    「立派な本ですね」
    「お前らと手分けして作りあげた最初の歴史書の愛蔵版だ。表紙が丈夫なやつで、中の紙も保存むきのやつだから、重くて読むのがつらいかもしれんが」
    「製本もしっかりしてますね。たしかに重いですが、紙がぼろぼろになったり、頁がばらけてしまったら、本という形で僕たちの経験してきたことを残そうという目的が果たせませんし」
    アルミンが手に取ったのは百巻に及ぶ歴史書の最終巻だ。ジャンが横から覗き込む。
    「写真もきれいに印刷されてるじゃねぇか。おー若ぇなあ皆」
    「そういえばジャンは写真うつりを気にしてたね」
    「そうだっけ?」
    「そうだよ。忘れたのか?」
    「だってもう六十年?いや六十五年近く経つんだぞ。忘れるだろ」
    「そんなに経つか……」
    「地ならしを覚えている人も少なくなりました」
    「地ならし後に生まれた人間の方がもうとっくに多いもんなあ」
    「人類は、覚えていなければならない。いつだったかの兵長の言葉を聞いて僕ははっとなったんです。復興、和平、やることが山積みでいっぱいいっぱいだったけれど、記憶が風化する前に手をつけなければいけない。これは僕たちがやらなければならないことのひとつだと」
    「廉価版でいいからパラディ島でも図書館とか本屋とかに置いてもらえるといいんだがな」
    「ヒストリアが私物として書斎に保管していますが、流通させるのは難しいようです。兵長は島へは一度も?」
    「ああ」
    「定期航空路線ができて、ずいぶん行き来がしやすくなりましたよ」
    「船も飛行機も得意じゃねぇからな。俺は足の下に地面があるほうが安心する」
    「橋がかかるといいのになあ。無理なのかなあ」
    「海底トンネルの方がまだ現実的じゃねぇか?」
    奥からばたばたと足音が近づいてくる。
    「あっ、来た来たー。久しぶりー」
    ガビとファルコが話し声を聞きつけて出てきたようだ。エプロンをして、頭には三角巾を巻いている。
    「掃除っすね。任せてください」
    「悪いな、着いた早々」
    事務室からピークが顔を出す。
    「ライナーから電話あって、医者に寄ってくるから遅れるって」
    「ライナーどこか悪いの?」
    「詳しくは聞かなかった」
    「兵長に刺された首の傷が痛むとかなんとか昨日つらそうだったからそれかもしれません」
    「そんなこともあったなあ。壁の中に隠れてたライナーが出てきたとこを兵長が刺したんだっけ」
    「あんときゃ惜しかったな。おい待てよ、腕でも脚でも生えてきてたじゃねぇか。ちょっと刺しただけでぶった斬ったわけでもねぇのに傷がいまさら痛むか?」
    「精神的なものかもしれませんね」
    「トラウマってやつ? ライナーああ見えて繊細なとこがあるからね」
    掃除に取り掛かるべく、役割分担を決めているところにイェレナが来た。
    「皆さんお揃いで」
    再会の挨拶を軽く交わした後、手にしている黒革のケースをリヴァイに示す。ひどく古びたもののようだ。
    「公民館の倉庫行ってきましたよ」
    「引越しの時に預けてそのまんまになってたというやつか。全部引き取ったと思ってたんだがな」
    「これだけ残ってしまってたみたいですね」
    「何だったんだ?」
    「楽器です。鉄琴ですよ。この通り持ち運びできるタイプのやつなので、演奏会とかでなく音楽の授業とかで使われてたんじゃないでしょうか。地ならし前のものだから貴重ですね。別館の収蔵庫に持って行きますか?」
    「そうだな。しかし拭いてからのほうがよさそうだ。汚ぇ」
    「一応埃は払いましたが、何十年か倉庫の隅で忘れ去られてたみたいですからね。じゃあ、お任せします」
    各々割り振られた持ち場へ向かうよう言い渡すと、リヴァイは事務室へ行った。背表紙に貼る図書分類のシールや索引カードを用意する。ロビーに戻ると、アニがひとり、歴史書の頁をめくっている。他は皆各所へ散ったようだ。
    地ならし後に執筆・編纂された歴史書にはパラディ島勢、マーレ勢双方から攻防が綴られている。アニが目を落としているのは彼女が憲兵団に潜入し、女型の巨人として調査兵団と巨大樹の森で交戦する辺りの項だった。
    「ごめんなさい」
