オーエンが石になる話(仮題) ムカムカするな、と思った。同時に何かを壊したいと思った。
それは時折彼を襲う衝動で、制御できないし、しようと試みたこともなかった。
「《アルシム》」
呪文を唱えて移動する。夢の森の美しい光景が目に飛び込んでくる。目の前には銀髪の魔法使いがいた。
「ッ、ミスラ……!」
彼は、ミスラの姿を瞳に映すと同時に、舌打ちをして空中へ飛び立った。殺気立った獣と距離を取ろうとする。そんな彼を追うように、赤い獣は腕を伸ばした。
「《アルシム》」
再度、呪文を唱える。抑揚のない声。魔道具の髑髏が大きく息を吸うように膨らむ。
瞬間、大きなつららが、逃げようとする彼の身体を貫通した。
「かはッ……!」
鮮やかな赤が飛び散る。雨のように降り、ミスラの顔を濡らした。
ドサリ、と赤に塗れた身体が地面へと倒れ込む。何度も繰り返された光景だ。戦いはいつも、ミスラが勝利する。
「ミ……スラ……」
恨めしそうな顔で、白銀の魔法使いはミスラを睨んだ。
「……グ、ァ……」
苦しそうなうめき声をあげる。ミスラはそれを無視し、彼に背を向けた。
「ゆる……さ……な……。…………」
魔法使いの瞳から光が消える。命がおわる合図だ。
そのとき、聞き覚えのある音が、ミスラの耳に届いた。
パキパキ、という何かが割れる音。
異変を感じて振り向く。
――……パリンッ
「なっ……?!」
砕け散る無数の欠片。
光に照らされ美しく光るそのひとつが、ごろりとミスラの足元へと転がってきた。
「……オー、エン?」
北の魔法使いオーエンは、
石になった。
・・・・・
「オーエン!」
「オーエン!」
ミスラの後ろに、大きな扉が現れた。中から、小さな双子が駈け出してくる。
双子の一人、スノウは、地面に転がる無数の石の欠片を見つけたのち、俯いて表情の見えないミスラを見遣った。
「……やはり、おぬしじゃったか」
双子のもう一人、ホワイトは、オーエンを悼むようにそっと石の欠片に触れた。
「オーエンの魔力の気配が消えたとオズから聞いて駆け付けたんじゃが……間に合わんかったの」
ミスラは、しゃがみこんで動かなかった。左手には、欠片の一つを強く握っていた。
そんな彼の目の前に立ちはだかるように、小さな双子は並んでミスラを見下ろした。
「ミスラよ」
「オーエンから、何か聞いてはおらんかったか」
ミスラは答えない。代わりに、消え入りそうな掠れた声を小さく吐き出した。
「……オーエンを元に戻してください」
ミスラの言葉に、スノウは静かに息を吸い、そして吐いた。
「無理じゃ。石になってしまってはもう戻らぬ」
ホワイトが続く。
「無理じゃ。おぬしは充分にわかっているはずじゃろう」
二人の言葉に、ミスラは左手の欠片をさらにきつく握りしめた。
この日、どんなにスノウとホワイトが語りかけても、これ以上彼が口を開くことはなかった。
ミスラの後ろで、双子をこの場に連れてきたオズが、冷ややかな目でその背中を見下ろしていた。
・・・・・
一人の魔法使いが石になってから、ミスラの行動はこれまで以上に攻撃的で破壊的になった。
ある時は、何度も魔法舎を破壊した。
ある時は、北へ出かけ、死にかけの様子で魔法舎へ戻ってきた。
これまでも何をしでかすかわからない恐ろしさや危うさがあったが、今はそのような得体の知れない恐怖ではなく、ただただ暴力的な、命を脅かすような、そんな恐怖を与える存在となっていた。
オーエンが石になってから、賢者の力により新しい北の魔法使いが召喚された。北の魔法使いの召喚は、久しぶりのことである。
召喚された魔法使いは、ブラッドリーより少し若いものの、長く北で暮らしてきた生粋の北の魔法使いであった。スノウとホワイトは彼に、オズかブラッドリーか自分たちか、必ず誰かとともに行動するよう忠告した。この魔法舎には、理性を失った赤い獣が出るから、と。
