続く日々 土曜の朝は朝食を作る。
それが二人の決まりになって、もう三年が過ぎた。
平日は鯉登さんが、休みには俺が、二人分の朝食を作る。
これは、一緒に暮らし始めて、直ぐに決めた約束のひとつだ。ひとりで居た頃には、ろくに自炊なんてしなかった俺に、休日だけとは言え料理など続くものかと思っていたが、今では、休日どころか平日まで俺が食事を用意する日があるのだから、解らないものだ。約束として始めた食事の支度は、今日という日まで無事に続いてしまった。
いいや、無事、ではなかったか。
鯉登さんと暮らす三年の間には、何度も喧嘩をした。別れ話も一度はでた。あの時は、本当にダメかと思った。
けれども俺は、今日も変わらず朝食を作っている。自分だけのものでなく、鯉登さんと二人で食べるための朝食だ。
独り暮らしだったアパートに、ふたりで暮らすようになり、今のこの家に越してきても其れは変わらなかった。
年季のいったガスコンロに据えた土鍋の中で、米はふっくらと炊き上がった。出汁を効かせた卵焼きは、端が少し焦げてしまったが、これくらいはご愛敬だろう。休みだからと、久しぶりに、丁寧に鰹から出汁をひいた味噌汁は、我ながら悪くない出来だと思う。豆腐と葱というシンプルな具材が良かったのかも知れない。
出来あがった料理を確認して、ふと思いついてざるを手に台所から廊下へ出て、廊下を挟んだ向かいの居間を覗く。居間の先には縁側があり、雨戸を開け放したその向こうには庭が見える。大小様々な木々が茂るその庭には、朝から草むしりをしている鯉登さんの姿が在った。
何にでも、夢中になると没頭する質の鯉登さんは、早朝から黙々と作業を続けている。「鯉登さん」と呼び掛けても直ぐには気付かないのはいつもの事だ。再度、少し声を大きくして呼び掛けると漸く俯いていた顔が上げられた。
「そろそろ、朝飯にしませんか?」
言われて、時間に気付いたのだろう。鯉登さんは「もうそんな時間か」と独り言のように呟くと、瞬きをふたつしてから「わかった」と快活に答えた。
縁側から上がり、居間を突っ切って真直ぐに俺の所に向かって来た鯉登さんは「ん。」と軽く握られた拳を突き出してくる。その手にざるを差出すと、開いた拳から、庭に生っていたプチトマトがバラバラと落ちた。
「このくらいでいいか?」
「充分でしょう。」
何を言わなくても、何かは通じていたらしい。
「手を洗って来る。」
言いながら、バタバタと洗面所に向かう鯉登さんの背を見送ってから、庭を見遣った。
この家に越してきて、そろそろ一年が経とうとしている。
引っ越してきた当初、何の手入れもされておらず、雑草が生い茂って荒れ放題だった庭は、随分と見られるようになった。家の南側に位置する庭は、きちりと刈り込まれた柘植の生垣に囲まれている。片隅には桜が植わっていて、春には見事な花を咲かせる。お蔭で、この春は、遠方まで花見に出かける必要がなくなった。
庭には、他にも幾つか花の咲く木が植わっているが、俺にはどれが何の木だが少しもわからない。前に一度、鯉登さんと一緒に大家から話を聞いた筈なのだか、驚くほど記憶に残っていないのは興味の無さ故だろう。
『お前は本当に無粋だな』とは、鯉登さんの弁だが『まぁいい、私が覚えていればいい』とも言われたものだから、その言葉に甘えている。
実の生る木ならいざ知らず、愛でるだけの花の名など、元より覚える気も無いのだ。そう口にしてしまえば、鯉登さんには呆れられるだろうが。
木々から目を移すと、庭の一角にある家庭菜園が見える。
今、鯉登さんが摘んで来たプチトマトの他に、この時期には、ナスやキュウリが植えられている。流石に、植えられている野菜の区別くらいはつく。だが、其の直ぐ脇に植えられている草の区別は全くつかない。鯉登さんの好みで植えられているハーブだが、俺には雑草とそれらの違いが全く分からない。だから最近は、専ら庭の手入れは鯉登さんがするようになった。鯉登さんに庭仕事なんて似合わないと思っていたのだが、存外、本人は愉しんでいるようだ。
代わりに、年季のいった家の手入れは俺の仕事になった。屋根や天井裏、廊下の軋みや排水の詰り…言い出せばキリがない。古い木造住宅は、あちこちがたが来ていて色々と手がかかる。けれども、確りと手入れをしてやれば、真新しく味気ないマンションにはない良さがあるのだ。愛着が湧くというのだろうか。
尤も、そう思えるようになったのは、この半年ばかりのことなのだが。
「一年か…」