    涙を零すみたいな呟きをアニは漏らす。
    「謝ったところで許されるとは思ってないけど」
    リヴァイはその様子をただ見守った。答える言葉を持たなかった。アニがリヴァイに向き直る。
    「目的や出来事を書くにとどめ、感情面はここには書かないようにした」
    「ああ、皆、そうだ」
    「私、楽しんでなんかなかったよ。狂っていたかもしれないけど」
    「七十年越しに質問の答えを聞けるとはな」
    「女型の状態じゃ答えようにも喋れなかったからね」
    「まあ、答えを聞くまでもなかったがな。あの時泣いてた理由を、当時は知る由もなかったが」
    「あの時?」
    「お前の口の中からエレンを回収してミカサと共に引き上げた時にな」
    「見られてたの。カッコ悪」
    アニは本を閉じ、巻数順になるよう本を積み直した。
    「兵長が島に一度も帰ってないのは誰もいないから?」
    「さっき言った通り飛行機も船も遠慮したいからだ」
    「私はレベリオがなくなっても、父親がおかえりなさいと言ってくれた。ガビやファルコやライナーもそう」
    「俺がそんなセンチメンタルな人間だと思うか?」
    アニはリヴァイをじっと見る。答えを言う前に、階上からガビがアニを呼ぶのが聞こえてきた。手が必要なようだ。「今行くから」とアニはそちらへ向かっていく。
    リヴァイはひとりロビーに残り、用意したシールを背表紙に貼る作業を続ける。
    不意に疲労感を覚え、窓際のロッキングチェアに腰を降ろした。この頃はすぐに疲れるようになってしまい動ける時間が短い。窓から注ぐ穏やかな日差しの中、ロッキングチェアに揺られていれば眠くなってきた。
    鉄琴の音が聞こえる。いつか聞いた旋律だ。そうだ、遠い昔に一度きり。ずっと忘れていた。あの時、鉄琴を叩いていたのは誰だったか? そういえばイェレナが引き取ってきた鉄琴の掃除をするんだった。しかし起き上がるにはあまりにまどろみが心地よい。
    足音が近づいてくる。二人いるようだ。
    「兵長、遅くなりました。病院からここへ来る途中でオニャンコポンと会って、一緒に来たんですよ。兵長?」
    覗き込むようにして話しかけてきているライナーの声がやけに遠い。


    長いこと忘れていた。今になって思い出した。
    マーレ大陸の南の海岸に近い丘陵地にその街はあった。地ならしが到達したものの、街が平らになる前に巨人の行進が止まり、巨人が消えた後には廃墟が残った。都市も街も村も跡形もなく踏み潰されて、そこに文明があったことを窺わせない更地になってしまった世においては貴重なことだった。およそ再建は不可能で、打ち捨てられたまま月日が経った廃墟は、かつて壁外調査で訪れた街を彷彿とさせた。ヴァーミリオンの屋根瓦に草が芽吹き、割れた窓硝子の内から外に向け木が枝を伸ばしている。
    街の外れに中世の城があった。天井は落ち、壁もところどころ崩れていたが、巨人に踏まれたためでなく地ならしの振動によるものだった。拾い集めてきた木板や布で急拵えの屋根を作り、雨風を凌げるようにして、活動の拠点とした。街は激しく破壊されていたため復旧は見込めなかったが、荒廃しきる前に保存しようという試みだ。また、再利用できる廃材や、後世に残すべき文化財を回収する目的もあった。
    城は高台にあり、晴れた日であれば遠目に海を望むことができた。しかしこの日の空には厚い雲がかかっており青空は見えなかった。元調査兵団と元マーレ兵の混成チームが街の調査及び保全活動にあたる中、リヴァイはひとり古城に残り収集品の整理や修復にあたっていた。街の中には瓦礫が散乱し、巨人の足跡の残る道は段差だらけで車椅子のリヴァイが入ることは難しかった。杖を頼りに歩くこともできないではないが、そうなれば手が塞がって結局作業に携われない。
    学校の跡地で見つかったという鉄琴のケースを作業机に置いて開く。中に砂が入り込んでいたので一旦鉄琴を取り出してブラシで砂を払い落とす。楽器の扱い方など知らないが、とりあえずきれいにしておけばいいだろうと、楽器本体の継ぎ目に溜まった埃も取り払っていく。
    「おっと、忘れねぇうちに書いておくか」
