勘違い 「暇だから遊びにきたぁ」と言いながらジェイドの部屋の扉をフロイドが無造作に開け、そのままジェイドのベッドにぼすんと飛び込む。机で授業の予習をしていたジェイドは、棒付きキャンディをくわえたままベッドに横たわるフロイドを「行儀が悪いですよ」と軽く窘めるが、そこからどかす気はないようですぐに机に顔を戻した。
ベッドに仰向けになりしばらく舌で飴を転がしていたフロイドだったが、「そういえばぁ、聞いた?」とジェイドに話しかける。
「小エビちゃん、三日後に元の世界に帰るんだって。」
その瞬間、ノートにペンを走らせていたジェイドの手がぴたりと止まった。
「……そうですか。監督生さんはさぞや喜んでいるでしょうね。お帰りのときには僕も笑顔で送り出して差し上げなくては。」
そう言った口元は笑っているが、声には感情が乗っていない。それを見て、フロイドは仰向けにしていた体をジェイドの方に向き直して、言った。
「ジェイドはそれでいいわけ?」
フロイドの問いかけに、ジェイドは声を出さず鋭い目だけで「どういう意味ですか」と問い返す。
「ジェイドさぁ、小エビちゃんのこと大好きじゃん? でも小エビちゃんはそのことを知らないまま自分の世界に帰って、いつかその世界でオレたちの知らない男に告白されて、ソイツと付き合って、手をつないで、抱きしめられて、キスしたりすんでしょ、ジェイドのことなんてすっかり忘れて。」
ジェイドは眉間に皺を寄せたが、言い返しはせず沈黙によってフロイドを促す。
「それってすっげぇ不愉快だよねぇ。だったらせめて、元の世界に帰っても事あるごとにジェイドのことを思い出すように、自分が世界で一番小エビちゃんのことが大大だ〜い好きな男なんだって伝えて、ジェイドの存在を小エビちゃんに植え付けちゃった方が気分良くね? 小エビちゃんはやさしーからジェイドを振ったこともずーっと気にするだろうしぃ。」
まあ、ジェイドがこのままで良いっていうなら別に構わねぇけど、と付け足し、フロイドはベッドから起き上がる。
「んじゃオレ寝るわ。おやすみぃ。」
くわぁと大きなあくびと伸びをしながらフロイドが部屋から出て行った。ジェイドは再び机に顔を戻すが予習をするはずの手は動かず、じっと何かを考えている。
十分ほど考えたのち、ジェイドは腕を伸ばして机の端に置いていたスマートフォンを手に取り文字を打ち始めた。それは監督生に宛てたメッセージだった。明日の放課後、話したいことがある、と。
翌日の放課後。中庭のベンチにやや俯いて座るジェイドの姿があった。そこに、たったったっと軽やかな足音とともに「お待たせしてすみません!」と謝りながら監督生が駆け寄る。ジェイドは「こちらへどうぞ」と自分の隣を示し、監督生はそこに腰掛けてふぅと一息つき、ジェイドを見上げた。
「ジェイド先輩、話ってなんでしょう?」
監督生は話の内容にまったく見当がついていない様子で尋ねた。ジェイドはその監督生の瞳を見つめ、口を開いた。
「監督生さんが、二日後に元の世界に帰ると聞きました。」
「……えっ!?」
目を見開いた監督生は、まるで「どうしてそれを?」とでも言っているようだ。監督生が帰るのはやはり間違いではないのだと、ジェイドは悲しげに目を細めた。
「あなたの願いが叶うのを、本当なら一緒に喜ぶべきなのでしょう。…ですが、申し訳ありません、僕にはできない。」
ジェイドは自分の心臓のあたりに右手を置いた。
「あなたが僕の前からいなくなると思うと、ここが締め付けられるように痛くて苦しいのです。…それだけ、僕は監督生さんに深く恋をしている。」
先ほどより大きく目を見開いた監督生から視線を逸らさず、ジェイドは続ける。