ポツリと漏れた一言に、風が吹いて、庭の木々がさわさわと揺れていた。
****
引っ越しの話を切り出したその日の事は、今でもよく覚えている。
天気の良い、土曜だった。
一年前、俺と鯉登さんは此処よりは未だ幾らか都心に近い安アパートに住んでいた。元々俺が住んでいたアパートに、鯉登さんが転がり込んできて、そのままずるずるとその部屋に住み続けて居た。二人で暮らすには多少手狭だったが、困るようなこと然程なかった。駅も近く、買い物できる店も歩いて行ける範囲に幾つもあった。二人で暮らすなら、そのままで充分だった。
引越など、鯉登さんには寝耳に水の話だったろう。
土曜の朝、今と同じように朝食を作っていると、鯉登さんは少し遅い時間に起きて来た。
目を擦りながらキッチンに顔を出した鯉登さんに「おはようございます」と声をかけると「おはよう」と返ってきた声はやはり眠たそうだった。
その頃の鯉登さんは、パン食を好んでいた。
普段は俺の好みに合わせて米の朝食を用意してくれているのだから、と、土日は鯉登さんの好みに合わせたものを用意していた。アパートの近くに鯉登さんのお気に入りのパン屋があったものだから、よくその店のパンを買いに行ったりもしたものだ。
大抵トーストと目玉焼きという、何のひねりも無いメニューになるのだけれど、その日はパンケーキを用意した。完全にご機嫌取りだが、鯉登さんは「パンケーキなんて久しぶりだ」と素直に喜んで笑顔を見せてくれた。
その笑顔にホッとしながら「鯉登さん」と声をかける。
「今日、何か予定決まってますか?」
「いいや。」
緊張して掛けたその声に、鯉登さんは何を気にする風も無くそう答えて、美味そうにパンケーキを食べていた。
「シロップとってぇ」
甘えたようなその声にメープルシロップの瓶を手渡すと、鯉登さんは蓋を開けてパンケーキにシロップをかけた。
「じゃぁ、この後、出掛けませんか?」
告げた途端、パッと鯉登さんの顔が輝いた。
「月島から誘ってくれるなんて珍しいな。」
言いながら、鯉登さんの口元は笑っている。
「駄目、ですか?」
恐る恐る、伺うように問い掛けると、鯉登さんは「うふふ」と悪戯っぽく笑って「いいぞ」と答えてくれた。
「何処に行く!?行きたいところがあるのか!?」
「実は、鯉登さんを連れて行きたい所があって…」
「この近くか?」
「いえ、…郊外、なんですが…」
少しばかり声のトーンを落としてそう告げると、鯉登さんは「郊外…」と口中で小さく繰り返した。
「車で行くのか?」
「いえ、電車で」
「そうか…」
「そう、遠くでもないんですけれど…」
「どんなところだ?」
問い掛けて来るその眼には、好奇心が滲んでいる。
「っ…向こうに、着いてから話します」
答えると、鯉登さんは少し不思議そうな顔をして軽く小首を傾げてみせた。
「わかった。」とは、答えてくれたが、よくわかってはいないようだった。
***
目的地に向かう電車の中で、鯉登さんは無口だった。電車に乗り込んでからずっと、少し眠そうにぼんやりと外を見てばかりいる。昨夜の疲れが残っているだろうか。
「次の駅か?」
「次の次の、次、です。」
端的に答えると「わかった」という短い返事に続いて小さな欠伸が漏れた。
「すいません。寝ていてもらえば良かったですね…」
申し訳なさに、小さく呟くと、鯉登さんはほんの僅か目を細めて「大丈夫だ。」と答えてくれた。
「もう直ぐなのだろう?」
問われたその声に「はい」と答えると、鯉登さんは口の端を上げて「そうか」と零し「でも、ちょっとだけ…」と漏らして此方に凭れ掛ってきた。慌てて車内を見渡してみたが、此方に気付いている乗客はいないようだった。
「ついたら、起こしてくれ。」
肩口に静かに漏らされたその声に「はい」と答えると、鯉登さんはそっと目を閉じた。
寄り掛かる重みと、その温もりに、ふと、出逢った時にもこんな風だったと思い出した。
その週末、乗り込んだ電車は混んでいた。
仕事で疲れ切っていた俺は、家に着くまで立ったままで居られるだろうかと考えていのだが、その日は運よく座ることが出来た。
座れた安堵から、ついウトウトしてしまったのだろう。気付いた時には降りる駅の手前だった。目が覚めて良かった、とホッとすると同時に、肩の重みに気が付いた。
いつの間にか、見知らぬ青年が隣で眠っていたのだ。俺の肩に凭れ掛って。
それが、鯉登さんだった。
赤の他人なのだから、その場で揺り起こして、飛び降りれば良かったものを、俺の肩に凭れ掛る青年の寝顔があまりにも穏やかで。長い睫毛が頬に影を作るその寝顔は幼くも見えて、どうにも起こすことが出来なかった。
