あたたかい場所「ベッドが、あったかいなって」
「は?」
また酒を飲み過ぎてしまったのか、覚束無い足取りでふらふらとこちらにやって来たネロはブラッドリーの隣に腰掛けると、唐突にそう言った。
今日も敵意を向けてきた他の海賊船を華麗に追い返して、そこの積荷は全てこの海賊団が根こそぎかっさらってやった。そしたら思いの外上等な酒も多く、その成果を見て全員が上機嫌になった。となると、やることと言えば一つしかない。こうして飲めや騒げやの状態が出来上がることは、もはや自然の摂理だ。
いつもの様に労いを込めて杯をぶつけ合って、ブラッドリーも酒を煽る。そんな中で、一際大きな声で騒いでる一角を見つけた。その中心を見ればそこにはネロの姿がある。そいつは手下達にやいのやいのと揉まれながら、相変わらずぼけっとしているがそれでもどこか照れくさそうにしながら団員との話に興じていた。
宝珠の一件があってからは、ネロはさらにこの海賊団に溶け込んだように思う。作る飯が美味いこともあって、本人は全く自覚していないようだが、最近のネロは専ら団の人気者だった。
少し離れて敵を蹴散らしていたブラッドリーから見ても、今回のネロはいい活躍をしたように思う。手下の一人のミスをうまく立ち回ってカバーしたようで、ネロは英雄のように持て囃されては次々に酒をつがれていた。ネロはブラッドリーが自ら戦いの仕方を教えたこともあるが、飲み込みのスピードは凄まじかった。これは手ほどきしてやったかいがあるというものだ。
しかしなかなか収まることの無いそのどんちゃん騒ぎの様子に、またそんなペースで飲んだら危ないんじゃないかとは思ってはいたが、やはり思った通りだった。ブラッドリーは見かねて「ネロ」とその名を呼び付けると、案の定の危うさでブラッドリーに寄ってきた。そして冒頭に戻る。
「今までは、ただ寝るためだけだったけど、今はなんか違うっつーか……」
「どういうこった? 向こうの方が最新式の船だったんだろ、ベッドもふかふかなんじゃねえのか」
悔しいが、最新の技術を持っているフォルモーント・ネービーの設備の方がブラッドリー率いる死の海賊団の船よりも格上なことは分かっている。しかも生贄としてネロを捕縛していたのだ、逃げられないようにしておくならそれなりの良い環境下に閉じ込めて置くはずだろう。
当然船長室に置いてあるブラッドリーのベッドは上等なものではあるし、手下の部屋のベッドもいいものは揃えては勿論いる。年中海の上で暮らす海賊にとって衣食住の環境を整えるのは、最重要視すべきことであり当然だ。いい酒に、美味い飯。綺麗な服、そして心地が良い寝床。
「ふかふか? そうっすね、それはそうだったかもしれねえけど」
「だったら何が違うんだよ?」
一瞬酔っ払いの戯言かとも思ったが、その割には呂律も回っているしハッキリと物を話すので、ほろ酔い状態といったところか。ネロの顔を見ると、その麦穂色の瞳は柔らかさを含んでいる。つい興味が出て、ブラッドリーはその先を促した。
「部屋が寒かったとかじゃないんだけど……、ここのベッドのが、ぽかぽかしてる、最近は特に」
そう吐き出したネロの頬は、気がつけば手に持ったその酒よりも濃いピンク色に染まっていた。胸を掌でそっと押さえながら、どこか大切な物を自慢するようにひとつひとつ丁寧に語る。それにブラッドリーは黙って耳を傾けていたが、その内に自然に自身の口角が上がっていくのが分かった。もしかしなくともそれは、少しでもこの海賊団が居心地が良いと思ってくれているということなのかもしれないと思った。
「だからキャプテンならその理由が分かるかと思って。……どう思うっすか?」
しまいにはブラッドリーに向き合いながら、こてんと首を傾げてくるのだから、ブラッドリーがそれを何とも思わない筈がなかった。ブラッドリーにとってはあまりにも単純明快な事を、ネロはさも大事そうに真剣に考えてるのが堪らなく愛しく思えた。