「監督生さんの明るさや優しさ、時に強かで頑固で大胆なところ、負けず嫌いで度胸があるところ…。いつのまにかあなたのたくさんの魅力に僕は囚われ、目が離せなくなっていました。…残念ながら僕にはあなたを引き止める権利などありません。だから、せめて覚えていていただけないでしょうか。この世界に、僕というあなたを恋い慕う男がいたということを…。」
言い終えたジェイドの心臓は緊張によってどくどくと音を立てている。監督生はというと、自分が何を言われたかを理解するにつれて徐々に顔が赤く染まり目も潤み、ついに堪えられなくなってぱっと顔を俯かせた。それでもジェイドは返事を待って監督生を見つめ続ける。
監督生は頭の中をやっと整理し、途切れ途切れになりながらも言葉を紡いだ。
「ジェイド先輩、あのっ…、まず、謝らなければならないことが、あります。」
「! …はい、なんでしょうか。」
これは自分の願いを拒否されるのだろうとジェイドは覚悟を決めたが、その後に続いたのはまったく予想外の言葉だった。
「元の世界に帰る方法は、まだ…見つかってないんです。自分がもし先輩に勘違いをさせるようなことを言ってしまっていたのなら、ごめんなさい!」
「……………………………は?」
たっぷり間を置き、やっとのことで出せたのは「は」の一文字だけだった。ここでジェイドはフロイドに謀られたのだと気付き、してやられたと額に手を当てる。そして、先ほどの監督生の「えっ!?」は、「どうしてそれを?」などではなく「なんの話?」という驚きだったことも理解した。
「…いいえ、監督生さんのせいではありませんよ。どうか気になさらないでくださいね。」
「そう…ですか? よかった…。」
監督生は安心したようにほっと息をつく。だが、すぐにきゅっと唇を引き結び、膝の上で拳を握った。
「それで…さっきのお話、なのですが。…自分も、ジェイド先輩のことが…、好き、です…!」
ジェイドがはっと息を呑む。監督生は耳まで真っ赤に染めながらも、さらに続けた。
「いつも笑顔で、落ち着いていて、なんでもできて、頼りになって、格好いいなぁ素敵だなぁ、…好きだなぁって、ずっと思っていました。」
ジェイドは、自分の気持ちを打ち明けて震える監督生の手をそっとすくった。監督生はぴくりと肩を跳ねさせ、不安げにジェイドを見上げる。
ジェイドは監督生を安心させるように柔らかく笑んだ。
「ふふ、僕たちは両思いだったのですね。…監督生さん、改めてお願いをします。あなたのことが好きです、僕の恋人になっていただけませんか?」
ジェイドの笑顔に心がほぐれた監督生は頬を染めてにっこり笑い、はい、と頷く。ジェイドもまたふっと微笑み、監督生の指先に口付けをした。
〜おまけ〜
離れ難くも監督生と明日また会うことを約束して別れ、オクタヴィネル寮の談話室へ戻ってきたジェイドと、そこでジェイドを待っていたフロイドの会話。
「ジェイドおかえりぃ〜。で、うまくいったぁ?」
「ええ、おかげさまで。…ところでフロイド、今回のことは感謝もしていますが、フロイドの嘘に騙されて僕は恥をかきました。罰としてしばらく僕の部屋に入らないでください。もちろんストールを持っていくのも禁止します。」
「はあ〜〜? 折角小エビちゃんとうまくいくように背中を押してやったのに…。」
「そうそう、今後は監督生さんへの過度な接触もしないでくださいね。僕以外の男性に触れられたくありませんから。」
「…はあ〜〜!!?? なにそれ、さっそく彼氏ヅラ?」
「れっきとした彼氏ですが、何か。」
「うーわっ、自慢げ…。小エビちゃんに触れねーなんてつまんねー! 協力すんじゃなかったー!!」