見知らぬ青年に肩を貸したまま降りる駅を乗り過ごしてしまった俺は、そのまま終点まで電車に揺られていた。勿論、隣の青年…鯉登さんも一緒に、だ。
終点のアナウンスを聞きながら、流石に起こさないわけにはいかなくなって青年に声を掛け、揺り起こすと、何度目かの声掛けで漸く目を開けた青年は、よく眠っていたのだろう。終点だと告げても直ぐには理解できていなかった。埒が明かず、半ば引き摺るようにして青年を車内から連れ出し、深夜の人気のない駅のベンチに座らせて、改めて事態を説明すると、寝惚けていた青年は次第に覚醒して、ついに状況を把握すると、途端に蒼い顔をして詫びてきた。
「申し訳あいもはん。アタイんせいで…」
聞こえた言葉が詫びだとは解ったが、訛りがきつくて何処の言葉だかは直ぐにはわからなかった。
起こさなかった自分も悪かったのだと青年に告げたが、青年は余程反省しているのか、落ち込んだ様子を隠さなかった。
初めて降りた終点の駅は、降りる予定だった駅からは随分と離れていた。青年に、何処の駅で降りる予定だったかと問うと、青年の告げた駅は俺が降りる予定だった駅の隣の駅だった。聞けば、青年の家は俺のアパートにも近いらしかった。どちらにしても、タクシーで帰るには結構な距離だ。二人で乗り合わせても、其れなりの額になる。タクシー代よりビジネスホテルにでも泊った方が安く上がるくらいだろう。どうしたものかと思いながら、青年と一緒に駅の改札を潜ると、駅前のロータリーにはタクシーの姿は無く、通りの向うに、深夜営業の店が幾つか明かりをつけているだけだった。どうやら、手頃なビジホもこの近くには無いらしい。
始発の時間まで駅のベンチで待つか、配車を頼んでタクシーを待つか。それなら、乗り合わせることを提案するか。青年は、どうするだろうかと隣を見遣ると、改札を出たところでぽつねんと佇む青年は、始発まで待つつもりなのか、ぼんやりと時刻表を見上げて溜息をついていた。
「ここで、待つつもりですか?」
どうして声を掛けたのか、今でも解らない。
え。と小さく声を零して此方を振り返った青年は、戸惑った様子を見せながら「はい」と答えた。
「それなら、呑みに行きませんか?一緒に。」
通りの向こうに見える二十四時間営業の店の看板を指しながらそう問い掛けると、青年は「イイんですか」と問い返して来た。
「まぁ、これも、何かの縁かも知れませんし。」
そう答えると、青年はホッとしたように笑ってみせた。
始発の電車が来るまで、何を話したかは覚えていない。青年の『鯉登音之進』という名前と、彼が未だ大学生だと聞いたこと以外は、全てがうろ覚えだった。
うろ覚えだが、楽しかったことは覚えている。朝までの数時間、俺はずっと笑っていたような気さえした。
始発の時間になると、俺は鯉登さんと一緒に駅に向かった。おかしな話だが、ほんの数時間一緒に居ただけの鯉登さんと、このまま別れるのが惜しいような気になっていた。
けれども、そんな事を言い出せる筈も無く、揃って始発の電車に乗り込み、目的の駅までの時間をやり過ごすしかなかった。先に降りるのは、鯉登さんの方だった。
駅名がアナウンスされると、鯉登さんは「月島さん」と俺を呼んで小さなメモを差出して来た。
「じゃぁ、また」
降りる間際、確かにそう言った鯉登さんに俺は「また」と返してしまった。メモには、鯉登さんの連絡先が書かれていた。
貰った連絡先に、本当に連絡していいものか。
俺は丸一週間悩んだ。今考えると馬鹿な話だが、其れだけ迷っていたのは、その頃から鯉登さんの事が気になっていたからなのだろう。悩みに悩んだ末、漸く思い切って連絡を入れたら、迷っていたのが馬鹿らしくなるくらいの速さで返事はすぐに返ってきた。
俺からの連絡を待っていてくれたらしい鯉登さんは、また逢いたい。お礼がしたいと返事を寄越した。お礼など、してもらうような事はしていないと答えると、それなら一緒に食事に行きたいという話になった。話は奇妙なほどに直ぐに纏まった。
その週末、待ち合わせの場所に行くと、先に来ていた鯉登さんは、現れた俺に嬉しそうに笑ってくれた。
「もう会えんかと思うとった。」
少し寂しそうに零されたその一言に、心の柔らかい部分を擽られたような気がした。
それから、俺と鯉登さんは定期的に会うようになった。
