スミス家、クリスマスを祝う ジングルベールジングルベール鈴が鳴るぅ~。
保育園で覚えたてのクリスマスソングを歌いながらルルは雪の積もった庭を冒険している。夏の間に遊んだプールや木登りの梯子はもう危ないからと撤去してしまったが、代わりに広くなった庭のあちこちには雪が降るたびに作った雪だるまがあった。
今日は久しぶりの晴れの日。三日間降り続いたブリザードのような雪がようやっと止んで、木々の向こうには冬の雪国では滅多にお目にかかれない太陽すら顔を出していた。
その太陽に温められて屋根の縁からぶら下がったつららからはポタポタと水が滴っている。そろそろ屋根に積もった雪が落ちてくるだろう。その下にルルが生き埋めにならないよう、イサミとスミスはルルの行動からはますます目が離せなくなった。
「ルール!午後はヒロとスノボのレッスンだろう?そろそろおうちに入ろう!」
「や!まだお庭で遊ぶ!」
「まだいいだろ、スミス。俺も今日は休みだからルルが好きなだけ付き合うよ」
そう言ってイサミはベンチに積もった雪をシャベルで落として、隣に座れとスミスに促した。間を詰めて座ればほんのりお互いの体温を感じる。陽だまりの温かさに加えて隣に感じる体温が心地よくて、イサミは少しだけスミスに体重を預けた。
「そういやルルはサンタクロースってどこまで信じてんだ?」
「What?」
思えばスミスにとってもルルとクリスマスを過ごすのはこれが初めてである。それまでの生活で本当の両親たちがどんなふうにルルとクリスマスを過ごしていたのか、プレゼントを渡していたのか。今はもうそれを知る術がない。
「そうか…それもそうだな……」
「まずはプレゼントだよな。ルルは何が欲しいのかな?何とかうまく探れないものだろうか?」
「そういうのはミユの方がうまく引き出せるかもしれないな。ちょっと協力を頼んでみる」
「あとは…どうやってプレゼントを渡すか?寝てる間に枕元に届けるのか、クリスマスツリーの下に置いておくのか、俺か君がサンタクロースになって届けるのか…」
「それだよ。ルルがサンタクロースが本当にいると信じてたら…どうする?」
再び大人二人は頭を抱える。サンタクロースの正体はお父さんでした。世間一般の大人たちはいつその情報を開示するのだろう?
「それもミユに上手いこと聞きだして貰おう。まぁ、まだクリスマスまでには間があるんだから大丈夫さ」
「そうだな。ありがとう、イサミ。君がいてくれて助かるよ」
「そんな…俺は何も……」
ベンチに置いた手に少しだけスミスの手が触れた。ふっと手の甲に灯りが灯ったように暖かくなる。
「スミスゥ!うさぎさん、作った!」
ルルの声に二人はハッとしたように顔を上げた。雪の積もった森の中ではどこかで小鳥がチチチ、と鳴いている。気恥ずかしくなって二人は同時に手を引っ込めた。
翌日、イサミとスミスは揃ってルルを保育園に送りに行った。いつもはどちらか一人が子供を預けて慌ただしく仕事に行くのに珍しいこともあるものだ、とミユが思っていると、イサミがひらひらと手のひらを振ってミユを呼んだ。
「仕事中に済まない。ちょっとルルのことで相談があるんだが」
「なんですか?」
「実は…クリスマスにルルが欲しがってるものが分からなくて。実の親じゃないから仕方ないのかもしれないが…」
「そんなことはないですよ、イサミさん!どのご家庭の親御さんも保育士にはよく聞いてきますよ。園ではどんなことが流行ってるのかとか、子供が好きそうなものってどんなものとか意外と実の親じゃないほうがよく見えているものもありますからね」
そう言われてイサミもスミスもほっとする。血は繋がっていなくても二人はルルを本当の娘だと思っているが、時折自信を無くしそうになるのだ。
ミユは小規模な保育園だからこそ、親御さんの相談にもなるべく乗ってあげたいんですと熱のこもった声で言った。
「ルルちゃんは最近何かお気に入りのロボットがいるみたいですよ。あとうちのクラスの子はまだみんなサンタクロースを信じているので、多分ルルちゃんも信じてるんじゃないのかなぁ?園ではみんなサンタさんが来るのを楽しみにしてますからね」