しかし、新しい魔法使いは、忠告を聞かなかった。他人に指図されるのを嫌う北の魔法使いが、他の魔法使いの言うことを聞くはずがないのだ。夜も更けた頃、彼は自室から抜け出し、魔法舎の外へと踏み出した。
翌朝、新しい北の魔法使いは、石となって発見された。現場には、ミスラの魔力の残滓が残っていた。
「……ミスラさんは、少し違う環境で過ごした方がいいのかもしれません」
魔法使いたちが神妙な顔つきで集まる談話室で、南の国の魔法使い、ルチルはそう呟いた。ルチルの言葉に、ミチルも続く。
「ボクもそう思います。ミスラさんがしたことは許されないことばかりですが、……でも、ここにいると色々思い出してしまうだろうから……」
胸の前で拳をぎゅっと握る。その様子を見て、レノックスが励ますように彼の肩に手を置いた。
「環境を変えるなら、南の国はどうでしょうか。魔法舎とも、彼のゆかりの地である北の国とも、まったく違った場所ですから」
レノックスがゆっくりとした口調で提案する。そして、「まあ、彼が頷くかはまた別の話ですが」と付け加えた。
「たしかに妙案かもしれぬな。マナエリアで休むのが一番かと思ったのじゃが、北の国に行っては暴れている様子じゃし……。それにこれ以上、あやつにここを破壊され、仲間を失うわけにはいかぬ」
「そうじゃな。別の場所で過ごすことで、何か良い影響を与えられるかもしれぬ。ルチル、ミチル、何かツテはあるのか?」
「はい。私の家の近くに空き家があります。私たちも南の国へ行って、しばらく一緒に過ごせたらなって」
スノウとホワイトが顔を合わせる。目くばせをしたあと、南の兄弟に向きなおった。
「おぬしらの提案であれば、あやつも言うことを聞くかもしれぬ」
「頼めるか?」
ルチルとミチルは、口元を引き結び大きく頷いた。
・・・・・
空を見ていた。雪がふわふわと落ちてくる。天気は荒れてはいないのに、いつもより寒いなと思った。
目の前の凍った湖面を覗くと、赤い髪と、返り血に濡れた赤い服が映った。
「……またですか」
小さく舌打ちをする。何の血なのかが思い出せない。最近は、こういうことが増えていた。
辺りを見回すと、覚えのない儀式の跡や呪術の道具が転がっていた。中には、かなり危険な魔法陣も描かれている。使いかけの道具を拾おうと足を動かすと、強い痛みが走る。見ると、深くえぐれるような傷を負っていた。これも、記憶にないものだった。
「何だか疲れたな」
小さくつぶやいて、その場に倒れ込んだ。記憶だけでなく、身体も調子が悪い日が続いていた。何かに蝕まれているような感覚がする。目をつむると、夢の森のあの日の光景が、いやに鮮やかに蘇る。赤い血、白い雪、怪しく光る石の欠片。
心臓を貫かれたのはオーエンのはずなのに、まるで自分がつららに射抜かれたかのように、ズクズクと強い痛みを感じた。それと同時に、左手に、冷たい石の感触が戻ってくる。
「……ラさん、……ミスラさん!」
名前を呼ばれる気配がして、ふっと意識を現実へ戻した。声をする方を向くと、ルチルとミチルが自分の方を向いて立っていた。ミチルは、ミスラの格好や周りの様子に、少し驚いている様子だった。
ここは死の湖だ。魔力の弱い彼らが、いったいどうやってこの地へやってきたのだろうか。いくつになっても綱渡りのような挑戦をする彼らには、本当に冷や冷やさせられる。
「……何してるんですか。あなたたち弱いんですから、こんなところにいたら死にますよ」
ゆっくりと起き上がり、二人をにらむ。気に留めない様子で、ルチルがミスラの元へ近づいてきた。
「ミスラさんとお話したくて。ここ数日、魔法舎におられなかったみたいなので、ここかなと思って訪れたんです」
ルチルは、にっこりと笑う。相変わらず、のんきで間抜けな表情だと思った。
「一緒にお茶でもしませんか?ネロさんが焼いてくれたパンを持ってきたんです。もう冷めちゃったかもしれないけど……きっとおいしいですよ!」