週に一度か二度、会って話をする呑み友達。といった所だろうか。尤も、鯉登さんが呑めるようになったのは、出逢ってから二か月後のことだったのだが。二十歳の祝いを一緒に出来たのは良い思い出になった。気付けば、年の離れた新しい友人との時間は、俺にとって、掛け替えの無いモノになっていた。
一年近く、そんな関係が続いた或る日のことだ。鯉登さんが、俺を好きだと言った。
馬鹿な俺は、言われて初めて、自分の中の鯉登さんへの感情を自覚した。本当に、馬鹿だと思う。
出逢った時に十九だった鯉登さんは、もう直ぐ二十一になるところだった。その日を待って、俺から告白をし直した。鯉登さんは、泣いていた。嬉しい、と言われて泣きたくなったのは、其れが初めてだった。その日を境に、俺は鯉登さんと恋人らしく付き合うようになった。
恋人になった鯉登さんが、学生用のマンションを引き払って俺のアパートに転がり込んできたのは二年前だ。
単身者用の狭いアパートだ。二人で暮らすなら、と、一度は引っ越すことも考えたのだが『恋人との同棲』に浮かれた俺は、いつの間にか物件を探すことを止めていた。
いつでも、手を伸ばせば鯉登さんに触れられるその狭さが、却って好ましいようにさえ思った程だ。
若い恋人との日々は、ただ、穏やかだった。
いつでも、直ぐ傍に恋人の姿を確認できる安心感は、俺の心に大きな余裕を与えてくれた。
鯉登さんとの生活は、俺には贅沢にさえ思えた。余りに幸せで、いつか罰が当たると思ってさえいた。そう思いながら、このまま、この暮らしがゆるやかに続くことを、ただ、願っていた。
***
その場所を見付けたのは、偶然だった。
鯉登さんと一緒に暮らし始めて二年が過ぎた春の事だ。鯉登さんとの生活は、順調そのものと言っていいだろう。一度は大きな喧嘩もして、別れ話も出た。けれども、それきりだ。つまらない行き違いの結果、俺も、鯉登さんも、其れまで以上に相手の事を気に掛けるようになった。
日々は平穏で、平穏過ぎて、怖いくらいだった。
その日、俺は出張で郊外の街を訪ねていた。
手が掛かると踏んで、構えて行った案件は、思いの外すんなりと話が進んで、交渉は上手くまとまった。
交渉の難航を予想して直帰のつもりで社を出てきたが、これなら今日は早く帰れそうだと少しばかり浮かれていたのかも知れない。
交渉先を出て、駅へと続く帰り道。静かな街の商店街は、平日の昼間だからか閑散としていたが、それなりに活気はある様子だった。駅へ続く道を曲がろうとした時だ、角の不動産屋が目に入った。ショーウインドーに貼り出された物件情報を、ぼんやりと目に映す。そのまま素通りするつもりが、つい、足を止めてしまった。
坪数五十坪。庭付き一戸建て。経年劣化あり。
駅から十五分。即入居可能。
間取りに添えられたその文字の下に、示された賃料は破格と言っていいものだった。
「気になりますか?その物件。」
声を掛けてきたのは、いつの間に出てきたものか、不動産屋の営業らしかった。
聞えないふりでもすればよかったものを、俺の口は勝手に「気になります。」と答えていた。
当然に、不動産屋の男は満面の笑みを浮かべて「ご希望なら、直ぐにでもご案内できますよ」と詰め寄ってきたものだから、後には退けなくなってしまった。
案内してもらった一軒家は、掲示されていた通り、駅から十五分の距離に在った。ゆっくり歩いて十五分だから、慣れれば、それ程には掛からないだろう。
「こちらです」と不動産屋の示した物件は、周辺の家からも少し離れた町外れに、ぽつねんと建っていた。
広い敷地に建つ、古びたその家は、殆ど草に埋もれかけていた。『経年劣化あり』の一文が思い出される。此れは、その程度の注意書きで良いモノだろうか。不動産のことは解らないから何とも言えないが、その一文に嘘偽りがないことは間違いなさそうだ。
玄関を上がると、入ってすぐの所に小さな洋間と納戸がある。家の真ん中には真直ぐな廊下が奥まで続いていて、左右に部屋が分かれているようだった。
「暫く入居が途切れていて、電気の契約は切られているんですよ。灯りがつかないので、雨戸を開けますね。足元、気を付けて下さい。」
渡された簡易スリッパに足を通し、暗い廊下を不動産屋の後を着いて進んでいく。
不意に触れた壁は、砂壁だろうか。指先に、ザラリとした感触が残った。
古い家独特の湿度と、埃っぽい匂いが鼻をつく。それだというのに、不思議と不快感は無かった。
廊下の先は、薄暗くてよく見えないのだが、外から見る程には、古ぼけてはいないようだ。