ルルがこの保育園に通い出してすぐに『ガーガピ!』という謎の挨拶を作りだしたのは記憶に新しいが、それはどうやら保育園の物置に忘れ去られていた古いヒーロー物の絵本からインスピレーションを得たものらしい。おおまかなストーリーと活躍した場面の写真が載っている子供向けのムック本だ。その中でもルルが特に気に入っているのは、敵役の紫色のロボットなのだ。だが、残念なことにその絵本はかなり前にここに通っていた子供が忘れていった物で、この作品がいつ放送されていたのか、今も見ることができるのかも誰も知らなかった。
「ちょっとその絵本、見せてもらっていいかな?」
「いいですよ!ちょっと待ってて下さいね」
ミユが園の中から年期が入ってページの端が捲れ上がった絵本を持って戻って来た。色褪せた表紙の色がこの絵本が過ごした年月の長さを思わせる。イサミには何だか見覚えがあるような気もしたが、子供の頃にこうしたシリーズものを見ていた記憶はあっても作品名までは覚えていなかった。
スミスはその絵本を手に取ってパラパラと中を捲り始めた。
「……これは1980年代に日本のロボットアニメが枝分かれし始めた頃、実験的に作られていた作品じゃないかな?正義の味方と敵側が時には敵対し合いながらも友情を育んで最終的に敵も味方も無くラスボスに挑む、そんな展開の番組があったはずだ。これはそれの絵本じゃ……」
「あの……なんでスミスさん、そんなに詳しいんですか?」
ミユが驚くのも無理は無い。いつもは物静かなテノールの声で話すイケメン外国人が突然堰を切ったように子供番組について熱く語り始めたのだから。そう、まるで息継ぎも忘れたかのように。
「もしかしてスミスさん。日本のアニメとかかなりお好きですか」
「そうなのか?スミス」
「あぁあぁああ!しまった!」
イサミとミユに不思議そうに顔を覗きこまれて、スミスは思わず大きくのけぞった。
「実は子供の頃から日本のアニメにはすごく憧れていてね」
「ああ、だから部屋にあんなにプラモデルがあるのか」
イサミはようやく得心したというように頷いた。スミスが憧れてやまぬジャパニメーションもイサミはとんと興味を抱かず今日まで来てしまったから、部屋に大切そうに飾られているフィギュアたちもどれが何だかさっぱり知らなかったのだ。
「ええと、一番好きなキャラクターは機攻特警スパルカイザーなんだけど、さすがにそれは古すぎて分からないかなぁ?」
「知ってます、知ってます!うちは兄貴がいたんで!でも兄貴も私がセーラームーンを観てたから一緒に見てて、お互いその辺はほとんど同じものを見て育ちましたね」
「おおーセーラームーン!俺も見ていたよ。俺はとにかく強くてかっこいいヒーローが好きなんだ。彼女らもとっても強くてプリティークールだったよ!」
突然スミスとミユはイサミがよく分からないアニメの話で盛り上がり始めてしまった。こんなふうに子供みたいに無邪気に笑い合う二人を見るのは初めてで少し戸惑ってしまう。と同時に共通の趣味で盛り上がれる二人のことが少しだけ羨ましくもあった。
家で動画を見る時はどうしてもルルが中心で子供向けのカトゥーンアニメをかけることが多い。でも今度ルルが寝た後に、スミスのおススメアニメを一緒に見せて貰おうかな…と、そこまで考えてイサミはあることに気が付いた。
「待てよスミス。あの絵本、古いとは言ってもまだ映像作品として売ったりしてないかな」
「いや、それがこのシリーズは俺もかなり探したんだけど、ほとんど市場に出回っていないんだよ。おそらく最初の生産ロット数が少なかったんだと思う。探せばどこかの中古屋にはあるかもしれないが…」
「ルルはそのキャラクターたちが動くところをまだ見たことが無いんだろ?」
「そうか…それを探し出してプレゼント出来れば…!」
大人たち三人は顔を見合わせて一斉にガッツポーズを構えた。よしこれでプレゼントは決まったようなものだ。後はそれをどうやって渡すのか、どうやってサンタクロースがこれを届けてくれたんだとルルに信じさせるのか。それがこれからの課題だった。
と、そこまではうまく話が進んだのだが。
