朝顔本丸の廊下を歩いていたときだった。
風鈴の音にまぎれて、聞き覚えのある笑い声が耳に届いた。
君だ。
声のする方へ自然と足が向いてしまうのは、近侍としての癖か、それとも個人としての執着か、自分でも判別がつかない。
庭に面した縁側で、君が屈んでいた。
掌には、布でできた丸い小さな彼ら──“もちマス”たち。
君の手元には、極小の髪飾りが並べられていて、ひとつずつ、器用に付けてやっている。
「よし、これは朝尊。よく似合ってる…うん、大人しくて偉いぞ」
「ふふ、次はちびだな。どこに着けよう……」
至極真剣な顔で飾りの位置を調整しながら、
君は彼らに名前を呼び、褒めて、微笑んでいた。
その横顔は実に穏やかで、あまりに愛おしげだった。
……いけない。
そんなものに、嫉妬するなど。
相手は人ですらない、ぬいぐるみ。
僕らの分霊のように可愛がられている、小さな分身たち。それは分かっている。
けれど。
「……」
胸の奥が、鈍くきしむ。
指先であんなふうに触れて、声をかけて、褒めて、微笑んでもらう──
羨ましいと思ってしまったのだ。あのもち達が。
まったく、情けない話だ。
気がつけば手が動いていた。
青い朝顔を選んだのは、意識的ではなかった。
君の髪に、あの青色がよく映える。
その発想だけで、細工に没頭した数時間。
出来上がったものは、小さく控えめな髪飾り。
金具は最小限、華美さを抑えた作り。
これなら、君が普段使いにもできる。
誰かに見せびらかすものじゃない。
ただ、君の髪にあってほしいだけの飾り。
夕方。君がひとりで手入れ部屋から出てくるのを待ち、何でもないような顔で声をかけた。
「実は、君が彼らにつけてあげていた髪飾りに、少々嫉妬してしまってね」
君が目をぱちくりさせて僕を見上げる。
言葉の意味を掴めなかったらしい。
まあ、当然だ。
それほど真剣に言うべき内容でもないのだ。
だからこそ、僕は続きを口にした。
「……これを、君に。」
手にしていたそれを、そっと髪へ。
耳元の柔らかな髪に着け、少しだけ位置を整える。
触れた指先が熱を帯びる。
君が身じろぎもせずに受け入れてくれるからこそ、逆にこちらの方が落ち着かない。
「青い朝顔の花言葉は《はかない恋》…というのを、ご存知かね?」
言いながら、俯いている君の顔を盗み見る。
触れたままの指から熱が伝わる。
君の頬がうっすら赤らんでいくのを、見逃すつもりもなかった。
「まあ、僕は単純に、その色が君に似合うと思って選んだのだけど」
そう付け加える。
余計な含みがあるように聞こえるように。
数秒の沈黙。
君がそうっと手を伸ばし、飾りを触った。
指先で花の輪郭を確かめるように撫でて──
ぽつりと、小さく「ありがとう」と言った。
胸の奥がふっと温かくなる。
しかし、そこで終わらせるつもりはなかった。
僕は君の耳元に口を寄せ、そっと囁く。
「ああ、そうそう。僕は"儚く"させる気は毛頭ないからね」
「…どうか覚えておいてくれたまえ」
それは、もはや言い訳でも照れ隠しでもない。
明確な意思の提示。
僕は、君の髪に触れた。
朝顔の花を通して、君の心に爪を立てた。
この感情が“恋”であるなら、君に宣言した通り
決して“はかない”もので終わらせる気など、僕にはない。
君に選ばれた時、初めて心に顕現したこの想いが
君に触れるたびに熱を増していく
それが何かを壊すとしても。
この本丸ごと、焼き払ってしまうとしても。
──僕の心は、君の傍に咲く。
朝顔のように、静かに。密かに。