    収集品の目録の用紙に手を伸ばす。発見した場所と日時を書き留めている。横着をして車椅子を動かさずに取ろうとしたら、届かなかった。面倒だが仕方ない、車椅子を一旦退いて向きを変えようとした時だった。吹き込んできた風が紙を飛ばし、上に乗せてあった鉛筆も床に落ち転がっていってしまった。ツイていない。取りに行こうと車椅子の向きを変えたところで、人影に気づく。鉛筆を拾うためにしゃがみこんでいる。すでに紙の方も手にしている。折よく街から戻ってきた者がいたようだ。
    「助かった。風で飛んでいっちまってな。何しろほとんど吹きっさらしだ」
    中世の史跡なのでもとより窓にガラスなどなく、屋根も仮補修のため風通しが良すぎた。
    しかしそんなことよりリヴァイは鉛筆を拾って立ち上がった人物を見て驚くことになる。
    「エルヴィン……?」
    おもわずそう呼んでしまうほど、その男はエルヴィンにそっくりに見えた。
    いや、違う。そんなはずはない。
    「人違いだ。すまねぇ」
    落ち着いてよく見れば、エルヴィンとは違うようだ。見たこともないような服を着ている。柔和な顔つきをしている。両腕が揃っている。
    「見かけねぇ顔だ。応援に駆けつけてきてくれたのか? 各国の生き残りを編成しなおして、余裕があればこっちへ寄越すという話だったが見込み薄だと思っていた」
    それにしてもこの男はいったいいつからそこにいたのか。いくつか入り口はあるが、今この男がいるところには、リヴァイの背後を通らねば行くことができない。気づかなかっただけだろうか。
    エルヴィンに似た男は何も言わず、立ち尽くしてリヴァイを凝視している。ひどくショックを受けているような顔だ。
    「ああ。この指か? それともこの顔か?」
    被害の少なかった地域から来たのだろうか? 指が欠けていたり、顔に大きな傷がある人間を見慣れていないようだ。この辺りでは一般にも負傷者が多く出ており、また、マーレが長く戦争をしていたことから負傷兵が珍しくないこともあって、リヴァイのような者にも皆慣れっこだった。遠国から来たのであれば、パラディ島はもとよりマーレでも見たことのないような服を着ているのも納得できる。
    「いや、すまない。失礼した」
    びっくりした。声までエルヴィンにそっくりだ。
    「こっちこそ嫌な言い方をした」
    「ずいぶん短い鉛筆だな」
    男は歩み寄ってきてリヴァイに紙と鉛筆を手渡す。
    「なかなかに物不足だからな。紙も木屑やらを集めてきて手作りしたやつだ。書きにくくて仕方ねぇが、辛うじて残った製紙工場にしたって再稼働するまでにはまだ随分かかりそうだからな。燃料もねぇし、そもそも紙の材料にする木がねぇ」
    「そうか」
    「南方から来たのか? 地理に詳しくねぇんで国名とかは分からねぇが。炭鉱とか石油やガスのプラントが割と残っていると聞いたが、そうなのか? ここより北は何もかも壊滅的だからな」
    「分からない。すまない」
    「そうだよな。被害状況の確認にも時間がかかる」
    新聞やラジオのような情報伝達手段もうまく回っていない。
    「それは、鉄琴か?」
    男は机の上にある鉄琴が気になったようだ。
    「ああ。学校にあったものらしい。ピアノとかはちょうど巨人に踏まれたようで粉々になってたらしいし、ラッパとかは雨風が吹き込んだせいでダメになっちまってたが、これだけ上手い具合に残ってたみたいだな。持ち運び用の簡易なタイプで、本格的な鉄琴ではねぇようだが。この時代、とにかく金属が貴重だろ? だから溶かして再利用するか話し合ったが、こういうのを作れるような職人が生き残っているかわかねぇからな。これがなくなっちまえば、またひとつ文化が消えることになる。だから取っておこうということになった。見たところ壊れちゃいねぇようだしな」
    「壊れていないかどうか、試しに叩いてみればいいのでは?」
    声だけでなく喋り方や発想まで似ていないか? いや、気のせいだ。リヴァイは余念を払おうとする。
    「一応、叩いてはみた。音はでたぞ。だが、だからといって壊れてねぇと言えるもんでもねぇだろ。配管のパイプとか鉄骨とかだって叩けば音が出る」
    男は鉄琴の位置を正して正面に立つと撥を手に取った。
    「音楽ができるのか?」
    「できるというほどではないが」
    鉄琴の板の長い方から短い方へと順々に叩いていく。叩くごとに音が高くなっていく。