「で、アレは見つかったのか?スミス」
「ダメだ…見つからない…」
休日の午後、スミスはにらめっこしていたタブレットから視線を上げると情けなく眉尻を下げてイサミに答えた。
「うーーーん…。代替案を考えておいた方がいいかもな」
「念のため、何か買っておくべきかな?クリスマスプレゼントにしなくても、その後雪遊びか何かで使えそうなものを」
「そうだな」
「でも!まだ諦めたくない!」
スミスは最近海外のフリマサイトまで検索して円盤を探していた。もはや半分は自分が観たいまである。
「ところで、当日なんだが…」
イサミは壁に設られたレンガ積みの暖炉を掃除していた。元々別荘として作られたこの家には最初から暖炉が付いていた。普段は暖房機をかけているのでここに火を入れることは無いが、薪は用意してある。今日はこの煙突に入ってみるつもりだ。
「やっぱり、ここから入ってくるのが正統派のサンタクロースだよな」
「そこまでしなくても。プレゼントさえ下に置いておけば、別にいいんじゃないか? 」
「でもせっかくこんなちゃんとした暖炉のついた家なんだから、煙突から降りてくるサンタクロースっていうのが見たくないか?」
そう言われてみれば確かにそうかもしれない。スミスの子供心もちょっとだけ疼いてしまった。
「日本には煙突のある家なんて少ないからな。子供の頃はどこからサンタが来るんだろうってよく兄貴と話したもんだ」
イサミだって子供の頃はサンタクロースがプレゼントを運んできてくれると信じてた。小学校からの帰り道、一年で一番昼の短い日。四方を山に囲まれたこの街は山の端に太陽が隠れると、あっという間に暗くなってしまう。畑を覆い尽くした真っ白な雪の絨毯の上をトナカイに引かれサンタのソリが空を駆けて行く。よくそんな光景を想像したものだ。
「結局俺のサンタは現れなかったけどよ」
兄は『きっとイサミが寝てる間に置いて行っちゃったんだよ』と毎年言った。だってほらちゃんとクリスマスツリーの下にはイサミ宛のクリスマスプレゼントが置いてあるだろう?
思えば歳の離れた兄はあの時にはもうサンタの正体を知っていたのだろう。知っていて、イサミのおとぎ話に付き合ってくれた。その兄も今はもういない。
「ルルにはちゃんとサンタはいるって教えてやりたいんだ」
「イサミ……分かったよ!作戦を決行しよう。Operation Santa Claus発動だ!」
二人は遅めの昼食を手早く済ませると、準備を始めた。幸いルルはスノボのレッスンに行っていて夕方まで帰って来ない。雪かき用のはしごを掛けてイサミはスルスルと登っていった。
「おーい!危なかったらすぐ止めるんだ!気をつけろよ!」
「大丈夫、このくらい、雪かきで慣れてる」
屋根に上がったイサミはすぐ煙突の先に辿り着いた。上から覗き込んでみた感じ、降りられそうだ。
「スミス!念のため下で見ててくれ!」
「分かった!」
スミスは部屋に戻ると灰を掻き出した暖炉の下から上を覗き込んだ。そこからは四角く切り取られたように白い空が見えた。そこがふいに陰ったと思ったら覗き込んでいるイサミが手を振っていた。
イサミは煙突の口から内部に入ると両手足を突っ張って少しずつ降りて行った。消防団の訓練でもこれに似た動きをしたことがある。これはいけるのでは?
「おーい、イサミ!大丈夫か!?」
「大丈夫!降りられそうだ!」
煙突の内側は以前使っていた時の名残か黒く煤けていて、イサミの手のひらはすぐに真っ黒になってしまった。これは当日は軍手をして降りた方がいいかもしれない。下を確認しながら少しずつ降りてゆくとやがてイサミの足は床に着いた。けれど降りる向きを間違えたらしい。リビングに対して背中を向けた姿勢のまま、イサミは煙突の内部にギチギチに嵌ってしまった。
「すごいなイサミ!本当に降りられるなんて!そこから部屋に入れる?」
「ちょっと待ってくれ」
何とか煙突の中で180度回ることを試みたが、肩と荷物が引っかかって回れない。諦めてそのままズルズルと灰の中に膝をついた。
─── このまま匍匐前進の逆で…匍匐後進?出られないか?
