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    susk_k5

    @susk_k5
    のんびり落書きしたり立ち絵を載せたり。たまに卓中のお気に入りRPを漫画にしたりしてます。

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    susk_k5

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    狛犬と桜ちゃんの出会いの話。

    桜咲く、花は薫り「それじゃあ、狛犬さん。先に失礼します」

    後輩が荷物を片手にぺこりと頭を下げた。気が付けば他の同僚や上司も既に帰宅した様で、部屋の中は俺だけになっている。もうそんな時間か、と時計を見遣ると短い針は10の数字を指しており、窓の外はすっかり夜の帳が降りていた。

    「ああ、お疲れ。気を付けて帰れよ」

    再び掻き集めた情報資料に目を落とす。が、どうも入口に後輩がまだ立っているらしく、気配がする。

    「なんだ。そんな所に突っ立ってないで早く帰れ」
    「あ……いや、狛犬さんは帰らないんですか?」
    「まだ整理したい資料があるからな。それに、家に帰ったとしても寝るだけだ。それならここで仮眠するのと大差ない」
    「そう、ですか」

    何か言いたそうにもごもごと口の中で言葉を噛み砕いているが、俺にとってはこれが普通で、別段無理をしている訳では無い。事実家に帰ったとしてもこことさして変わりはなく、それなら帰宅時間の無駄を省いてここでそのまま仮眠した方が、効率がいい。
    今俺が担当している事件は、まだ犯人が逮捕されていない殺人事件だ。うかうかしていると次の犠牲者が出るかもしれない状況で悠長に構えてはいられない。

    「あの、狛犬さん、ちゃんと寝てますか?」
    「俺の睡眠時間はお前には関係ないだろ」
    「そうですけど……その、仕事以外の事って何かされてます……?」

    恐る恐る、聞くか聞かまいか……といった様子でこちらをチラリと見てくる後輩に、眉を寄せ、じろりと睨む。

    「お前に、俺のプライベートをとやかく言われる筋合いは、ない。早く帰れ、彼女さん家にいるんだろ」

    淡々とした口調で語気を強めて言うと、後輩は罰の悪そうな顔で「すみません、お疲れ様でした」とだけ言って部屋を出て行った。

    薄暗い部屋に、自分のデスクの簡易照明だけが煌々と光を灯している。

    さすがに長時間資料との睨み合いをした所為もあるのか、単純な疲労なのか、少し文字が掠れて見えるようになり眉間を指で揉む。のしかかる重い空気を払い除けようと1つ溜息をつき、安っぽい椅子の背もたれに深々と体重を預けた。その時、ふと、整頓したデスクの端の方にぶら下がった桜モチーフのキーホルダーが目につく。



    ───仕事以外の事って何かされてます?




    先程投げ掛けられた問いが頭の中でもう一度繰り返される。


    「…………、…………………うるせぇ」



    誰に宛てた訳でもない悪態が部屋に響いた。

    視界がゆらゆらと緩やかに狭まっていく中、瞼の裏に1人の女性の笑った顔を思い浮かべ、口が勝手にその名を形取る。




    ─────…………さくら









    ***





    狛犬晴人は立ち竦んでいた。


    自分が新米刑事故に、捜査に大した貢献が出来ないから………ではない。ちゃらんぽらんの上司が仕事をほったらかして麻雀をしに行っているから………でもない。(どちらも頭を悩ませている原因ではあるのだが。)


    花香る小春日和、その通勤途中にある公園の植え込み。
    そこから、人の下半身が生えていたからだ。
    だが生えていた、と言うのは少し語弊がある。

    どちらかと言うと、『誰かが植え込みに上半身を突っ込んでいる』状況を目の当たりにしている。

    もしや、新しい事件でも起きたのか……?と、どうするべきか悩んでいるのだ。

    見る限り、こちら側に突き出された下半身はロングスカートを履いているし、足の華奢さからいって女性だろうと言う見当がつく。恐らく上半身があるであろう植え込みの方からは時折ブツブツ何かを呟く声が聞こえ、正直少し気味が悪い上に、何をしているのか理解が出来ずに眉を顰める。