ミチルが大きなかごを差し出す。きっとおいしいパンがたくさん入っているのだろう。
ミスラは、二人を順番に見たあと、「ハハッ」と乾いた笑いをこぼした。
「……あなたたち、馬鹿なんですか?」
ミスラの問いに、二人は何も答えず、彼をじっと見返した。
「俺が、怖くないんですか?」
大きな手をルチルとミチルの額にかざした。今にも恐ろしい魔法を使うような、そんな圧を放出させる。
「……怖いですよ」
「兄様ッ!」
「今のミスラさんは、怖いです。でも、それが本当のミスラさんじゃないことを、私たちは知っています」
弟の言葉を遮るように、ルチルはそう答えた。口元に微笑みを浮かべながら、まっすぐにミスラを見つめた。
「一緒にお話ししましょう、ミスラさん」
花が咲くように笑うルチルに、ミスラはかざしていた両掌をおろした。大きなため息をつく。
「……ハァ、勝手にしてください」
ルチルが南の国でお茶会をしたいと言い出し、何もかもがめんどうくさくなったミスラは空間を南へとつなげた。ルチルに、小さな家に案内される。こじんまりとしたキッチンの椅子に座るようと言われ従うと、ミチルの持っていたかごが目の前に差し出された。
かごの上に被さっていた布をめくると、香ばしいパンの匂いが漂ってきた。ひとつ掴んで頬張る。味はよくわからないが、何となくおいしい気がした。そういえば、何かを食べるのはかなり久しぶりかもしれない。
「よかったらお茶もどうぞ」
ミチルがお茶を差し出すと、ミスラはぐいっと一気に飲み干した。
「ちょっと、火傷しちゃいますよ!?」
「……久しぶりに何かを飲んだ気がします。もう一杯欲しいです」
「気にいってもらえたならよかったです。これ、疲れが取れるハーブティーで、ミチルが育てたんですよ」
ミスラは、「へえ、そうですか」とカップを覗きこんだ。「悪くないと思いますよ。まあ、味はよくわかりませんが」と言うと、ミチルは呆れたように苦笑した。
「ところで、ここどこです?あなたたちの家、こんなんでしたっけ。最近色々思い出せないことが多いので、よくわからないな」
ミスラが最後のパンに手を伸ばしながら辺りを見回す。
「僕たちの家じゃないですよ。今は誰も住んでいない、空き家になっています」
ミチルの言葉に続き、ルチルも明るい声でミスラに話しかけた。
「でも、ここ、とっても素敵な家ですよね。ミスラさんもそう思いませんか?」
「はあ」
「やっぱりそうですよね!」
ルチルがキラキラと目を輝かせる。
「だったら、ミスラさん。しばらくこの家で住んでみませんか?」
「…………はい?」
「私たちの家も隣にありますし、南での新生活も、きっと楽しいですよ!」
「……意味が分からないんですが」
強引な誘いに、ミチルが苦笑いをしている。呑気な二人を見て、カッと頭に血が上った。
「こんな平和ボケしたところで過ごせるわけないでしょう。俺は北に帰らせて……」
立ち去ろうと席を立ったそのとき、グラリと世界が歪んだ。頭を押さえて顔をしかめる。
「ミスラさん!」
「しっかりしてください!」
ぐわんぐわんと回る世界に、焦った顔をする二人が見えた。ミスラの身体を支えるようにしながら、表情を掴もうと顔を覗きこんでくる。こんな状態で姿を消せば、この二人はまた北まで追いかけてくるだろうと思った。まったく、本当にめんどうくさい兄弟だ。
「……もういいです。とりあえず今日はここに残るので、もう一人にしてください」
椅子に座り、痛みに耐えるように目を伏せた。肩で大きく息をする。
「……わかりました。行こう、ミチル」
二人は、「あとから、何かあたたかいものをお持ちしますね」と言葉を残し、静かに部屋を出ていった。
・・・・・
「ミスラさん、いらっしゃいますか?」
ルチルの声が聞こえる。返事はしない。
「……食事をとらないと、身体に悪いですよ。あたたかいスープをつくりましたから、ドアの前に置いておきますね」
コトリ、と物音が聞こえたあと、気配は部屋の前を離れていった。
