「誰か手合わせ願えるか?」
昼の小笠原館。
ときどき俺は同盟相手である貞宗殿の郎党と稽古を共にする。木刀を肩に担ぐ俺を苦虫を潰したような顔をした小笠原郎党たちが囲む。
2、3ヶ月に1度の暇つぶし。小笠原郎党相手と手合わせをする。小笠原郎党は弓術を主にしている輩が多いので、木刀による手合わせは常勝とはいわないにしろ常興を除けばほぼ俺の独壇場である。今日はその常興が腰を痛めて稽古にはいない。
お、いいのがいるじゃないか。
「あー相手してやるよ。赤沢のなんだっけ?常興の弟」
肩を震わせた新三郎がズカズカとやってくる。
「ご指名いただき光栄でございます。市河殿」
やるか、と俺が言うと新三郎が構える。
初めの合図で間合いを詰めてきた。
新三郎は他の者より長い薙刀の長さの木刀を持つ。大ぶりで上から振り下ろされたそれを避ける。新三郎は挑発に乗りやすく、少し怒らせれば動きが単調になる。その後来る突きを二、三撃避ければ隙ができやすい。突きを避けられると別の手を、と木刀を再び振りかぶる。そこで大ぶりで横からきた木刀を往なし、そのまま間合いを詰めて胴を入れた。
「参りました」
「次、来い」
人差し指ちょいちょいと誘うように動かすが、誰も来る気配はない。
「では。私がよろしいですか?」
背後から聞こえた声に振り返る。
「瘴奸…手合わせは初めてだな。賊に武士の手合わせがわかるのか?首から上を狙うのはなし。相手が、」
「市河殿。私くめはまだ郎党としてこちらにきた期間が浅く…質問なのですが、お上品な武士の殺し合いには決まりなどあるのですか?」
「貴様ァ…もうよい!決まりは無用だ!」
最近、小笠原郎党に入ってきたばかりの大男。
賊から武士になったと聞いたが、諏訪領での一件。まだ俺はコイツを信じていない。
余計なことを考えていると、初めの合図から少し出遅れた。そんな俺に容赦なく瘴奸の一太刀が降ってきた。
「く…」
重い。
瘴奸の一撃を受けた木刀と腕が震える。
身長体重腕力からくる威力が他の者とは段違いだ。一度避けて態勢を整えたいが、速度の速い乱打がそれを許さない。こう単純に受けていてはいつか俺の腕の方が先にダメになる。
「瘴奸!!やっちまえー!!」
周囲の小笠原郎党たちが嬉々として声援をあげる。クッソ。後で覚えとけよ。
木刀を傾けて受けながら右へ払う。切り返して瘴奸の首に向かって一撃。高さが足りず肩に当たる。しかし手の痺れで入りが浅い。
「クソ」
再び横から来た木刀を受けると威力が弱い。違和感だ。よく見ると片手?
反対側からもう一方の片手で耳に平手打ちを喰らう。
「あぐ」
鼓膜がぐわんとする。怯んでいるうちに左手手首を木刀から引き剥がされ、背中の後ろに回させられる。
ゴキン
左腕からだらんと力が抜けた。腕を外されたと理解した瞬間、振り向いた俺の顔に瘴奸の肘鉄が飛んできた。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
「市河殿、今日は泊まっていくといい」
「はい。そうさせていただきます。」
嵌めた左腕を固定する包帯を瀬太郎に巻き直させているところへ貞宗殿がやってきた。この腕では馬の揺れがまだ辛いので、貞宗殿の提案はありがたかった。
「…痛むのか」
「いえ、」
「その。瘴奸のことだが、」
貞宗殿が座り直して、こほんと咳払いをして話し始めた。貞宗殿に非はないとはいえ、自身の郎党が同盟相手を気絶させたのだから責任を感じているのだろう。
「奴のことを快く思っていない郎党をいたことは儂も把握していた。しかし今回の手合わせの件で郎党同士が打ち解けたと聞いた。」
ん?なんだか貞宗殿の話の方向が思ったものと異なる。貞宗殿が続ける。
「体格で不利と知りつつわざと手合わせしてくれたのだろう?そちの機転のおかげで我が郎党の結束が強まったこと、感謝する」
感謝されている…!どうやら俺の敗北が何故か貞宗殿にとって良い影響を与えたらしく。心なしか機嫌も良さそうだ。この勘違いに乗らない手はない!
「いやー!さすがの貞宗殿にはお見通しでしたか!」
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
「瀬太郎殿」
「おや、瘴奸殿」
市河のいる部屋から離れ、古い包帯を洗いに井戸へ向かう瀬太郎に瘴奸が話しかけた。
「市河殿のご様子は?」
「処置はいたしました。怪我は大したことございませんし、そちらの殿もいいように捉えてくださったらしく丸く収まりそうですよ」
瀬太郎は正直に答える。
「そうですか。私が1番心配なのは瀬太郎殿。あなたですが」
「私ですか」
瘴奸との手合わせで市河が地面に伏した瞬間、瀬太郎が割って入った。瘴奸は、ちろと瀬太郎の表情を見る。
「あれは市河殿の指示ですか?」
「いえ、殿からは『戦等で自分が指示を出せなくなるような状態に陥ったときは一時的に全判断をお前に託す』とは言われおりますので。それに決まりは無用という話でしたので横槍も大目に見ていただきたいです。」
もちろん市河にやったのと同じようにすれば瘴奸は瀬太郎も撃退できたのかもしれない。
瘴奸は思い返す。
「いえ、横槍のことではなく。戦場の修羅のような殺気。あのようなものは久しぶりに感じましたよ。」
日常で、しかも同盟関係の郎党同士に向けるものではない。あれを急に出されては瘴奸といえども我に返らざるおえなかった。
瀬太郎は今まさに目の前の大男が、自分に敵意がないか探りを入れにきたと気がついた。
「また大袈裟な。無法相手に無法で返しただけです。ただ、我が殿にあのような手合わせは2度としないでいただきたい。」
敵意はない。しかし2度目もない。そう言いたげな瀬太郎はあくまでも穏やかな口調で返す。
「肝に銘じておきます」
用事は済んだだろうと瀬太郎は軽く礼をしてその場を去ろうとした。
瀬太郎が二、三歩歩いたところで瘴奸は思い出したように、「あ、あと」と瀬太郎を呼び止めた。
「市河殿にわざと手を抜いてくださってありがとうございますと伝えてください」
「それ殿に絶対言わないでください」