    「ふむ、音は狂っていない。壊れてはいないようだぞ」
    「ほう」
    感心していれば、男は鉄琴を叩き始めた。音楽を奏でる。なぜか心を掴まれる。初めて聴くというのに親しみを覚える。ごく短い演奏だったが、聞き入ってしまった。
    「どことなしに懐かしさが込み上げるような曲だな」
    「これは、作曲家がはるばる海を越え、彼自身からすれば新しい世界ともいえる土地で作った曲の一部だ。『新世界より』と題されている。もっとも、何年も故郷に帰っていないというわけではなく、アメリカに渡って一年も経っていない、十ヶ月程度ではあったが」
    知らない国の名だった。そもそも知識が圧倒的に足りていない。そんな国もあったのだろう。今もあるか知らないが。
    「俺もちょうど故郷を遠く離れてそんくらいだな」
    「懐かしいか?」
    「さあ、どうだろう」
    遥か遠いパラディ島に思いを馳せてみる。海を渡り、空を越えてきた。
    「俺に限った話じゃねぇと思うんだが、故郷ってのは、ここにあるんじゃねぇかな?」
    そう言って右の拳を胸に当てる。敬礼の仕草に似ていたかもしれない。
    「故郷がなくなっちまった人間が大勢いる。何もかも踏み潰されて、陸地の大部分が平らにされちまったからな」
    迷ったが、「俺はパラディ島の出身なんだ」と告げる。どのような感情を持たれているか分からないから、むやみに明かすのは避けるべきだったが、話の流れだ。男の表情に大きな変化はなく、とくに嫌悪や憎悪が湧いた様子はない。ひとまず安心して話の先を続ける。
    「だから、俺の場合、昔暮らした街だとか、馬で駆けた野原だとか、川やら森やら畑やら牧場やら、とにかく大体が俺がいたころのまま残ってるはずだ。だけどそこへ帰ったとして、昔いた場所に帰れるわけじゃねぇ。誰もいねぇんだからな。昔なじみは、誰もな」
    きっと遠い目をしてしまったのだろう。エルヴィンによく似たエルヴィンではない男はリヴァイの話を聞いて胸を痛めたようだ。
    「そりゃあ、建物だとか街だとか、川やら森やら草原やら、景色を実際に目にすりゃあ懐かしく思うかもしれない。だけどそれは実際に目に映っている景色でなく、心に浮かぶ過ぎ去った日の同じ場所を見てのことなんだ。例えば借家に住んでたとして、俺が引っ越しちまって違う奴がそこへ住み始めたらもう俺の家じゃねぇだろ。それと同じだ」
    空から見たなら翼を広げた鳥のようであったろう長距離索敵陣形を思い出す。確かにあの一部だった。だがもう帰ることは叶わない。死と痛みと苦しみにみちていたあの時代に戻りたいわけでもない。リヴァイは確かに今、あの頃の仲間達が目指した場所にいるはずだ。
    「故郷ってのは、もう決して帰ることのできねぇ場所なんだろう。だけどいつの日か、帰りたい場所でもある」
    男は返す言葉に困っているようだ。
    「余計なおしゃべりが過ぎるな」
    この男があまりにエルヴィンに似ているせいか、つい口の滑りがよくなった。
    「いや、いいよ」
    男は柔和に笑う。やっぱりエルヴィンとは違う。戦闘経験のない人間だと感じる。だけどやっぱり余りにも似ている。
    「おしゃべりついでに、ひとりごとを聞いてもらってもいいか?」
    「ああ。何なりと」
    「もうなくしちまったが、俺には力があったんだ。バカみてぇな力だった。何をどうすればいいのかもわかった。攻撃をかわし、標的を仕留めるにはどうしたらいいか。頭で理解する前に指先に至るまですべての細胞でわかっていた。そしてその通りに動くことができた」
    しかし、巨人の力が消失した時にこの力も消え去った。
    「俺に、その力は人類のために使えと言った奴がいた」
    そう言った男とよく似た男に向かって、訥々と語る。
    「もっとも、俺はそんな大層な人間じゃねぇからな。そんな立派な志は抱けなかったよ。だけど一つの道筋にはなった。迷子になりそうになったときの道しるべってやつだ。ところが肝心のその力を失っちまったときた」
    エルヴィンと見紛う、だがエルヴィンではない男の顔を見る。見れば見るほど似ているような気もするし、別人のようにも見える。