さすがに灰の中に這い蹲るのは最後の手段として、とりあえず四つん這いになってズルズルと後退る。行きたい方向に視界が向けられないのは不便だが行けそうだ。
「スミス?そっちどうなってる?このまま下がって大丈夫そうか?スミス?」
だが、部屋にいるはずのスミスから返事が無い。
困った。いざとなったら足を持って引きずり出して貰うしか無いのに。何とか振り返って暖炉の外側の様子を伺うが視界はガッツリと巨大な袋に隠されている。
「あ、しまった…!」
イサミの体だけだったら後退りで出られそうなのに、最後のところで荷物が引っかかるため、お尻のあたりまでしか出られない。
「おーい、スミスってば!」
「なんて…光景なんだ…オーマイガッ……」
その頃スミスは暖炉の前で叫び出しそうな口を手のひらで塞いで立ち尽くしていた。
レンガの暖炉からはイサミの尻だけが突き出ていた。しかもそれが何とか出ようとモゾモゾと動く度、形の良い大臀筋が蠱惑的な動きをする。こんな絵面を日本のマンガで見たことがある…ルルには見せられない大人向けのマンガだ。
「刺激的だ……」
「スミス?何だって?ちょっと手伝ってくれよ!」
「あ、ああ、すまない!」
慌ててスミスは尻だけを出したイサミの救出に向かう。背中側で引っ掛かっていたサンタの袋を模した荷物を押し込めるとようやくイサミの体は煙突から抜け出ることが出来た。
「何してたんだよ?」
「な、な、な、何も!!!何も見ていないよ!」
「???まぁ、次は大丈夫だ。降りていく時の向きを間違えなければ、ちゃんと部屋に辿り着けることは分かった」
「OK!Santa Claus!」
「本物のサンタクロースはこんなスパイ映画のアクションみたいな事はしねーよ」
とにかく、何とかなりそうだ。こうやってサンタクロースは煙突からやって来ることになった。
「イサミ……ふふ……顔洗ったら?」
「え?」
スミスの指がイサミの頬をなぞる。イサミの顔は煤で真っ黒になっていた。
そしてクリスマスイブ当日。ホームパーティには多くの友人たちが招かれていた。
「それでプレゼントは見つかったの?」
「ああ、ギリギリでな」
子供にプレゼントするために昔のアニメの円盤を探しているというスミスのSNSでの書き込みはバズって、電気屋の倉庫に眠っていたというデッドストックが見つかった。スミスは限りなく日本海に近いその町まで車を飛ばし、今はもう営業していない店だから進呈するという店主の手に無理やりに定価通りの札束を握らせて戻ってきた。
「んでそれをあんたがその恰好で屋根に登って煙突を降りて来て渡す、と」
ヒビキは喉の奥で笑いを堪えている。普段は仏頂面のイサミが赤いサンタクロースの衣装に身を包み豊かなあごひげと白い眉毛の付け毛をしている様は見物だった。その衣装はハロウィンの時同様、国道沿いの量販店で買った。
「でもそれなら確かにイサミだって分かんないかな?どう思う?ヒロ?」
「そうだなぁ。スミスだったらあんまり印象が変わらないからバレるかも。それよりはマシじゃないか?」
「マシって言うな…」
二人の手伝いもあってテーブルにはもうご馳走が並びあとは主役が到着するのを待つだけになっていた。
「あ、帰ってきた!」
外に車が入って来た音がする。ルルを迎えに行っていたスミスが戻ったのだ。イサミは急いで庭から外に出た。
「ただいまぁーーー」
玄関からパタパタと音がする。保育園にいたルルとついでに仕事終わりのミユを待って一緒に乗せて来たのだ。もちろんミユにも計画のことは話してある。
「おかえり、ルルちゃん」
「ヒビキ!ヒロ!あれ?イサミは?」
「イサミは仕事で遅くなるってさ。先に始めてていいってよ」
「あのね!昨日イサミとケーキ作ったの!おっきなイチゴをね!ルルが乗せてね!」
「ルルちゃん、お外から帰ったらまず手を洗いましょうね?」
「はーい」
保育園でもミユに言われ慣れているルルは素直にバスルームへと連れて行かれた。車のカギを持ったスミスがキョロキョロ部屋を見回しながら入って来る。
「イサミは?」
「バッチリ!準備万端だよ!」