微かに軋む廊下を進むと、不動産屋が廊下沿いの一室に足を踏み入れ、その部屋の奥にあるらしい雨戸を開いた。
途端に、家の中に陽の光が射して風が通る。
雨戸を開いた先には、庭があるらしかった。尤も、其の庭は草という草に覆われ、荒れ地という他無い有様ではあったのだが。
「元はキレイな庭だったんですけどねぇ。」
そう零す不動産屋にも、庭が庭の呈を成していないことは承知らしかった。それはそうだろう。
庭から続くこの部屋が、どうやら居間になるらしい。廊下を挟んだ向こう側には台所がある。
廊下の奥には、洗面所や風呂場が続いていた。藍色のタイルがびっしりと敷き詰められた風呂場は、造りこそ古風だが、浴室や、その他の水回りは全て新しいモノに付け替えられているらしかった。
「前は、いわゆる『五右衛門風呂』ってやつだったんですけど、流石に、それじゃあ皆さん困られますからね。」
不動産屋はそう言ったが、それならそれで需要はあった気がしなくもない。現に俺が其れを少し惜しく思っている。
居間の隣にある一室は寝室になるだろうか。昔の家らしく、押入れは広く作ってあり、モノをしまうスペースは十分なようだった。
「キッチンの床下にも収納があるんですよ。前の方は、そこに梅干しとか、辣韭を漬けて置いていたみたいです。」
不動産屋の声を聞きながら縁側に出てみると、庭は荒れていたが、雑草をキレイに取り除けば随分広いのだろうことは充分解った。此の広さなら、小さな畑くらいは作れるだろう。時季の苗を植えて、大事に育てれば、二人で食べるくらいの野菜は採れるだろうか。
埃を掃い、縁側に腰を下ろすと、ざぁ、と風が吹いた。
その風に、微かに潮の香が混ざるように感じたのは、気のせいだろうか。
何故だか懐かしいような気分になって、暫くそこに座ったままでいると、ふと、隣に人の気配を感じた。
不動産屋が声を掛けに来たかとそちらを見遣ると、其処に、鯉登さんの姿が見えた。
柔らかに微笑んで、眩しそうに俺を見るその顔に、驚いて目を擦ると、当然だが、其処には何もなかった。埃の積もった縁側と、荒れた庭があるだけだ。
俺は一体、何の幻を見たのだろうか。
鯉登さんが、この場所を知っている筈が無い。ましてや、こうして俺と並んで座った事などある訳が無い。その筈だのに、どうしてだか、遥か昔に、その姿を見たことがあるような気がしてならなかった。
「いつから、住めますか?」
無意識に口から漏れた言葉に、不動産屋は声を弾ませ、早口で喋り始めた。不動産屋の話を聞きながら、俺はただ、鯉登さんとこの家で暮らす事ばかりを考えていた。
***
目的の駅へ、間も無くの到着を告げるアナウンスに鯉登さんを揺り起こすと、鯉登さんは本当に眠ってしまっていたのか、目を擦ってながら小さく欠伸を漏らした。
ゆっくりとホームに滑り込んだ電車が停車すると、並んで駅へ降りる。改札を潜り、駅を出ると、ロータリーの向こうにささやかな商店街が続いているのが見えた。
「こっちです」と誘導して商店街に向かってを歩き始めると、鯉登さんは、初めて訪ねる郊外の街が物珍しいのか、きょろきょろと辺りを見ていた。
「こんな所に、何かあるのか?」
「えぇ、まぁ…」
歯切れの悪い返事に、鯉登さんは「ふぅん」と曖昧な声を返して、俺の隣を歩き続けた。
土曜の商店街は、平日よりは活気があるようだった。
全国チェーンと個人経営店がちぐはぐに並ぶ通りには、其処彼処に買い物客の姿がある。洒落た店のひとつもなく、若者の姿は皆無だったが、其れが却って落ち着いて見えた。けれども、どこか古めかしいその風景は、鯉登さんには、つまらないモノに映るだろうか。そう案じたが、興味深そうに彼方此方を覗いて歩いている様子を見ると、どうやらその心配は必要ないようだった。
商店街を中ほどまで進むと、肉屋の店先から、揚げたてを謳うコロッケの匂いが漂ってきた。鯉登さんは、それが気になったのだろう。
並んで歩いていた脚を止めて、じっと店の方を見ていた。まるで小さな子供だ。鯉登さんには、そうした一面がある。本人は幼稚だと気にしているが、俺には、唯々可愛らしく思えるだけだ。
「買って行きます?」
肉屋に釘付けになっている鯉登さんにそう声をかけると、鯉登さんは「いいのか?」と嬉しそうに笑ってみせた。
ご要望にお応えして、コロッケと、ついでに店のお勧めだというメンチカツも買って、ビニール袋を提げて歩く。
「目的地についてから食べますか?」
「近くなのか?」
「はい。もう、すぐそこです」