    「あいつは、学校の授業で習う歴史に違和感を覚えたんだそうだ。歴史書に書かれていることには嘘が含まれるんじゃねぇか。人類は記憶を書き換えられたんじゃねぇか。その通りだった。記憶を書き換える力はなくなったが、安心はできねぇ。嘘っぱちを書いた歴史の教科書を使ってガキの頃から教育すれば、似たようなことができそうじゃねぇか。大人は正しい歴史を覚えているかもしれんが、そのうち寿命が尽きていなくなる。嘘っぱちの歴史を学んだ人間だけが残る。人類全体として見たら記憶が書きかわっちまうようなもんだ。それなりの年月はかかるがな」
    リヴァイは手に持ったままだった紙を机に置くと、鉄琴について書き記した。
    「俺に何ができるだろうと、ねぇ頭で考えた結果が、こうやって書き残すことだ。また忘れちまわねぇようにな。これは収集品の目録だが、わかる場合にはその由来とかも書き込むようにしている。ここの街の住人の生き残りは避難して海沿いに移り住んでるんだが、そこで話を聞いて、書き留めたりもしている。これまで渡り歩いてきた廃墟やら避難所やらでも同じようにしてきた。歴史書、とまではいかねぇかもしれねぇが、記録を残せたらと思っている。どうやったら、人は同じ過ちを犯さずにすむか。俺なりに考えた結果だ」
    リヴァイが語り終えれば、静謐が訪れる。外の木立の葉が風で音を立てる。屋根の上で鳥が鳴いている。島にいた頃には聞いたことのなかった鳥の声だ。街から鐘の音が聞こえてくる。崩れた塔の瓦礫の中から、かつて刻を告げていた鐘を掘り起こせそうだとそういえば聞かされていた。
    「人類のために使えと言われた力がなくなったなら、自由に生きてもいいのではないか?」
    その男の声はどこか鐘の音に似て、音楽的に響いた。
    「もっともだ。その通りだと思う」
    苦笑して、だがな、と先を続ける。
    「バカが辺り構わず踏み潰しちまったからな。聞かん坊のガキがな。世界がこうなっちまったのには、俺にも責任がある。あのガキに、後悔のねぇ方を選べと、選択を任せたのは俺だ」
    選択を任せたことに後悔はない。大事なのは、後の責任を取ることだ。
    「それにどうも何かの奴隷でねぇと、生きられねぇらしい。奴隷というと聞こえが悪いか。何かよすががねぇと、ってことだ」
    ケニーの受け売りのようで嫌になるが、あのいい加減な伯父にしては真実を突いていた。先立った仲間達との絆から解放されたくもない
    「リヴァイ」
    まるでエルヴィンみたいに俺を呼ぶ。おい待て。俺は名前を名乗ったか?
    疑問が湧いたが、リヴァイはただその声を聞いていたいと思った。
    彼はリヴァイの前にひざまづいた。
    「そのエルヴィンとかいう奴が何を考えていたかはわからないが、君の力というより、君のさだめについて言ったのかもしれないな」
    「さだめか。なるほど」
    落ち着く考えだ。
    「リヴァイ。どのような世界であれ、私は君と巡り逢うのだろう。そして私は君により救われる。どの世界でも、私は君なしの人生は考えられない。私の不滅の最愛だ」
    彼の双の掌が、指の欠けたリヴァイの手を包んだ。



    車がガタガタと揺れる。昔に比べたらマシになったが道路の舗装状態はあまりよくない。
    「リヴァイさん、もうすぐ着きますよ」
    運転席のライナーがバックミラー越しに後部座席のリヴァイを見る。
    「ああ、ライナーか」
    そういえばライナーに何か言おうとしていたと思いだす。
    「ライナー、お前、首は大丈夫だったか?」
    「首の痛み? 何の話です?」
    「痛むからと、整形外科に行ってたんだろ」
    「いいえ」
    「寝ちゃってましたか? 時差ボケとかもありますかね」
    助手席のオニャンコポンが後部座席を振り返る。
    「いや、起きてたはずだが」
    窓の外を見る。高速道路を降り、市街地に入っている。昔はいちめん灰色だった街が、豊かな色彩にいろどられつつある。
    「着きましたよ」
    カチカチとウィンカーを出す音がする。ライナーの運転する車がロータリーに入る。
    「二楽章からだったな」
    「すみません。俺の都合に合わせてもらってしまって」
    チューバ奏者のオニャンコポンにエキストラで入ってもらうが、二楽章しか出番がない関係で、一楽章でなく二楽章から練習を開始することになった。