このネロにその気持ちを抱かせたのは、自分だ。それを思うと、機嫌はすっかり上を向いていた。ブラッドリーは残りの酒をぐいっと飲み干し、もう一方の手でネロの肩を引き寄せる。そして内緒話をするように、顔を近付けて言った。
「理由ならわかるぜ。それに、それがもっと良くなる方法も俺様は知ってる。どうだ、教えてほしいか?」
「……え、知りたい!……っす」
間髪をいれずに帰ってきた返答に、ブラッドリーはまたしてもにやつく顔が押さえきれなかった。なんなら周りの目も気にして居られないほどに、楽しくなっている。
それにブラッドリーがネロを目にかけてることは周知のことだ。今更それがバレたとて、どうってことはない。今だって近くを通りがかった団員から「キャプテン、またネロをからかって遊んでるんすか?」なんて野次を飛ばされた。けれど、それはどうとでも言わせておけばいい。なんといっても原石と言うのは自分で磨いてこそ価値が出るものだ。最高の宝を得るための手間は惜しまない、それがブラッドリーだ。
「だったら決まりだ。今夜、俺様の部屋に来な」
「え、キャプテンのか」
「おう」
そう言うとネロは驚いたように目を丸め、ぱち、と瞬いた。一瞬だけ遠慮を見せたようだが、少ししてから「わかった」と素直に頷くのを見て、その頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜてやりながらまたブラッドリーは笑った。
「……キャプテン、俺っす」
「おう、入れよ」
部屋に控えめなノックの音が響いて、続いてネロがこちらを呼ぶ声がした。ブラッドリーが一声かけると、遠慮がちにそうっと扉が開かれる。
「お邪魔、します」
約束通り船長室にやってきたネロは、もうすっかり休む準備は整っているようだった。普段は着飾ってやっている豪華な服も、今は身につけておらずラフな格好になっている。しかし、ドアを閉めてそろそろと入室してきたネロだが、それ以上はどうしたら良いかわからないのか、そのまま隅っこの方でぼうっと突っ立ったままだった。
「なに縮こまってんだよ? はやくこっち来い」
「……うん」
ベッドの上からブラッドリーが手招くと、ネロはゆっくりと歩を進めた。しかしその視線の先はブラッドリーではなく、壁や天井を向いているように見える。しかしそれは無理もないな、とブラッドリーは思う。船長室には宝物庫とまでは行かないがブラッドリー自らが目利きした気に入りの宝石や、武器が所狭しと壁一面に飾ってあるのだ。光り輝くそれに、目を奪われるのは仕方の無い事だ。足元のカーペットの上には金貨を腹一杯に詰め込んだ箱も置いている。恐らくまだネロが見た事がないものばかりだろう。証拠に、ぽけっと口を半開きにしながら「すげえ……」とネロは見入っていた。
その瞳が楽しそうに輝いているのを見るのは悪くないことだ。しかし今はそんなことよりも、もっと別のことに夢中になって貰わければブラッドリーは困ってしまう。
やっと近付いたネロの腕を、勢いに任せてぐっと引っ張ると「うわっ」と小さく声をあげながら腕の中に落ちてきてようやく目が合う。
「俺様がいるのに他に目移りするとは、ネロも偉くなったもんだな?」
「す、すんません……」
照れているのだろうか、酔いは少しは抜けた様だがその顔はまたしても熱を帯びていて、目を泳がせていた。
「どうだ、俺様の寝床は?」
流石にこれ以上からかってやるのも可哀想になってきたブラッドリーは、助け舟を出してやるべく、ぽんっとシーツを叩きながらネロを見る。それにネロは合点がいったようにそろそろとブラッドリーの上から降りて、その感触を確かめた。
「すごい、ふかふかだ……」
「ははは! そうかよ。寝心地は良さそうか?」
「うん、良さそう」
手でシーツを押しながら頷く様は無垢そのもので、まるで親が与えてくれるのを待って享受する雛鳥みたいだと思う。それは悪くなく、むしろとてもいい気分ではあるが、しかしブラッドリーはそれだけでは満足はしないのだ。この青年はただ世間を知らなかっただけで、子供な訳じゃない。