きっぱりとそう答えると、鯉登さんは「じゃぁ、そうする」と言って「飲み物買ってきてもいいか?」と問い掛けてきた。目の前にはコンビニがある。止める理由も無く「いいですよ。」と答え「俺が買って来ましょうか?」と続けると、鯉登さんは首を横に振ってみせた。
「ううん。オイが月島のも買って来る」
言うが早いか、鯉登さんは俺の返事を待たずにコンビニに入っていった。
鯉登さんは、少しだけ、浮かれているだろうか。
この街を気に入っているかは解らないが、どうやら悪い印象は無さそうでホッとする。それどころか、俺より先に街に馴染んでしまいそうな気配すらするが、気のせいだろうか。
考える間に、ペットボトルをふたつ提げて鯉登さんが戻って来た。
「どうかしたか?」
「いえ、なんだか、馴染んでいるな、と思って」
正直にそう告げると、鯉登さんは、ふは、と笑って「そうか?」と零した。
「なんだか、昔住んでいた街に似ている気がするんだ。」
笑う、鯉登さんの口から漏れたのはそんな言葉だった。意外過ぎる一言に驚いて「鹿児島の、御実家ですか?」と問い掛けると、鯉登さんはそれには「んにゃ」と首を横に振った。
「鹿児島には似ていないな。」
言いながら、小首を傾げて鯉登さんは言葉を続けた。
「不思議なんだが、初めての場所だのに、知っているような気がするんだ。」
なんでだろうな。と、言葉通りの困惑の滲んだ顔で俺に問い掛けて来る鯉登さんに「そうですか」と答えながら、内心では、鯉登さんの言っていることが、解るような気がした。
商店街を抜けると、道なりに山手へ向かう。住宅が建ち並ぶ一角を過ぎると、その先に、目指す家が見えて来る。
街の外れに、ポツネント立つ一軒家。
俺が訪ねた時には草に埋もれそうになっていたその家は、きちんと玄関が見られるようになっていた。
鯉登さんを連れて来る前に、或る程度は整えておかなければと不動産屋に頼み込んで入り口近くの草を刈って貰ったのだ。お蔭で、少しは見られる姿になっている筈のその家は、鯉登さんの眼には一体どう映ったろうか。
「此処です。」
「此処?」
「この、家です」
緊張に、喉が渇く。
「今日、鯉登さんを連れてきたかったのは、此処です。」
あまりにも、あまりにも言葉が足りな過ぎる。そうとは思うが、上手く言葉が出てこない。
鯉登さんは、俺の言葉をどう受け取ったか。
黙って家の前に立つと、暫しじっと家を見つめていた。険しい顔はしていない。其れに安堵して、家の鍵を取出すと、ドアの鍵を開ける前に鯉登さんは、玄関の脇から庭の方へと足を向けた。
玄関周りを片付けるのが精一杯で、庭の草引きは未だ終わっていない。雑草が生い茂って、荒れ放題だ。
奥に桜の木が植わっているのだけは、辛うじて解るだろうか。凡そ寛げるような場所では無い筈だのに、鯉登さんは無言のまま、ぼんやり庭に佇んでいた。
「雨戸を、開けてきます。」
そう声を掛けて玄関へ戻り、急いで鍵を開けて廊下を進む。内側から、雨戸に手を掛け、一息に開けると、庭に居た鯉登さんがこちらを振り返った。
一瞬。ほんの、一瞬。
其の庭に佇む鯉登さんの姿を、前にも見たことがあるような錯覚を覚えた。
先日見た、幻が蘇るようで眼が眩みそうになる。
「っ…中も、見て、みますか?」
どうにか平静を装ってそう声を掛けると、鯉登さんは「うん」と短く返して縁側から上がってきた。
居間、洋間、納戸、台所に次いで、ふろ場、寝室へと案内すると、鯉登さんはどの部屋も興味深そうに覗き込んで「意外と、中は新しいんだな?」と、感心したように声を漏らした。
「水回りは、大家さんが新しくしてくれて、家自体は、ずっと手入れはしていたようです。」
庭は、放っておかれたようですが。と言葉を足すと、鯉登さんは「そのようだな」と零して小さく笑った。
笑顔が見えたことに、ホッとする。
とはいえ、引っ越すとなると話は別だろう。
ここに住んでみないかと、問い掛けたらその顔は曇るだろうか。それとも、今と同じように笑ってくれるだろうか。どう切り出したものかと迷う内に、鯉登さんは居間になる部屋に戻ると、庭の見える位置に腰を下ろして、そのまま畳の上にごろりと仰向けに寝転んだ。
雨戸を開け放したままの庭からは、心地よく吹いて来る。
「いい風が吹いて来るんだな」
寝転んだまま、そう問うてくる鯉登さんに「風通しはいいようですよ。」と答えると、鯉登さんは「そのようだな」と呟いて寝ころんだまま此方に視線を寄越した。
「月島」
呼ばれて、隣に腰を下ろすと鯉登さんは、寝転んだまま俺を見上げて小さく笑った。
