未完の愛を手さぐりに「要らなくない?」
ああこれが来たかと行為中にあるまじき爽やかな光を放つ両目に理解した。
良い休日だったと思う。昨夜、明日は丁度二人揃って何の予定も入っていないことだし起きてから眠るまでずっと一緒にここでのんびりしていようじゃないかと自ら持ちかけた計画をアクシデントで反故にすることもなく、実にのほほんと時間を浪費した。一歩も外へ出ず同じ部屋に二人。気ままに過ごしては時折思い出したようにひっつく。記憶のなかにうずもれつつあった些細な匂いや感触をよみがえらせる作業はたいへん楽しく、会えていなかった数週間で心に溜まっていた淀みのようなものがすっかり浄化されたのを感じていた。あとはまた寂しい日々をゆくための活力くらいもらえれば、と言いつつ愛でる方向へつつがなく移行してしまったのはいつもの癖というか余った時間の有効活用というか。何だっていいし何と評されてもいいけど自分がひとり走った訳ではないとだけは主張しておきたい。彼も結構乗り気だった。脱ぎ始めたのだって向こうからだ。既に薄く染まっていた肌をさらして無言でこちらを見てきたときの目なんてじんと熱を帯びていて――まあ今は熱も何もどこかへ吹っ飛んでいるが。きらっきらだ。ガラス玉もかくやと思う輝き具合は嫌いではないけどもこのタイミングはどうなのか、その好奇心を発揮すべきは今だったかと問いたくなる己を誰にも否定されたくは無い。
「要るよ」
言って添わされていた手をはらうとランガが片眉をゆがめた。いるかなあ、呟いてあぐらをかく。もう一度寝転がる気は今のところ無いらしい。絡めた爪先を覆う手の向こうで勃ったままのそれを自ら気にする様子もなくじっとこちらを見つめてくるばかり。目はお喋りだ。ダイレクトに“何故”と伝えてくる。
「理由が欲しいなら家で保険の教科書でも読めばいい。書いてあるから。または授業で習うのを待つか」
「習った。でもあれって男と女の話だろ」
「愛し合うのに性別が重要?」
「はぐらかそうとしないで。流石に分かるけど、それでもつられそう。あとそうじゃなくても違いはちゃんとある。たとえば」
大きく開いた五指で下腹をさすり
「俺は妊娠しないし」
さらりと呟く言葉に事実以外の何も含ませていないのが彼らしい。
「妊娠しなくともリスクはある」
「ああ、切れたり?大丈夫そうだけどな」
あぐらを崩しランガは手を後ろへ。もぞもぞと動く腕だけ見せながら背を軽くしならせた。
「……うん、大丈夫、だと思う。多分」
「確認しなくて……いや、多分?それじゃあ不安だな。もう少し確認してみて」
実のところわざわざ見せて来なくともそこが現在こちらのを受け入れるのに何ら支障が無いことは知っている。些細な傷も付かないようにと丹念に解したのは自分だ。しかしなかなか良い眺めだったので煽り、ついでに彼が徐々にそちらへ集中していくのを見計らい手早くスキンを取り付ければ「あっ」と小さな鳴き声。まさか全く予想していなかったのか。思わずかわいいねと声を掛けたならたちまち渋くなった顔へますますかわいくなったと教えるのは少々酷かもしれない。
指を抜き背をぐっと伸ばすとランガはそのまま身を倒した。切り替えられたようで何よりだ。
こちらを引き寄せるべく駆使される手や足の先の雑な力加減がしかし不思議と心地良く、委ねた腕が肌に触れる。
「何で急にあんなこと言い出したのかな」
「急じゃない。気持ち良いって聞いて気になってた」
「誰から聞いたかも後で教えてね。じゃあ今だと思って言ったんだ?」
頷くランガへ理由を問えば今日は体力に余裕があるからと、複雑でも無い答えをしかし彼は時間をかけて出した。そうか、と返すこちらへ向ける目も僅かな戸惑いと多くの確信で埋まっている。会う度競うようにコースへ駆けていた相手に突如ひたすら休息させられたら当たり前かもしれないが。それか目か声か。まあ目新しいことなど持ち掛けて気分を変えさせてやれないかと考える程度には露骨だったのだろう。正直自覚はある。
「あまり軽率に誘わないでくれ。さっきはまだ冷静だったから断れたし次もそうするつもりだけど、うっかり揺れてしまったらことだ」
「揺れてよ」
嫌だと告げる代わりに微笑んで彼を呼んだ。先程彼自身がさすっていた下腹へ手を這わし、
「ここで出すと痛むかもしれないんだってさ」
きょとんと丸くなった目からほんの少し視線を外して息を吸う。
「この前君、頭痛がするからと言って話途中で通話を終わらせただろう。いや終わらせたのはいいんだ。そんなのは別に」
「喋ってられないからごめん」と早口で告げる声は冷や汗も滲むようで、たった一度聞いただけで完璧に覚えてしまったそれを深夜何度も蘇らせた。言っても人の痛みだ。感じない。関係ない。その後すぐに治ったと連絡もされていた。だからそうなる必要はなかったのに、次の日恐る恐る表示させた連絡先と一瞬で繋がり変わらない声が聞こえたとき笑えるくらい安心していた。
見ることも聞くことも、おそれることも。嫌だと思う。
「痛がる君は見たくない」
見る間に変わる表情とわかったと返す声がこそばゆくかつおちつかず体の力を抜く。覆い被されば耳元ささやかに弾む笑い声。分かっているだろうに。痛がらないで。君に何かあったら。その先に続く言葉がおおよそ好きなだれかへ向けるには愛に欠ける、自己中心的な縋りであることを。僕は一体誰と滑ればいい。甘ったれた叫びを口に出さずとも彼にだけは全て分かられてしまう気がしてならないのだ。だから誤魔化しきれず本音の破片を溢すこんな瞬間はいつだって心を張りつめさせて、けれど毎回のように彼がこうしてこちらの投げた破片をたいそう愛おしげに抱きしめてくるから、言わなければよかったとも思えずまた繰り返す。ああ救えない。
「勝手だな」
「いいよ」
呟きをすくった手に頭をかきまわされながら「勝手にやさしくして」と言う声を聞いた。自分を楽にするための行動が彼への優しさになっているなら良いことだと思う反面目的が優しさで無い以上いつかそうでなくなることはあるのだろうとも思っている。最低限の守りも無くして痛みを与えたくなるときだって。
無ければいい。失敗はしたくない。
「……もし痛かったら?そうだな」
けれど。
「痛いって言うし、次するときからはつけてって言うよ」
二度とないとか、戻れないとか、もし間違えたとしてもそんなふうにはきっと思わなくていい。わすれるものか。自分が選んだ彼はあの日さえ“もういちど”を望んだのだ。