    車を駐車場に止めるのはライナーに任せ、リヴァイとオニャンコポンは通用口前でおろしてもらった。ホールに入ると、オニャンコポンは外部エキストラの手続きのためスタッフルームに向かったので、リヴァイひとりで練習が行われるステージに向かう。廊下を進み、扉を開ければ、すでに音出しが始まっていた。ドヴォルザーク交響曲第九番『新世界より』二楽章の郷愁にみちた主題が奏でられている。指揮台のエルヴィンは楽譜に書き込みをしているようだ。何か話しかけたいらしくハンジが弓の先でつつこうとしている。
    主題を吹き終えたナナバがコールアングレを降ろしたところでリヴァイに気づいた。
    「よう」
    声をかければ、他の面々も練習の手を止め、リヴァイの方を見る。
    「おかえり、リヴァイ」
    木管の面々、ミケ、ナナバ、リーネ、ゲルガーがそれぞれの楽器を軽く掲げるようにして挨拶する。トップサイドに座っているエルドが手を上げ、モブリットがヴィオラを弾く手を止めて会釈をする。反対側の扉から入ってきたところだったグンタとオルオとペトラがリヴァイの名を呼んで笑顔をみせる。ハンジが振り向く。エルヴィンが顔を上げる。
    「おかえり、リヴァイ」
    「ああ、ただいま」
    リヴァイ同様、普段は島を離れて、この演奏会のために戻ってきた者も多いというのにおかえりと言われるのは何かこそばゆかったが、今は素直に受け止めたかった。
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    niesugiyasio

    DONE無配(2025/2/9)の再録です。既刊の音楽家パロ『ヴィルトゥオーゾ』後日談と原作軸のクロスオーバーとなります。指揮者のエルヴィンが道みたいなとこでエレンに遭遇して別世界のリヴァイと会います。別世界のエルリはそれぞれ別CPという想定でそのあたりはクロスオーバーしないです。長生きした兵長と104期たちの話なども含みます。
    From the New Worldそれはまったく突然の事だった。至近に雷でも落ちたかのような光に包まれ、視界からは色も形も失われた。強すぎる光に私自身もまた同化したかのようだった。束の間、すべての感覚を喪い、無に帰す。
    気づけば私は地面に倒れ伏していた。椅子に掛け、机に広げた総譜に書き込みをしていたはずだが、何もない。手にしていたペンも無くなってしまった。着の身着のまま、野外に放り出されている。
    「エルヴィン……団長?」
    団長と呼ばれることはないが、楽団長をそう呼ぶ場合もあるのだろうかと惑いつつ体を起こす。青年が一人立っている。
    「メフィストフェレス?」
    「いや、そんな名前じゃないですけど」
    「すまない。取り組んでいた仕事の影響だ。劇中の登場人物の名を口にしたまでで、決して君を悪魔のようだと言ったわけではない」
    16267

    niesugiyasio

    PAST原作軸エルリ連作短編集『花』から再録15『空』
    終尾の巨人の骨から姿を表したジーク。
    体が軽い。解放されたみたいだ。俺はこれまで何かに囚われていたのか? 空はこんなに青かっただろうか?
    殺されてやるよ、リヴァイ。
    意図はきっと伝わっただろう。
    地鳴らしは、止めなくてはならない。もとより望んだことはなく、地鳴らしは威嚇の手段のつもりだった。媒介となる王家の血を引く巨人がいなくなれば、行進は止まるはずだ。これは俺にしかできないことだ。
    エレン、とんだことをやらかしてくれたもんだ。すっかり信じ切っていたよ。俺も甘いな。
    また生まれてきたら、何よりクサヴァーさんとキャッチボールをしたいけれど、エレンとも遊びたいな。子どもの頃、弟が欲しかったんだよ。もし弟ができたら、いっぱい一緒に遊ぶんだ。おじいちゃんとおばあちゃんが俺達を可愛がってくれる。そんなことを思っていた。これ以上エレンに人殺しをさせたくないよ。俺も、親父も、お袋も、クサヴァーさんも、生まれてこなきゃよかったのにって思う。だけどエレン、お前が生まれてきてくれて良かったなって思うんだ。いい友達を持ったね。きっとお前がいい子だからだろう。お前のことを、ものすごく好きみたいな女の子がいるという話だったよな。ちゃんと紹介して貰わず終いだ。残念だな。
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