今頃は屋根の上で待機しているだろう。そのために昼間のうちに屋根の雪は下ろしておいた。ヒビキが煙突の上にも聞こえるよう、暖炉の傍でベルを鳴らす。
「ルルちゃん!トナカイさんの鈴の音がしたよー。もうすぐサンタさん来るのかも!」
タイミングを見計らってスミスが部屋の電気を消す。部屋の中はルームライトの間接照明とまだ僅かに残った外の薄明に満たされた。
「サンタさん!どこから来るの?」
「そりゃあ、やっぱり…」
その時煙突の中から物音がして、やがて赤い塊がスピーディに降ってきてピタリと着地した。大丈夫、今度は尻を向けていない。高齢なサンタクロースにしては動きが機敏過ぎるが誰もそんなことは気にしなかった。
「メリークリスマァァス…」
煙突から侵入した不審者、もといサンタクロースはゆっくりと顔をあげるとルルに向かってプレゼントを差し出した。
「LuLu、good girl for a year」
精一杯の低い声で発声するイサミにヒビキは必死で笑いを堪えている。けれどルルは何一つ疑わぬキラキラした瞳でサンタクロースを見上げていた。
「サンタさん……」
「ルル、サンタさんにお礼は?」
「thank you Mr.Santa Claus……」
「ルルが一年良い子だったから、サンタさんが来てくれたんだよ。ほら、開けてみな?」
スミスに促されてルルは早速豪快に包みを破り始める。その隙に大人たちは上手い具合にサンタの姿を隠し、庭から出ていったサンタクロースは玄関からバスルームに直行して早着替えをし、煤に汚れた手と顔を洗って何食わぬ顔で戻って来た。
「ただいま、ルル」
「イサミ!今、サンタさんが来ていたの!もっと早く帰ってきたら、イサミもサンタさんに会えたのに!」
興奮気味に報告するルルにイサミの顔も思わず綻んだ。
「そうか、残念だったなぁ」
そう言って笑うイサミの耳には少しだけ黒い煤が付いていた。
ーーー
クリスマスの夜、会話書き足しで最後までです。
これで前のゲレンデの会話とつながるかな?
これでOKそうなら次を書きます。
ーーー
その日のパーティーは楽しかった。飲んで浮かれて、大きなケーキとチキンを食べた。大人たちが礼を言って家を辞する頃にはルルはすっかり疲れ切ってもうぐっすりと眠っていた。その手には大事にプレゼントの袋が抱き抱えられている。スミスは軽々とルルを抱き上げると寝室に運び、しっかりと肩まで布団を掛けてドアを閉めた。
リビングに戻るとパーティの片付けを終えたイサミが新しいグラスを並べているところだった。
「まだ飲むだろ?」
「もちろん!」
「ほら、こっち」
いつもなら台所の隅でさっと飲んで終わるのに、今夜は違った。
イサミはわざわざ暖炉の前にラグを広げ、テーブルから料理をいくつか移してきて、小さな宴のように整えていた。勧められるまま腰を下ろすと、暖炉の前は特等席のように暖かい。すぐ側で見るゆらゆらと揺れる炎はテーブル越しに眺めるよりも近く、やけに鮮やかに感じられた。
「暖炉、やっぱりいいな…」
「うん。薪、いっぱい作っといて良かったな」
二人で軽くグラスを合わせると、チンと澄んだ音がした。
ぽつりぽつりと話をしては沈黙が落ちる。その間もパチパチと炎が爆ぜる音がして、不思議と気まずくならなかった。いつもルルを交えて賑やかなこの家の中が、今日は心地よい静寂に満ちていた。こんな時間を二人で過ごすのも悪くない。
「良かったな、ルル喜んでくれて」
ぽつり、とイサミが言う。こんな風に賑やかなクリスマスを過ごしたのは久しぶりだ。それに自分が子供のためにサンタクロースをやることになるなんて夢にも思わなかった。スミスとルルと出会ってからイサミの生活は変わった。けれどその変化がイサミには嬉しかった。
「君のおかげだよ、Mr.Santa Claus」
「来年はお前の番だぞ、スミス」
「どうかな?俺じゃああの煙突を降りられないよ。ところで……俺からサンタさんにプレゼントがあるんだけど」
「偶然だな。俺もだ」