    と、突然目の前の人物が右手を掲げながら上半身を植え込みから勢いよく持ち上げた。

    「あったーーーーーー!!!!!」

    そこら中に響き渡る可愛らしい声。

    その主は膝や手、顔を泥だらけにしながら嬉しそうに掲げた右手で掴んだ物を見上げていた。
    唐突な行動に面食らっていると、女性は小走りでどこかに駆けていく。それを目で追えば、少し離れたところで植え込みの中を覗き込んでいる少女の所まで走って行っているようだった。

    右手に握っていた物を手渡すと、少女は顔をぱあっと明るく綻ばせ、ぺこりと丁寧にお辞儀をして走り去っていった。

    あとに残された女性は走り行く少女の背中に手を振りながらニコニコと微笑み、全てをやり切った、という満足気な顔をしている。

    顔も服も泥だらけのまま。

    別にそのまま立ち去っても良かったはずなのだが、その時の狛犬は何故かその女性に声をかけたのだ。



    「………あの、ついてますよ、泥」



    そう言ってハンカチを差し出すと、女性は背後から声をかけられたからか「へっ?」と素っ頓狂な声を出して勢いよく振り返る。

    桜の花びらのように、丸くツンとした大きい瞳と、ふっくらした血色の良い唇。
    泥がついているものの、頬はほんのりと赤く、鴉の濡れ羽色をした短い前髪がさらりと崩れた。

    女性はハンカチとそれを差し出している男の顔を2度3度往復するように見ると、見る間に顔を茹でダコの如く真っ赤に染め上げる。

    「……え、あっ、嘘……も、もしかして……見てました……?植え込みに顔突っ込んでるの……」
    「えぇ、まぁ……はい。すみません」
    「あ、いえっ!その……え、えへへ……お恥ずかしい……」

    誤魔化すように頬をかく女性に再び狛犬はハンカチを差し出す。
    彼女は目の前に突き出されたハンカチを見て慌ててぶんぶんと手を振り、「そんな、お借りできません!汚れちゃいます!」と後退りをしたが、彼がその手を下ろす気配はない。

    「どうぞ。そのままもらってください。それなら汚れも気にならないだろうし」

    そう言われた本人はしばらく受け取るか受け取らないかであたふたとしていたが、やがておずおずとハンカチを手に取り、ありがとうございます、とはにかむ。
    それでも、泥を拭き取る時どぎまぎしていたようだが。

    「さっきの女の子は知り合いですか」
    「いいえ?ここで泣いていたので、訳を聞いたらお母さんに貰った大切なクマのストラップをなくしちゃったって言うもんだから、一緒に探してあげてました」
    「……見ず知らずの他人の大切なものを、泥だらけになってまで?」

    そこまでするか、普通。

    そう思い狛犬は片眉を上げる。
    刑事になってまだ日は浅いが、様々な人間を見てきた。自分の罪を誤魔化す者、他人に罪を擦り付けようとする者、罪の意識すら持ち合わせない者。
    そういう犯罪者を見ているうちに、大半の人間は、自分以外はどうでもいい生き物なのだとそう考えるようになり始めていた。

    が、目の前の彼女は、それを打ち崩すようにふにゃりと柔らかく微笑む。

    「だって、大切なものをなくしちゃったら、誰だって辛いじゃないですか」

    それに、と言葉を続ける。

    「自分が助けてほしい時に助けてもらったら嬉しいし、そう言うの見かけたら助けられる人になりたいなって思ってるんで!」
    「……変わってますね」
    「えっ!?」
    「あぁ、いや、すみません悪口ではなくて。職業柄色んな人間を見るもので……貴女みたいな人もいるなら、そうですね、この仕事も悪くない気がしてきました。ありがとう」

    お礼を言われた事が腑に落ちなかったのか、首を傾げている彼女に「じゃあ、自分は出勤途中なので」と軽い会釈をして立ち去ろうとすると、ハンカチのお礼をさせてくれという。それはそういうつもりで渡したわけではないという旨を伝え、狛犬は足早にその場を去ることにした。
    彼には早めに職場に着いて、平気で会議に遅刻してくる上司の首根っこを掴まなければならない使命があるのだ。