「なぁ、腹が減ったな」
「はい?」
「コロッケ食べたい」
甘えた、子供のような物言いに思わず笑みが零れた。
「はいはい」と笑って答え、ビニール袋から薄い紙に包まれたコロッケを取出す。
さっき買ったばかりのコロッケは未だ温かかった。二つ買ったうちの一つを鯉登さんに手渡すと、鯉登さんは漸く起き上って畳に座り直した。
「いただきます」と、こんな時でも手を合わせるのは、育ちの違いだろう。鯉登さんに倣って俺も手を合わせ、一緒にコロッケに齧り付く。
肉屋のコロッケは、サクサクとした衣とほんのり甘いジャガイモの風味が絶妙だ。
「美味いな」と零した鯉登さんに「美味いですね」と返しながら、あっと言う間に食べ終わってしまった。
「メンチカツも食べる」
そう言って、手を差出して来た鯉登さんに、さっきと同じようにメンチカツを手渡すと、鯉登さんは「あいがと」と其れを受取って、直ぐに齧りついた。
「うん!お勧めと言うだけはあるな。これも美味いぞ!月島も早く食べろ!」
ニコニコと上機嫌に話す鯉登さんを横目にみながら、俺は「はい」と答えてメンチカツを齧った。
鯉登さんと肉屋の言う通り、軽い衣と肉汁がたっぷりのメンチカツはコロッケと同等か、それ以上だった。
美味いものを、好きな人と食べる。幸せな時間の筈だのに、どうにも落ち着かないのは、しなければいけない話をいつまでも切り出せずに居るからだ。
ちゃんと話をしなければ。
そう、思った矢先、俺より先に、鯉登さんが口を開いた。
「荷物を、整理しなきゃな。」
ポツリと零れたその一言に耳を疑った。
呆然とする俺に、鯉登さんはにこりと笑ってみせると、尚も言葉を続けた。
「それで?いつ、引っ越すんだ?」
何を言ったわけでもない。
何の説明もしてはいない。
それなのに、鯉登さんは、全てを解ってくれていた。
「いいん、ですか?」
問い掛けた声は、情けなく震えていたように思う。けれども、鯉登さんはそんな俺に笑ってみせた。
「いいもなにも、そのつもりで連れてきたんだろう?」
「それは、そうですが…」
しどろもどろになる俺に、鯉登さんは「うふふ」と笑って肩をすくめてみせると「いい家を見付けたじゃないか」と、そう言った。
いい家。
鯉登さんは、確かにそう言った。言ってくれた。
そうだ、この家を、いい家だと思ったのだ。
雑草に覆われた、古びた家だけれども、初めて訪ねたその時から、いい家だと、そう、思ったのだ。
この家でこそ、鯉登さんと暮らしたい。
この先も、鯉登さんと暮らすなら、この家がイイ。
そう思ったから、この家に決めたのだ。
「気に入った」
笑みをそのままに、鯉登さんはきっぱりとそう言い切った。
「ここに住もう。」
言い切ってくれた。
「ここは、なんだか、懐かしい感じがする。」
月島も、そうは思わないか?と、目を細めて問い掛けて来る鯉登さんに「俺もです」と静かに答えた。
つい先日、初めて来た筈の場所だのに、此れから住み始めるばかりだというのに、どうしてだか「帰ってきた」ような気がした。
***
そうして、この家に越してきて一年になる。
引越は、思っていた以上に大変で、それこそ大騒動だったのだけれど(それが原因で鯉登さんと喧嘩もしたけれども)今では、それも良い思い出になっている。
この家に越してきた一年で、変わらない事もあれば、変わったこともある。
変わったのは、俺が台所に立つ頻度だ。ここに越してからは格段に増えた。通勤時間の違いで、俺の方が早く帰ることが多くなったからだ。平日にも台所に立つようになったお蔭で、料理もだいぶ板についた。以前は土日には決まってパン食で、洋食メニューにすることが多かったのだが、今ではつい癖で、休みにも和食のメニューを作ることが増えた。今日もそうだ。癖と言うものは恐ろしい。
本来はパン食を好む鯉登さんだが、和食中心の食事に慣れたのか、今の所その件に関して不満を聞いたことはない。鯉登さんの食の好みも、少し変わったのかも知れない。鯉登さんが変わったといえば、庭の事もそうだ。
この一年で一番変わったのは庭の景色だろう。
その景色を作り上げたのは鯉登さんだ。最初は汚れるのは嫌だと言っていたように記憶しているが、草を引き、畑を作って野菜が採れるようになり、枯れかけていた木々に花が咲くようになると、鯉登さんは暇さえあれば庭に出るようになっていた。
鯉登さんが熱心に手入れをしてくれたおかげで、荒れ地のようだった庭は、今では人に見せても恥ずかしくない庭になった。
