「髪、切らないの?」
毛先を弄っている兄に尋ねる。事故に遭って入院してからずっと伸ばしっぱなしで退院しても切らずじまいで今は背中を覆い隠すほどの長さになっていた。
「まあね」
短く答えたきり兄は口を閉ざした。すると兄は髪を掻き分けた。
「麻里には言わない方がいいかと思って」
長い髪を分けて見せたのは一筋の傷跡だった。
「無かったらこんなもの残ってなかったんだけどな・・・」
兄は自分の頭を撫でながら自嘲気味に呟いた。その表情からは何も読み取れない。
兄の頭に残っている傷跡を私は見つめていた。
「お兄ちゃん、これどうするの?」
「どうもしないよ、ついちゃったもんだから。あ、枝毛」
髪を下ろして再び手櫛を入れ始める。
「切るよね?」
「んー、そうだなぁ」
曖昧に返事をする兄の顔をじっと見つめる。
「何だよ」
「ううん、別に」
私がそう言うと兄は怪しむように私を見返したが気にしなかった。
「私のシャンプー貸してあげようか?いい匂いになるよ」
「そんなもんあるのか」
「うん、トリートメントもあるよ・・・」
ここである疑問が浮かんできた。
「お兄ちゃん、退院してから何で頭洗ってた?」
「こう石鹸でゴシゴシと・・・」
「えぇ!だめじゃん!」
「でも石鹸でよく泡立つんだよ」
兄の言葉を聞いて愕然としてしまった。
「それじゃ駄目だってば」
「そうなの?」
「髪の毛パサパサになって抜けやすくなるんだって」
「それって本当?」
兄はショックを受けた様子だ。
「だからさ、一緒に買いに行こうよ」
「わかった」
二人で出掛けることになった。久しぶりに二人だけで出かけるのはなんだかくすぐったい感じがした。私には見慣れた街だけど兄にとっては新鮮に映るだろう。
「兄妹揃ってお出掛けか?」
街中でKKさんに声をかけられた。服装を見るにオフだろう。
****
「KKさん!」
「KK」
「買い物でも行くところか?」
「そうなんですけどちょっと聞いてくださいよ!お兄ちゃん石鹸で頭洗ってるんですよ!?信じられます?」
興奮している麻里を見てKKは苦笑いを浮かべている。
「俺もよくやるぞ」
「えっ!嘘ですよね?」
「嘘じゃないぞ」
「・・・信じらんない」
麻里の反応を見たKKは楽しげに笑っている。
「それよりKKさん見てください、お兄ちゃんのこの髪の毛の量!もう背中が隠れるまで伸びているのに石鹸使っていたんですよ!絶対髪痛んでいますよ!これは由々しき事態です!」
「確かに多いな・・・お前の兄貴大丈夫なのか?」
「あんまり気にしてないみたいで・・・」
二人のやり取りを見ていた僕だったが、あまりの剣幕に圧倒されてしまった。
「まあまあ落ち着いて、麻里」
「落ち着けないよ!こんなに酷いなんて思わなかったもん!」
「わかったから、さあ」
僕は麻里の手を取って歩き出した。
****
僕と麻里はKKに誘われてアジトに来ていた。アパートの一室で中はというと
「とっ散らかってんなぁ」
「お兄ちゃん失礼だよ」
思ったことがすぐ口から出てきた。
「この光景を何と思う、あの言葉以外に何があるというのだ」
前に見たアニメのセリフを引用しながら言ってみた。
「そもそも片付ければいいだけなのに」
「うるせぇ」
至極当然のことを言っただけなのに何故かKKに怒られた。
「暁人くんじゃない」
「暁人さん久しぶり、遊びに来たんだ」
「KKに誘われて、良かったこれを、口に合うかどうか・・・」
凛子さんと絵梨佳ちゃんに紙袋を手渡す。中には手作りのチョコブラウニーが入っている。
「手作りのチョコブラウニーで」
「暁人くん料理できるの?」
「記憶喪失になって真っ先に覚えたのは自分の事と身の回りのことで」
《彼の場合は逆向性健忘というもので簡単にいうと過去の出来事が思い出しにくくなることだ》
「エド、そんなものまで録音してたのか?」
眼鏡をかけた短髪の人物がボイスレコーダーを再生してKKに聞かせていた。
「あの人は誰ですか?」
「ああ、あいつはな・・・」
《君のことはKKから聞いているよ。初めまして、エドだ。で、隣にいるのはデイルだ》
「あ、よろしくおねがいします」
《一つ聞くが、君は事故が起きる以前の記憶を所有していないというのは》
「その通りです」
《なるほど、それは全般性健忘といって今まで体験してきたことを全て忘れてしまうことだ。自分がどういった人物かもわからなくなってしまうこともある。いつかは記憶を取り戻すこともある。だから安心してくれていいよ》
「ありがとうございます」
《ところで、君が妹と一緒に暮らしているということだが、どういう経緯でそうなったのか教えてくれないか?差し支えなければでいいのだが・・・》
「構いませんよ」
僕は兄妹二人で暮らすことになったいきさつを話した。結果
「暁人くん、そんなことが・・・」
「暁人さん、困ったときは頼ってください・・・」
「またお前の家に遊びに来てもいいか?」
凛子さんと絵梨佳ちゃんが号泣して、それを慰めるようにKKが肩に手を置いて、デイルさんは僕の手を握ってきた。ただ本当のことを言っただけなのにどうしてこうなったんだろう・・・
「あ~いいなぁ~しあわせそうにしていいなぁ~あ~こわしてやりたいくらいにしあわせそうだなぁ~うらやましいなぁ~」
影の中で何かが蠢いていた。