    その場にぽつねんと残されてしまった女性は、貰ったハンカチを握りしめ、少しだけ眉を下げた。




    「名前くらい、聞けばよかったな……」













    ───それから1ヶ月程過ぎた、とある日。

    狛犬はいつも通り電車で通勤していた。
    朝の通勤時間帯は混雑しており、どう足掻いても人、人、人で文字通り鮨詰め状態と化す。

    この人混みに揉まれることと通勤時間を加味すれば、そのうちバイクでも買った方がいいのでは?などと見知らぬ親父に足を踏まれながらも思案していると、ふと、とある男性が目に入る。

    その男性は少しばかり息遣いが荒く、左腕がごそごそと何かを探っているように見えた。

    痴漢だろうか。

    そう思ったが、ここから男性までの距離は少々離れている。

    先程駅に停まったばかりだから、まだ次の駅に着くまでには時間があるはず。そう思い、人を掻き分けジリジリと距離を詰める。
    自分の思い過ごしなら何の問題もないが、もし本当の痴漢だとしたら、目の前で見過ごす訳にはいかない。
    痴漢も立派な犯罪だ。

    男性の斜め後ろまで辿り着いた。

    後ろから観察すると、小柄な女性にピッタリとくっつく形で立っている。満員電車では仕方ない……と言い訳できるようなくっつき方ではなく、やはり痴漢では、と目線を下に持っていくと、左手が女性の尻の辺りをスカート越しにねっとりとまさぐっていた。

    思わず嫌悪感で眉間に深い皺を寄せる。

    周りは気が付かなかったのか。もし気が付いているなら、何故誰も助けてやらないのか。

    ふつふつと呆れと怒りが入り交じり、気が付いたら男の左手首を捻り上げていた。

    「おい、オッサン。そこまでだ」

    痴漢がバレた事に驚いたのか、手首を捻り上げられたことに驚いたのか、50代ほどのやつれた男は目を見開いて1歩後退る。状況に気が付いた周囲の乗客がざわつき、スマホを持ち出して動画を撮る者もちらほらと出始めた。

    「なんっ、なんだね君は!!私が何をしたって言うんだ!」
    「しらばっくれるな。朝っぱらから痴漢なんて胸糞悪いことしやがって」
    「や、や、やってない!!痴漢なんてそんな」
    「残念だが最近は技術の向上で痴漢もすぐ証拠が出る。大人しくしろ。ああ、あなたにも申し訳ないけどついてきて――」

    被害者の女性にもついてきてもらおうと、振り返る。

    そこには、いつぞやに見覚えのある桜型の目が怯えた色を映し、身を守るように小さくなっていた。

    「──君、あの時の」

    そこまで言いかけて、電車のドアが駆動音と共に開く。そのタイミングを見計らって男が捻り上げていた腕を振りほどき、ホームへと駆け込んで行った。

    「ッ、待て!!!」

    自分が着ていたコートを素早く脱いで被害者の肩に被せ、近くにいた女性にこの子を駅員に預けるよう指示して、弾けるように男の後を追う。

    朝のラッシュの時間帯だ、早々には改札口まではいけないはず。向かい側から電車に乗ろうと進む人の波を押し退けながら走ると、男が苦しそうにバタバタと走っている後ろ姿を捉えた。

    こんなことで逃がしてたまるか。

    「退け!!警察だ!!」

    不思議と人間その言葉を聞くと道を譲ってしまうもので、ざっと割れるように人混みが狛犬を避ける。ぐんと男との距離を詰め、伸ばした手が襟元を掴みそのまま地面へと無理やり引き倒した。暴れる男を押さえつけて、腕を固めて自分のネクタイを解き、手首を縛り上げる。

    ちょうどそのタイミングで騒ぎを聞き付けたらしい駅員数名と、少し離れた場所で女性の職員に肩をさすられながらもついてきた被害者のあの女性が狛犬の下へやってきた。

    「すみません、手荒な真似をしましたが…警察の者です」

    狛犬が息を整えながら胸ポケットから警察手帳を出して見せると、駅員は一気に納得した様子だった。スムーズに男の身柄を駅員に引き渡した後、肩を支えられている被害者の女性へと向かう。