スミスがソファに隠していた包みを取り出すと、イサミも恥ずかしそうにプレゼントを差し出した。人にクリスマスプレゼントを贈るなんて大人になってから初めてだ。いつも仕事として贈り物の花束を包んでいるけれど自分から誰かにプレゼントを渡す日が来るなんて思いもしなかった。プレゼントの包みは既製品の袋だったがイサミらしくクリスマスローズの小花が添えられていた。
「ありがとう!開けてみていい?」
「俺も……」
早速包みを開けるスミスに倣ってイサミも袋を開ける。そして顔を見合わせてしまった。互いに内緒で選んだプレゼントだったのに。
包みの中身は二人ともマフラーだった。
「まさか!プレゼントが被るなんて!」
「でも、これ、お前が選んでくれたんだろ?大事に使うよ」
「もちろん!俺も…っ…!」
二人はお互いの首にマフラーを巻いた。それはどちらも手触りが良くて暖かかった。
「そういえば…こないだ言ってた帰国の話……」
「ああ、来月に決まったよ。前にも話したろ?上はいつビルを建てるんだ?ってそればっかりでさ。俺がこっちでの体験を活かして彼らをなんとか説得してみせる!」
「そうしたら…お前の仕事は終わるのか?」
「そんなまさか!まだまだプロジェクトは始まったばかりで何も形になってない。まだ二~三年はかかるだろうな。それに俺はこの日本での暮らしが気に入ってるんだ」
でも、とイサミは思う。
いかにスミスがここを気に入っているとしても会社は全世界に支社を持つリゾート会社だ。いつか転勤の話も出るだろう。そうしたらお前たちはこの家を出てゆくのか?そう思ったがイサミは聞けなかった。
イサミはスミスから視線を外してちびり、とグラスを傾けた。瞳の中でゆらゆらと炎が揺れている。
「イサミ。俺は本当に君には感謝している……」
なんでそんなことを今言うんだ?まるでもうお別れみたいだ。イサミは手の中のグラスをぎゅっと握りしめた。なんだか怖くてスミスの方を見れない。けれど隣から小さく啜り上げる音が聞こえて、イサミは思わず顔を上げた。
「どうした?スミス」
「ルルを引き取ったこと、後悔はしてない。でも初めての子育ては一人きりで外国じゃ頼れる人もいなくて…本当は不安だったんだ」
「スミス……」
「君と出会えて良かった……」
床についたイサミの手にスミスの大きな掌が重なる。驚いて手を引こうとしたけれど、思いのほか強く握られてそれは叶わなかった。
パチ、と暖炉の薪が弾ける音がして、炎に照らされたスミスの顔が一瞬だけ明るく浮かび上がる。
いつもの軽口を叩くスミスではなかった。その瞳にもう涙はなかったけれど、青い瞳は真剣に揺れていて、イサミは思わず息を呑んだ。
その青い瞳がゆっくりと近づいてきて、イサミは思わず瞼を閉じた。何をされるか分からなかったわけじゃない。けれど跳ね除けることもせず、イサミはただ受け入れた。
そっと唇に柔らかい感触が触れる。おやすみのキスとは違うそれは恋人同士のキスだった。その短い瞬間にイサミの世界からは音が消えた。暖炉の中で爆ぜる音も、外の雪を運ぶ風の音も何もかもが。
そして触れた時と同じくらいゆっくりとその唇が離れてゆく途端に消えていた音がイサミの耳に戻ってきた。
───俺、スミスと、何を……
スミスも驚いたような顔をしている。とろりと潤んでいた青い瞳がパッチリと見開かれてまるで今夢から覚めたようだった。
「イサミ、その…!」
「明日も早いから、もう寝るよ」
何かを言いかけていた スミスの言葉を遮って、イサミは何事もなかったかのように立ち上がった。
「ああ、うん……。片付けは俺がやっておくよ。おやすみ、イサミ」
スミスもまた努めていつも通りの挨拶をした。
部屋に戻ってもイサミはまだ混乱していた。俺たちはそんな仲じゃなかったはずだ。運命共同体だとスミスも言った。でも何よりイサミが混乱していたのは。
───ちっとも嫌じゃなかった……
あんな風に突然に、同性からキスされたのに。イサミの中に嫌悪感はまるでなかった。
軽く触れただけの唇にまだ熱が残っているような気がして、イサミはそっと指先で押さえた。
自分の唇なのに、火が灯ったように熱い。
外ではしんしんと雪は降り積もる。やがて真っ白な雪は全てを覆い尽くして行った。
終