女子には紳士なイチノクラス替えほど憂鬱なものはない。だってただでさえ女子が少ないうちの学校だ。せっかく仲良くなった女の子とクラスが離れてしまうのは、学校生活に色々と支障をきたす。男子と簡単に仲良くなれる子ならそんなことはないんだろうけど、わたしには無理だ。
しかもうちの学校は運動部が強くて、全国からスポーツ万能な男子が集まる。みんな背が高くて強そう。中でも見た目が怖いのはバスケ部と野球部。──だって彼らは坊主頭だから。
我がクラスも三分の一くらいは坊主だ。バスケ部も野球部も強豪で、部員数が多いから。
そして不幸なことにわたしの前の席も坊主だ。野球部の宗像くん。そして彼の隣も坊主。バスケ部の深津くんだ。
宗像くんは背が大きい。たぶんクラスで3番目くらいに。だから黒板がたまに見えないことがある。“たまに”で済んでいるのは、彼が猫背だから。そして授業の半分くらいは机に突っ伏して寝ているからだ。
さらに、宗像くんは眼光が鋭い。いや、ぶっちゃけて言えば目付きが悪い。だから、彼が後ろを振り向いてプリントを渡してくれるとき、わたしはついビクビクしてしまう。
つまるところわたしの学校生活圏内にいる坊主は、わたしにとって“ちょっと怖い”存在だった。
そんなある日、隣の子が風邪でお休みというタイミングで技術実習があった。
実習後の片付けと最終確認は日直の仕事なんだけど、こういう日に限って返却物が多い。早く戻って着替えもしないといけないのに、と焦るわたしは、使い終えた教材を持てるだけ手に抱えた。
でも、そんなことをしたって準備室の扉は開かない。大荷物を持ったまま、わたしは溜め息を吐いて廊下に教材を置こうとした。
そのときだった。
「えッ、すげー荷物」
突然後ろから声が降ってきた。声がでかい。何事かと振り向くと、まだ作業着のままの坊主がわたしを見下ろしていた。宗像くんだ。
「開けんの?」
聞いたくせに返事も聞かず、「ほい」と引き戸を開けてくれた。目付きは怖いけど案外いいひとかもしれない、と思ったのも束の間。
「馬鹿、こういう時は持ってあげるんだよ」
宗像くんの後ろからひょっこり顔を出したのは、一之倉くんだった。バスケ部の坊主で、バスケ部にしては背の低めの子。宗像くんと違って声がクールだ。
「今日日直ひとりだったんだ。ごめん、気づかなかった。手伝うよ」
一之倉くんはそう言うと、わたしが持っていた教材を上から全部受け取った。咄嗟の出来事に、わたしは焦りに焦った。
「…え…っ?…えっ?いや大丈夫!いいよ、授業遅れちゃうよ!」
「それは菊地さんもだろ。いいから。おいムネ、定規早くとってこい。んで、お前も手伝え」
「ラジャッ!」
「ええっ!いいよ、ほんとに!」
「いいからいいから」
どうやら一之倉くんは実習室に忘れ物をした宗像くんと一緒に戻ってきたらしい。そこでまだモタモタしているわたしを見つけてしまったと。
一之倉くんはテキパキと教材を片付けると、点検簿を持ってきて項目を見ながらチェックまでしてくれた。
あまり話したことがなかったけど、一之倉くんはあんまり怖くない。他の坊主より身長がそんなに大きくないからかもしれないけど、話し方も穏やかだし、自然な感じ。肩肘を張らなくていいというか。
「聡くーん、実習室もう菊地サンの荷物しかないぜ」
隣の実習室の扉から顔を出しているらしい宗像くんが叫ぶ。一之倉くんは「おー」と返事をすると、点検簿を小脇に抱えて言った。
「…菊地さん、アイツに荷物持ってきてもらっても平気?」
「大丈夫だけど…」
「わかった。…おいムネ!それ持ってきて!壊すなよ!」
「壊さねーよ!」
よくわからないが壊される心配があったらしいわたしの実習道具とノートとペンケースは、無事に宗像くんが持ってきてくれた。差し出してくれた手が大きくてびっくりした。
一之倉くんは実習室の鍵を閉めると、時計を見上げて言った。
「鍵、オレたちが返してくるから、菊地さんは着替えてきなよ」
「えっ、そんな、悪いよ……」
「大丈夫だって!俺と聡くん、走るの速えから」
なぜか得意げな宗像くんに「廊下は走っちゃだめなんだよ…」と内心ツッコミを入れる。でも本音はありがたい。このまま職員室に寄っていたら本当に次の授業に間に合わない。
観念したわたしがお礼を言うと一之倉くんは、ほうっと息を吐いた。わたしと坊主(小)と坊主(大)が廊下を歩き始める。
「…次、何か困ったことがあって、近くに女子がいなかったら、オレかコイツに声かけて。他の奴らでもいいけど、あいつらデカいしゴツいから頼みにくいでしょ」
細い目尻が申し訳なさそうに下がる。一之倉くんってなんだか大人だなあ、とちょっとドキドキしたのも束の間、隣の大柄な坊主が「俺も!?」と叫ぶので台無しだ。
「当たり前だろ。ていうかお前、席近いんだから助けてやれよ」
一之倉くんが宗像くんの脇を肘で小突く。しかし、“小突く”というには少々力が強すぎたらしく、宗像くんは変な声を上げてわたしを見た。
でも今日初めてわかったことがある。
「菊地さん、今日は黒板消すのコイツがやるから」
ひとつは、一之倉くんはすごく紳士で優しいということ。そしてもうひとつは────
「オッケー菊地サン、今日の黒板消しは俺に任せろ」
「よし」
宗像くんはまるで一之倉くんに、わんちゃんのように躾をされているということ。
一之倉くんは宗像くんの返事に満足そうに頷いた。顔が怖く、吠える声が大きい犬でも、飼い主の前ではすごく良い子になるのだ。
親指を立ててみせた坊主の目付きは相変わらず悪かったけど、もう怖さは感じなくなっていた。わたしの学校生活圏内にいる坊主たち。“ちょっと仲良くなった”存在。
それからすぐに宗像くんは、後ろに座るわたしにべらべらと話しかけてくれることが多くなった。そしてちゃっかり、課題のノートを「貸して」とお願いしてくることも多くなったのであった。
「菊地さん、そろそろ金取ったほうがいいピョン」
……とは、隣の賢い坊主からのアドバイスである。