    余程怖かったのだろうか、さっき羽織らせたコートをきつく握り締めて震えていた。

    駅員と一言二言話すと、警察を呼んで事情聴取を行うとの事で、別室で待たされる事となった。
    通勤途中だったため、上司に電話で事情を説明すると「のんびりしてこい」と呑気に返事が返ってきたので、たまには適当なところが頼りになるな、とほんの僅かだが感心した。

    こちらでしばらくお待ちください、と通された部屋は普段から使用されているのだろうか、無機質ではあるが整理整頓されており小綺麗だ。簡易的なテーブルとパイプ椅子が設置されていたので、彼は女性に座るよう促す。まだ少し不安そうな顔をした彼女はちらりと狛犬を見上げた。

    「……あの…前に…公園でハンカチをくださった方、ですよね」
    「……えぇ、まあ、そうですね」
    「すみません、またご迷惑をおかけしてしまって」

    椅子に手をかけながら申し訳なさそうに小さくなる。
    もともと小柄な所為もあるのだろうが、その姿は随分と頼りなく、か細いものに映った。

    これ、お返しします、と肩に羽織っていたコートを脱ごうとするので、狛犬はその手をやんわりと止め、「気持ちが落ち着いてからでいい」と伝えると、彼女は少しだけ安堵した顔を綻ばせた。
    と、同時にその大きな瞳の淵から、ぽろぽろと水晶玉のような涙が後から後から止めどなくこぼれ落ち、目の前の女性がしゃくり上げながら泣く姿に彼はぎょっと驚いた。

    「ご、ごめん、なさい……安心、したら、急にこみ上げてきちゃって……こっ、怖かったから…声、あげたくても、出なくて……」

    鼻を啜りながら袖口で涙を拭い続ける彼女に、どうにか落ち着いてもらうにはどうするべきか、極々短い時間で様々な方法を巡らせた結果、少々ぎこちないながらも背中をさすってやることにした。

    痴漢された直後に男性に触れられるのは怖いのではないだろうか、と危惧したが、今の狛犬にはこれぐらいしか思い浮かばなかったのだ。

    「大丈夫。犯人はちゃんと捕まえたし、君が迷惑をかけたと俺に謝る必要もない。だから、その………すまない、女性に泣かれるとどうしたらいいかわからないんだ。こういうのは、………不得手で。触られて不快になったのなら謝る」

    一時きょとんとしていた女性は、自分の背中をゆっくりと優しくさすってくれる大きな手と、泣いている顔を目の当たりにして戸惑っている男の馬鹿正直な言葉に短く息を漏らす。
    笑った、らしい。

    「……ありがとうございます、ちょっぴり元気が出ました」
    「……それなら良かった」
    「はい。あの……お名前を伺ってもいいですか?前にいただいたハンカチのこともあるのでお礼したいんです……お願いします、ダメでしょうか?」

    誠意のこもった真っ直ぐな目で見つめられ、どうしたものかと頭を悩ませる。前回も今回も、別にお礼が目当てではない。かと言って、今度ばかりは彼女も引き下がりそうにない様子なので、観念した、と言わんばかりに溜息をついた。

    「……狛犬です。狛犬晴人」

    何かの時に役に立つかも、と思って作っておいた名刺を差し出す。彼女は華奢な指でそれを受け取ると、こまい……さん?と首を傾げた。

    「こまいぬって読むのかと思いました…可愛い苗字ですね!」
    「かわっ、…………はぁ、そうですか」

    受け取った名刺を大事そうに握り締め、彼女は花咲くように可憐に微笑む。


    「私、染井桜って言います。助けてくれたのが狛犬さんで良かった」


    「……そりゃどうも。でも、やっぱりお礼はいただけません」
    「えっ!?どうして!?」
    「俺、警察の人間なので。物品や金銭を受け取る訳には……」
    「あっ……じゃ、じゃあせめて!お茶!お茶させてください!一緒にお茶する程度なら許されるのでは!?」
    「………まぁ、お茶くらいなら…」

    お礼を受ける、受けないで揉めていると、突然入口のドアが開き、制服の警官が姿を見せ会釈してきたので、恐らく今から事情聴取が始まるのだろうと言うことが伺えた。
    犯人を直接捕まえた狛犬から聴取が始まり、自分が刑事であることも含め、電車内で起こった事を詳らかに伝える。ある程度簡単な質疑応答で調書を取った後、彼は特に問題なく解放された。

