「松本稔だ、よろしくな」
「‥‥どうも」
生温い奴。それが松本へ抱いた第一印象だった。いくら監督から指導係を命じられたからといって、数少ないレギュラーの椅子を奪い合う敵によろしくだなんて能天気にも程がある。こんな男が次期エースだなんだと誉めそやされるなんて王者山王も所詮その程度か。それとも指導係を全うすればレギュラー争いを一歩リードできる、"内申点"のようなものが加算されるのか。どちらにせよ正直落胆した。
しかし決して気取られてはいけない、沢北は胸の内を隠しスイと差し出された手に視線を落とした。短く切り揃えられた爪。テーピングの施された細く長い指。バスケット選手らしいその手に不自然な傷やたこがないことに小さく安堵の息を吐き、しっかりと男の手を握り返した。
ドクンドクンと痛いくらいに心臓が跳ねて喧しい。じわじわと脂汗が背を伝う。男に動揺が伝わってしまわぬようにとすぐに手を解くも、大きく見開かれた瞳に己の軽率さをすぐに後悔した。思わず目を伏せる。心音は瞬く間にに大きくなり、遂には胸の痛みまでも生じ始めた。
(うるさいなッ‥‥静かに、静かになれッ‥)
こんなに大きくては周りに聞こえてしまう。依然鳴り止まぬ心音に焦りが募り、チラチラと両隣を盗み見るも別段変わった様子はない。そしてそれは目の前の男も同じであった。相変わらず無駄にまじめくさったような顔。しかしこちらを見透かすようなまっすぐな眼差しが、沢北には酷く居心地が悪かった。
馴れ合うつもりなどない。人の良さそうなこの男も、一枚面の皮を剥げば"あいつら"と同じだ。決して心を許すな。そも沢北はここ山王にバスケを学びにきたのだ、馴れ合う必要なんてない。ここでは自分のことを受け入れてくれる人がいるんじゃないか、同じ思いでバスケに打ち込める仲間ができるんじゃないか、気を抜けばすぐに期待を抱く弱い自分へ言い聞かすように、頭の中で何度も反芻した。チクリと痛む、胸の奥深くに刻まれた古傷を見ないフリをしながら。