「あっと言う間だったな…」
漏れた声で我に返って、プチトマトの容れられたざるを抱えて台所に戻る。
鯉登さんが摘んで来たトマトを洗って器に盛り付け、ついでに、冷蔵庫からレタスを取出して数枚千切る。サラダと呼ぶには雑過ぎるが、何もないよりはマシだろう。
テーブルにサラダと卵焼きを並べ、味噌汁をよそい始めた頃、鯉登さんが洗面所から戻って来た。
「飯、どうします?握り飯にしましょうか?」
食卓につく鯉登さんにそう問い掛けると、鯉登さんは少し考える仕草をみせてから「普通によそったのでいい」と答えて「海苔があったら嬉しい」と言葉を足した。
戸棚の中から、鯉登さんの気に入っている海苔の缶を取出し、食卓に置くと鯉登さんはいそいそと蓋を開け、数枚を小皿に移した。
「月島も食べるだろう?」と言う声には、素直に「はい」と答えておく。
引っ越しの時に揃いで買った器に飯をよそい、鯉登さんと向かい合わせで食卓につく。
「いただきます。」と二人で手を合わせて朝食を食べる。
この習慣は、どんなに忙しくしていても、欠かしたことが無い。
きっとこの先も、この時間を、欠かすことはないだろう。
「なぁ、月島。」
食事を進める間に、ふと鯉登さんが俺を呼ぶ。
「はい」と短く答えると、鯉登さんは口の中のモノをキレイに呑み込んでから話を続けた。
「あとでホームセンター行きたい。」
「俺もそれを言おうと思ってました。」
笑ってそう答えて、畑の肥料ですか?と続けると、鯉登さんは「うん」と答えて味噌汁に口をつけた。
「ん。美味いな。」
「ありがとうございます。」
さらりと褒められた一言に礼を返すと、鯉登さんは少し照れたように笑って、思い出したように「あ」と小さく声を漏らした。
「そうだ、簾も買おう。去年、しまい忘れて雨でダメにしてしまっただろう?」
言われてみれば、その通りだ。言われるまで忘れてしまっていた。
「そうですね。そうでした。もうそろそろ用意しておいたほうがいいですね。」
「夏は日差しがキツイからな」
鯉登さんがそう漏らすのは、引っ越してすぐの、去年の夏を思い出しての事だろう。南側の庭から容赦なく家の中に差し込む日差しは耐え難いものだった。大家に薦められるまで簾という発想は俺にも鯉登さんにも無かった。勧められるまま調達した簾は、夏の間、強い日差しから家と俺たちを守ってくれたが、秋の台風の頃にしまい忘れて使い物にならなくなってしまったのだ。
新しいモノを用意しておかなければ、夏場の日差しには耐えられないだろう。
「ホームセンターの後に、スーパーも寄っていいですか?」
冷蔵庫の中身を思い出しながら、一週間の買出しをどうするかを考える。
「あぁ、商店街にも寄りたいな。」
「何か要るものあります?」
野菜や肉は、スーパーより、商店街の店の方が新鮮なものが買えるだろう。何軒か梯子するとして、荷物は持ちきれるだろうか?
そんな心配をしていると、朝食をキレイに平らげた鯉登さんは、俺の心配とは全く関係のない言葉を口にした。
「商店街の、肉屋のコロッケが食べたい。」
ほんの少し、気恥ずかしそうに。けれどもきっぱりそう言い切る鯉登さんに思わず笑みが零れた。
「いいですね。メンチカツも買いましょうか。」
笑って、そう答えると、鯉登さんはパッと表情を明るくして「うん」と元気よく答えた。
「片付けたら、早いうちに出かけましょう」
そう告げると、鯉登さんはそれにも「うん」と答えて、いそいそと開いた器を片付け始めた。
何の変哲も無い、ごく当たり前の土曜の朝は、穏やかに過ぎていく。少しずつ、少しずつ変わりながらも、こんな風に、同じ日々は続いていくのだろう。
ふと、吹いてきた風に庭を見遣ると、其処に自分と鯉登さんが並ぶ姿が見えた。
アレは、いつか見た幻の続きだろうか。
今の自分達より、随分と歳を重ねたように見えるその姿は、この先の俺たちの姿だろうか。
背筋は丸くなり、髪はすっかり白くなって、肌は艶を喪っても。それでも、俺は鯉登さんの傍に居られるだろうか。そうであればいい。そう、ありたい。
願いながら、祈りながら、目を閉じ、ゆっくりと瞼を開くと、幻は跡形も無く、鯉登さんの手で整えられた庭が唯其処に在るばかりだった。
「月島ぁ、やっぱり食洗器を買わんか?」
聞こえた鯉登さんの声に我に返る。
「贅沢ですよ。二人なんだから、要らんでしょう。」
答えると、不満そうな声が聞こえてきたが、聴こえないふりをした。
日々はただ、続いていくのだ。
何もない、平穏な日々が。
この先も。きっと。