    被害者を放ったらかしにして仕事に行く訳にもいかないだろうと、部屋の入口付近の壁に凭れつつ待つことにした。

    その間に上司に事の顛末などを伝え、2時間ほどもすれば出勤できるだろうと連絡すると、「もう少しゆっくりしててもいいぞ!」とすぐに返信が来るあたり、もしかしたらまたどこかでサボっている可能性がなくもない。

    四半刻ほどしてから染井桜が部屋を退出し、室内に向かってお辞儀をしてから溜息をついた。

    「疲れましたか」
    「ちょっぴり緊張しましたぁ……狛犬さんも長い時間ありがとうございました」
    「いえ。降りる駅はどこだったんですか、そこまで送ります」

    そこまでしてもらうわけには、と彼女は慌てて首を横に振るが、「警察として見送る義務があるので」と言うと了承してくれた。

    駅員が使う通路を抜け、駅構内に戻ると、行き交う人々がじろじろと染井の方を見ており、本人も不思議そうな顔をしている。それはそうだろう、彼女には随分と大きくてブカブカの狛犬が貸したコートを着たままなのだから。

    それに気が付いたのか、顔を真っ赤にしながら気まずそうにコートを持ち主に返す。

    その二転三転する表情に思わず狛犬は噴き出しそうになり、口元を押さえ、くつくつと笑った。

    「あっ!笑わないでください!私だって恥ずかしいんですよ!」
    「っ、いや、そんなつもりは……く、ふふっ、ははは」
    「もぉ~……あ、そうだ、狛犬さんってLINEとかしてますか?してたら交換しましょう!お茶する日程とか決めるのに便利だと思います!」
    「ふっ、……、ああ、はい、どうぞ……」
    「いつまで笑ってるんですか!」

    再び顔を紅潮させて憤慨しながらもスマホを取り出し、慣れた手つきですいすいと操作してID交換画面を差し出してくる。こういう機会があまりない狛犬は、どうやるんだったか、と少々もたつきながらも同じく画面を表示させた。淡白な通知音の後、「さくら」という名前と、桜の花の画像がアイコンになったアカウントが出てくる。

    「分かりやすいでしょ?」

    大きな瞳が緩やかに弧を描く。その様は本当に桜の花弁のようで、名は体を表すとはよく言ったものだ。

    「狛犬さん、アイコンとかも設定してないんですか?」
    「特に載せるような物もないので」
    「……ふふ、狛犬さんも変わってますね」

    あの日彼女に同じ言葉を投げ掛けた狛犬は少しだけ目を丸くし、ふ、と笑みを零した。

    「よく言われる。生真面目すぎるとか、変わってるとか。でも、染井さんもやっぱり変わってますよ。俺みたいな仏頂面の男とお茶したいとか言う辺り」
    「硬派って言えばいいんですよ!」
    「………物は考えようだな」

    談笑しながら電車に乗り込むと、通勤ラッシュの時間帯を過ぎているからかぽつぽつと席が空いている。彼女を席に座らせ、狛犬はその横の手摺を持つ形で傍らに立った。

    彼女が降りる予定だった駅は3駅ほど先らしい。

    地面を滑るように電車が走り出し、2人を目的地まで運んで行く。その間も染井は狛犬に他愛のない話をし、時たま2人で笑い合うなど短くとも穏やかな時間を過ごした。

    もう彼女に先程のような不安は微塵も感じられず、彼も幾許かほっとしたようだ。

    駅に着くと、改札口の前で「ここまでで大丈夫です」とぺこりと頭を下げられた。大学が駅を出てすぐそこだから、もう平気です、と。大学生だったのかという衝撃はそっと胸に仕舞っておいた。

    「それじゃあ、また連絡します」
    「……あ、そう言えばお茶するんでしたね」
    「わ、忘れないでください……!」
    「冗談です。道中気をつけて」

    その言葉に感謝を述べて、改札を通った彼女はもう一度律儀に頭を下げ、人混みに紛れて行った。

    自分も職場にそろそろ戻らねば。

    足早に電車を乗り継ぎしばらくして、スマホに通知が届く。『さくら』からのメッセージらしい。開いてみると、短い文章とスタンプと呼ばれるものらしく、可愛らしい猫がお辞儀をしているイラストが送られてきたようだった。