ミスラはベッドに横たわり、瞼を閉じていた。目を閉じれば、嫌でもよみがえってくる記憶がある。オーエンが石になった日のこと、そして、その前の日のことだ。
「明日、中央の市場に行きませんか。お茶でも奢りますよ」
しばらく雨が多かったこともあり、外に出かけるのもめんどうくさく、魔法舎に引きこもる日々が続いていた。夜はシャイロックのバーで暇をつぶしたり、談話室でブラッドリーとカードゲームで賭けに興じたりもしたが、何となく「つまらないな」と感じていた。特に、ブラッドリーには賭けに負けて、気に入っていたリングを奪われてしまうし。イカサマしているに違いない、と思いだしては苛々とした。
だから、気分転換にオーエンをお茶に誘うことにした。気まぐれな彼はいつも誘いに応じるわけではなかったが、最近は奢るといえばついてくることも多かった。いつもニコニコ笑っている彼と話す時間は、心地がよく嫌いではない。
「オーエン、明日中央の市場にお茶に行きましょう。奢りますよ」
しかし、今回はタイミングが悪かったようだ。
「嫌。明日は用事があるから」
「へえ、珍しいですね」
ミスラはつまらなそうに窓の外を見ながらポリポリと首をかいた。「じゃあ、あさってならいいですか」と聞こうとしたが、その前にオーエンが口を開いた。
「ねえミスラ」
こわばった声がミスラを呼ぶ。オーエンに視線を戻しても、それが絡み合うことはなかった。
「明日、僕のこと絶対に殺さないで」
「はあ、殺しませんけど」
「じゃあ約束して」
「約束?なぜです?」
「いいから」
オーエンは、視線を合わせようとはしなかった。いつもと違う態度に苛々がつのる。
「嫌ですよ。約束なんてもう懲り懲りです」
ミスラはそう言い放ち、オーエンに背を向けた。
「……はあ、つまらないな」
降り積もっていく苛々は、まだ溶けそうにはなかった。
過去の記憶から顔を背けるように、静かに瞼を開く。ジクジクと痛みを感じ、左の胸を押さえる。
「今の方がずっとつまらないですよ、オーエン」
窓から差し込む南特有の日差しが、いやに眩しく見えた。
・・・・・
ルチルとミチルに無理矢理南へ連行されて数年。ミスラは何だかんだフローレス家の隣人を続けていた。
最初の頃は、どこかで暴れ返り血を浴びて帰ってくることも多かった。二人が話しかけても返事がなかったり、逆に暴れるように家を破壊することもあった。虚ろな目をしながら家の前で呪術を行い、ルチルに止められて迷子になったこどものような顔をすることもあった。
しかし、時間が経つにつれ、以前のように二人と気の抜けた会話ができるようになっていった。破壊的な行動が減り、北と南を往復しながら比較的穏やかに過ごしていた。
「あなたたちやここの住人を見てると、何だかおかしな気持ちになるんですよね。ぼーっとして眠たくなって、もう少しここでゴロゴロしていようかなって思います。俺はおかしくなったんでしょうか」
ある日、ミスラがルチルに尋ねた言葉だ。
ルチルが「それはきっとよい変化ですよ。一緒にゴロゴロしましょう」と笑うと、納得できないというように目をそらす。ふう、と息を吐いたかと思うと、「北へ行ってきます」とだけ告げ、姿を消した。それでも少し時間が立てば、また南の地へ戻ってくる。
その後もミスラは、北で孤高のプライドを鋭利に磨いては、南へ足を運び平和な空気を吸う不思議な日々を送った。
ミスラの様子について報告を聞いた北の双子は、頬をゆるませ安堵した。悠々自適じゃのう、うらやましいのう、と手を取り合い喜んだ。ルチルとミチルも、いくらか肩の荷が下りたようだった。
しかし、その表情にはどこか陰りがあった。
北の国の雪深い湖。世界で二番目に強い魔法使いが住む湖。
月が高く輝く頃、その湖の住人は地面でうずくまり、痛みに耐えるように左胸を押さえていた。
「オーエン……」
小さくこぼれ落ちた声は、静かな夜へと消えた。
(第1章・了)