てるてる坊主作ってくれるイチノ廊下の窓の外が白く光って、一之倉は思わずノートから顔を上げた。この授業が終わればようやく部活なのだが、今日は外周はなさそうだ。視線を黒板に戻しても、稲光が視界の隅にチラついていた。
思った以上に雨は激しく降っていた。掃除の時間も窓を開けることができないくらいには。
廊下側の窓を拭いていると、教室の外で明らかに掃除の邪魔になって突っ立っている男がいた。黄色いモップを持ったまま、激しく窓を叩く雨粒を眺めているのは、同じクラスの野球部の坊主であった。
一之倉は教室を出て、その隣へ並んだ。頭ひとつぶん違う背丈だ。しかし、男の背中はなんだか小さく見えた。
「──野球部ピロティかな」
グラウンドのダイヤモンドは見る影もない。いくら水捌けがよいと言っても、超低気圧による洪水レベルの夕立の後すぐには、野球はできないだろう。
男はウンと生返事のあとに言った。
「バスケ部だってラン体育館じゃん」
平生の半分もない声量のせいで、男の心の内が手に取るようにわかって、一之倉は少しだけ同情した。
男は部活を──野球を愛している。一之倉がバスケを愛しているように。一分一秒すらも惜しい青春だ。雨に水を差されては堪らない。
「あと30分くらいで止めば、アップしてるうちに乾くかもしれないぞ」
いつも元気で五月蝿いこの男が、わかりやすくしょげている。だから普段あんまりかけないような言葉をかけてみた。ついでに腕を肩で小突いてやった。陰気もポンと軽く吹き飛んでしまえばいいと思った。
しかし、男がまた生返事をしたので、一之倉はさすがに顔を見上げてしまった。三日月みたいに鋭い三白眼が雨雲を睨みつけていたので、目は合わない。
「…ムネ?」
大人しくしていれば、ただの厳つい日に焼けた坊主だ。たぶん女子にもモテる、知ったこっちゃないが。
しかし、黙っているこの男が、物思いに耽っているわけではないのがいじらしくて、おかしくて、一之倉はそれきり口をつぐんだ。わかりやすいことは時として、ひどく愛おしさを募らせた。
「ムネ」
「っい、っだ…!」
このまま、男が沈黙に呑まれてしまうのが癪で、一之倉は形のいい耳を思い切り引っ張った。悲痛な声とともに、涙目の三白眼がようやくこちらを見る。胸の奥がしんとした。
「…雨降って泣いてる野球部なんてお前くらいだよ」
「泣かせたのは聡くんだろ」
非難も口にせず、かわりに泣き言を漏らす唇が尖る。赤いそれは、しろい雨によく映えていた。
思わず伸ばしそうになった指を曇りガラスに伸ばして、一之倉は低い声で言った。
「…でもオレ、お前のそういうとこ嫌いじゃないから」
マルに三角をくっつけて描く。頭のてっぺんに楕円の紐を追加すると、何だかわかった男が「あ!」とようやくデカい声を上げた。
「聡くんボーズだ」
「お前も坊主だろ」
「あ、俺ボーズも描く!」
のっぺらぼうに顔を描き加えた男は、その隣にひと回り大きなてるてる坊主を描いた。続けて目を描こうとする指を掴んで止める。かわりにそこへ指を伸ばした一之倉は、ギロリとした怪獣みたいな目を描いた。
「俺じゃん!」
「雷様もヘソ隠して逃げだすぞ」
「わはは」
わかりやすいことは時として、ひどく愛おしさを募らせる。男の性分をよく知っているがゆえに、一之倉はホッとしたように息を吐いた。あとは晴れるのを待つのみだ。
「お前ら掃除サボって何やってるピョン」
二人で廊下に突っ立っていると、さすがに深津が近寄ってきて苦言を呈してくる。しかし野球部は胸を張って答えた。モップはただのお飾りだ。
「深津。見ろ。聡くんボーズと俺ボーズだ」
「……なぜ誇らしげなのか理解不能ピョン」
「あ、ムネ!晴れてきたぞ!」
「マジ!?…マジだ!サンキュー聡くん!おい深津、バスケ部外周な!」
「お前に何の権限があるピョン」
窓に並んだふたつのてるてる坊主ごしに、きらきらと金の光が差し始めたので、一之倉はたまらなくなって顔をくしゃくしゃにして笑った。