    『今日はありがとうございました!お手隙の時に狛犬さんのお休みの日、教えてくださいね』

    「……………随分と気が早い事で」

    その後、職場に戻った狛犬が何の気なしに「お茶に誘われた時って私服で行った方がいいんですかね」と聞いた所、あの堅物の狛犬が!?お茶に!!?と1課総出の質問攻めを喰らうことになったのだった。









    ***




    狛犬晴人は困っていた。



    何せ、オフで誰かに会いに行くために出かける、などは久方ぶりだからである。オシャレなどもさして興味がなかった為、私服を選んでも仕事着の上着を脱いだだけのような有様。

    いや、そもそもお礼の代わりにお茶をしようと言う話だからそんなに気を遣わなくてもいいはずだ、うん。

    結局、カッターシャツを少し崩してコートを着るだけの簡素な装いとなった。


    最寄りの駅で待ち合わせをしていたのでそこに向かうと、約束の時間の10分前だと言うのにもう染井はそこで待っていた。時計とスマホを交互に見比べ、周囲をキョロキョロと見回している様子だ。
    と、いきなり見知らぬ男性に声をかけられ、慌てて首をブンブンと横に振っている。

    小柄で可愛らしい見た目をしているし、そういうのに目を付けられやすいのだろうか……。

    助け舟を出すべく、彼女にペラペラと安っぽい世辞を並べ立てている男の肩を掴み、「すみません、知り合いに何か?」と見下ろすと、男はすぐに顔色を変えて漫画のやられ役のような罵倒を吐き捨ていなくなった。
    やれやれ、と染井の方に向き直る。

    「待たせたみたいですね。申し訳ない」
    「そんな!ちょっと私が張り切り過ぎて早めに来てしまったので………」
    「張り切る……?……まあ、とりあえず行こうか」

    彼女の話だと、最近この辺りに落ち着いた雰囲気の喫茶店を見つけたとか。日々事件に追われ走り回っている狛犬には、そんな些細な話も新鮮に感じる。

    5分程歩き、大通りから少し外れた横通を通ると、目当ての喫茶店が目に付いた。

    アンティーク調と言うのだろうか、古風な外観だが、それが味になっている。取っ手に手をかけドアを開けると、爽やかなドアベルの音が来店を歓迎してくれた。
    店内はやや狭めだが、こじんまりし過ぎず洒落た内装をしている。

    腕時計を見ると時刻は午後3時半を少々過ぎた頃だ。
    思ったより混みもせず、かと言ってがらんどうという訳でもない。2人は店の奥、窓側の空いている席に腰を下ろす。狛犬はブレンドコーヒーを、染井は紅茶のケーキセットをそれぞれ店員に注文した。
    店員がカウンターまで戻っていくと、彼女は改まった様子で背筋を伸ばす。

    「あの時は本当にありがとうございました。こうしてちゃんとお礼が言える機会が作れて良かったです」
    「……そんなにお礼を言われるような事はしていません。警察として見過ごす訳にはいかなかっただけで」

    我ながら素っ気ない返事をした、と彼は内心自分の対応に呆れる。もう少し言い方ってもんがあるだろう。

    ところが彼女はそんな態度もお構い無しに、柔らかく控えめに笑顔を見せる。

    「でも、助けてくれたのは狛犬さんです。あの日助けて欲しいって思った時に最初に行動してくれたのは、紛れもなく狛犬さんだったんです」

    ハンカチを差し出してくれた時も、さっきもそう。

    「だからなんか、すごくかっこいいヒーローみたいな感じで……憧れるなぁって」
    「……はぁ、そう、ですか?」
    「それに優しいんだなとも思いました!」
    「それは初めて言われましたね」

    日常でも仕事でも受けないような眼差しを一身に受けて思わず身動ぎする。

    ああ、なんだか、非常に、調子が狂う。

    そんな調子で話をしていると、ウェイトレスが先程注文した飲み物類とケーキを配膳してくれた。ふわりと芳ばしいが鼻腔を擽る。狛犬がチラリと染井の方を見ると、甘いものが好きなのか苺のショートケーキを見て目を輝かせていた。

