『こら』/『寝癖』の話 窓から射し込む光に、深い眠りに落ちていたリゼルの意識が浮上する。
しばしぼんやりと見慣れぬ煤けた天井を見ていたリゼルは、一つゆっくりと瞬きをして、
「ああ……、そうか」
掠れた声で小さく呟いた。
昨日から足を伸ばして少し遠方の森の中にある迷宮へ潜っていた。そこはジルが既に攻略を済ませている迷宮で、冒険者ギルドにあった依頼にリゼルが興味を惹かれたからだった。二人で迷宮を巡る乗り合いの馬車にほぼ半日揺られて着いた迷宮は、思っていた以上にリゼルの心を浮き立たせてくれた。無事に依頼を終えて迷宮を出た時にはそろそろ夕闇が迫り、乗り合いの馬車は既に最終が出た後。いつもの宿へ戻る事は出来そうになく、二人は森の傍にある元冒険者が営んでいるという宿で一晩過ごす事になったのだ。
宿泊客はジルとリゼルの二人しかおらず、賑やかなのは嫌いではないが、騒がしいのは好まない二人は静かな宿で他人を気にする事なくゆっくりとシャワーを浴びて、手渡された鍵で宿の角部屋に入った。
「……そのまま、二人で盛り上がってしまいましたもんね」
珍しく二人して濡れた髪を乾かす時間すら惜しいと、そのままベッドになだれ込んでしまった。
久し振りにジルの普段は穏やかなあたたかさを感じさせる手の平が、吐息が、声が、燃えるような熱さでもってリゼルに触れてくる。その熱に全てを奪われて、リゼルは文字通りジルが満足するまで喰われた。
うふふ、と照れたように笑って、リゼルは甘い鈍痛に眉を寄せながら横向きに寝返りをうつと、隣に視線を向けた。
そこには、うつ伏せで枕を抱き込むように腕を回して、深々と息をつきながらまだ眠りに就いている男。
最初の頃はリゼルが目を覚ますと、男……ジルもすぐに目を覚ましていたが、少しずつリゼルの前でもリラックスをする姿を見せてくれるようになった。こうして寝顔を見られる機会も増えてきて、リゼルの胸をほこほことさせる。
「……あ」
目を細めてジルの寝顔を見ていたリゼルは、不意に小さく声を上げた。
逞しい首筋。そこの漆黒の艶やかな髪が小さく跳ねていた。生乾きのままコトに及んでしまったのだ。こんな事もあるだろう。
うふふ、と笑って跳ねたその髪に手を伸ばした瞬間。
「あ」
「こら、何してンだ」
その手を握り締めて、ジルがのそりと躯を起こした。
そのまま器用にリゼルを抱き寄せると、くるりと体勢を入れ替え、リゼルを自分の下に引き込む。
真上から覗き込んでくる切れ長の瞳を見上げて、リゼルは再び手を伸ばすと、ジルの項に手を回し、跳ねていた髪をそっと撫でた。
「寝癖があったから。珍しいと思ったんです」
くすくすと楽しげに笑うリゼルを見下ろしながら、ジルは項から髪を撫でるリゼルの手に心地良さそうに目を細めた。
「お前もだろ」
低く笑ったジルの大きな手が、リゼルの額を柔らかく覆う前髪をさらりと撫でる。リゼルには見えていないが、前髪がぴょこん、と跳ねている姿は、何とも可愛らしい。きょとん、と目を瞬いたリゼルは、すぐに照れたようにうふふ、と笑ってジルの首に両腕を回した。
「昨夜はお互い我慢出来ませんでしたね」
「久し振りだったしな」
そう言って満足そうに目を細める男の姿は、空腹を満たされた大型の獣を彷彿とさせて、リゼルに思う存分男に喰われた恐怖と紙一重の目も眩むような快感を思い出させる。
リゼルはうっとりとジルの手に頬を寄せると、
「……まだ、ジルが足りません」
もっと髪が乱れる程、そして、そんな事が気にならない程ジルが欲しい。
久し振りに与えられた男をもう少しだけ。
リゼルの小さな願いに、ジルは目を瞬いて、すぐに太い笑みを見せる。
「お前が望むなら」
ああ、やっぱりジルは自分に甘い。
「だが、寝癖が取れなくなっても知らねぇぞ」
「またシャワーを浴びればいいです」
だから、ねぇ、早く。
言葉にならないリゼルのおねだりに、ジルは笑って唇を重ねた。