「じゃあ、今日はここで寝ていってもいいぜ」
「えっ……」
そう言うとブラッドリーはずいっと顔を近付け、あえてネロを下から覗き込むようにしながら聞く。
「嫌なのかよ?」
我ながらずるい聞き方をした自覚はあった。しかしそれは勝てる確信しかなかったからだ。その可哀想なくらいに真っ赤にした顔が、首を縦に振るのを、ネロが欲しがるのをブラッドリーは待っているのだ。
「や、じゃねえ……。え、いいのか……?」
「俺様がいいって言ったんだろ? 素直に受け取れよ」
「うん、わかった。ありがとうキャプテン」
そうしてへらりと作られたネロの心からの笑みに、ブラッドリーはじわりと心が熱くなった。やはりあの時に手放さなくて良かったと、心底思う。ネロにこんな顔をされては、本当になんでも与えたくなってしまう。新入りとわかっていても自身のお下がりを着せて、一緒に街に降り、物を買い与える。自分でも世話を焼きすぎてどうかしているなとは思うが、今更やめることなどは無理な話だ。こんなにも誰かを側に置いておきたいなど、ブラッドリーは今まで考えたこともなかった。ネロを拾ったあの日から、ブラッドリーはこうなる運命だったのだろうとさえ思っていた。
そうしてベッドに横になると、その寝心地にネロは感動したのか、確かめるように何度か寝返りをうっていた。その反応が面白くてブラッドリーはそのまま少しの間観察していたが、しかしそれもそろそろ良いかと、ぱちりと目があったタイミングで話しかけてやる。
「で、どうだよ?」
「……キャプテンとこうしてる方が、もっとあったかい……」
「だろ?」
「なんでなんすか?」
その素直な反応に、ブラッドリーは満足感で頬を緩めた。そして隣に寝転んだネロの腰を引き寄せながら、言う。
「教えて欲しいか?」
「うん」
ブラッドリーの言葉を今か今かと待ち侘びる度に、新しい感情を吸収してきらきらと輝くその瞳が美しい。願わくば、ずっとそんな瞳の色を青とピンクが混ざる海の上で見ていたいと思った。
「てめえが俺様と肩を並べるくらいになったら教えてやるよ」
「えっ、俺が?」
「不満か?」
「わかった、がんばる」
その目が驚きに大きく開かれるも、ブラッドリーがそう言えば気恥ずかしそうにしながらネロは答えた。しかしやはり照れているからかだんだんと視線が下を向いてしまって、目が合わないのが勿体無く感じてしまい顎を救って目線を合わせる。ネロがびくりと肩を跳ねさせた。
「あの、俺、貰ってばっかりじゃないっすか……?」
「てめえは俺様の船の団員なんだ、当然だろ? でもお礼がしてえなら一個欲しいもんはあるな」
「本当か? 何でもする」
「おいおい、他所のやつには言うなよ? 目え閉じろ」
「ん」
ブラッドリーの言葉通りに目を閉じたネロを見ながら、しかしこう素直なのも考えものだなと思う。しかしながら、ネロがこんな言うことを聞くのもブラッドリーだからか、と瞬時に考えを改めながらその柔らかな場所に自身の物を合わせて離した。
「あ、え、何……?」
「誰にでもするわけじゃねえぞ。てめえだからだ、ネロ。わかるか?」
「……うん」
恐らくネロは何をされたのか、幼い時から奴隷として扱われ、そして閉じ込められていたせいで全ては理解していないのだろう。しかしそれはこれからブラッドリーが教え込めば良いことだ。目をぱちぱちと瞬かせながら、唇をゆっくりと指でなぞっているその姿に、ブラッドリーは満足気にネロを再び引き寄せた。
「キャプテン、やばい……」
「ん?」
「明日から、俺……独りで寝られねえかもしれない……」
もぞっと腕の中でネロが動いたかと思えば、上目遣いにブラッドリーを見てそう言うのだから、もう完敗だった。
「あっはは! そりゃあいいや!」
そんな目をされたら、やっぱり何だって教えたくなっちまうな。