    そこから先は打って変わって彼女の大学の話になったり、コンビニのバイトが大変という話になったり、今度駅前のケーキ屋が新作スイーツを出すので気になる等々、たくさんの話題で盛り上がった。

    狛犬は時折コーヒーを啜りながらうんうんと聞いていただけだったが。

    「あっ、私ばっかりお喋りしちゃってごめんなさい……」
    「いえ。………前にも聞きましたけど、こんな仏頂面の男とお茶して楽しいですか?」
    「楽しいです!」
    「即答ですか」
    「狛犬さんは……」
    「楽しいですよ、あなたのコロコロ変わる表情とか見てるの」

    その一言で彼女は実に嬉しそうに「えへへ」とはにかむ。そして何かを言おうとして、喉の途中に言葉をつっかえ、それを押し戻して手をもじもじと絡めた。
    やがて決心したかのようにきっと狛犬の方を向き、やや頬を紅潮させながら言葉を1つずつ綴る。

    「あの、こ……狛犬さんが迷惑じゃなければ、その……お礼とか関係なく…………また一緒に、お茶……したいな、って……思うんですけど……どうですか……?」

    予想外の言葉に飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになり、慌てて口を押さえる。
    思わず「正気か?」と聞きそうになった所を、グッと我慢したのはなかなか懸命だったのではないだろうかと彼は自分を褒めた。

    彼女はと言うと、じっと返事を待っている。

    こんな場面に自分が主体で立ち会った事など1度もない。故に、返す言葉が見つからず、血液と共に思考がぐるぐると堂々巡りをするばかり。
    どうすればいいのか、どう返すべきか?


    自分は、どうしたいのか。



    「………そう、ですね。オフの日の……ただの狛犬晴人で良ければ……俺も一緒にまた話をしたりしたい、かも、しれない」


    狛犬から絞り出されたその言葉を耳にし、しばらくポカンと口を開けていた彼女はじわじわと理解が追い付いたらしく、やったぁ!と大きな歓喜の声をあげた。が、周囲の視線を気にしてすぐに小さくなった。


    罰が悪そうにちらりと狛犬を見遣ると、もう一度嬉しさを噛み締めたのか、花が咲くようにふんわりと笑顔を携えたのだだった。










    ***


    ───ブツン。

    突然テレビの電源が落ちたように、目の前の映像が消えた。ぼやける焦点を時間をかけて戻せば、そこは見覚えのあるデスクの前。自分の仕事場だ。
    不明瞭な意識をはっきりさせようと、椅子に凭れかかった重たい身体を起こす。

    ……………ああ、もしかして寝ていたのか。

    壁の時計を見ると、意識が落ちていたのは20分程らしかった。では先程見ていた物は、夢……だったのだろうか。だが夢と言うにはあまりにも明瞭だ。

    どちらと言うと、自分の記憶を見ていた、と表現した方がしっくりくる。

    「……なんで今更」

    今彼女の事を思い出した所で、何にもならない。
    どうしようもない。
    どうにも出来ない。

    そんな虚しさばかりが肩に伸し掛かり続けて幾年か経った。俺はいつまでも6年前から進めないまま、いつまで空っぽになった身体を引きずって生きるのだろうか。

    鉛でも乗っているかのように頭が重い。

    このままでは集中力に欠ける。気分を変えるべく、タバコとライターを持って椅子から立ち上がる。その拍子に足をデスクにぶつけ、壁に掛かっていたキーホルダーをカシャリと落としてしまった。

    蛍光灯に照らされたキーホルダーは、光を反射して静かに煌めいている。

    あの時、こんな風だったな、あいつも。

    ああ、馬鹿だなぁ。
    たかだかキーホルダーに何を感慨に耽っているのやら。
    もう一度、今度は落ちないようにしっかりとキーホルダーを壁にかける。

    煙草を吸ったらまた仕事を再開させよう。

    先程見たものは、ただの記憶。ただの、夢。


    自分の想いはもう届かない物なのだと、そういい聞かせ、押し込めて潰すように扉を強く閉めた。






    Fin.
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